■■ 1940年代 ■■
■ 大東亜戦争 ■
戦争 |
第二次世界大戦 |
名称 |
大東亜戦争(太平洋戦争) |
年月日 |
1941年12月8日~1944年 |
場所 |
太平洋中心 |
交戦勢力 |
枢軸国(日独伊)対連合国(米英ソ) |
結果 |
日本講和成功するも実質的に米国の支配下となる。 |
第二次世界大戦の内、主に太平洋を中心として行われた日本と米英による人類間大規模抗争。開戦劈頭は破竹の勢いで連戦連勝するも、中盤米軍に情報収集能力・戦力共に優勢に立たれ、1944年日本は講和による条件付きの敗北を認める。無条件降伏こそ免れたものの半属国化政策によって実質的に米国の支配下に置かれた。爾後、国号は「日本帝国」に改められ、帝政の絶対君主制ではなく、議会内閣が存在する立憲君主制の政治形態を取った。冷戦状態の現出を受け極東に於ける米国の最重要同盟国となった日本は、50年に安保理条約を締結。属領という誹りを甘んじながらも、国力の回復に邁進した。またこの戦争の早期講和により、日本は欧米文化(英語由来の用語,クリスマス)があまり浸透しなくなっている。
■■ 1960年代 ■■
■ 第一次月面戦争 ■
戦争 |
BETA大戦 |
名称 |
第一次月面戦争 |
年月日 |
1967~1973年 |
場所 |
月面 |
交戦勢力 |
国連軍 |
司令官 |
j.キャンベル大将(国連宇宙総軍司令官) |
結果 |
人類の敗北。BETA地球侵攻を許す。 |
第一次月面戦争とは、月面で行われた史上初の人類と異星起源種の戦争である。以降人類はこの異星起源種と30年以上戦うこととなる。
1.人類の宇宙進出
第二次世界大戦以降、世界はアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営の2大国を中心とした東西勢力に二分され、冷戦に突入する。米ソは核開発競争に次いで宇宙開発競争にしのぎを削り、1950年米欧は共同の極秘計画「ダイダロス計画」を始動した。マーキュリー第1計画・ジェミニ第2計画・アポロ第3計画を準備計画とし、ダイダロス計画はその終着点とされ、人類は衛星軌道への到達、月への有人飛行、大型軌道ステーションの建設を段階的に達成した。
2.サクロボスコ事件
研究開発が進みスーパーカーボンや多目的切削ナイフが生み出される中、米国の探査衛星ヴァイキング1号が火星起源と推定される生物を確認。人類は特務調査機関ディクニファイド12を結成するなど、異星起源種とのコミュニケーション手段を模索した。ダイダロス計画が始動してから17年後、即ち1967年1月25日。人類はこの異星起源種と接触することになる。数日前に発生した大規模月震の調査の為、サクロボスコクレーターに展開していた地質探査部隊がほぼ同時に消息を絶った。何事かと第1次捜索隊を向かわすもこれも不通。そして慎重に投入された第二次捜索隊によって状況が判明。BETA、のちにそう呼ばれる生物群がクレーター周辺に散在し、部隊はその生き物に食い殺されていたのだった。この異常事態に人類側は大混乱に陥り、発見から数日後には月面各所に存在した観測基地が襲撃を受けた。以て国連安保理は月面基地「プラトー1」を最前線と位置付け、国連憲章第43条に基づき「国連軍」を編成した。BETA大戦の幕開けである。
3.第1次月面戦争
交戦を決断した人類ではあったが、重火器搭載MMUなどの攻撃もBETAには空しく、補給も兵站線構築も形を成さなかった。途中、地球軌道マスドライバーによる長距離投射爆撃も試みられたが磁性レゴリスの大量巻き上げ、長期間の月震を誘発させ人類側のセンサーを広範囲に渡って沈黙させてしまい、返って人類を劣勢に追い込む事となった。70年以降はFP兵器「ハーディマン」で編成された機械化歩兵装甲部隊が投入され月面戦線を3年以上延命させるも人類側の劣勢は覆せず、遂にはBETAが地球侵攻を開始した。
