第伍話「地獄色々」
地獄温泉の裏手にそびえ立つ古びた屋敷の前に立つ。いや、おれたちは浮遊しているのだけれども。
怪しいコウモリにからまれてしまったので、ほとぼりが冷めるまでここに隠れさせてもらうつもりだ。門は壊れていたので、簡単に中に入れそうだったが、そうは問屋がおろさなかった。
門をくぐろうとすると、グルルルと低い唸り声が聞こえてくる。それも三つだ。続いて声も聞こえてきた。
「ココハ地獄ノ門ナリ。コノ先、何人タリトモ通ルコトカナワズ。汝ラハ何者ゾ」
声に続いて獣が姿を現した。なんと頭を三つももっている犬だった。
「我ハ地獄ノ門ノ門番ナリ。コノ先、限ラレシ者ノミ通ルル場所ナリ。許サレヌ者ニハ死アルノミ」
「地獄の門番……もしかして、ケルベロス!!」
「な、なんだって!?」
ケルベロスをおれたちを見上げて吠えていた。
「……小っちぇえ」
「それに死あるのみって、ボクたちもう死んでるしねぇ」
構わず門をくぐろうとすると、ケルベロスは一層強く吠え始めた。この騒ぎを聞きつけて、コウモリの群れがやってきてしまうかもしれない。面倒なことになるので、それは避けたい。
「ケルベロスだって、犬の仲間には違いない。だったら勝機はある!」
獣頭は鎌をぐっと握りしめた。
「な、何をするつもりなんだ!? よせ、危ないぞ!」
獣頭は鎌を構えると、威勢良くケルベロスに向かっていった。
「たぁぁぁああああッ!」
獣頭は鎌を投げた。鎌は弧を描いて遠くへ飛んで行った。
「エモノ!」
「マンマ!」
「マルカジリッ!」
ケルベロスは鎌を追いかけて走り去った。
「さぁ、今のうちにっ!」
獣頭は得意そうな顔をしている。
「あ……うん、行こうか」
所詮は犬か。どっちも。
怪しいコウモリにからまれてしまったので、ほとぼりが冷めるまでここに隠れさせてもらうつもりだ。門は壊れていたので、簡単に中に入れそうだったが、そうは問屋がおろさなかった。
門をくぐろうとすると、グルルルと低い唸り声が聞こえてくる。それも三つだ。続いて声も聞こえてきた。
「ココハ地獄ノ門ナリ。コノ先、何人タリトモ通ルコトカナワズ。汝ラハ何者ゾ」
声に続いて獣が姿を現した。なんと頭を三つももっている犬だった。
「我ハ地獄ノ門ノ門番ナリ。コノ先、限ラレシ者ノミ通ルル場所ナリ。許サレヌ者ニハ死アルノミ」
「地獄の門番……もしかして、ケルベロス!!」
「な、なんだって!?」
ケルベロスをおれたちを見上げて吠えていた。
「……小っちぇえ」
「それに死あるのみって、ボクたちもう死んでるしねぇ」
構わず門をくぐろうとすると、ケルベロスは一層強く吠え始めた。この騒ぎを聞きつけて、コウモリの群れがやってきてしまうかもしれない。面倒なことになるので、それは避けたい。
「ケルベロスだって、犬の仲間には違いない。だったら勝機はある!」
獣頭は鎌をぐっと握りしめた。
「な、何をするつもりなんだ!? よせ、危ないぞ!」
獣頭は鎌を構えると、威勢良くケルベロスに向かっていった。
「たぁぁぁああああッ!」
獣頭は鎌を投げた。鎌は弧を描いて遠くへ飛んで行った。
「エモノ!」
「マンマ!」
「マルカジリッ!」
ケルベロスは鎌を追いかけて走り去った。
「さぁ、今のうちにっ!」
獣頭は得意そうな顔をしている。
「あ……うん、行こうか」
所詮は犬か。どっちも。
ケルベロスが鎌を取りに行ってる間に素早く屋敷に駆け込む。
「おじゃましまぁーす……」
返事がない、ただのゴーストハウスのようだ。
「空き家かな」
「まぁ、なんだっていいさ。ちょっと休ませてもらうだけだし」
扉を閉じて一息つく。
「鎌なくなっちゃったなー。竜頭さんに怒られる」
「自分で投げといて」
「まあね。それにしてもケルベロスが守ってるなんて、何か重要な場所なのかな?」
