箱の中。ゆっくり一家は揺られながら、少しの不安を顔にあらわしつつ、寄り添ってい
た。全く新しい場所で新しい飼い主さんとの生活に不安を覚えるのも当然である。
「ゆゆっ、やさしそうなお兄さんだったね」
しかし、それも少しで済んでいるのは、迎えに来た青年が見るからに温和で優しそうだ
ったからだ。
「お兄さんの家族もやさしいんだろうね!」
「ゆゆーん、れいみゅ、みんにゃをゆっきゅちさせてあげりゅんだ」
「ゆゆん、そうなんだぜ、飼い主さんをゆっくりさせればまりさたちもゆっくりさせても
らえるんだぜ」
揺れる箱の中、親まりさは改めて子ゆっくりたちに教え聞かせる。
「人間さんは色々な人がいて、ゆっくりできることも色々なんだぜ。どうしても人間さん
がゆっくりできてなかったら素直に聞くんだぜ、どうしたらゆっくりできるのか。……で
も、それを当たり前に思ったら駄目なんだぜ。初めて見る人には、今までお父さんとお母
さんが教えたゆっくりでいくんだぜ」
懇々と説く親まりさの顔は真剣だ。
「飼い主さんをゆっくりさせるんだぜ、そうすればゆっくりできるんだぜ」
親まりさがそう言った時、揺れが止まった。何か安定したものの上に箱が置かれたらし
かった。
暗かった箱の中に光が差す。蓋が開かれたのだ。
「うん、確かに」
見たことにない男が、箱の中を覗き込んでいた。
「それじゃ、まいど」
これは先ほどの青年の声だ。
「よし、出ろ」
乱暴に、男が箱を横倒しにしたので、ゆっくり一家はころころと転がり出てしまった。
咄嗟に親まりさが子まりさを、親れいむが子れいむを庇っているのはさすがである。
無造作に男の手が伸びてきて、両親のお飾りについている金バッチを確認する。
「ふんふん、ちゃんとした金バッチのようだな」
さらに男は箱と一緒に青年が持ってきた封筒に入っていた金
バッチ試験の合格証書を見
て笑いながら頷いた。
「ゆゆぅ……」
子ゆっくりたちが怯えている。さっきの優しそうな青年がいなくなって、なんだかゆっ
くりできない人間がいる。笑っているが、全然ゆっくりできない笑いだ。
「ゆ、ゆっくりしていってね!」
親まりさが子供たちの怯えを見て取って、その前に出て言った。
「新しい飼い主さん、ゆっくりしていってね!」
親れいむもそれに倣う。しっかりと位置は男と子ゆっくりの間だ。
「……」
男は、じろりと一家を見る。
「まりさたち、飼い主さんをゆっくりさせてあげたいから、なんでも言ってね」
「れいむたち、がんばるよ! ゆっくりしていってね!」
にこやかに、ゆっくりした笑顔で話しかける。
「……」
が、無視。相変わらず、じろじろと一家を見ている。
「ゆぅ……飼い主さん、まりさたちに悪いところがあったら言ってね」
「れ、れいむたち、がんばってなおすよ」
男の雰囲気に気圧されつつも健気に言った親れいむを衝撃が襲ったのは次の瞬間だった。
「ゆびぃぃぃぃ!」
一家は男の腰の高さぐらいのテーブルの上に乗っていたが、親れいむがそこから転がり
落ちていく。
「ゆっ! ゆっ! ゆっ!」
親まりさは、何が起きたのかわからずに戸惑う。
「ゆべっ!」
だが、その親まりさも衝撃を受けて宙を舞っていた。その時ようやく衝撃の正体がわか
った。なんのことはない、男が殴ったのだ。
「ゆわぁぁぁぁん! にゃ、にゃんでぇぇぇぇ!」
「ゆぴゃあああん、きょわいよぉぉぉぉ!」
