第三章「英雄の想い」
アルバールの公会議場の隣には、会議場と同様にマキナ、フィーティン、ヴェルスタンドの三国どれにも属さない独立した研究機関があった。
最先端の技術では、科学に長けるヴェルスタンドや機械に長けるマキナに及ばなかったが、ここでは国境を超えて三国それぞれの技術の粋が集められた総合的な技術が用いられている。
もちろん、各国の技術者たちは自国の誇る技術を他国に盗用されるのを嫌い、またそれぞれの技術に誇りをもっており他国の技術に頼ることをあまりよく思わないらしく、彼らが猛反対するだろうことは目に見えているので、この研究機関のことは公には伏せられており、各国代表の上層部一団や一部の研究者のみがここの存在を知らされている。
このアルバール総合研究機関では、国境を超えて大陸に関わるものを題材に研究が執り行われており、そして今回はグメーシス亜種の研究のためにこの施設は稼働していた。
一見すれば、二階建て程度の小さな研究所にしか見えないが、その本質はむしろ地下にある。
地下十数階の階層を持つこの施設には、最先端とは言えないまでにしても、かなり最新鋭の機材と技術が集められている。
それだけではない。一部のフロアは大樹の根をくり抜いて設けられているが、大樹の持つ不思議な力に依るものなのだろうか、そのフロアは研究サンプルの保存に最適な環境を調整不要で常に維持しており、並みの研究施設に比べれば資料保存に関してはかなりのアドバンテージを併せ持つ、長期研究には打ってつけの施設でもあった。
各地へ派遣された調査団はそれぞれ、各地に出没したグメーシス亜種の情報をアルバールへと持ち帰り、またいくつかのチームは捕獲に成功したことで亜種のサンプルまで入手してくれた。それらの捕獲されたグメーシス亜種はこの地下フロアに保存され、亜種の生態解明のための重要かつ貴重な研究資料となるのだ。
研究施設の地上二階。機関の職員が搬入されたサンプルのリストを読み上げる。
窓の外を眺めながら、ヘルツは黙ってその報告を聞き入れていた。
「……続いてヴィクターチームの捕獲したプトーシス。刻印は「睡」で、触れたものに強烈な眠気を与えます。危険レベルはC、場面によっては脅威となり得ますが、眠らされるだけで事後も自然に覚醒できますので危険性は低いと考えられます」
またウォーレンはどっしりと椅子に腰を落としながら、腕を組みつつ黙って耳を傾けている。
「それからウィスキーチームの捕獲したエクターシス。刻印は「膨」で、触れたものを膨張させます。危険レベルはAA、人体に触れた場合、身体が破裂して死に至るため管理には十分な注意が必要でしょう。対処法が未判明のため、今後の研究を要します」
そしてガソイールは興味深そうに何度も頷きながら、職員の説明することを逐一手帳に書き記している。
「最後にエクスレイチームの確認したセンテーシス。刻印は「穿」で、触れたものに穴を開けて貫通させます。危険レベルはA、対象の硬度に関係なく貫通させてしまうため要注意。人体に与える影響は致命的であり、サンプルを持ち帰れなかったため、追って調査が必要との判断が出ています」
以上で一通りの報告は終了した。
首脳たちとともに報告を聞いていた研究者幹部たちは、さっそくこの亜種についてはこうするべき、あの亜種についてはああするべき、と議論を始めていた。
「なるほど。思ったより亜種の数が多いな…。ご苦労だった。では各員、さっそく次の工程に移ってくれたまえ」
ウォーレンが号令をかけると、職員たち、研究員たちはそれぞれに別れて、次に成すべきことに向けて行動を開始した。
彼らが別れていくのを見届けると、ウォーレンは重い腰をようやく上げて、二人の首脳に声をかける。
「さて。一部、欠けているところもあるが、研究資料の大部分はここに揃った。次は各亜種への対処法だが、研究者たちの活躍に期待したいところだな。半数近くはすでに調査団が対処方法を見つけてくれている。彼らの働きにも感謝しなければな」
「そうですな。では、そのさらに次。いかにして大陸からその亜種たちを一掃するかですが……ここで改めてお互いの考えを確認しておくとしましょうか。まず、フィーティン王。あなたはどのようにお考えですかな」
「ふむ、そうだな。我が国のモットーは『フィーティンは力を以って良しとする』であるが故に…」
議論を開始したウォーレンとガソイール。そんな二人の様子にまるで構うことなく、ヘルツはまだ窓の外を眺め続けていた。
(ひとまず調査団が無事に戻ってきてくれてよかった。とくに彼らが無事でよかった。あいつとは20数年前からの縁だ。もし万が一のことがあったらと思うと……責任で心が押し潰されてしまいそうだ。大統領をやっているよりもよっぽど堪える)
