──いやはや……驚いたね、どうも。
逃げるゆっくり共を追いかけて山の藪の中を歩いているときから、もしかしてとは
思っていた。
辿り着いた開けた場所には饅頭が2匹いるだけだったが、まずその2匹が普通じゃ
ない。一匹は、饅頭共にしちゃやけにでかかった。追いかけてた饅頭のうちの1匹が
「ドス」と呼んでいたが、それにしては旅人が噂話に聞かせてくれた、化け物じみた
大きさでもない。
それでも饅頭共にしては、でかすぎだ。上背は小柄な女ほどだが、目方は自分を軽
く超えているだろう。そのでかいのを見て、自分のすぐ後ろにくっついてきた小僧が
ヒッと小さく声を上げた。どこまで小せぇんだか、こいつは。鉈を持ってついてきた
わりに、人の後ろに隠れてばかりで、枝の一つも払わねぇ。弟分を気取るのなら、兄
貴に気の一つも遣ってみろってんだ。
でかいのにも興味は尽きないが、もう1匹の方がまた飛び切りだ。
片目が、ない。
髪は黒だし、リボンをつけてる。そして、この場所にも憶えがある。
──あの時の「もったいねぇ」饅頭で、間違いなさそうだ。
すっかり大きくなったものだ。人だったら、年頃ってところだろうか。つくづく、
もったいない。
片目を無くし、そこは引きつった傷跡になっているというのに、面付きを悪くする
その傷があってさえなお、凜とした美しさを感じさせた。
──饅頭相手に、何を思っているんだか。
そう、饅頭の分際で、だ。
全く、どこまでも……
もったいないったらありゃしねぇ。
なんで人間じゃねぇんだ?
人の身の、女に生まれついてくれてりゃ良かったものを。
さぞや震い付きたくなるような、佳い女になってただろうに。
紫饅頭がぎゃーすか叫いているのを聞き流し、そんなつまらないことを考えている
と、面白い2匹が目を閉じた。
そして、ゆっくりと目を開いたときには……表情というものが、綺麗に消えていた。
まったくもって、驚かせてくれる。
寄ると触ると突っつくと、とにもかくにも、がなり立てて顔を歪めなくちゃ収まら
ないのが饅頭共のはずだ。
だから、饅頭を責め嬲ることを喜ぶヤツがいる。だからこそ、俺の憂さ晴らしにも
なってくれる。そんな饅頭共だから、どう責めて、どう嬲ればいいか、面白いように
よくわかる。
お構いなしに潰して喜ぶ、小せぇ上に浅い小僧はどうだかしらないが、饅頭を責め
たり嬲ったりするヤツは、たいていそう思っているはずだ。声を上げてくれなきゃ、
つまらねぇ。どう顔を歪めるかが、楽しみだ……と。
今のあの2匹は、駄目だ。責めても動じない。嬲っても面白くない。ましてただ潰
すだけなんて、胸のむかつきが余計に酷くなるばかりだ。
「まりさ! れい……むぎょぉお!?」
それに比べて、この紫饅頭は悪くない。よく喋るあたり、期待が持てる。
「どぼじでおんだじおがおだどぉおおおおおおおお!!!?」
紫饅頭が、2匹を見ながら悲鳴を上げ始めた。崩れるのがずいぶんと早い。悪くな
かったとしても、長くは楽しめないかもしれない。
「どぼじでぇええええええええっ!!!?」
今度はこっちを向いてやかましく叫びやがる。後ろで小僧が、引きつった声を漏ら
し始めた。我慢の限界が近いらしい。
「おんだじおがお、やべでぇええええええええっ!!」
やめろと言われて、やめる気はない。どうしてと言われたって、知るものか。
俺が表情を消すのは、腹の内を読まれたくないからだ。人間相手でも饅頭相手でも。
面がある者同士なら、顔色を伺うってことをやる。そうやって、こっちの腹を知った
つもりになられると、胸のむかつきが増してしまう。
商談の最中も、人を問い詰めているときも、饅頭を責め嬲っているときも、腹は読
まれないに越したことはないのだ。
あの2匹がどういうつもりで表情を消したのかは知らねぇが、顔が飛び跳ねている
ような饅頭共には、やっぱり顔色から何も伺えないってのは、恐ろしいことらしい。