しっかり躾けられてはいても、ここまであからさまな暴力の恐怖を身近に感じたことは
ない子ゆっくりたちは、すっかり混乱して泣き叫んでいる。
「……」
男は依然として何も言わない。無言のまま握り拳を子ゆっくりの前へ持ってくる。
「ゆ、ゆぅ」
「や、やめちぇね、いちゃいことしにゃいで、ゆぴ!」
懇願した子まりさを男の中指が弾いた。それだけの衝撃でも小さな子まりさが後ろに転
がって激痛に泣き喚くには十分であった。
「いぢゃいぃぃぃぃ、おどうじゃぁぁぁん、おがあじゃぁぁぁん!」
「ゆ、まりしゃ! や、やめちぇあげちぇね、いたがっちぇ、ゆぴ!」
制止しようとした子れいむだが、次の標的はその子れいむだった。同じく親指に引っ掛
けて弾き出された中指が襲ってきて子れいむを叩く。
「いっぢゃぃぃぃぃぃ!」
「ゆゆ、やめてあげてね、おちびちゃんたち痛がってるよ!」
「やめるんだぜ、まりさたちが悪いごどしたならあやばるんだぜ、だからおちびには痛い
ことしないで欲しいんだぜ」
親れいむと親まりさが、ぽよんぽよんと戻ってきた。
「……」
男は無言。そして、蹴り。
親れいむと、そして親まりさを、立て続けに蹴り飛ばし、二匹は壁に激突する。
「ゆぴゃあああああ」
「やめぢぇぇぇぇ!」
それを見て、子ゆっくりはさらに泣き喚く。
「……」
やはり男は無言。
そして子ゆっくりにデコピン、デコピン、デコピン。
ぴし。
「いぢゃぃぃぃ、やめぢぇぇぇ!」
ぴし。
「ゆびっ、ゆるじでぐだちゃぃぃぃ」
ぴし。
「まりしゃ、にゃんにもわりゅいごとじでにゃいよぉぉぉぉぉ」
ぴし。
「れいびゅもだよぉ、かいぬししゃん、ごめんなちゃい、ゆるちちぇくだしゃいいい」
ぴし。
「にゃ、にゃんで、にゃんでおこっちぇるのぉぉぉ! まりしゃたち、かいぬししゃんを
ゆっきゅちさせちぇあげちゃいのにぃぃぃぃ」
ぴし。
「にゃんでもいってくだちゃいぃぃぃ、ゆっきゅちさせまちゅぅぅぅ」
そうしているうちに両親が戻ってくる。
「おちびぢゃあああ、ゆべ!
「ご、ごめんなさいなんだぜ、あやばるからゆるじでなんだぜ、ゆべ!」
言ってることなんかほとんど聞かずに思い切り蹴る。
一家は痛みに涙を流し、大切な家族が傷付くのに涙を流し、自分たちの言葉が聞かれな
いのに涙を流した。
なんだかとてつもなくゆっくりしていない人間だ。どうすればいいのか。どうすればゆ
っくりしてくれるのか。
何度も何度も言った。どうしたらゆっくりできるかを教えてくれ。その通りにするから
と、何度も何度も、何度も何度も。その度に殴られ蹴られ、弾かれながら、何度も何度も
言った。
「っと……」
初めて、男が感情を顔に現し、声を出した。
「ゆゆぅぅぅ、おそらを、ゆぴ!」
強く弾いたせいで、子まりさがテーブルから落ちてしまったのだ。床に激突した際に、
子まりさは餡子を吐いた。
「ゆ゛あ、あ、あ、あ、あ」
親れいむは、それまでは高いテーブルの上で姿が見えず、聞こえる声でゆっくりしてい
ない目に合っているだろうことはわかっていたが、いざ目の前に傷付き瀕死状態になって
いる子まりさを見せ付けられて、感情が一気に弾けた。
金バッチ? 人間さんをゆっくりさせる? クソ喰らえだ。
このままでは子まりさが死んでしまう。
「ゆぅ……いぢゃいこどするにんげんしゃんは……ゆっぎゅち、ちね」
子まりさは息も絶え絶えになりつつ、はっきりと言った。それを聞いて、親れいむの感
