慟哭、そして
「こら、
ユージロー! またバカなことしてんのね」
黄金の竜の復活を祈祷しているユージローを見咎め、剣道部の部活を終えて下校途中の朱音は声を荒げた。
「あ、朱音さん。フヒッ」
朱音は持っていた竹刀袋で、ユージローを小突いた。
「なんでまたこんなことを……。ホントに黄金の竜が復活したらどうするの?」
口下手なユージローには「君と一緒なら、波乱万丈な人生もいいかなと思ったんだ」なんてことは思っても言えない。仕方なく
「フヒヒ、サーセン」
と返した。
あの朝から一ヶ月。ユージローはこういった奇行を繰り返すようになっていた。朱音の気を引くためだ。他人とうまくコミュニケーションが取れないユージローには、これ以外かまってもらう方法が思いつかなかった。もっとも黄金の竜の復活とか、まだ十七歳なのに妻が死んだなんて妄言、普通の人間なら相手にしないから、この手段は悪手でしかないのだけれど。その考えに至らなかったのはユージローの浅はかなところだ。だが幸運にも朱音は、世話焼きな性格だった。見て見ぬふりをせず、しっかり叱ってくれる。「他の連中とは違う」そう思うとユージローはさらに心惹かれていった。自分は、素晴らしい人を好きになったのだと変に誇らしくなる。
もっと怒ってもらいたいと思う。そのつぼみのような唇で、艶やかな毒を吐いてほしいと思う。
だからユージローは叫ぶ。
舞台役者のように両手を広げて声高らかに。
「雷よ、雷よ! 我が叫びを聞け雷よ。今こそ黄金の竜を呼び起こし、世界の闇を払いたまえ!」
その瞬間、空を割るような轟音がした。大地が激しく揺れ、立っていることさえできなくなる。
「うみょー! な、なんぞこれぇ」
情けない声を上げてユージローは頭を抱えて地面に伏せた。ユージローだけでない。辺りの人間はみな地面に転がっている。
ただ一人を除いて。
「馬鹿な……早すぎる」
朱音だけは、この地揺れをもろともせず暗雲がかかった空を見上げていた。
雲が裂け、その隙間から光り輝く何かが降りてくる。遠目からは糸屑のように見えるそれは、川の流れに身を任せるように揺らめきながら地上に降りてくる。
そしてひときわ大きな衝撃とともに大地に立つ。
竜だった。
黄金の竜。
二十メートルはあるだろうか。全身を覆うまぶしい鱗。十三に分かれた尾。広げれば空を覆ってしまうであろう巨大な翼の先端には爪がついていて、そこだけが黒く鈍い光を放っていた。
竜は二つの足で地に立ってユージローたちを見下ろしている。
轟、と風が吹き荒れる。尾を横に薙いだのだ。
「あが、」「ぐっ」「ごぎゃ」
尻尾は家々を、まるで積み木の玩具のように壊していく。その中にいた人々が、血を撒き散らしながら吹き飛んでいった。ユージローは唖然としてその光景を眺めている。遅れて恐怖が全身を支配した。
「やむをえん……」
朱音は持っていた竹刀袋を開く。しかし中から出てきたのは竹刀ではなく、真剣だった。それもただの刀ではない。朱音の一族だけが扱える御神刀だ。古の時代から数多の邪を払ってきた神具である。
「……ごめんなさい! お借りいたします」
朱音は御神刀を抜く。その間にも三人、龍に踏みつぶされて殺された。熟れたトマトを地面に叩きつけたように、内臓が飛び散る。強烈な鉄の臭いがユージローの鼻をついて吐きそうになる。
「くっ……」
あまりの惨状に朱音は思わず目をそらした。その間にも二人の男が握りつぶされた。
「行って!」
朱音は叫ぶ。
「なに突っ立ってるの! 早く学校に向かって!」
そこでようやくユージローは、その言葉が自分に向けられたものだと知った。
「うみゅぅ……。で、でもどうして学校……」
「いいから!」
短いが、強い言葉に押されるようにユージローは駆けだした。
「じょ、冗談じゃない……」
背後から迫る恐怖を振り切るように、ユージローは走る。学校に向かって一心不乱に走る。校門が見えてきた。その側には長身の男が立っている。見知らぬ顔だ。
「ようやくか、待ちわびたぞユージロー君」
下着までびしょびしょになりながら、校門にたどり着く。ユージローは息を整えながら男の顔を見上げた。
細身で理知的な顔つきだが、なんか黒幕くせえな、とユージローの勘が告げた。勘は良い方である。傍らには二人の少年少女、ノアとシアがいた。