■■ 1970年代 ■■
■ カシュガル落下物回収任務 ■
オリジナルハイヴ(H1:甲1号目標)、1973年当時フェイズ1カシュガルに落着した着陸ユニットの調査と回収を第1目的とした中国軍の作戦行動。 中国政府が異星生命体の宇宙船を独占回収することを最優先としたため、派遣された部隊は出現したBETA群に対し通常兵器で対処。BETAの地球侵攻を想定し、着々と準備を整えていた中国軍は、まともな陸戦兵器や航空兵力が存在しなかった月面戦争での憂さを晴らすように、空軍力と機甲部隊の連携によって優位に戦局を進め、落着地点の数km手前まで肉薄したが、未確認種(光線属種)の登場によって航空兵力が無力化され、一瞬にして投入した戦力の9割を失った。
■ 紅旗作戦 ■
オリジナルハイヴ(H1:甲1号目標)、1973年当時フェイズ1国連の介入を嫌った中国政府はやむなくソ連に共同作戦を打診、中ソ連合による人類初のハイヴ攻略『紅旗作戦』が開始されたが、圧倒的なBETAの物量と光線属種の攻撃力の前に僅か9日後にはハイヴ攻略を断念。中ソ連合軍は戦術核によるBETA殲滅へと方針転換するも時既に遅く、敗走に敗走を重ねながら焦土作戦へと移行していった。
■ アサバスカ核攻撃 ■
戦争 |
BETA大戦 |
名称 |
アサバスカ核攻撃 |
年月日 |
1974年7月6日 |
場所 |
カナダ領サスカチュアン州アサバスカ |
攻撃目標 |
降着ユニット |
交戦勢力 |
米国軍 |
結果 |
人類の勝利 |
アサバスカ核攻撃とは、カナダ領アサバスカに落着したBETAユニットに対し、米軍が戦略核の集中投下を行った史上最大の核攻撃作戦である。 この攻撃によりBETA地球第二次侵攻を阻止することに成功した。
■ パレオロゴス作戦 ■
ミンスクハイヴ(H5:甲5号目標)、1978年当時フェイズ376年に形成されたミンスクハイヴは、ソ連-欧州の主要連絡線であるモスクワ街道の中心に位置しており、欧州の人口密集地域がBETAの直接脅威に晒される事になった。この危機に対し、北大西洋条約機構(NATO)軍、ワルシャワ条約機構(WTO)軍の両司令部は、東欧州戦線の安定化を図るため、ミンスクハイヴ排除を目的とした一大反攻作戦を計画。西欧州、ウラル以東に退避させた兵力を再配置した後、秘匿名称『パレオロゴス作戦』の下に攻勢を開始した。オルタネイティヴ3計画本部より提供されたデータから、BETAに対する陽動の有効性を認識したNATO・WTO合同司令部は、陸上戦力に優れていたWTO軍を主力、NATO軍を助攻兼陽動とし、東西からミンスクハイヴを中心とした突出部を挟撃。周辺ハイヴからの浸透を排除しつつ、約二ヶ月の戦闘の後にこれを完全に包囲。この時点で、各国の軍主力は30%近い損失を被っていた。その後、ソ連空挺軍によるハイヴへの強襲空挺降下など、いくつかの方法でハイヴ突入が試されるが、そのいずれもが失敗に終わる。この事態を受け、NATO軍からは戦術核によるハイヴの破壊を唱える声があがったが、ソ連軍首脳がハイヴ内のG元素奪取を強硬に主張。ソ連軍第43戦術機甲師団、「ヴォールク」連隊が人類史上初のハイヴ突入に成功するが、約3時間半で連隊は全滅。この後、ハイヴから出現したBETAの反撃で戦線は押し戻され、作戦は失敗に終わった。
■■ 1980年代 ■■
■ ダンケルク作戦 ■
戦争 |
BETA大戦 |
名称 |
ダンケルク作戦 |
年月日 |
1981年~1984年 |
場所 |
欧州 |
BETAの西欧州進攻を受け、欧州各国は文明・民間人をアフリカ、南米、東南アジアへ脱出させるダンケルク作戦を発動。 以降1984年まで継続。
■■ 1990年代 ■■
■ 重慶攻防戦 ■
戦争 |
BETA大戦 |
名称 |