ぼんやりと空を眺めてうわのそらのように見えたヘルツは、心の中ではかつての仲間の身を案じていたのだ。
(もしも彼らに何かあっては、ガイストに顔向けできないからな…。大陸の問題とはいえ、我々が呼び寄せたことで彼らをまた大きな問題に巻き込んでしまった。できることなら、これ以上彼らを危険な目には遭わせたくないものだが……さて、どうしたものだろう)
ヘルツは知っていた。英雄と呼ばれることの重みを。それに伴う重圧を。
彼もまたゲンダー、メイヴ、ガイストに並ぶ救国の英雄の一人。20数年前の精神体の暴走、HiveMindの功績から彼らは英雄と呼ばれたが、その称号はただ名誉なだけのものではない。
英雄であることは、大きな信用にもなる。つまり「英雄である彼になら任せても大丈夫だろう」と人々は考える。
だがこうであるとも言える。「英雄である彼に任せておけば大丈夫だ」と人々は考えている。
その功績と信用があったからこそ、ヘルツは今こうしてヴェルスタンド大統領の席に就くことができた。
それは期待、そして欲求でもある。
誰もが英雄ならなんとかしてくれると期待する。期待されるのは悪いことではないが、人々はその期待に甘えているのだ。
英雄なんだから大丈夫。英雄なんだからなんとかしてくれる。自分たちは何もしようとしない。
そのくせ、期待を裏切られると人々は手のひらを返したように非難する。
「英雄なんだろ? だったら、なんとかしろよ!」
「それでも本当に英雄なのか? 早く解決してくれよ!」
脳裏にそんな言葉が繰り返される。
それはこれまでにヘルツが経験してきたことだった。
(いくら私が努力しても、英雄ならそれが当然だろうと思われる。最初のうちは称賛こそしてくれたが、次第に浴びせられるのは文句ばかりになった。いくら私が頑張ったところで誰も褒めてくれはしない。誰もができて当然だと考えているからだ)
それは政治家であるがゆえの苦悩。英雄であるがゆえの苦悩だ。
できるのが当たり前。できなければ手を抜いている、仕事をしていないと揶揄される。
そして次第にヘルツはこう考えるようになっていった。
(民衆はただ英雄を都合のいいように利用しているのではないか?)
彼らは文句を言うばかりで、自分からは何もしようとしない。大統領だって自ら望んでなったのではない。人々から期待されて持ち上げられていった結果だ。英雄とは名ばかりで、所詮民衆はなんでもできる便利な奴程度にしか思っていないのではないか。
そうとなってはもはや英雄の称号に誇りも何もない。ただの迷惑なレッテルに過ぎないのだ。
ヘルツは知っていた。英雄と呼ばれることの重みを。それに伴う重圧を。
(彼らを見ているとよくわかる。ただ英雄だからという理由で呼び出して、我々は半ば有無を言わさずこの問題に巻き込んでしまった。快く協力を申し出てくれたのは嬉しいが、本当は心の内で迷惑に思ってはいないだろうか。どうして自分が、なんて思ってはいないだろうか)
英雄と呼ばれてはいても、ヘルツは超人ではない。民衆と同じくただの人間なのだ。
機械であるゲンダーやメイヴなら多少は違うのかもしれないが、それでも数多くの中の一人であることに変わりはない。
そんな一人に責任を押し付けるなんて間違っている。そうヘルツは考えていた。
だからこそ、突然呼び出して問題を押しつけてしまったのではないか、と彼は悩んでいた。そして心配していたのだ。
(一度、今回の件についてどう感じているのか確認しておきたいな。無理強いするようなことはしたくない…)
「――ルツ殿。おい、ヘルツ殿。聞いているのか」
「え?」
我に返って振り返ると、ウォーレンとガソイールが渋い顔をしながらこちらを見つめていた。
「今後の対策についてあなたはどう考えているのか、と聞いているんですよ」
「え、いや。その、私はつまり、ええと…」
突然問われてヘルツはまともに答えることができなかった。
そんな様子を不甲斐ないと判断したのか、二人の表情はますます渋くなる。
「ヘルツ殿。困りますなぁ、そんな様子では。それでもヴェルスタンドの代表なのですか? まったく情けない」
「貴殿個人を責めるわけではないが……昔から我が国は貴国からいろいろと迷惑をかけられてきた。ブラックボックスの件から始まり、精神体、そしてグメーシス。貴殿も英雄なら、過去の大統領たちとは違うのだということを是非とも示してほしいものだがな」
ヘルツはそれに無言で答えた。
そして内心思った。(またか…)と。
「仕方ない。ヘルツ殿はずいぶんとお疲れのご様子だ。ここは一先ず彼には休んでおいてもらって、我々で事を進めるとさせてもらおう」