「地獄とか閻魔とか和風チックだったのに、ケルベロスが出たりこんな洋館が出たり、ここは一体どういう世界観なんだ?」
「そういうメタいことは言いっこなしよ」
「……」
「……」
話題がなくなると屋敷は沈黙に包まれた。獣頭はじっとこちらを見つめている。時々、何かを思い出したようににやにやしている。……へんなやつだ。
しばらくそうしていると、微かに声が聞こえてきた。この屋敷には誰かいるのかもしれない。半ば興味本位で、おれたちは声のするほうへ向かうことにした。
屋敷の奥では誰かが会話している。柱の陰からそっとその様子をうかがう。
「それは本当なのか!」
「間違いありません、ハデス様。閻魔様は増えすぎた死者の収容先を求めて、あなた様の領地である冥府にまで手を出そうとしております。風の噂では、すでにイザナミ様の黄泉やヘル様のニヴルヘイムも被害に遭っているとか。閻魔様を止められるのは、もはやあなた様のみ! どうか、お力を貸していただきたい!」
「おのれ閻魔め、気でも狂ったか。わかった、私に任せておけ!」
ここからはハデスと呼ばれている男の姿が見える。しかし、もう一人の会話の相手の姿は死角にいるのか、どうやっても見えなかった。なぜか聞き覚えのある声だったような気がするが気のせいだろうか。
「ハデスって、これもたしかあの世の神様だっけ? 外国のだけど。それがなんで、こんなところにいるんだ」
「これは魚頭さんから聞いた話なんだけど、地獄っていくつもあるんだって。閻魔様の地獄だけじゃなくて、それこそハデスの地獄とか、あとは……とにかく色々」
「そうなのか。なんだか、ややこしいなぁ。じゃあ、それぞれの地獄がそれぞれの国みたいなもんなのかな」
「かもしれないね。ボクたちの国は閻魔様の国だよ」
さっきの話によると、閻魔がハデスの領地を攻めようとしているというところだろうか。おれには国家の問題はよくわからなかったが、それを知って少し残念な気分になってしまった。
「現世だけじゃなくて、あの世で神様も争ってるのか……。あーあ、なんでみんな争い合うんだろうな。たとえ現世だろうとあの世だろうと、醜い争いの世界は嫌いだ。生きるため、自分の身を守るための争いはまだわからんでもないけどさ。利己的な理由で争うなんて! だからおれは人間が嫌いなんだ」
今回も三途の川のときのように、すらすらと意見が出てきた。
また獣頭がおれの顔を不思議そうに覗き込んでいる。
「それも失くした記憶と関係ある?」
「……もしかしたら、そうかもしれない。ああ、くそ、思いだしちゃったよ! おれの罪って一体なんなんだよ」
獣頭は「じゃあ、やっぱり……」と呟いた。何のことだと訊ねたが、うまく誤魔化されてしまった。
「それではハデス様、私はこれで失礼致します故……」
「ああ、ご苦労。報告感謝する」
ハデスと共にいた何者かが会話を終えてこちらに向かって来るようだ。おれたちは気づかれないように足早に屋敷を後にした。
「おじゃましまぁーす……」
返事がない、ただのゴーストハウスのようだ。
「空き家かな」
「まぁ、なんだっていいさ。ちょっと休ませてもらうだけだし」
扉を閉じて一息つく。
「鎌なくなっちゃったなー。竜頭さんに怒られる」
「自分で投げといて」
「まあね。それにしてもケルベロスが守ってるなんて、何か重要な場所なのかな?」
「地獄とか閻魔とか和風チックだったのに、ケルベロスが出たりこんな洋館が出たり、ここは一体どういう世界観なんだ?」
「そういうメタいことは言いっこなしよ」
「……」
「……」
話題がなくなると屋敷は沈黙に包まれた。獣頭はじっとこちらを見つめている。時々、何かを思い出したようににやにやしている。……へんなやつだ。