「私は
さいたま。ハカセと呼んでくれても構わない」
どうもさいたまはユージローを待っていたらしい。だったら朱音の「学校に向かえ」という言葉は「さいたまに会え」という意味になるのだろうか。とりあえず街で起きている事態を説明しようと思った。
「あの、黄金の竜が……」
「知っている。この子たちから聞いたよ」
言って、さいたまはシアの頭に手を置く。
「もう少し安全な場所に行こう。この子たちも非難してきたようだしね」
校長室に入る。さいたまが壁のボタンを触れると、高そうな机が真っ二つに割れ、その下に地下に続く階段が現れた。隠し部屋というものだろう。
薄暗い階段を壁伝いにゆっくりと降りながらユージローは尋ねる。
「朱音さんが一人で戦ってるんですけど……」
「大丈夫だ。朱音は強い。こと戦闘において、この街でアレの右に出る者はおらんよ」
それを聞いてユージローは安心する。この言い草だと、朱音は竜を倒せるほど強いのだろう。なら自分は地下の安全地帯で時が過ぎるのを待っていればいいし、彼女の身を案じる心配をする必要もない。朱音は安全地帯のことを知ってて、学校に行くよう指示したのだろう。なんて優しい人なのだとまた好感度が上がった。
「あなたは……いやあなたたちは何者なんですか?」
あなたたちというのは、朱音のことも意識してだ。
「Ultimate Chronicle Ally。UCAと呼ばれる国家の秘密軍事組織。その名の通り、伝説級の魔物に対する、最後の軍事力だ。朱音も私もそのメンバーなのだよ」
「どうして黄金の竜が現れたの?」
シアが聞く。
「話せば長くなる。今は終末の時計が動き出した、とだけ言っておこう」
黄金の竜の復活について、思うところがないわけではなかったが、ユージローはだんまりを決め込んだ。
「ところで君はあの竜がいかに恐ろしい存在かと知っているかね。いや、聞くだけ野暮か。黄金の竜の伝説についてはこの国の人間は学校で習うから知っているのだろう?」
「はい。確か……世界から夜をなくすとかなんとか……」
「そう。それだけの力を持った存在。竜というよりは神種と言った方が本質に近いだろう。本来は国が総出で……いや、人類が一丸となって戦うべき相手だ」
「そんな怪物……ホントに朱音姉ちゃんが勝てんのかよ」
ノアが不安げに言う。
さいたまは立ち止まった。ほぼ同時に階段が終わる。目的地についたのだろう。
「心配しなくていい。人類は今この瞬間――」
神種を超える。
明かりが灯った。
そこは広くて白い部屋だった。三十メートル四方ほどで、周りは見たこともない機械で埋められている。印象的なのは中央にそびえる巨大な柱だ。無機質な空間で、それだけは木製だったのでかなりの違和感があった。
「世界樹……」
シアがつぶやいた。
「君はよく勉強しているようだ。そう、これが世界樹。私たちの世界の動力源だ。そしてこれこそが人類の最期の切り札」
さいたまが柱に近づき、触れる。するとどういう仕組かノミを入れるようにボロボロと柱のあちこちが削れ落ちていった。見えない彫刻家がオブジェを作り上げていく。
出来上がったのは巨大な人型だった。全長は十八メートルほどで、木から削り出したため、全身は白い。頭は丸く、額には鋭角のブーメラン型の飾り。口から顎にかけては突起物がある。人間で言う鎖骨の辺りから飛び出している二本の突起。右腕部には盾が装備されていた。
「ASYJ―10JU
ガル・バスティーユ。UCA軍事顧問、
荒廃者が設計した、世界樹を素材としたモビルスーツだ。ユージロー君。君にこのモビルスーツのパイロットになってほしい」
突拍子のない話だった。
「あの……どうして僕が? 僕、自転車しか乗れないんですけど」
「かねてから世界樹が多大なエネルギーを秘めた超物質だということはわかっていた。しかしそれを扱うだけの技術は人類になかった。数年前までな。……これは本当に偶然……いや必然か。原理はわからないがとにかく、ある液体を媒介とすれば世界樹の性能をフルに生かせることが判明したのだ」
さいたまは神妙な面持ちでユージローに向き直る。