「そうですな。今は問題の解決が先決。英雄殿の素晴らしいご意見は最後に取っておくとしましょうかね」
遠まわしに役に立たないと言われているのがヘルツにはよくわかった。
なあに、いつものことだ。英雄だって特別優れているわけじゃない。向こうで勝手に期待して、勝手に失望しているだけのこと。気にすることはない。
「ああ、そうとも。気にすることなんて……何も……」
離れていく二人の背中を見送りながら、ヘルツは深いため息を吐いた。
そして再び窓の外に視線を移す。遠い目で、彼は虚空を眺め続けた。哀しそうな儚げな表情で。
最先端の技術では、科学に長けるヴェルスタンドや機械に長けるマキナに及ばなかったが、ここでは国境を超えて三国それぞれの技術の粋が集められた総合的な技術が用いられている。
もちろん、各国の技術者たちは自国の誇る技術を他国に盗用されるのを嫌い、またそれぞれの技術に誇りをもっており他国の技術に頼ることをあまりよく思わないらしく、彼らが猛反対するだろうことは目に見えているので、この研究機関のことは公には伏せられており、各国代表の上層部一団や一部の研究者のみがここの存在を知らされている。
このアルバール総合研究機関では、国境を超えて大陸に関わるものを題材に研究が執り行われており、そして今回はグメーシス亜種の研究のためにこの施設は稼働していた。
一見すれば、二階建て程度の小さな研究所にしか見えないが、その本質はむしろ地下にある。
地下十数階の階層を持つこの施設には、最先端とは言えないまでにしても、かなり最新鋭の機材と技術が集められている。
それだけではない。一部のフロアは大樹の根をくり抜いて設けられているが、大樹の持つ不思議な力に依るものなのだろうか、そのフロアは研究サンプルの保存に最適な環境を調整不要で常に維持しており、並みの研究施設に比べれば資料保存に関してはかなりのアドバンテージを併せ持つ、長期研究には打ってつけの施設でもあった。
各地へ派遣された調査団はそれぞれ、各地に出没したグメーシス亜種の情報をアルバールへと持ち帰り、またいくつかのチームは捕獲に成功したことで亜種のサンプルまで入手してくれた。それらの捕獲されたグメーシス亜種はこの地下フロアに保存され、亜種の生態解明のための重要かつ貴重な研究資料となるのだ。
研究施設の地上二階。機関の職員が搬入されたサンプルのリストを読み上げる。
窓の外を眺めながら、ヘルツは黙ってその報告を聞き入れていた。
「……続いてヴィクターチームの捕獲したプトーシス。刻印は「睡」で、触れたものに強烈な眠気を与えます。危険レベルはC、場面によっては脅威となり得ますが、眠らされるだけで事後も自然に覚醒できますので危険性は低いと考えられます」
またウォーレンはどっしりと椅子に腰を落としながら、腕を組みつつ黙って耳を傾けている。
「それからウィスキーチームの捕獲したエクターシス。刻印は「膨」で、触れたものを膨張させます。危険レベルはAA、人体に触れた場合、身体が破裂して死に至るため管理には十分な注意が必要でしょう。対処法が未判明のため、今後の研究を要します」
そしてガソイールは興味深そうに何度も頷きながら、職員の説明することを逐一手帳に書き記している。
「最後にエクスレイチームの確認したセンテーシス。刻印は「穿」で、触れたものに穴を開けて貫通させます。危険レベルはA、対象の硬度に関係なく貫通させてしまうため要注意。人体に与える影響は致命的であり、サンプルを持ち帰れなかったため、追って調査が必要との判断が出ています」
以上で一通りの報告は終了した。
首脳たちとともに報告を聞いていた研究者幹部たちは、さっそくこの亜種についてはこうするべき、あの亜種についてはああするべき、と議論を始めていた。
「なるほど。思ったより亜種の数が多いな…。ご苦労だった。では各員、さっそく次の工程に移ってくれたまえ」
ウォーレンが号令をかけると、職員たち、研究員たちはそれぞれに別れて、次に成すべきことに向けて行動を開始した。
彼らが別れていくのを見届けると、ウォーレンは重い腰をようやく上げて、二人の首脳に声をかける。
「さて。一部、欠けているところもあるが、研究資料の大部分はここに揃った。次は各亜種への対処法だが、研究者たちの活躍に期待したいところだな。半数近くはすでに調査団が対処方法を見つけてくれている。彼らの働きにも感謝しなければな」
「そうですな。では、そのさらに次。いかにして大陸からその亜種たちを一掃するかですが……ここで改めてお互いの考えを確認しておくとしましょうか。まず、フィーティン王。あなたはどのようにお考えですかな」
「ふむ、そうだな。我が国のモットーは『フィーティンは力を以って良しとする』であるが故に…」
