屍鬼

屍鬼 ◆Ok1sMSayUQ



 閻魔。それは法の番人であり、正義の象徴である。
 法は人の暮らしを守るために作られ、秩序を保つための戒律である。

 四季映姫は法を司り、また法によって人を断ずることのできる唯一の存在だった。
 彼女の背景には常に規律、戒律という名の正義がつきまとっている。
 ただ行使するだけでありながらも効力は絶対であり、正義に逆らうのは悪に他ならない。

 そう、四季映姫は法を守り続けることを誓う限り、決して光輝であり続ける。
 どんな状況でも揺るがず、変わらず、法は絶対の正義のはずだった。

 ――だが、この『法』は何なのだろう。
 咎められるべき悪が認められ、全ての『正義』は一切用を為さない。
 あるのは暴力の一点だ。弱肉強食を是として力を力で裁く倫理がまかり通る。
 幻想郷の新たな秩序は単純明快にして残酷無比。

 たった一人であれ。人々の思いも、打算も、価値も歴史も道徳も、
 いや過去の全てを踏み躙り無に帰すことのみに集約した悪法の中の悪法。
 けれども、それは幻想郷中に敷衍している。人妖は元より神ですらこの新たな正義に沿って動いている。
 他ならぬ自分でさえ。

 何を迷う事があるのだろうと四季映姫は思う。
 いや、今までなぜ否定していたのかとさえ思った。
 寧ろ否定していたことを恥じた。

 なぜなら、否定していたのは、ただ己の正義から来る感情、即ち私情にしか過ぎなかったからだった。
 裁く者として最もあってはならないこと。私情で裁く法の番人に、一体誰がついてこようというのか。
 個人の感情など関係はない。閻魔は、法の番人はただ守っていればいい。
 それが秩序を保つための最善の手段であり、また示しでもあった。

 四季映姫は模範となって示す存在にしか過ぎない。
 法を行使するということは、法に縛られるということ。正義を行使するならば正義に背いてはならない。
 それを裏切ろうとした己の、なんと恥知らずなことか。
 だから息苦しかったのだろう。自らが仕えるものを裏切り、光輝に背を向けていた事実。
 私情にのみ縋って客観的に物事を見ようとしなかった浅はかさ。

 だがもはやそれはない。気付き、新たな法を行使し、我が身の過ちに気付いた己に枷はない。
 四季映姫は白黒をつけたのだ。私は、この状況は、正しく秩序であると。
 たった一人であれ。自分はその番人だ。

 自らがその位置に立ったと自覚する一方、ならばどうして私情に沿って行動してきたのかとも思う。
 以前の法に在った時分でもこのようにしてきたとは思っていない。
 そもそも私情を優先させるような人物に閻魔は務まるべくもない。
 罪の多い人妖に悔い改めるよう忠告し、少しでも皆が善なる存在に昇華させるべく行動してきた。
 たとえ聞き入れられなくとも辛抱強く続けてきた。皆のためを思ってのことだ。
 職務以上のことを果たしてきたはずだった。なのに、どうして最初は逆らおうとしたのだろうか。

「……ああ」

 四季映姫はそれまで俯けていた頭を上げる。眩しいほどの光が己を刺すと同時、半ば唾棄すべき結論に至った。
 自分には既にして正義があったのだ。自分自身で作り上げた規律。完璧に白黒をつけるための規律だ。
 法にも必ず曖昧模糊とした部分がある。だからこそ閻魔の手によって法は執行される。
 罪か、無罪か。結論付けるためには四季映姫の中で、更に細かな法を組み立てる必要があったのだ。

 つまり、四季映姫は当初自分の正義に従って行動してきたということだった。
 現行の法と照らし合わせ、悪だと判断してしまったのだ。
 愚かなことだ。実に愚かだ。四季映姫は呆れ、失笑と嘲笑の半分を混ぜた表情を作った。

 こんなのだから自分はあっさり言行不一致を犯しているのだろう。
 私情に基づいた法を優先させる閻魔など古今東西見渡してどこにもいるはずがない。
 恐らく、気付かなければ、きっと私は永劫罪を重ね続けてきたのかもしれない。
 法は私に忠告し、悔い改めるよう言ってくださったのだ。なんとありがたいことだろうか。

 しかしその傍ら、意思ある者が思想を持つのは半ば当然のことなのだとも知識の一端が語っている。
 大なり小なり、自らの信条に基づいた掟を課している存在は無数にいる。
 例えば、幻想郷の人間は襲わないと決めたレミリア・スカーレットのように。

 思想を持つこと自体は決して悪でも罪でもない。
 それで我が身の罪が紛れるとは思っていない。しかし、蔑ろにするべき事実でもない。
 四季映姫の正義は罪であり、また罪ではない。

 かといってすぐに変えられるものではありはしないし、捨てることも出来はしない。
 これはヤマザナドゥの名を汚そうとした報いであり、ツケなのかもしれなかった。
 それでいいと四季映姫は思う。そうであってこそ、自分は法の下に存在するべき者なのだと知ることができる。
 自らの思想と、現在の幻想郷が持っている秩序。
 この二つを両立させ、法の番人であるために、四季映姫はまたひとつの判決を下した。

