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「――なぁんてこともあったよねぇ♪」

お洒落なダイニングバーの少し薄暗い店内、2人がけのテーブル席。
私の向かいに座っている唯はニヤニヤと意地悪く笑いながらそう言って、
思い出話を締めくくった。

「もうっ、唯!恥ずかしいからあの事はあんまり思い出さないでよ!」
「おやおやぁ?あずにゃんったら顔が真っ赤っかですにゃー。
 まだお酒は飲んでないのに、もう酔っ払ってるのかな?それとも十八番の演技ぃ?」
「やめてってば!」

私にとっては恥ずかしい思い出をほじくり返され、
ついつい声が大きくなってしまいそうなのを何とか抑えつつ、唯に抗議する。
しかし彼女はそんな私の様子すら楽しんでいるかのように、
その表情を崩さないまま言った。

「別にいいじゃーん。あの時のあずにゃん、すっごいかわいかったし。
 それに何より、あれがあったからこそ、でしょ?」
「それはそうだけど…」

あれから月日は流れ、私は彼女と同じ大学に1つ下の学年で通う身になり、
私の彼女に対する言葉づかいからは、敬語が消えた。

「思い出すなと言われても思い出しちゃうし、
 忘れたくても忘れられないし、絶対に忘れたくないよ。だって…」

さっきまでのからかうような笑顔を、少し真剣味を交えた微笑に切り替える唯。
あの頃の面影を確実に残しつつも、
過ぎた年月の分だけ大人びて綺麗になったその姿に、思わず見とれてしまう。

「梓と恋人同士になれたきっかけの、大切な思い出だもん。絶対に忘れない」

その顔でそんなことを言うものだから、さっきとは違う理由で、私の頬はまた熱くなった。


少し…いや、かなり恥ずかしいけど、あの後のことを思い出してみる。
酔ったフリをしていた(酔ってはいたけど、「好きな人に酔ってたんです!」
なんて言えるわけがない)ことがバレた私は羞恥のあまりすっかり取り乱し、
唯――あの頃は「唯先輩」だった――に「ご、ごめんなさぁぁぁいぃ!!」と
一方的に謝罪の言葉を投げつけ、彼女が何か言おうとするのも聞かずに
その場から逃げようと駆け出して、滑って盛大に転んだ。
演技がバレただけでも恥ずかしすぎるのに、その上見事なコケっぷりまで披露し、
痛いやら恥の上塗りをするやらで心身ともに大ダメージを受けた私は、
もはや起き上がる気力すらなく、床にうつ伏せになったままでいた。

リビングにいる面々は最初こそ心配してくれたけど、
私にケガがないと分かるや、私の背中に向かっていろいろと話しかけてきた。
律先輩には、普段から素直にならないからこういうことになるんだと説教された後
「で、いつ唯を押し倒すつもりだ?このエロにゃんめ」などとイヤというほどからかわれ
(もちろん、その後澪先輩による鉄拳制裁があった)。
澪先輩は何と言えばいいのか分からないといった様子ながらも、
優しくて微妙に生温かい、慰めと同情混じりの応援の声をかけてくれ。
ムギ先輩には、目をキラキラ輝かせていることが見なくても分かるくらい弾んだ声で
唯ともども軽音部のホープ(ムギ先輩の趣味的な意味で)扱いされ。
憂は自分があの飲み物をお酒と見間違えたせいだと、
彼女は何も悪くないのに本当に申し訳なさそうに謝ってきた後、
「お姉ちゃんに甘えたい時は遠慮しないでね♪」と妙に嬉しそうに言ってくれた。

彼女らの反応がそんな感じだったのは要するに、唯に甘えるどころか
キスまで迫るという一連の行動がお酒に酔ったためではなかったのがバレると同時に、
私が唯に抱いていた気持ちも完全にバレてしまったからだった。
女の子同士のそれを、皆がどういう形であれ肯定してくれたのはまあ、良かったのだけど。

でも、唯本人にもバレてしまったことが。
気持ちだけではなく、酔ったフリをしていたこともバレてしまったことが、
その時の私には怖くてたまらなかった。

直前に唯が話してくれた、キスを拒んだ理由。
私との初めてのキスを大切にしたい、というその理由はつまり、
私にとって彼女がそうであるように、彼女にとっても私は特別なんだと、
そういうことなんだということは、その時の私にはもう分かっていた。
だから私の想いも、ちゃんと伝えれば、届いただろうということも。
でも実際は、伝わってしまった。
騙していたという事実と共に。

だから、倒れ伏したままの私のそばに唯が近づいてくる気配を感じても、
私は顔を上げることができなかった。
あんな事をした理由を訊かれると思ったから。
ウソを重ねることはできないから、本当のことを全て言うことになると思ったから。