議論を開始したウォーレンとガソイール。そんな二人の様子にまるで構うことなく、ヘルツはまだ窓の外を眺め続けていた。
(ひとまず調査団が無事に戻ってきてくれてよかった。とくに彼らが無事でよかった。あいつとは20数年前からの縁だ。もし万が一のことがあったらと思うと……責任で心が押し潰されてしまいそうだ。大統領をやっているよりもよっぽど堪える)
ぼんやりと空を眺めてうわのそらのように見えたヘルツは、心の中ではかつての仲間の身を案じていたのだ。
(もしも彼らに何かあっては、ガイストに顔向けできないからな…。大陸の問題とはいえ、我々が呼び寄せたことで彼らをまた大きな問題に巻き込んでしまった。できることなら、これ以上彼らを危険な目には遭わせたくないものだが……さて、どうしたものだろう)
ヘルツは知っていた。英雄と呼ばれることの重みを。それに伴う重圧を。
彼もまたゲンダー、メイヴ、ガイストに並ぶ救国の英雄の一人。20数年前の精神体の暴走、HiveMindの功績から彼らは英雄と呼ばれたが、その称号はただ名誉なだけのものではない。
英雄であることは、大きな信用にもなる。つまり「英雄である彼になら任せても大丈夫だろう」と人々は考える。
だがこうであるとも言える。「英雄である彼に任せておけば大丈夫だ」と人々は考えている。
その功績と信用があったからこそ、ヘルツは今こうしてヴェルスタンド大統領の席に就くことができた。
それは期待、そして欲求でもある。
誰もが英雄ならなんとかしてくれると期待する。期待されるのは悪いことではないが、人々はその期待に甘えているのだ。
英雄なんだから大丈夫。英雄なんだからなんとかしてくれる。自分たちは何もしようとしない。
そのくせ、期待を裏切られると人々は手のひらを返したように非難する。
「英雄なんだろ? だったら、なんとかしろよ!」
「それでも本当に英雄なのか? 早く解決してくれよ!」
脳裏にそんな言葉が繰り返される。
それはこれまでにヘルツが経験してきたことだった。
(いくら私が努力しても、英雄ならそれが当然だろうと思われる。最初のうちは称賛こそしてくれたが、次第に浴びせられるのは文句ばかりになった。いくら私が頑張ったところで誰も褒めてくれはしない。誰もができて当然だと考えているからだ)
それは政治家であるがゆえの苦悩。英雄であるがゆえの苦悩だ。
できるのが当たり前。できなければ手を抜いている、仕事をしていないと揶揄される。
そして次第にヘルツはこう考えるようになっていった。
(民衆はただ英雄を都合のいいように利用しているのではないか?)
彼らは文句を言うばかりで、自分からは何もしようとしない。大統領だって自ら望んでなったのではない。人々から期待されて持ち上げられていった結果だ。英雄とは名ばかりで、所詮民衆はなんでもできる便利な奴程度にしか思っていないのではないか。
そうとなってはもはや英雄の称号に誇りも何もない。ただの迷惑なレッテルに過ぎないのだ。
ヘルツは知っていた。英雄と呼ばれることの重みを。それに伴う重圧を。
(彼らを見ているとよくわかる。ただ英雄だからという理由で呼び出して、我々は半ば有無を言わさずこの問題に巻き込んでしまった。快く協力を申し出てくれたのは嬉しいが、本当は心の内で迷惑に思ってはいないだろうか。どうして自分が、なんて思ってはいないだろうか)
英雄と呼ばれてはいても、ヘルツは超人ではない。民衆と同じくただの人間なのだ。
機械であるゲンダーやメイヴなら多少は違うのかもしれないが、それでも数多くの中の一人であることに変わりはない。
そんな一人に責任を押し付けるなんて間違っている。そうヘルツは考えていた。
だからこそ、突然呼び出して問題を押しつけてしまったのではないか、と彼は悩んでいた。そして心配していたのだ。
(一度、今回の件についてどう感じているのか確認しておきたいな。無理強いするようなことはしたくない…)
「――ルツ殿。おい、ヘルツ殿。聞いているのか」
「え?」
我に返って振り返ると、ウォーレンとガソイールが渋い顔をしながらこちらを見つめていた。
「今後の対策についてあなたはどう考えているのか、と聞いているんですよ」
「え、いや。その、私はつまり、ええと…」
突然問われてヘルツはまともに答えることができなかった。
そんな様子を不甲斐ないと判断したのか、二人の表情はますます渋くなる。
「ヘルツ殿。困りますなぁ、そんな様子では。それでもヴェルスタンドの代表なのですか? まったく情けない」
「貴殿個人を責めるわけではないが……昔から我が国は貴国からいろいろと迷惑をかけられてきた。ブラックボックスの件から始まり、精神体、そしてグメーシス。貴殿も英雄なら、過去の大統領たちとは違うのだということを是非とも示してほしいものだがな」