しばらくそうしていると、微かに声が聞こえてきた。この屋敷には誰かいるのかもしれない。半ば興味本位で、おれたちは声のするほうへ向かうことにした。
屋敷の奥では誰かが会話している。柱の陰からそっとその様子をうかがう。
「それは本当なのか!」
「間違いありません、ハデス様。閻魔様は増えすぎた死者の収容先を求めて、あなた様の領地である冥府にまで手を出そうとしております。風の噂では、すでにイザナミ様の黄泉やヘル様のニヴルヘイムも被害に遭っているとか。閻魔様を止められるのは、もはやあなた様のみ! どうか、お力を貸していただきたい!」
「おのれ閻魔め、気でも狂ったか。わかった、私に任せておけ!」
ここからはハデスと呼ばれている男の姿が見える。しかし、もう一人の会話の相手の姿は死角にいるのか、どうやっても見えなかった。なぜか聞き覚えのある声だったような気がするが気のせいだろうか。
「ハデスって、これもたしかあの世の神様だっけ? 外国のだけど。それがなんで、こんなところにいるんだ」
「これは魚頭さんから聞いた話なんだけど、地獄っていくつもあるんだって。閻魔様の地獄だけじゃなくて、それこそハデスの地獄とか、あとは……とにかく色々」
「そうなのか。なんだか、ややこしいなぁ。じゃあ、それぞれの地獄がそれぞれの国みたいなもんなのかな」
「かもしれないね。ボクたちの国は閻魔様の国だよ」
さっきの話によると、閻魔がハデスの領地を攻めようとしているというところだろうか。おれには国家の問題はよくわからなかったが、それを知って少し残念な気分になってしまった。
「現世だけじゃなくて、あの世で神様も争ってるのか……。あーあ、なんでみんな争い合うんだろうな。たとえ現世だろうとあの世だろうと、醜い争いの世界は嫌いだ。生きるため、自分の身を守るための争いはまだわからんでもないけどさ。利己的な理由で争うなんて! だからおれは人間が嫌いなんだ」
今回も三途の川のときのように、すらすらと意見が出てきた。
また獣頭がおれの顔を不思議そうに覗き込んでいる。
「それも失くした記憶と関係ある?」
「……もしかしたら、そうかもしれない。ああ、くそ、思いだしちゃったよ! おれの罪って一体なんなんだよ」
獣頭は「じゃあ、やっぱり……」と呟いた。何のことだと訊ねたが、うまく誤魔化されてしまった。
「それではハデス様、私はこれで失礼致します故……」
「ああ、ご苦労。報告感謝する」
ハデスと共にいた何者かが会話を終えてこちらに向かって来るようだ。おれたちは気づかれないように足早に屋敷を後にした。
地獄温泉に戻るとアカナメが待ち構えていて、仕事を抜けだしたことについてしっかりと灸をすえられてしまった。後からやってきた竜頭の説教も加わって、まさに地獄絵図となった。例の自称吸血鬼がいなかっただけ、まだましだっただろうか。
やっと地獄から開放されると、辺獄の休憩所に戻ってやっと一息ついた。
空はずっと真っ暗で昼も夜もわからなかったが、ここにもちゃんと時間は存在する。もっとも、死者は眠る必要はなかったが、しっかりと仕事の時間や休憩の時間などが割り振られていた。神様でも疲れるということなんだろう。
休憩所でおれは自分の記憶のことや罪のことで獣頭に相談してみるが、満足な結果は得られなかった。
「ねえ、ちょっと確認したいんだけど」
こんどは獣頭のほうから話しかけてきた。
「ご主人はニンゲンのこと嫌いなんだよね? でも、前世はニンゲンなんだよね?」
死神はそれぞれ異なる頭蓋骨を身に付けている。おれの頭蓋骨は人骨だ。もし、これが前世の姿を表しているのだとすれば、おそらくそういうことなんだろう。
「たぶんそうだと思うけど、それがどうかした?」
「ちょっとね。それじゃあ、ボクの前世は何だと思う?」
獣頭の頭蓋骨は動物の骨だ。それに加えて今までの仕草から想像すると答えは簡単だった。