そして、きっと嫌われる、と思ったから。

自業自得だった。
演技がバレて大恥をかいたのも、慌てて逃げようとして思いっきり転んだのも。
――届くはずだった想いが、届かなくなるのも。
自力で素直になる勇気もなく、そうする努力もせず。
騙して、都合よく欲しいものだけもらって、後は知らんぷりなんて。
そんなズルくて、最低なことをしようとした罰で、報いなんだ。
頭ではそう分かっていても、悔しくて。
恥ずかしさも身体の痛みも我慢できるけど、想いのことだけは耐えられなくて。
なんであんな事を思いついてしまったんだろう。
少し前の自分にコップの水を頭からぶちまけた後、思いっきり引っ叩いてやりたい…。
そんなことを思っていた。

だから。
それでも、訊かれる前に自分から謝らなきゃ、と思い、起き上がろうとした瞬間。
唯からかけられた言葉に、私は耳を疑った。

「あずにゃん、キスしよっか♪」

あの時の、あまりにもあっけらかんとした口調は忘れられない。
予想外の言葉に思わず顔を上げると、彼女は私の前にしゃがんで、
優しく、明るく笑いながら私を見つめていて。

「本当は酔っ払ってなかったってことは、さっきキスをおねだりしてきた時も。
 ううん、きっと、それよりもずっと前から。
 あずにゃんは本当に、私とキスしたい、って思ってくれてたんだよね。
 でも、あずにゃんは恥ずかしがり屋さんだから、
 酔っ払ったフリでもしないと、おねだりできなかったんだよね」

そんな、全てを見透かしたようなことを言って。
気づいてあげられなくてごめんね、なんて、バツが悪そうに頭をかいた。
気づかれないようにしていたのは、悪いのは、私だったのに。
ただの自爆で勝手に傷ついた私に、彼女は笑顔で手を差し伸べてくれた。

「嬉しかったよ。あずにゃんが、自分から甘えてくれて。
 あずにゃんが、私とキスしたいって思ってくれてたことが分かって。
 私、あずにゃんのことが好きだから。大好きだから。
 だから――キスしよ?」

唯は頬を染めながら、その気持ちをさらりと、でもハッキリと私に伝えてくれて。
それは彼女からの許しの言葉であり、彼女が与えてくれたチャンスでもあった。
もう、素直になれないだとか、そんなことを言っている場合ではなかった。
好きな人にそこまでさせて、それをみすみす逃すわけには、応えないわけには――。

だから私は身体を起こすと、唯の目を真っすぐ見据えて、自分の想いを言葉にして告げた。
それはちゃんと届いて。

そして私たちは、初めての口づけを交わした。

他の先輩方や憂の見ている前でそんなことをしたから、
その後さんざん冷やかされてまた恥ずかしい思いをしたりもしたけど、
それ以上に、初めて味わうそれは蕩けるくらいに甘くて、酔ってしまうくらいに幸せで。
身体がかぁーっと熱くなって、頭がくらくらして、ふわふわした浮遊感に襲われながら、
これからは今まで以上にこの人に酔う日々を送るんだ、と。
唯の腕の中で、湧きあがるその喜びに酔いしれつつ、その身体を抱きしめ返した。


だから、昨日のことのように思い出せるあの出来事は確かに、とても恥ずかしかったけど。
それ以上に、唯と想いを通じ合わせることができたきっかけだから。
唯の言う通り、とても大切な思い出なのだ。
そう、それはまるで――。

「お待たせいたしました、カシスオレンジでございます」

まるでカシスオレンジのように、甘酸っぱい思い出。

「あずにゃん、そんなジュースみたいなお酒でいいのー?
 本当は、そこまでお酒弱いわけでもないでしょ?」

ウェイターが去るや否や、またからかうように言う唯。
まったく、なんで私がこれを頼んだか分かっているくせに。というか…。

「唯だって同じの頼んでるじゃん。それこそ、結構お酒強いくせに」
「へへ、まぁねー。弱くはないけど、でも今日はやっぱりコレだよねー、私たちは。
 それじゃ、乾杯しよっか…2人の記念日に」

あの日と変わらない笑顔で言う唯。
そう、今日は私が成人してから初めて迎えるあの日――私たちが結ばれた記念日だ。
「テイスト」ではなくちゃんとアルコールの入った、
本物のカシスオレンジのグラスをカチンと合わせる。

「…うん、美味しい。
 あずにゃんの誕生日にムギちゃんが作ってくれたのには、さすがに負けるけど」
「そういうこと言わないの。
 ムギ先輩が使う材料は、そこら辺で手に入るようなものじゃないんだから。
 比べる方が酷だよ」