ヘルツはそれに無言で答えた。
そして内心思った。(またか…)と。
「仕方ない。ヘルツ殿はずいぶんとお疲れのご様子だ。ここは一先ず彼には休んでおいてもらって、我々で事を進めるとさせてもらおう」
「そうですな。今は問題の解決が先決。英雄殿の素晴らしいご意見は最後に取っておくとしましょうかね」
遠まわしに役に立たないと言われているのがヘルツにはよくわかった。
なあに、いつものことだ。英雄だって特別優れているわけじゃない。向こうで勝手に期待して、勝手に失望しているだけのこと。気にすることはない。
「ああ、そうとも。気にすることなんて……何も……」
離れていく二人の背中を見送りながら、ヘルツは深いため息を吐いた。
そして再び窓の外に視線を移す。遠い目で、彼は虚空を眺め続けた。哀しそうな儚げな表情で。
「――ルツ殿。ヘルツ殿!」
声をかけられて再び我に戻る。
振り返ると今度は一人の研究員が目の前にいた。
彼は資料を片手に、周囲を見回しながら落ち着かない様子でいた。
「私に何か用か」
「研究の進行について少々ありまして……。フィーティン王とマキナ首相はいらっしゃらないのですか?」
「彼らなら少し前に席を外したな。重要なことなのか」
「はい。実はここの設備では不足があるとわかり、亜種のサンプルについて十分な研究が執り行えないので、マキナの研究所の最先端技術に頼ろうかと考えていたところなのですが…」
彼が言うには、ここまでの研究成果をマキナまで運びたいのだが、アルバールに研究機関があることは極秘となっているため、情報漏洩を防ぐために調査団を使って資料運搬をさせたいということだった。この研究員はその許可を得るために首脳たち、とは言ったものの他の二人がいなかったので、ヘルツに声をかけたのだろう。
「ふむ。そういうことなら構わない。あとの二人には私から伝えておこう。ところで…」
調査団の使用を認めた上でヘルツは訊いた。
「なぜマキナの研究所を? 我が国ヴェルスタンドにもそれなりの施設はあるはずだが」
「そ、それは…」
この研究機関は基本的に極秘とされている。そのため、外部の研究所に協力を仰ぐにしても、それは事情を知っている研究所に限られる。
そこでこの研究員は、英雄を遣わせてくれたマキナの研究所ならすでに事情はわかっているし、技術的にも十分なものがあるので、適当だと考えてマキナのベイクーロ研究所を選んだと答えた。
本当は、まだヴェルスタンドがグメーシス亜種の件に裏で絡んでいると疑って避けたのではないか、とヘルツは脳裏に描いたが、それを口に出すことはなくその研究員を見送った。
(まぁ、ベイクーロならいいか。彼はガイストの師スヴェン博士の孫だからな。私も彼は信用している)
ベイクーロ・スヴェン。通称ベイ博士。
かつてマキナ-ヴェルスタンド戦争でガイストたちに協力し、飛行艇の舵を握った機械技師スヴェン博士の孫。
(しかし、また調査団を派遣するのか。もしかすると、また彼らが行かなければならない可能性もある。となれば先に彼らを引き止めておく必要があるな。それに確認したいこともある)
思い立って、ヘルツは先程の研究員を追いかけて呼び止めた。
「おい、ちょっと待ってくれ。君に頼みたいことがある。呼んで来てもらいたい者がいるのだが……」
声をかけられて再び我に戻る。
振り返ると今度は一人の研究員が目の前にいた。
彼は資料を片手に、周囲を見回しながら落ち着かない様子でいた。
「私に何か用か」
「研究の進行について少々ありまして……。フィーティン王とマキナ首相はいらっしゃらないのですか?」
「彼らなら少し前に席を外したな。重要なことなのか」
「はい。実はここの設備では不足があるとわかり、亜種のサンプルについて十分な研究が執り行えないので、マキナの研究所の最先端技術に頼ろうかと考えていたところなのですが…」
彼が言うには、ここまでの研究成果をマキナまで運びたいのだが、アルバールに研究機関があることは極秘となっているため、情報漏洩を防ぐために調査団を使って資料運搬をさせたいということだった。この研究員はその許可を得るために首脳たち、とは言ったものの他の二人がいなかったので、ヘルツに声をかけたのだろう。
「ふむ。そういうことなら構わない。あとの二人には私から伝えておこう。ところで…」
調査団の使用を認めた上でヘルツは訊いた。
「なぜマキナの研究所を? 我が国ヴェルスタンドにもそれなりの施設はあるはずだが」
「そ、それは…」
この研究機関は基本的に極秘とされている。そのため、外部の研究所に協力を仰ぐにしても、それは事情を知っている研究所に限られる。
