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関川浩一 - (2017/09/24 (日) 22:48:30) のソース

*&link_wikipedia(関川浩一){関川 浩一}(せきかわ こういち)
-1990年のドラフト2位指名でタイガースに捕手として入団。同期は[[湯舟敏郎]]・[[山崎一玄]]・[[田村勤]]ら。
-最初の背番号は捕手では珍しい21番だった。
-その後、盗塁阻止に難があり、打力があり更に俊足だったことから外野手兼任することに。
-1997年オフに[[久慈照嘉]]と共に、[[大豊泰昭]]・[[矢野輝弘]]とのトレードで中日ドラゴンズに移籍。
-移籍後に外野手専任になり、才能が開花。当時中日監督だった[[1001>星野仙一]]に重宝された。
-1999年には打率リーグ2位の.330を記録、3番打者として中日のリーグ優勝に大きく貢献した。
--この年は、ひっそりと矢野も3割を記録している。
--しかし2000年代に入るとポップフライばかり打ち上げてたことからPOPさんの蔑称が付く
--「帳尻戦隊ウテンジャー」の一人(あとの四人は山崎武司・立浪和義・井上一樹・中村武志)
-2003年に.316をマークして復活するが、2004年は何故か干され、オフにトレードで楽天に移籍。2007年に引退後、2009年までと2011年に楽天のコーチを歴任した。
--楽天時代は横川史学(のち巨人に移籍、引退)をよく怒鳴っていた。
-そして2012年の[[和田豊]]体制発足に伴い阪神にコーチとして15年ぶりに復帰した。星野は関川に「和田を助けてやれ」と言ったそうだが星野の事だから「ああ、そうか必要のないコーチだから出て行ってくれて助かった」と思っていたのだろう。
--楽天時代からコーチとして悪評があったことや中日時代以降の言動からとらせん住民に嫌われてたので阪神復帰に否定的な声も少なくなかった
--阪神コーチ時代は生え抜きの宿命か一部のとらせん住民から貧打のスケープゴートにされていた。打てない、若手が育たない、同じ投手に負け続ける打線を作り上げた。
--[[マット・マートン>マートン]]との喧嘩もそもそも関川が日頃から高圧的な物言いをしていたのが原因とも言われている
-よくメモも取っているのだが同じ投手に負けてばっかりで意味がない打撃コーチ、外野守備走塁コーチ、スコアラー、巡回コーチ全てにおいて無能である
-コーチとしての実績は全くない
-[[山脇光治]]同様上司に媚びる能力は同様一流とか言われるが関川の場合(山脇にもその傾向はあったものの)は選手に対して徹底的に威圧的な態度で接するのでかなり評判が悪かった
-そんなこんなでコーチとして無能っぷりを存分に発揮し解任後デイリースポーツで叩かれた。
-2016年からは工藤公康にゴマスリして、福岡ソフトバンクホークスのコーチに就任してとらせん住民を唖然とさせ工藤ソフバンの行方を案じる住民もいた。案の定というべきかそのソフバンが11.5ゲーム差を日ハムにひっくり返されて優勝を搔っ攫われた際、2016年ホークススローガンの「熱男」に引っ掛け「逸男」と呼んだり、「関川の呪い」などと騒ぐ人もいた(鷹さんファンの板ではない)。一度スケープゴートになってしまうと大変である…とはいうもののソフバンでも作戦ミスとかを度々やらかし無能ぶりを遺憾なく発揮したのも事実。結局関川は一年で解任され、二年連続でコーチ解任を食らった
--コーチ解任は食らったもののソフバンに残留してることから契約が残っていたのかどうか不明(必要性は全くない。コーチとしてもスコアラーとしても超無能である)
-2017年も作戦・戦略アドバイザー(作戦も無能で戦略も無能)とかいう昨年に引き続き必要のない役職。しかし今年で解任濃厚の模様。
-阪神(二期目)~ソフトバンク時代に付けられた蔑称一覧
--「関糞」、「ゴマスリ関川」、「無能白メガネ」、「貧打請負人」、「星野和田工藤にゴマスリしてコーチになるも無能で解任」、「工藤巡回男」、「小スパイス」、「呪いの装備」、「無能黒メガネ」、「無策無能有害メモ魔」、「無策コーチ」
--星野和田工藤とごますりしてコーチになった無能で解任になった関川だが次は誰に寄生するのかだけは興味ある
-どうでもいい情報だがバツイチ(中日時代に地元の女子アナとデキ婚したが離婚)
--和田も高代延博が3塁コーチ、内野守備走塁コーチで就任したもの吉竹関川高橋光山脇の無能カルテットでよくCSで巨人4連勝したとも言えるが一方でこんな指導者しか呼べないのかとも言える(吉竹は2008年優勝逃した時同様、日本シリーズ敗退後辞任した。吉竹の指導者や信号機としての能力は低いが自ら責任を取れるのは山脇関川よりマシなんじゃないかと思える。吉竹が鼻くそ、関川山脇がうんこぐらいのレベルの低い戦いだが)