情が遂に一線を超えた。線の先には怒り、ただ怒りあるのみ。
ゆっくりしね。
知識としては知っていても、そんな言葉を口にする子じゃなかった。とってもゆっくり
したおちびのまりさ、新しい飼い主さんをゆっくりさせてあげるんだと張り切っていた。
そんないい子に、そんなことを言わせた奴がいる。あの男だ。許せない。
「やべろぉぉぉぉぉ! おちびぢゃんを殺そうとずるにんげんはクズだよっ! ゆっくり
しねえええええ!」
親れいむが男に飛び掛る。男はしっかりと親れいむを受け止めて、後頭部を掴む。指が
体の内部にめり込むほどに力を入れる。
「ゆびぃぃぃぃ!」
親れいむの悲鳴が上がる。男は微かに呼吸してなんとか命を繋いでいる子まりさの側ま
で行くとしゃがみ込む。
「ゆ、ゆっぎゅち、ちね」
「ゆっぐりじねえええええ!」
「死ぬのはお前らだ。ゲス」
男は、親れいむを掴んでいた手を振り上げて、思い切り下ろして親れいむの底部を床に
叩き付けた。ぶち、と親れいむの底部に嫌ぁな感触。
そこには……そこには確か……。
「も……ぢょ……ゆ……ぎゅ……ちだが……ちゃ」
もっちょゆっきゅちちたかった、と言いたかったのだろう。子まりさは切れ切れの断末
魔を残して潰されて死んだ。愛する母親を凶器にして。
「次はお前だ」
男が露骨な悪意を顔中に浮き立たせて親れいむをそのまま幾度も子まりさの死骸に叩き
つける。
「やべでえええ! おちびぢゃんがあああああ!」
「おらっ、おらっ!」
「や、やべろぉぉぉぉ、このクズぅぅぅぅぅ!」
子供の死、迫る愛する伴侶の死。それらを目の当たりにして、とうとう親まりさもキレ
た。二度と口にすまいと思った言葉が溢れ出る。
「クズ! クズ人間! ゆっぐりじねえええええ!」
「おらあっ!」
渾身の力で跳ねた親まりさだったが、男に蹴り飛ばされてしまう。
「こっちにもゲスがいたか、制裁してやる」
男が近付いてくる。
ゲス。
ゲスか。
だが、それならば、男はなんなのだ。なんにも悪いことをしていない子まりさを惨たら
しく殺して、それはゲスではないのか。自分たちは何度も聞いたではないか、悪い所があ
ったら言ってくれと、謝ると、悪い所は直すと、答えはどこにあるのだ。
答え――。
飼い主さんをゆっくりさせるべし、と教えられて育った。
最初の飼い主さんを、ゆっくりさせてあげたつもりだ。しかし、何時の間にか自分たち
はゲスになってしまっていて、最初の飼い主さん以外の人間をとってもゆっくりできなく
してしまった。
だから、次の飼い主さんには捨てられた。でも、その次の飼い主さんのところで反省し
て、子供たちを失い、再び金バッチの輝きを取り戻し、新しい子供を作って、そして新し
い飼い主さんのところへ来た。
自分もれいむも子供たちも、新しい飼い主さんをゆっくりさせてあげたいと願っていた。
自分たちはバッチの輝きに負けないゆっくりしたゆっくりだ。きっと飼い主さんもゆっく
りしてくれる。もしもゆっくりしてくれなかったら、どうしたらゆっくりできるのかを聞
いて、飼い主さんがゆっくりできるように頑張ろう。みんなでそう誓っていた。
そして、そこで与えられたのは無言の暴力だ。理由すら教えてもらえない。ただひたす
ら暴力を振るわれる。
答えは、どこだ。
一体、どうすればよかったのだ。どうすれば子まりさは死なずに済んだのだ。