そこでこの研究員は、英雄を遣わせてくれたマキナの研究所ならすでに事情はわかっているし、技術的にも十分なものがあるので、適当だと考えてマキナのベイクーロ研究所を選んだと答えた。
本当は、まだヴェルスタンドがグメーシス亜種の件に裏で絡んでいると疑って避けたのではないか、とヘルツは脳裏に描いたが、それを口に出すことはなくその研究員を見送った。
(まぁ、ベイクーロならいいか。彼はガイストの師スヴェン博士の孫だからな。私も彼は信用している)
ベイクーロ・スヴェン。通称ベイ博士。
かつてマキナ-ヴェルスタンド戦争でガイストたちに協力し、飛行艇の舵を握った機械技師スヴェン博士の孫。
(しかし、また調査団を派遣するのか。もしかすると、また彼らが行かなければならない可能性もある。となれば先に彼らを引き止めておく必要があるな。それに確認したいこともある)
思い立って、ヘルツは先程の研究員を追いかけて呼び止めた。
「おい、ちょっと待ってくれ。君に頼みたいことがある。呼んで来てもらいたい者がいるのだが……」
一方、各地の調査から戻った調査団たちは公会議場の一室で休憩を取りながら、次の任務に向けて待機していた。
持ち帰った調査結果を報告してからしばらく経つ。それっきり何の連絡もないが、今後の予定はどうなっているのだろうかと気にしつつ、いつ声がかかっても大丈夫なように彼らはしっかりと身体を休めていた。
「それにしても、ずいぶん色々な亜種がいるのね」
シルマが驚きの声を上げた。
調査から帰還した彼女は、近隣のチームとそれぞれの持ち帰った情報を交換しながら時間を潰していた。
すなわちアルファチームが捕獲し持ち帰ったホルメーシス。刻印は「毒」で触れると文字通り毒に侵されるが、すでに解毒剤が作られており危険性は低い。アルファチームの面々は、ヴェルスタンドの研究所から半ば無理やりホルメーシスを持ってきてしまったので、そのことについて少し後悔している様子だった。
ブラボーチームが遭遇したのはトメーシスとエメーシス。前者は「断」、後者は「溶」の刻印を持つ。トメーシスは触れたものをなんでも切断してしまい、それは物に限らず火や音のような現象をも対象とする。エメーシスは触れたものをなんでも溶かしてしまい、それはトメーシスでさえも例外ではなかった。トメーシスとの戦いの最中で、作戦行動をともにしたフィーティンの戦車部隊に大きな被害が出てしまったため、ブラボーチームの面々は悲しそうな悔しそうな複雑な表情をしていた。
ミメーシスはチャーリーチームが捕獲してきた亜種。刻印は「倣」で触れたものをミメーシスそっくりの姿に変えてしまう。変わるのは外見上の見た目だけであり、本質的にはもとのままなので、ミメーシスに変えられた者は音に弱くなったり、触れたものをさらにミメーシスに変えたりすることはない。もとのミメーシスが何か刺激を受ければ起こった変化はすべて解除されるので危険性は低いほうだろう。チャーリーチームの中にはミメーシスに変身してしまった者もいたようで、今となっては貴重な体験だったと語った。
ネメーシスはデルタチームが対峙した怒りに燃える炎の亜種。刻印は「怒」で触れたものを発火させる。また自らも炎をその身にまとっていて、グメーシスの亜種でありながら音に耐性を持つが、身体が冷えると動けなくなってしまうという独特な弱点を持つ。思った以上に攻撃的で苦戦させられたが、本部の人員分配は間違っていたと彼らは不満を口にした。
他にもまだまだ異なる特性を持つ亜種が存在し、それを聞いては互いに驚き合った。
「亜種とは言っても、僕はせいぜい数種類程度だと思ってたよ。まさかこんなにバラエティに富んでいるなんてね」
「こりゃ対処も大変そうだぜ。音が効くやつもいれば、効かないやつもいる。まとめてやっつけられないってのは面倒だな」
「それに退治するだけじゃ解決にはならないわ。亜種発生の原因を突き止めて、それを食い止めないとキリがないわよ」
研究者たちがそれぞれの亜種の研究に議論を重ねる一方で、調査団の彼らもまた彼らなりに亜種の対策を話し合っていた。
その中心に立つのは調査団として呼び集められた各国兵士小隊の隊長たち。その中にはイザール、シルマ、そしてエラキスの姿もあった。彼ら三人はともに調査団の同じチームだ。さらに、そのチームにはマキナから来た英雄も同行している。それゆえにか、彼らのチームは数ある調査団チームの中でもひときわ目立っていた。
そんな議論を重ねる兵士たちの様子を、英雄はただ静かに見つめていた。
(昔は三国が互いに戦争をしたこともあった。でも、今の世代はこうして協力し合うことが自然と出来ているみたいだ。もしかすると、大樹大陸の未来は思ったほど悪くないのかもしれないな)
