遠山 奬志(とおやま しょうじ)
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- 本名・遠山昭治。現名義は1999年から使用している。
- 遠山の金さん、遠山桜の愛称で知られる元投手。
- 1985年にドラフト1位で入団、清原和博の指名重複に伴う抽選で独占交渉権を逃した末の単独再指名であったが、推定年俸360万円という条件で入団した。背番号は21。
- 鼻っ柱の強さが持ち味でドラフト同期の巨人の桑田真澄や西武の清原和博には相当ライバル意識を燃やしていた。
- 一年目から8勝を挙げるも、上には上がいて新人王を逃す。
- 1990年のオフに高橋慶彦とのトレードでロッテオリオンズに移籍。
ロッテでは打者転向を図り、ファームで最多安打などを記録するが、1997年シーズン終了後にロッテを自由契約。
同年オフに阪神に投手としてテスト入団。投手なんか打者なんかどっちやねん
- 1999年には野村阪神左の中継ぎエースとして、ワンポイントリリーフで活躍。
- ゴジラこと巨人・松井秀喜をお得意様にしており、99年は13打数無安打に抑え込んだ。松井は「正直、顔も見たくない」「アメリカでも遠山さんに抑えられる夢を見た」と述懐している。
- 2000年には葛西稔とともに、遠山・葛西・遠山・葛西スペシャルで一世を風靡した。
- しかし2001年辺りから腰の具合が悪化し、2002年に現役を引退する。
- かつて、川藤幸三に朝まで飲まされて、マウンド上で嘔吐してしまったことがあるという。二軍の試合での出来事であるという。
- 入団前の年と引退後の年にチームが優勝している。
- 2011年までファーム育成コーチとして若手育成に励んでいた。
- 現在はMBSの解説者。
2019年の途中までは解説・評論活動を続けていたが、同年6月から浪速高等学校硬式野球部のコーチに就任。前任の監督が退任したことを受けての就任で、「理事長付委託コーチ」という肩書での指導を経て、同年11月1日付で監督に就任した。なお、同部のコーチに就任してからは、本名の「遠山 昭治」名義で活動。また、監督への就任を機に、同校の入試広報部へ職員(参与)として勤務していた。就任後は新型コロナウイルス感染による練習の制限や、公立学校のレベルアップなどもあり、5年間で結果を残すことができず、2024年限りで退任することになった。退任後については未定。
最終更新:2024年12月15日 11:52