「ユージロー君、君は自身の体質に疑問を抱いたことはないか? 汗っかきというにも過剰すぎる新陳代謝。しかもその汗は粘性の強い緑ときた。君は普通の人間ではない」
言われてみればそうである。ユージローは体液垂れ流し過ぎだ。今まで変だと思ったことは一度もなかったが。
「君の体液こそが、世界樹を操るカギだったのだ。どういう奇跡か、君の体液は世界樹の力を完全に引き出すことができる。君だけがこのバスティーユの性能を神の領域で発揮できる。本当はしっかりとした段取りをとってUCAに入ってもらいたかったが……こんな形になったのは私としても心苦しい」
「そうだとしても……」
ユージローはバツが悪そうに答える。
「?」
「いや、その……僕にはあまり自信がないというか……」
ユージローの脳裏に先ほどの惨劇が蘇る。生臭い死の臭いを思い出す。一撃で何人もの人を殺せる化け物。いや、神種だったか。いくら世界樹に選ばれた人間だとしても、そんな恐ろしい敵と戦うなんて勘弁してほしい。そもそもどんなに強力な武装を与えられようと、戦場に出るなんてごめんだ。気弱なユージローでなくても、そう思うだろう。
「僕には……無理だ……」
白けたような気まずい沈黙が降りる。かまいやしなかった。ユージローははこういう空気には慣れている。いつだって、期待を裏切ってきたのだ。
「そうか。ならかまわんよ。無理強いはしない。だが……」
続けてさいたまは
朱音は死ぬことになるな。
なんて恐ろしいことを口にした。
「どういうことですか……。朱音さんは強いから大丈夫ってさっき」
「それは『君が選択するくらいの時間は保証する』という意味だ。考えてもみたまえ。UCAという組織が勝てないのに、たかが人間一人で神種をどうにかできるはずかない。アレではせいぜい、三十分持たせるのが関の山だ。そのあとは、少なくともこの街はただ滅びに任せることになる」
「か、勝てない!? それもUCAが!?」
「私がいつ勝てるなんて言ったかな? これまでの人類史で、人類が神に勝てた例はひとつだってない。神種を倒せるのは神種だけなのだ」
さいたまは白い巨像を見上げる。
「このバスティーユなら…世界樹から作られた彼だけが唯一の可能性だ」
ガガガッと何かが砕ける音がする。黄金の竜の尻尾が、さいたまらの数メートル先の天井に大穴を開けていた。
「ふむ。もうここまで来たか。この研究施設は、魔導ミサイルくらいには耐えられる程度には防御性が高いはずなのだがね。彼の竜の一撃はそれを凌ぐか。実に興味深い」
などと他人事のようにさいたまが言う。ノアとシアは声も上げられずにカタカタと震えていた。
「さて、さっきも言った通り私は無理強いはしない。戦わないというのならそれでいい。自由意思を最大限に尊重しよう。もっともその場合は、我々は皆、朱音と命運を共にするわけだが――」
さいたまは横目でノアとシアを見た。
「卑怯だ、貴方は」
ユージローは、一瞬だけ身を寄せて怯えるノアとシアを見る。そして敵意をのこもった目でさいたまを睨みつけた。「我々は皆」だなんて卑怯な言い方だと思う。そんな言い方をされれば、いやがおうにもノアたちにも意識がいく。おまえは女だけでなく年端もいかない子供さえも見殺しにするのか。そう糾弾しているのだ。
さいたまの変化がない表情から読み取れることは少ない。だがこの男がわざとそういう言い方をしたことだけは間違いなかった。業腹だが今はそれに乗せられるしかない。
「やりますよ。ここを乗り切ってみせればいいんでしょう?」
ユージローはコクピットに入る。狭い部屋だった。幅一メートル。高さはそれ以下か。ハッチを開かなければ立ち上がることさえできなそうだ。
LAUNCH CONTOROL SYSTEMと表示されたモニターのABORTがLAUNCHに変わる。
「ユージロー、いきます」
その瞬間、バスティーユは地下から射出され、空いた天井から地上に出た。黒ひげ危機一髪みたいな感じですごくダサかった。
なんとか着地する。学校の周辺は廃墟と化していた。死体がそこらに転がっている。大人から子供まで平等に、だが損壊の度合いは不平等で眠るように死んでいるものもいれば、赤い肉塊と化しているものもいた。
そんな地獄絵図の中に黄金の竜の姿を見つけた。
(こいつさえ倒せば……!)