英雄は少し安心していた。
最初にチームに同行するために挨拶をしたときは、互いに喧嘩ばかりしているので上手くやっていけるのかと心配していた。だが、目の前のこの様子を見るに、どうやらそれは不要な心配だったらしい。
そして静かに心に思う。
(自分も頑張らないといけないな)
英雄だからとか、首脳たちに頼まれたからだとか、そんなのは関係ない。
彼はこの大樹の大陸が好きだった。もともとはこの大陸で生まれたわけじゃない。彼は東方の島国でヘイヴによって作られ、後からこの大陸へやってきた機械に過ぎない。だがそれでも、彼はこの大樹大陸を故郷のように思っていた。
だからこそ、そんな故郷を守るために彼は立ち上がったのだ。
(なんとしてもグメーシス亜種の問題を解決しよう。それが自分の望み、そして願い。そのために自分は今ここにいるのだから…)
そうしているうちに、彼らのもとに次の任務についての連絡がようやく寄せられる。
次の任務はマキナのベイクーロ研究所への研究資料の護送。並びに本部研究活動の支援だ。
連絡に来た研究者幹部は、資料護送の任務に迷わずイザールたちのチームを指定した。
「僕たちが?」
「ええ。あなたたちのチームが最も適任だと本部は判断しました。良い結果が得られることを期待しています」
「All right! その判断は正しいぜ。俺に任せておけば、あっという間に届けてやるさ。それに俺たちには英雄様もついてるからな」
「ああ。それなのですが、次の任務はあなたたちだけで行ってもらうことになるかと…」
「Eh...Why?」
「ヘルツ殿からその英雄様をお連れするようにと託っております。なんでも確認したいことがあるのだとかで」
「そう。なら仕方がないわね…。でも大丈夫、その分までわたしたちが頑張りますわ」
残るチームは本部に残って研究支援を行う。幹部が言うには、資料整理に実証実験、捕獲した亜種の管理などに多くの人員が必要とされているらしい。そのため、研究資料の護送にあまり多くの人員を割けないのが現状だ。それゆえに、より実力のある彼らのチームが適任だとされたのだ。
「わたしたちの実力を見込んで言ってくれてるのよね。だとしたら、応えないわけにはいかないわ」
「わかったよ。部下たちの手前、醜い姿を見せるわけにもいかないからね。二つ返事で了解するのが、本当に美しい兵士というものさ」
「Don't worry! 俺がいるんだ。何も心配することはねーだろ?」
英雄は彼らだけで大丈夫かと少し心配した。
が、すぐにさっきの協力して真剣に議論し合う彼らの姿を思い出して、次の任務を彼らに任せることにした。
(そうだ。信じよう、彼らを。自分が今まで仲間にそうしてきたように。今まで仲間がそうしてきてくれたように)
そう考えて英雄は信じて彼らを送り出した。そして幹部に促されるままに、自分を呼んでいるというヘルツのもとへと静かに向かうのだった。
持ち帰った調査結果を報告してからしばらく経つ。それっきり何の連絡もないが、今後の予定はどうなっているのだろうかと気にしつつ、いつ声がかかっても大丈夫なように彼らはしっかりと身体を休めていた。
「それにしても、ずいぶん色々な亜種がいるのね」
シルマが驚きの声を上げた。
調査から帰還した彼女は、近隣のチームとそれぞれの持ち帰った情報を交換しながら時間を潰していた。
すなわちアルファチームが捕獲し持ち帰ったホルメーシス。刻印は「毒」で触れると文字通り毒に侵されるが、すでに解毒剤が作られており危険性は低い。アルファチームの面々は、ヴェルスタンドの研究所から半ば無理やりホルメーシスを持ってきてしまったので、そのことについて少し後悔している様子だった。
ブラボーチームが遭遇したのはトメーシスとエメーシス。前者は「断」、後者は「溶」の刻印を持つ。トメーシスは触れたものをなんでも切断してしまい、それは物に限らず火や音のような現象をも対象とする。エメーシスは触れたものをなんでも溶かしてしまい、それはトメーシスでさえも例外ではなかった。トメーシスとの戦いの最中で、作戦行動をともにしたフィーティンの戦車部隊に大きな被害が出てしまったため、ブラボーチームの面々は悲しそうな悔しそうな複雑な表情をしていた。
ミメーシスはチャーリーチームが捕獲してきた亜種。刻印は「倣」で触れたものをミメーシスそっくりの姿に変えてしまう。変わるのは外見上の見た目だけであり、本質的にはもとのままなので、ミメーシスに変えられた者は音に弱くなったり、触れたものをさらにミメーシスに変えたりすることはない。もとのミメーシスが何か刺激を受ければ起こった変化はすべて解除されるので危険性は低いほうだろう。チャーリーチームの中にはミメーシスに変身してしまった者もいたようで、今となっては貴重な体験だったと語った。