重慶攻防戦(Battle of“Chongqing”) |
年月日 |
1991~1992年 |
場所 |
中国領四川省重慶 |
交戦勢力 |
日本帝国軍(大陸派遣軍)・統一中華軍(中国軍・台湾軍)・韓国義勇軍・ベトナム義勇軍 他 |
■ スワラージ作戦 ■
ボパールハイヴ(H13:甲13号目標)、1992年当時フェイズ4BETAの東進が激化した1992年7月、インド亜大陸の勢力圏挽回を狙って発動されたボパールハイヴ攻略作戦。衛星軌道上の国連低軌道艦隊による軌道飽和爆撃、戦術機の軌道降下突入戦術など、宇宙軍がハイヴ攻略に本格的に参加した初の作戦としても名高い。 国連軍・アフリカ連合軍・東南アジア諸国の共同作戦として立案され、「カシュガルハイヴ近辺の橋頭堡確保」、「東進するBETAに対する牽制」、「インド亜大陸への兵力増援」など、複数の戦略目的を柱に立案されたが、最優先目的はオルタネイティヴ第三計画直轄の特殊戦術情報部隊によるハイヴ内の情報収集であった。軌道降下突入に成功した国連第一軌道降下兵団と特殊戦術情報部隊がフェイズ4ハイヴの到達深度としては最深となる511mまで侵攻するも、同深度の広間で師団規模のBETA群と遭遇し、ハイヴ内のデータを地上へ送り届けたごく一部の部隊を残して消息を絶った。攻略作戦そのものは失敗に終わったが、インド亜大陸への兵力増強と戦線の立て直しには成功し、同年中に崩壊すると予想されていたインド戦線を94年まで持ちこたえさせた。
- 7/26:軌道爆撃、軌道降下などの宇宙軌道戦術が初めて実戦投入される。
- 7/27:国連軍司令部が全面撤退を宣言。作戦は失敗に終わる。
オルタネイティヴ3直轄・特殊戦術情報部隊
- フサードニク中隊 (Всадник:騎兵)
- F-14 AN3:フサードニク1
- F-14 AN3:フサードニク3:レオニード・ドラガノフ
■ 九-六作戦 ■
1993年、大連に向かう大規模BETA群の殲滅を目的とした中韓連合軍の要撃作戦。物量に圧されて戦線が瓦解、最後は戦術核により大連侵攻を何とか食い止めた。日本帝国の大陸派遣軍も側面支援として参戦したが、BETA群の奇襲に遭い二個大隊が壊滅した。
帝国大陸派遣軍
- ブレード中隊
- 撃震:ブレード1:神宮司 まりも
- 撃震:新井
- 撃震:帝国軍衛士1
- 撃震:帝国軍衛士2
- 撃震:帝国軍衛士3
- 撃震:帝国軍衛士4
- 撃震:帝国軍衛士5
■ ブートストラップ作戦 ■
1995年11月、イタリア半島南端における大規模迎撃作戦。
ユーロファイタス国連派遣部隊
- レインダンス中隊
- EF-2000(ESFP):ダンサー01:ヒュー・ウィンストン
- EF-2000(ESFP):ダンサー02:モニカ・ジアコーザ
- EF-2000(ESFP):ダンサー03:レイチェル
- EF-2000(ESFP):ダンサー04:フランコ・ヴェルサーチ
- EF-2000(ESFP):ダンサー05:グレアム・オースティン
- F-5E ADV:ダンサー09:ナディア・マンツェル
- F-5E ADV:ダンサー10:パブロ・マルティネス
■ 光州作戦 ■
1998年、国連軍と大東亜連合軍の朝鮮半島撤退支援を目的とした作戦。後に光州作戦の悲劇と呼ばれる彩峰中将事件が発生する。
光州作戦の悲劇
脱出を拒む現地住民の避難救助を優先する大東亜連合軍に彩峰中将が同調し協力したため、結果的に国連軍司令部が陥落。指揮系統の大混乱を誘発し国連軍は多くの損害を被った。国連は日本政府に猛抗議し、彩峰中将の国際軍事法廷への引き渡しを要求。国連の要求に従えば軍部の反発は必至、逆らえばオルタネイティヴ4が失速すると考えた内閣総理大臣榊是親は、最前線を預かる国家の政情安定を人質に、国内法による厳重な処罰という線で国連を納得させた。それに先立ち榊首相が彩峰中将を密かに訪ねた際、日本の未来を説き土下座する榊に対し彩峰は笑顔で人身御供を快諾。帰路の車中、榊は彩峰の高潔に心打たれ、静かに涙したという。