もっとも、ムギ先輩も単に高級品を使うだけではなくて、
一番美味しくなる銘柄の組み合わせや分量のパターンを見つけるべく、
技法の練習とあわせてかなりの試行錯誤を重ねたらしいけど。
「唯ちゃんと梓ちゃんみたいに、最高の味を引き出す組み合わせを探すのは大変だったわ」
なんて、やたらいい笑顔で言っていた。
なんでも他のカクテルはほとんど作ったことがないそうで、
私たちに飲ませるためだけに、カシスオレンジだけひたすら研究したらしい。
「いつもご馳走になってるお礼よ♪」と言われたけど、何のことかは聞かないでおいた。
「今度は『ユイアズ』っていうオリジナルカクテルを考案するわね」
とも言ってたけど、どんなレシピになるんだろう。
とりあえず、ストレートすぎる名前だけは考え直して欲しいと頼んでおいた。
(ちなみに、それを聞いた律先輩は「『ユイアズ』は夜な夜なベッドで作ってるもんな」
 とか下品極まりないことを言って澪先輩にブッ飛ばされていた。懲りない人だ)

「うーん、美味しいけどやっぱりちょっと物足りないなー。
 これ飲んだら他のを頼もっと。あずにゃんはどうする?」
「私は別にいいよ」
「『スクリュードライバー』とか、オススメだよ!」

やけに力強くそう勧めてくる唯の顔は、ちょっとイヤラシい笑み。
良くも悪くも素直なところは相変わらずだ。
私は冷ややかな視線を送りながら言う。

「『レディー・キラー』って呼ばれてるやつでしょ?それ。
 女の子にそんなの勧めるなんて、下心が丸見えだよ」
「私だって女の子なんだけどー。
 んー、やっぱりバレちゃったか。あずにゃんを酔いにゃんにしてムフフ計画」
「本人の前でそれを言う?まったく、えっちなんだから…」
「てへ♪」
「かわいく言ってもダメ」

もう少しムードってものを考えて欲しい。
自分だって女の子だと主張するなら、そういうところはもっと慎ましく…。
なんて、酔ったフリをして唯の身体を堪能した私が言えたことじゃないか。

「女の子にだってえっちな気持ちはあるんだよ!」
「そこは『フンス』ってするところじゃないよ、もう…。
 まあとにかく、今は別にあんまりお酒で酔いたいとも思わないからね」
「?」

だって私は、ずっとあなたに酔っているから。
これまでも、そしてこれからも。
共に重ねた時の分だけ、より強く。
それに――。

「今夜は、唯が私のこと、いつもよりいっぱい酔わせてくれるんでしょ?」

唯は一瞬きょとんとした表情になる。
それはあの頃と同じあどけなさを残した、愛らしいもの。
でもその次に「にっ」と浮かべた、大人っぽさの中にいたずらっぽさを
1dash加えたような妖艶な笑みは、あの頃は見られなくて、今も私にしか見せないもの。
絶妙なステアで見せられて、また少し酔いが回る。
この人は、私を酔わせるレシピを、いったいいくつ持ってるんだろう。

「もちろん。梓のこと、二日酔いになるくらいまで、メロメロに酔わせてあげるよ。
 覚悟したまえよ、私のかわいい子猫ちゃん♪」
「む…言っとくけど、私だって酔わされっぱなしで終わるつもりはないからね。
 唯の方こそ、油断して私に酔いつぶされても知らないんだから」
「はいはい、期待してるよん」

人を子供…というか子猫扱いしてくる唯に少しムッとして強がってはみたけど、
今までそう言って実際に彼女を先に酔いつぶすことができたことは少なく、
なかなかあの日のように攻める側に回ることはできなかった。
多分今夜もまた、私が先に酔いつぶされてしまうのだろう。
けど、それも全然イヤじゃない。
つぶれてしまうほどに、愛する人に酔えるなんて、酔わせてもらえるなんて。
これほど幸せなことはないのだから。

だから――これからもずっと私を酔わせ続けてね、唯。

「楽しみだねー、私とあずにゃんの愛のカクテル作り♪」
「よくそういう恥ずかしいこと言えるよね…。
 っていうか場所が場所だし、そろそろやめようよこの話」
「できるのはやっぱり、かわいい子猫ちゃんにちなんで『プッシーキャット』かな~」
「聞いてよ…あとそれはノンアルコールカクテルだよ」
「でも、ノンアルコールで酔うの、得意でしょ?」
「…っ、だからぁ!」
「はいはい、いい子いい子♪」
「…もう、ばか…」

END


  • こwれwうぁw良い…!凄く良い!! -- (名無しさん) 2011-01-22 15:00:48
  • 非常にいいですね・・・ -- (名無しさん) 2011-01-23 02:19:13
  • 良すぎる・・・ -- (名無しさん) 2012-09-12 22:44:33
  • いい -- (名無しさん) 2012-09-19 21:04:14
  • 素晴らしい -- (名無しさん) 2012-10-15 17:29:48
  • お話に酔った〜。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-10 19:43:24
  • 素晴らしい -- (名無しさん) 2016-04-16 19:03:22
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最終更新:2011年01月21日 20:39