ネメーシスはデルタチームが対峙した怒りに燃える炎の亜種。刻印は「怒」で触れたものを発火させる。また自らも炎をその身にまとっていて、グメーシスの亜種でありながら音に耐性を持つが、身体が冷えると動けなくなってしまうという独特な弱点を持つ。思った以上に攻撃的で苦戦させられたが、本部の人員分配は間違っていたと彼らは不満を口にした。
他にもまだまだ異なる特性を持つ亜種が存在し、それを聞いては互いに驚き合った。
「亜種とは言っても、僕はせいぜい数種類程度だと思ってたよ。まさかこんなにバラエティに富んでいるなんてね」
「こりゃ対処も大変そうだぜ。音が効くやつもいれば、効かないやつもいる。まとめてやっつけられないってのは面倒だな」
「それに退治するだけじゃ解決にはならないわ。亜種発生の原因を突き止めて、それを食い止めないとキリがないわよ」
研究者たちがそれぞれの亜種の研究に議論を重ねる一方で、調査団の彼らもまた彼らなりに亜種の対策を話し合っていた。
その中心に立つのは調査団として呼び集められた各国兵士小隊の隊長たち。その中にはイザール、シルマ、そしてエラキスの姿もあった。彼ら三人はともに調査団の同じチームだ。さらに、そのチームにはマキナから来た英雄も同行している。それゆえにか、彼らのチームは数ある調査団チームの中でもひときわ目立っていた。
そんな議論を重ねる兵士たちの様子を、英雄はただ静かに見つめていた。
(昔は三国が互いに戦争をしたこともあった。でも、今の世代はこうして協力し合うことが自然と出来ているみたいだ。もしかすると、大樹大陸の未来は思ったほど悪くないのかもしれないな)
英雄は少し安心していた。
最初にチームに同行するために挨拶をしたときは、互いに喧嘩ばかりしているので上手くやっていけるのかと心配していた。だが、目の前のこの様子を見るに、どうやらそれは不要な心配だったらしい。
そして静かに心に思う。
(自分も頑張らないといけないな)
英雄だからとか、首脳たちに頼まれたからだとか、そんなのは関係ない。
彼はこの大樹の大陸が好きだった。もともとはこの大陸で生まれたわけじゃない。彼は東方の島国でヘイヴによって作られ、後からこの大陸へやってきた機械に過ぎない。だがそれでも、彼はこの大樹大陸を故郷のように思っていた。
だからこそ、そんな故郷を守るために彼は立ち上がったのだ。
(なんとしてもグメーシス亜種の問題を解決しよう。それが自分の望み、そして願い。そのために自分は今ここにいるのだから…)
そうしているうちに、彼らのもとに次の任務についての連絡がようやく寄せられる。
次の任務はマキナのベイクーロ研究所への研究資料の護送。並びに本部研究活動の支援だ。
連絡に来た研究者幹部は、資料護送の任務に迷わずイザールたちのチームを指定した。
「僕たちが?」
「ええ。あなたたちのチームが最も適任だと本部は判断しました。良い結果が得られることを期待しています」
「All right! その判断は正しいぜ。俺に任せておけば、あっという間に届けてやるさ。それに俺たちには英雄様もついてるからな」
「ああ。それなのですが、次の任務はあなたたちだけで行ってもらうことになるかと…」
「Eh...Why?」
「ヘルツ殿からその英雄様をお連れするようにと託っております。なんでも確認したいことがあるのだとかで」
「そう。なら仕方がないわね…。でも大丈夫、その分までわたしたちが頑張りますわ」
残るチームは本部に残って研究支援を行う。幹部が言うには、資料整理に実証実験、捕獲した亜種の管理などに多くの人員が必要とされているらしい。そのため、研究資料の護送にあまり多くの人員を割けないのが現状だ。それゆえに、より実力のある彼らのチームが適任だとされたのだ。
「わたしたちの実力を見込んで言ってくれてるのよね。だとしたら、応えないわけにはいかないわ」
「わかったよ。部下たちの手前、醜い姿を見せるわけにもいかないからね。二つ返事で了解するのが、本当に美しい兵士というものさ」
「Don't worry! 俺がいるんだ。何も心配することはねーだろ?」
英雄は彼らだけで大丈夫かと少し心配した。
が、すぐにさっきの協力して真剣に議論し合う彼らの姿を思い出して、次の任務を彼らに任せることにした。
(そうだ。信じよう、彼らを。自分が今まで仲間にそうしてきたように。今まで仲間がそうしてきてくれたように)
そう考えて英雄は信じて彼らを送り出した。そして幹部に促されるままに、自分を呼んでいるというヘルツのもとへと静かに向かうのだった。