「どうじろっでいうんだぜえええ! どうじたらよがったんだぜええええ!」
叫んだまりさの顔に、餡子がついた。
目の前で、れいむが死んでいた。男が叩き付けた後に踏み潰したのだ。
「れいぶぅぅぅぅぅ! じ、じねえええ! ゆっぐりじねええええ!」
まりさは必死に男の足に体当たりする。ぽむ、ぽむ、ぽむ。
「やめぢぇぇぇ、みんにゃ、ゆっぎゅぢぢねとか言っちゃらめぇぇぇ! ゆっぎゅぢでき
にゃいよぉぉぉぉ!」
この期に及んで、テーブルの上の子れいむはそんなことを言っていた。
男はまりさを踏み潰してからその子れいむの声に気付き、少し驚いた顔をしてから、お
もむろに拍手し出した。
「はい、おめでとー、れいむは合格だよっ!」
「ゆ? ゆ゛ぅ?」
何が何やらわからぬ子れいむに男の手が伸びる。
「ゆぴっ!」
それを恐れて縮こまる子れいむを男は優しく掌に乗せた。
「もう怖がらないでいいよー」
「ゆ? ゆゆ?」
「に、にんげん、ざん」
「っと、生きてたのか」
足元の親まりさが声を出したのに、てっきり死んだと思っていた男は驚いた。
「ど、どういうごとなんだぜ……」
「……だから、今のは試験だったんだよ!」
「し……しげ、ん?」
「うん、君たちは一度ゲスになったんだろ。だから、本当に更生したのか試験したのさ。
……残念ながら、君も大きなれいむも小さなまりさも、ゆっくりしね、なんてゲスの本性
を出したから不合格になっちゃったけどね」
「ゆ゛……ゆ゛ゆ゛……」
答えが、あった。
殴られても蹴られても、耐えていれば、そこに答えがあったのだ。
「れ……れいぶは……そのおちびは……ごうかく、なんだぜ?」
「うん、この子はゲスじゃないみたいだからゆっくりさせてあげるさ。もちろん、代わり
に僕もゆっくりさせてもらうけどね!」
「ゆ゛……にん、げん、ざん、れいぶと……さいごに……話、じだいんだ、ぜ」
「……いいだろう。ほら」
男が、死に行くまりさの前に子れいむを置いた。指で弾かれて傷付いているが、命に別
状は無いだろうその姿を見て、まりさは安堵のため息を漏らす。
「お、おぢょーじゃぁぁぁん、ちんじゃやじゃああああ」
「れ、れいぶ、飼い主ざんの言うごど聞いでゆっぐりさぜてあげるんだぜ、ぞうすれば、
れいぶもゆっぐりさぜで、もらえるん、だぜ」
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆっぎゅちりがいしぢゃよ!」
「ゆ゛ゆ゛ーん、いい子なんだぜ、さすが、まりざとれいぶの、おぢび、だ、ぜ」
「お、おぢょーじゃん、おぢょーじゃぁぁぁぁぁぁん!」
子れいむがすがり付いて泣き叫ぶ。もう、まりさは何も言わない。
みんな、苦しんで死んだ。
れみりゃに食べられた子供たち。
母親を凶器に殺された子供。
子供の死を見せ付けられ踏み潰された番のれいむ。
あの最後に残った子れいむだけは、あの子れいむだけは、ゆっくりとした笑顔で死ねる
ようにまりさは願った。
まりさは、死んだ。
残された子れいむが答えを見付けて、これからはゆっくりできるであろうと信じて死ん
だ。
一家が、この部屋に入った瞬間、いや、一昨日ここに引き取られることが決まった瞬間
に、もう正しい答えなど無かったのだということを知らぬままに死んだのは、幸せであっ
た、と言い切れるものではないが、それでも、知ってから死ぬよりかは遙かにマシであっ
たことは間違いない。