 くるりと背を向け、階下へと歩き出す。
 そこには、レミリア・スカーレットがいるはずだった。

     *     *     *

 ずるり、ずるりと。
 這い蹲る存在がひとつ、紅魔館の床にいた。
 泳ぐようにして進んできたそれは壁にもたれかかり、小さい体を膝にうずめた。

 は、と嗤う。結局立派な墓を立てることもなく、それどころかこうしておめおめと元の鞘に収まる有様だ。
 悔しくてたまらない。分かっているのに足は奮い立たず、片腕はだらりと垂れ下がり、呼吸は荒い。

 こんなにちっぽけだったのか? 慕ってくれた妖怪一匹労えないまま、あまつさえ無力を晒すだけなのか?
 冗談ではない。幻想郷のパワーバランスを担い、強大であって然るべき自分が何もできないというのか。
 拳を握る動作でさえ弱々しい。
 感情は募るばかりで、反比例するように体は休息を求めて止まない。
 レミリア・スカーレットにできる事はと言えば、そんな自分をただ嗤うことしかできなかった。

 ――レミお姉ちゃん、いげんすごかったね。

 キスメの言葉が、胸を締め付ける。
 そんなことがあるものか。……威厳など、とうに失われている。
 認めざるを得ないだけの事実がそこにある。

 しかし、決して認めてはならない。レミリアはただ、己自身に反逆した。
 反逆しなければ、キスメが認めた威厳を損なうことになる。
 それは冒涜だ。主に対する信頼への裏切り。

 けれども、この情けない姿をどうとする? 威厳などありようはずもない、我が身の姿をどうキスメに伝えればいい?
 現に、埋葬してやることすら叶わないというのに何を以って誇れというのか。
 この姿を誰にも見せたくない。レミリアはそう思う。だが、どうやらそんな願いを許してくれるわけもないらしい。

 階段をゆっくりと下りてくる人物の姿がレミリアの瞳に映った。
 四季映姫・ヤマザナドゥ
 八坂神奈子を撃ち殺した機関銃を手に持ち、どこか平坦で色のない表情のまま、映姫は淡々と足を進める。
 まるで惨劇があったことなど忘れているかのように。
 僅かに視線を動かし、レミリアを見た映姫が静かに口を開いた。

「お分かりになったでしょう。これが結末です」

 さも当然、こうなって当たり前と言わんばかりに見下した言葉がレミリアを突いた。
 あまりの横暴な言葉にレミリアは一瞬何を言われたのかも分からず、寧ろ呆然とした。
 やがて言葉の意味を吸収した頭は、怒りよりも失笑を呼び起こさせた。

「何を言っている。お前だって何もしなかった。私一人のせいだとでもいうのか」
「その通りです」

 言い訳のひとつでもしてくるかと思ったレミリアだったが、その斜め上をいく返答に失笑さえも吹き飛んだ。
 何を言っている。映姫に突きつけたはずの言葉が伝わってなかったのかとすら考え、正気を疑った。
 言葉を無くしたレミリアを他所に、映姫は「そう」といつものように続ける。

「貴女は悔い改めるべきなのです。これまでの行いを改め、恥じ、
 幻想郷の法に従いなさい。それが貴女の積める、唯一の善行なのです」
「ふざけるな」

 あまりにも逸脱している映姫の物言いにレミリアは叫んだ。
 自らのことを棚に上げ、一方的に責め立てる言葉に言い返さずにはいられなかった。
 そうしてしまう今の自分にも腹が立つ。酷くみじめだった。

「それが閻魔の言う言葉か。自らの罪を忘れ、私だけを責めるのか。そんな貴様に裁かれる筋合いはない!」
「裁判ではありません。これは忠告なのです」

 映姫は超然としたままだった。眉根を寄せ、瞳の中に怒りを押し込めたレミリアとは対照的に彼女の顔は変わりない。
 傍観者、そう表現するのが正しい。映姫は論評しているのだと思った。

「秩序を崩してはならないのです。規律はただひとつ。たった一人であれ。
 逆らうことは重罪なのです。法に従い、殺し合いを進めればよいのです。そうすれば、貴女はこのように傷つくこともない」
「なら、さっさと私を殺せばいいだろう。私は死など恐れない。だがお前は違う。
 ただの臆病者だ。穢れることを恐れ、何の覚悟も持てない愚か者だ!」
「そうなのでしょう」

 まただ。また容易く肯定した映姫に、レミリアはことさら腹を立てた。
 同時に、またこのような言葉を吐いている自分が情けなくなる。
 誇り高さも威厳もない。生を捨て、自棄になっているとすら思える自分の言葉が信じられない。
 自分はキスメを裏切り続けている。それだけではない、吸血鬼の存在そのものを穢している。
 そう、穢れている。死を恐れない結果がこれだったというのなら、なんと皮肉なことか。

 レミリアは内心で葛藤するが、映姫はまるで意に介しなかった。
 いや映姫は何も見つめてはいない。彼女が見ているのは、世界そのものだ。
 ――自分など、視野の隅にも入っていない。