「人間さん……」
遠くから、嗄れた声が聞こえてきた。
どこからかのろのろと、別の饅頭がこちらへとやってきた。ずいぶんと年寄りらし
い。夕日を浴びている髪は真っ白にしか見えないし、顔もヒビだか皺だかわからない
ものが縦横に走ってクシャクシャだ。
「長……? どうして出てきたの? ゆっくりお家へ戻ってね」
「れいむ達に任せて、長はゆっくり隠れていてね」
無表情でいることにも慣れてきたのか、気持ちの欠片も面には出さずに、2匹が言
った。どうやらあの年寄りは、この群れの長らしい。そしてこの2匹は、長を大切に
思っている。
──表情を消したって、喋りゃ読まれるものもあるんだぜ。
こっちは、先ほどから勝手に腹の内で喋っているだけだ。誰にも聞こえないだろう
し、今誰かに聞かせるほどの言葉もない。
その年寄り饅頭はたっぷりと時間をかけて俺のすぐ前まで来ると、顔面を地べたに
擦りつけ始めた。
「どうか、この群れを許してください。この群れは、人間さんに近づかないことを決
まりにして、みんな守ってきたんです。私はどうなっても良いですから、どうか……」
「ヒャァアアア! 我慢出来ねぇ!」
小僧が飛び出して、振り上げた鉈を年寄り饅頭に叩き付けた。悲鳴さえ上げずに、
年寄り饅頭が真ん中から潰れる。
「お……長になんてことするのぉおおおっ!?」
片目のあいつが、飛び跳ねた。怒りと悲しみが綯い交ぜになった表情で、小僧に突
っ込んでいく。そうだとも。そうでなくちゃいけない。
──お前は、親のために自分を投げさせたんだ。長が大事なら、それが当然だよな。
耳障りな声を上げて、小僧が鉈を振りかぶる。片目は怯え一つ浮かべていない。で
か物は、泣きそうな顔でこちらへ来ようとしている。
順に小僧の鉈が潰していって、終わり。実につまらない。むかつきが溜まりそうだ。
「ゥヒョばらぶげっ!!」
奇妙な声を上げて、小僧が真横へ吹っ飛んだ。考えていたこととは、まるで関係の
ない動きを体が勝手にやらかしやがった。自分が殴り飛ばしたのだと、すぐには気づ
かなかったほどだ。だが、悪い気分じゃない。むかつきがいくらか、すっと収まって
いくのを感じる。なにせさっきのは、あの小僧の口から出た音の中じゃ、今までで一
番上等だったのだ。
目標を失った片目が、俺の股間に顔を埋めるようにぶつかってきやがった。柔らか
い饅頭が飛び跳ねてぶつかってきた程度じゃ、たいして痛くもないが……勘弁してく
れよ、おい。
「……すまねぇな」
「ゆ?」
ぎゃーすか叫き始めた小僧を見やると、村の連中が三人ほどで抑さえつけていた。
鉈は取り上げ、一人が首を絞めるように、さらに二人がかりで脚を一本ずつ抱えるよ
うに抑え込んでいる。
俺と目があったヤツ……首を絞めるようにしてる男が、わかっているとでも言うよ
うに頷いてきた。
──さてね。おめぇさん、どこまでわかっていらっしゃるやら。
あくまでも腹の中で、軽く鼻で笑い飛ばすと、片目の側へとしゃがみ込んだ。
片目のすぐ後ろに、でか物もやってくる。そのでか物が、悲しい気持ちを面いっぱ
いに広げて、口を開いた。
「長を……!」
「もう、返すことは出来ねぇ。戻すことは出来ねぇ。何をやっても、どう言っても、
済まないことをしたから『すまねぇ』としか言えねぇんだよ」
「ゆぁ……! 長……おさぁ……!」
「人間さん、またれいむのお目々で許してあげてね?」
「れいむぅ!?」
「このお目々をあげるから、群れのみんなは許してあげてね?」
饅頭のくせしやがって、きっちりと憶えていたらしい。
だったら、せっかくだ。気持ちを面の上へ剥き出しにしてる饅頭2匹に、なんとな
くこっちの面も動かしてやろうという気持ちになった。
にやりと笑いかけながら、答える。
「いらねぇよ」
「「……ゆぁ!?」」
目の前の片目も、後ろにいるでか物まで、頬を染めやがった。おい待て饅頭。どう
いうこった、そりゃ?