「たぶん犬なんじゃないか」
「当たり。ところで、前にボクの罪は大切なヒトを守れなかったことだって言ったの覚えてる?」
たしか三途の川で魚頭に会ったときのことだ。獣頭がどこか悲しそうな表情でそれを語ったことが印象に残っている。おれはすぐに頷いた。
「ボクの大切なヒトっていうのは、想像ついてるかもしれないけど、ボクの飼い主だったヒトなんだ。だけど、こうして飼い主を守りきることができずに死んじゃってね……。ああ、またご主人に会いたい。あの頃のご主人に帰ってきてほしいよ」
獣頭はおれの顔をじっと見つめながら言った。
ああ、なるほど。こいつがおれのことを「ご主人」と呼ぶのはきっと、その飼い主のことをおれと重ねて見ているからなんだろうと心の中で納得した。
「その飼い主はどうなったんだ。まだ生きてるのか? それともあの世のどこかに?」
「わからない……けど、きっといつかまた会えるって信じてる」
「そうか。会えるといいな、あんたの本当のご主人に」
「う、うん……そうだね」
獣頭はおれの顔をじっと見つめたまま、悲しそうに返事をした。
「ねぇ、ご主人……」
「ん、どうした?」
「……ううん、なんでもない。なんでもないの」
「そうか」
獣頭が辛そうだったので、そっとしておいてやることにした。
その日は、それっきり獣頭との会話はなかった。
やっと地獄から開放されると、辺獄の休憩所に戻ってやっと一息ついた。
空はずっと真っ暗で昼も夜もわからなかったが、ここにもちゃんと時間は存在する。もっとも、死者は眠る必要はなかったが、しっかりと仕事の時間や休憩の時間などが割り振られていた。神様でも疲れるということなんだろう。
休憩所でおれは自分の記憶のことや罪のことで獣頭に相談してみるが、満足な結果は得られなかった。
「ねえ、ちょっと確認したいんだけど」
こんどは獣頭のほうから話しかけてきた。
「ご主人はニンゲンのこと嫌いなんだよね? でも、前世はニンゲンなんだよね?」
死神はそれぞれ異なる頭蓋骨を身に付けている。おれの頭蓋骨は人骨だ。もし、これが前世の姿を表しているのだとすれば、おそらくそういうことなんだろう。
「たぶんそうだと思うけど、それがどうかした?」
「ちょっとね。それじゃあ、ボクの前世は何だと思う?」
獣頭の頭蓋骨は動物の骨だ。それに加えて今までの仕草から想像すると答えは簡単だった。
「たぶん犬なんじゃないか」
「当たり。ところで、前にボクの罪は大切なヒトを守れなかったことだって言ったの覚えてる?」
たしか三途の川で魚頭に会ったときのことだ。獣頭がどこか悲しそうな表情でそれを語ったことが印象に残っている。おれはすぐに頷いた。
「ボクの大切なヒトっていうのは、想像ついてるかもしれないけど、ボクの飼い主だったヒトなんだ。だけど、こうして飼い主を守りきることができずに死んじゃってね……。ああ、またご主人に会いたい。あの頃のご主人に帰ってきてほしいよ」
獣頭はおれの顔をじっと見つめながら言った。
ああ、なるほど。こいつがおれのことを「ご主人」と呼ぶのはきっと、その飼い主のことをおれと重ねて見ているからなんだろうと心の中で納得した。
「その飼い主はどうなったんだ。まだ生きてるのか? それともあの世のどこかに?」
「わからない……けど、きっといつかまた会えるって信じてる」
「そうか。会えるといいな、あんたの本当のご主人に」
「う、うん……そうだね」
獣頭はおれの顔をじっと見つめたまま、悲しそうに返事をした。
「ねぇ、ご主人……」
「ん、どうした?」
「……ううん、なんでもない。なんでもないの」
「そうか」
獣頭が辛そうだったので、そっとしておいてやることにした。
その日は、それっきり獣頭との会話はなかった。