「私は覚悟など持てない。かといって殺すことも良しとはしない。何故なら私の中にある正義がそう言っているからなのです。
 しかし、私は法の番人。そうであるからには秩序を保つため、己が責務を果たさなくてはなりません。
 ですから、私は殺さない。ですが殺すことを否定はしない。そういうことです」

 映姫が自らに下した判決は、逃げの一択だった。殺し合いを認めながらも肯定はしない。
 さりとて自分はそこに加わるでもなく、生き残るでもなく、ただ番人という立場に甘んじる。
 結局は自分の立場さえ守れればいい。そう告げた映姫の姿に、それまで抱いていた感情がふっと消え失せた。

「……それは、ただの思考放棄よ。無様だな、四季映姫」

 何もかもが無様に過ぎる。レミリアはどこか空疎な思いでその言葉を吐き出した。
 自分を馬鹿にして見下し、挙句現実を放棄したリリカ・プリズムリバー
 思考を捨て、やるべきことさえ見失った四季映姫・ヤマザナドゥ。
 そして無様であることに逆らえず、こうしてみっともなく生き恥を晒し続けている己が身の姿にも――
 何もかもが腹立たしい。しかし思えば思うほど自らの不実を自覚し、よりキスメの言葉が遠のくように思えた。

「私がどうであろうとも、私は忠告を重ねます。いいですか、貴女は……」
「黙れ」

 ドスの利いた声は、恐らく生涯で一番醜いものなのだろうとレミリアは思った。
 聞き流すこともできず、不快な雑音とさえ捉えてしまう自分はつまるところ映姫と同じ立場でしかない。

 何が、威厳か。

 自殺したいとさえ思う。そんなどうしようもない己に殺意を抱く。また愚かしいと思う。
 終わることのない循環を繰り返しながら、レミリアは「去ね」と言い放った。

「貴様の姿など、見たくもない。殺す価値すらない。去ね、地蔵風情が」

 映姫はしばらく押し黙り、やがて一言「分かりました」と呟いてどこへともなく歩いていった。
 奴は何も感じない。思考を捨てた映姫は、もはや閻魔などではない。
 そう、言い換えるなら――屍。生きているものの形をしたものでしかない。

「……だとするなら、私も屍ね」

 吸血鬼の威厳を失い、こうして這い蹲っているのなら、そういうことなのだ。

「は、ははっ」

 急に可笑しくなった。乾いた笑いが口内を満たし、受け入れがたい嫌悪感と共に吐き出された。
 私は、威厳を取り戻さなくてはならない。そのために出来ることは、もうひとつしか残されていない。
 何者にも屈しないこと。何者をも支配すること。
 あのような四季映姫と組んだがために、自分は威厳も尊厳も踏み躙られたのだ。

 だったら、何者とも組まなければいい。
 たった一人であれ。ならば、従ってみせようではないか。
 その倫理に殺されるのは自身であることを自覚して喚き、死ねばいい。
 真の意味で、リリカを、映姫を殺し尽くさなければならないのだ。

 よろよろと立ち上がり、レミリアは自室を目指す。日光を遮るものを取ってくるためだ。
 それまでの思いも、外聞もなくレミリアはひとつの感情に駆られて動き出す。
 怨み。自身への耐え難い屈辱と情けなさへの怨恨のみが彼女を衝き動かしていた。

     *     *     *

 それから、数十分が経過した紅魔館にはもう誰もいない。
 大勢の声でざわめいていた館には死の残滓が漂っているだけだった。

 残された死体は二つ。
 一つが欠けていた。

 頭部を失い、何の姿をしていたのかも分からぬそれは、恐らく、未だレミリアと共にあった。


【C‐2 紅魔館周辺・一日目 午前】
【四季映姫・ヤマザナドゥ】
[状態]健康
[装備]MINIMI軽機関銃(?/200)、携帯電話
[道具]支給品一式
[思考・状況]基本方針:参加者に幻想郷の法を説いて回る
 1.殺しはしない。しかし、殺害することを否定もしない




【C‐2 紅魔館周辺・一日目 午前】
【レミリア・スカーレット】
[状態]腕に深い切り傷、背中に銃創あり、疲労(中~大)
[装備]霧雨の剣、日光を遮るもの(未指定)、キスメの遺体
[道具]支給品一式
[思考・状況]基本方針:威厳を回復するために支配者となる。もう誰とも組むつもりはない
 1.キスメの桶を探す。
 2.映姫・リリカの両名を最終的に、踏み躙って殺害する

 ※名簿を確認していません
 ※霧雨の剣による天下統一は封印されています。


66: 時系列順 73:沈まぬ3つの太陽/いつか帰るところ
70:Bitter Poison 投下順 72:鳳凰卵の孵化
63:モノクロの太陽信仰(後編) 四季映姫・ヤマザナドゥ 96:ブラクトンへの伝言
63:モノクロの太陽信仰(後編) レミリア・スカーレット 87:Interview with the Vampire

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最終更新:2009年09月01日 22:08
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