「お、お兄さん……?」
「なにがお兄さんだ、馬鹿野郎。おめぇさんの目ん玉はな、おめぇさんがまだガキの
頃にしゃぶらせてもらっただろうが。もうたくさんだよ」
「じゃ……じゃ、じゃあ……」
「代わりにもらうもんもあるしな」
「代わり……?」
「一匹も逃がすな。だがな、ここで潰すんじゃねぇぞ」
少しだけ声を張り、指示を出す。短い返事と共に村の連中やうちの者が、この2匹
以外の饅頭に飛びかかり、捕まえていく。饅頭共の悲鳴と、人間共のかけ声で、急に
あたりが騒がしくなった。潰さないとなると、ちょいと手間だろうが……まぁ、それ
もたいして苦労はしないだろう。
「人間もな、悪くもねぇ連中に、酷いことはしたくねぇんだ。おめぇさん達が相手で
も、それは変わらねぇ」
また、心にもないことを言っている。だが、これを聞いている村の連中もいるはず
だ。だから、言っておいて損はない。
「けどな、田畑を荒らしたヤツは別さ。許しちゃおけねぇよ」
「で、でも……でも、放っておけないよ! まりさのお目々は!? まりさのお目々
を上げるから、ぱちゅりーやみんなを許してあげてね!」
「まりさ!?」
「あいつらぁ、おめぇさん達に罪をなすりつけようとしたんだろう?」
「だからって、知らんぷりのままはゆっくり出来ないよ! まりさはお目々が二つあ
るよ! どっちでも良いから、ゆっくり選んでね!」
「選べと言われてもな……」
「両方でも良いよ!」
「……いらねぇ」
「ゆぁあああっ!? どうしてぇえ!?」
「そんなでけぇ目ん玉、俺の口には入らねぇからだよ」
「ゆ……ゆぅぅ……まりさが大きいから……」
「ゆっくり出来ないとか言うのなら、ゆっくりせずに、二度とこんなことがないよう
にするこった」
いらないいらないと手を振りながら立ち上がり、ぐるりと見渡す。畑荒らしの饅頭
はあらかた捕まえたらしい。
うちの荒っぽい連中を纏めてるのが、若旦那などと呼びかけながら近づいてきた。
スッと、自分の面から表情が消えていくのを感じる。「若旦那」という呼ばれ方も、
好きではないのだ。あんまりにも自分の中身に似合わなさすぎて、ケツの穴がむず痒
くなる。
「森の中にでも入られたら面倒でしたが……なんなんでしょうね? そこらを駆けず
りまわるばっかりで……」
「俺に聞くなぃ。饅頭の考えることなんざ、わかるかよ」
「捕まえたのは、どうします?」
「空いてる蔵があったろ? そこにでも放り込んでおけ」
「……あの小僧は?」
「村のやつ何人かと、親のところへちゃんと帰してやりな。ついでに一部始終を聞か
せてやれ」
「はぁ……まだ、あんなのを飼っておく気ですか?」
「飼う気はねぇよ。勝手にくっついてくるだけで」
うんざりしているのだ。アレが饅頭だったら、嬲りもせずに叩き潰しちまうだろう。
人の端くれだから潰せねぇってのもあるが……
「なによりな、アレの親父はそこそこの地持ちだ」
「次男坊でしょうに、アレは」
「末っ子で甘やかされてんだ。なんにしても、息子にゃ違いねぇよ」
とにかく適当にやっておけと言い置いて、歩き出す。村へと降りていく方とは、正
反対に向かって。
最終更新:2009年01月11日 13:45