■ 日本本土防衛戦 ■
西日本失陥
光州作戦の損耗が回復する間もなく、重慶ハイヴ(H16:甲16号目標)から東進した大規模BETA群が朝鮮半島から日本海を横断し北九州沿岸部に上陸。遅れて中国地方日本海沿岸部に散発上陸したBETA群に挟撃され、本土防衛軍西部方面部隊が壊滅。約1週間で九州、四国、中国地方が制圧される。事前の想定では四面を海に囲まれた四国の戦力が側面から戦線を支える想定であったが、あまりに速いBETAの侵攻に本州と四国を結ぶ巨大橋群の爆破が成らず、地続きと同様の浸透を許した。対馬、佐渡以外の沖縄を始めとする島嶼部はBETAの上陸を免れ、西日本占領後も前線基地として機能し続けた。
京都防衛戦
京都は1867年の大政奉還後も日本帝国の政治中枢として発展した。BETAの本土侵攻の際には一ヶ月に及ぶ熾烈な防衛戦の末に陥落。以降、約一年に渡りBETAの制圧下にあった。本州奪還後は、西日本における緊要地域として、日本帝国・国連両軍が駐留する一大軍事拠点となっている。
- 日本帝国斯衛軍第16大隊
- 瑞鶴(青):ホーンド1:斑鳩
- 瑞鶴(赤):ホーンド2:月詠 真耶
- 米国海軍第103戦術歩行戦闘隊
- 日本帝国本土防衛軍第96砲兵大隊
在日米軍撤退
佐渡島ハイヴの建設に伴い長野県付近でBETAの侵攻が停滞。その間に米国は日米安保条約を一方的に破棄し在日米国軍を撤退させた。米国が主張する条約破棄の理由は度重なる帝国軍の命令不服従を主に挙げている。G弾あるいは核の使用を主張する米軍に対し、帝国国防省が猛反対していたのは事実である。
西関東侵攻
BETAの東進が再開され、西関東がBETAの制圧下に置かれた。これにより帝国陸軍白陵基地は壊滅。BETA群は帝都直前で謎の転進。伊豆半島を南下した後に進撃が停滞、以降は多摩川を挟んでの膠着状態となり、24時間体制の間引き作戦が続いた。
経過
ユーラシア大規模環境破壊の影響による超大型台風が沖縄・九州地方を襲う。師団規模のBETAが北九州(対馬島→長崎、佐賀)に上陸。台風直撃により、海軍兵力の洋上展開は間に合わない。帝国本土防衛線(防人ライン)は、数時間でBETAを撃破
山陰地方、九州中部にBETAが上陸。退避中の住民と大陸難民にBETAが混淆する事態となり、民間人を巻き込む危険から、BETAに対する効果的な反撃ができなくなる
台風直撃により、大型避難船の接岸はほぼ不可能
在日米軍は長崎・熊本・山口・広島に戦術核ないし新型爆弾(G弾)の使用を提案
帝国政府はこの提案を拒否
BETAが姫路の第一次帝都防衛線に到達。第一次帝都防衛線は半日で瓦解。九州方面部隊は、孤立しつつも絶望的な戦闘を継続する
BETAが神戸に到達
在日米軍は、琵琶湖運河以東への早期撤退を提案。帝国政府はこの提案を拒否
BETAが大阪に到達。帝都防衛第一師団と斯衛第二連隊を主力とする防衛部隊は、民間人を巻き込む危険から控えられてきた艦砲射撃、軌道爆撃による支援を受けつつ総反撃を開始。一時的にBETAを押し戻す
7月末、九州方面部隊が全滅。BETAの侵攻が激化
帝国政府は在日米軍及び国連軍に京都の放棄と東京への正式な遷都を通達
斯衛第二連隊が京都を離脱
■ 明星作戦 ■
戦争 |
BETA大戦 |
名称 |
明星作戦(Opration“Lucifer”) |
年月日 |
1999年8月5日~8月9日 |
場所 |
日本帝国領神奈川県横浜 |
交戦勢力 |
国連軍・日本帝国軍・日本帝国斯衛軍・米国軍・大東亜連合軍 |
作戦目的 |
新帝都・東京へのBETA侵攻阻止 |
作戦目標 |
横浜ハイヴ制圧及び本州奪還 |
作戦立案 |