ユージローは操縦桿を強く握る。
ぬるっ。
操縦桿がすっぽ抜けた。緊張して手汗がすごいことになっていたのだ。
もう一度トライする。
ぬるっ。
やはりすべる。
何度やってもぬめってしまって、操縦桿はびくともしない。
「コイツ、動かないぞ!」
悔しさと、焦りと、緊張と、恐怖であらゆる穴から体液が漏れだす。狭いコクピットは既に膝ほどまで体液で満たされていた。
(ど、どげんかせんといかん……)
助けを求め、ユージローは首を巡らせる。するとサイドモニターから外の景色が見えた。
御神刀を片手に戦う朱音さんがいた。満身創痍で服のいたるところが破れているが、なぜか大事なところだけは見えない破れ方をしている。そしてものすごくアクロバティックな動きをしているのに、なぜか見えない。短くなったスカートから覗く白い太ももが眩しい。
「エロいっ!」
今度はユージローの股間の体液が絶好調に達した。水かさは一気に増し、あっと言う間に鼻のあたりにまで迫った。
一方、学校の地下。さいたまたちはモニターから外の様子を伺っている。
「まずいな……」
動きを見せないバスティーユを見据えて、さいたまはつぶやく。
「あれではまさにデクの木ではないか」
その頃ユージローは体液の中に浮いていた。
「コポォ! コポォWWWWWWWWWWW」
酸素を求めて、鯉のように口をパクパクさせる。コクピットが完全に体液で満たされるのは時間の問題だった。
ユージローはサイドモニターを見る。朱音が戦っていた。彼女は華麗な動きで、敵の攻撃をかわす。しかし服をかすめたようで、胸の露出が三割ほど増した。桃色のブラジャーが少しだけ見えた。
ついに水かさが天井に達した。コクピットから空気が消失した。
(うそ~。僕の人生こんなとこで終わり?)
ユージローは思う。
(だって僕まだ何もしてないよ。朱音さんカワイイとかブヒブヒ言って、竜が復活するって気違いの真似して、最期コポォ!かよ)
まあ。考えてみるといつだってそうだった。日陰者の自分は、何事もうまくいかなかった。貧乏だし、いじめられっこだし。つまりそういう運命なのだ。自分は負け組ルートが確定していて、その運命には決してあらがえないのだ。そう考えるとこの最期にもそれなりに納得できた。
でも――
嫌だなと思う。
少しだけ、嫌だなと思う。
少しだけ、運命とやらに逆らってしまいたくなって――
瞬間、ユージローから紺碧の光が発せられた。頭の中がクリアーになっていくのがわかる。
ユージローが、いやバスティーユが覚醒した瞬間だった。
「アレは……!」
さいたまが目を見開く。
純白だったバスティーユが緑に染まっていく。おどろおどろしい、藻のような色になっていく。つま先まで染まった時、バスティーユは突然。疾風のような速さで動きだした。
「バスティーユにくまなく体液が染み込んで……。そうか……そういうこうとか」
「何が起きてるの?」
ノアが尋ねる。
「おそらく、いまコクピットはユージローのホルマリン漬けみたいな状態だろう。だがバスティーユの全身に体液が行き渡ったことで、全部位がユージローの支配下となったのだ。文字通り手足となったわけだな。体液が自身の分泌液で、かつそれが世界樹をつかさどるからこそできる荒業。つまり思考するだけで、バスティーユはユージローの思い通りに動く!」
ユージローは黄金の竜を見て思う。
これなら勝てると。
さいたまはバスティーユを見て思う。
きゅうり味のペプシみたいだと。
バスティーユは肩越しにビームサーベルを抜き、黄金の竜に振り下ろした。もっともビーム部分は体液の影響を受けて、どろっとした半液状になっていたので、コップに入った水をかけるような格好になってしまったが。のちにGN(ジロンド)ビームサーベルと呼ばれる武装である。
黄金の竜にどろっとしたものがかかる。竜は断末魔を上げながら溶けてしまった。
「ようやく終わった……」
脱力したユージローはそのまま気を失った。
<次回予告>
黄金の竜を討ち、平穏を取り戻す街。
広がる水面にいやされていく心。胸に染みるのは、さいたまの言葉の真実か、現実か、亜麻色の髪の少女の思いか。
が、時は悩む暇も与えず、きらめく液の中には、気を失ったままのユージロー。
次回、
ファジタニアの世界樹、第五話。碧き飛沫を、切り裂け! バスティーユ!
- 超展開すぎワロチwwwww -- さいたま (2012-07-05 01:32:56)
- 体液による紛争の根絶……バスティーユがそれを為す!! -- 朱音さん (2012-07-05 01:52:47)
- こんな展開になったなら、ガル・バスティーユをデザインせざるを得ない -- 荒廃者 (2012-07-05 01:53:38)
- じゃあ俺が五話書くよ -- 荒廃者 (2012-07-05 02:23:46)
- そろそろライバルキャラが欲しいところ -- 朱音さん (2012-07-05 03:19:50)
- なんのための12話(1クール)という縛りだったのか。 -- りん (2012-07-05 14:40:30)
- コミカライズ期待 -- 朱音さん (2012-07-05 15:26:47)
- 何て言うか…すごく、不衛生です… -- 能島 (2012-07-05 17:54:10)
- ユージローだからね -- 朱音さん (2012-07-05 19:13:35)
最終更新:2012年07月07日 16:25