オルタネイティヴ第四計画司令部 |
結果 |
人類の勝利 |
横浜ハイヴ(H22:甲22号目標)、1999年当時フェイズ2(主縦坑の直径と最大深度はフェイズ4)国連軍と大東亜連合によるアジア方面では最大、BETA大戦においてはパレオロゴス作戦に次ぐ大規模反攻作戦。横浜ハイヴの殲滅と本州島奪還が優先戦略目的。太平洋側と日本海側からの艦砲交差射撃による後続の寸断に始まった本作戦は、横浜ハイヴ攻略の最終局面に於いて国連軍の主力であった米軍が2発のG弾を日本帝国・大東亜連合への事前通告なしに使用、モニュメントと呼ばれる地表構造物を破壊しBETA群をほぼ一掃した。それに呼応して西日本を制圧していた残存BETA群は一斉に大陸に向け撤退を開始。戦術機甲部隊による追撃戦、艦砲射撃などによって敗走するBETA群に大損害を与え、歴史的な大勝利となった。ほんの一年前、安保条約を一方的に破棄して撤退した米国が、なぜ本作戦に部隊を送り込んだのか。これについては様々な憶測と疑念を呼んでいるが、恐らくはそれが目的だったであろう無通告のG弾使用が、日本国民の心に更に深い反米感情を刻み込んだのは確実である。オルタネイティヴ4への牽制と、オルタネイティヴ5の優位性を誇示するためのG弾投下が、結果的にオルタネイティヴ4と香月博士に利をもたらしたという事実はもはや歴史の皮肉と言う他ない。
- 8/5:本州島奪還・明星作戦開始。
- 8/9:米軍機がハイヴ突入後、第五層に到達。ブラボー中隊が"捕虜"を発見し、同時にデルタ中隊が残敵と交戦を開始している。国連横浜基地はこの横浜ハイヴの上に作られ、ハイヴ内に残っていたBETA由来のいくつかの設備をオルタネイティヴ計画のために利用している。
■■ 2000年代 ■■
■ 新潟防衛戦 ■
2001.11.11
部隊
- 国連太平洋第11方面軍横浜基地
- A01部隊【新潟方面にてBETA個体の捕獲作戦を展開】
- 第207衛士訓練小隊B分隊【待機】
- その他
- 帝国軍日本海艦隊
- 第34機動艦隊
- 第55機動艦隊
- 第56機動艦隊【全滅】
- 帝国本土防衛軍 第12師団
- 第132中隊
- 第195中隊【全滅】
- 第189中隊【全滅】
- 第137中隊【全滅】
- 第206中隊
- 第208中隊
- 第231中隊
- 第104中隊【全滅】
- 第225中隊
- 帝国本土防衛軍 第14師団
経過
- 06:20 旅団規模のBETA群が日本海・海底を南下。帝国軍日本海艦隊がこれを迎撃。
- 06:27 BETA群、第一次海防ラインを突破し、新潟に上陸。第56機動艦隊が全滅。
- 06:48 帝国軍第12師団がBETA群と接敵
- 【時刻不明】 帝国軍第14師団が帝国軍第12師団と合流
- 07:10 BETA進軍予想により、BETAの戦略目標が判明。これを受けて国連太平洋第11方面軍横浜基地にて防衛基準体制2(デフコン2)への移行を発令。
- 【時間不明】 中越、下越、新潟の3方面に分流したBETA群の殲滅を確認。国連太平洋第11方面軍横浜基地にて防衛基準体制2(デフコン2)解除。
■ 12・5クーデター事件 ■
鎮圧部隊
国連軍
- 第207戦術機甲小隊:UN 207sqd
- 第209戦術機甲大隊:UN 209bn
国連横須賀基地所属。旧下田市内に上陸し、クーデター軍を待ち構える。
- 第11艦隊:USW 11
国連横浜基地所属。白浜海岸で207と合流、横浜基地へ帰還。
- 第1戦術機甲大隊
国連横浜基地所属。ブリーフィング時には既に帝都に向けて出撃中。
品川埠頭にて米国第117戦術機甲大隊と共に強襲上陸を敢行、クーデター軍と交戦。
- 第3戦術機甲大隊
国連横浜基地所属。ブリーフィング時には、手薄になった第二次防衛線の支援部隊として出撃準備中
出撃予定時刻は19時40分
- 第4・第5戦術機甲大隊
国連横浜基地所属。ブリーフィング時にはまだ出撃準備中
- 第2航空支援大隊
国連横浜基地所属。ブリーフィング時には既に帝都に向けて出撃中。
- 第5航空支援大隊
国連横浜基地所属。ブリーフィング時にはまだ出撃準備中
斯衛軍
- 第19独立小隊:JERG 19fli
- 武御雷(赤):1901:月詠 真那
- 武御雷(白):1902:神代 巽 & 煌武院 悠陽(同乗)
- 武御雷(白):1903:巴 雪乃
- 武御雷(白):1904:戎 美凪
- 斯衛軍第2連隊
クーデター軍の発砲に大して応戦。
帝国軍
- 第602戦術機甲部隊:JE 602sqd
明神ヶ岳山中でクーデター軍と交戦。
- 第604戦術機甲部隊:JE 604sqd
明神ヶ岳山中でクーデター軍と交戦。
- 第605戦術機甲部隊:JE 605sqd
明神ヶ岳山中でクーデター軍と交戦。E3に突破される。
米軍
- 第66戦術機甲大隊:US 66wig
- F-22A:ハンター1:アルフレッド・ウォーケン
- F-22A:ハンター2:イルマ・テスレフ
- F-22A:ハンター3
- F-22A:ハンター4
- a中隊:US 66Asqd
- F-22A:スパイク1
- F-22A:スパイク2
- F-22A:スパイク3
- F-22A:スパイク4
- F-15E ストライクイーグル ×8機
- c中隊:US 66Csqd
敵包囲網の完成を阻止
- d中隊:US 66Dsqd
敵包囲網の完成を阻止
- e小隊:US 66Efli
防衛線の再構築
- 第108戦術機甲大隊:US 108wig
ブリーフィング時にのみ登場
- 第117戦術機甲大隊
品川埠頭にて国連軍第1戦術機甲大隊と共に強襲上陸を敢行、クーデター軍と交戦。
- 第132戦術機甲部隊?
ブリーフィング時のみ登場。
大隊ではなく部隊らしい
- 第174戦術機甲大隊:US 174wig
冷川料金所跡周辺でE1(富士教導団)と交戦。- F-15E:ヒートリーダー
- F-15E:ヒート9
- F-15E:ヒート11
- F-15E ストライクイーグル 全36機
- 第7艦隊
相模湾にて待機
ブリーフィング時、東京湾に向けて出航中
クーデター軍
- 帝国本土防衛軍帝都守備連隊
- 帝国軍富士教導隊(団)
- 帝国軍671航空輸送隊:An-225 ムリーヤ
帝国厚木基地所属
経過
- 12月5日(水)
- 05:00 沙霧尚哉の声明放送。
- 07:00 横浜基地米軍受け入れ。
- 08:23 横浜基地を帝国軍が包囲。
- 18:23 仙台臨時政府が国連軍の介入を正式に受け入れ。
- 19:40 207小隊出撃。
- 21:42 帝都で戦闘開始。
- 22:25 207小隊、塔ヶ島離宮を警備。
- 12月6日(木)
- 01:47 207小隊、悠陽殿下と合流。
- 02:55 伊豆スカイライン跡、山伏峠付近207小隊がクーデター部隊と接近。米軍部隊に助けられる。
- 03:37 伊豆スカイライン跡、亀石峠で補給。ウォーケン少佐の部隊と合流。
- 04:04 悠陽が倒れる。
- 未明 休憩中、クーデター部隊のエアボーン作戦により包囲される。
- 未明 ブリーフィング。
- 未明 沙霧尚哉と接触。
- 未明 米軍機の発砲により戦闘に突入。
- 未明 沙霧戦死。
- 13:23 市ヶ谷駐屯地の反乱部隊が投降。クーデター終息。
煌武院悠陽の演説
佐渡島ハイヴ(H21:甲21号目標)、2001年段階フェイズ4。2001年12月24日、佐渡島にあるBETAハイヴ『甲21号目標』制圧を目的とする、国連と帝国の大規模共同作戦。明星作戦以降、最大規模の対BETA作戦。帝国軍と極東国連軍の総戦力の半数を投入した大反抗は、フェイズ4ハイヴを壊滅させるという、人類の歴史的大勝利で幕を閉じた。