「はじめまちて。まりさはまりさなのじぇ。」
鬼井の前に、ぐっと胸を張った子まりさがいる。
そう、先日頼んだ無料お試し版が、ようやく届いたのだ。
鬼井は、あぐらをかいたまま、挨拶をしようと、少しばかり背中を丸めた。
「えーと、僕は鬼井ね。おにいさんでいいよ。よろしく。」
「おにいさんよろしくなのじぇ。」
まりさは、ぺこりと頭を下げた。
まるで、土下座しているように見える。
「早速なんだけど、君は何ができるの?」
「まにゅあるをよんでほちいのじぇ。」
そう言うと、まりさは、自分が入っていた箱の中から、小さな冊子を引っ張り出した。
鬼井は、それを用心深く取り上げ、ぱらぱらとめくってみる。
日頃から機械を相手にしている鬼井にとって、こういうマニュアルは全く苦にならない。
難なく、求めていた情報を見つけ出した。
《物品の整理、床掃き、床・窓拭き、生ゴミの処理は、
ゆっくりの品種に関係なく可能です。
但し、壊れ物や貴重品に関しては、ゆっくりに任せないようお願い致します。
本・書類などの整理には、文字の読めるぱちゅ種が適しています。
狭い隙間を掃除させるときは、赤ゆっくりが最適です。
重労働を行わせる場合は、大人ゆっくりの購入をお勧め致します。
ありす種は、掃除の他に、裁縫もできます。
風呂・トイレの掃除は、水を使わない状態で行って下さい。
糞尿などの不衛生なゴミを処理をさせた場合、カビの原因になるおそれがあります。
劇薬などの特殊な化学物質の処理は、法令で定められた手続に従って下さい。》
「ふーん、一通りできるみたいだね。」
ただ、水回りの掃除に難があるようだ。
こればかりは、仕方のないことなのかもしれない。
「じゃあ、とりあえず、適当にこの部屋片付けてよ。」
「ゆぅ〜♪ゆっくりおかたづけするのじぇ♪」
子まりさは、にこりと笑うと、散らかった部屋をゆっくり掃除し始めた。
紙屑や空き缶を背負い、ぴょんぴょんと跳ねながら、一ヶ所にそれを積み上げていく。
そんなまりさの横で、鬼井はマニュアルを読み込む。
「なになに、《ご注文いただいた商品が、赤ゆっくり・子ゆっくりの場合は、
梱包に使われた箱が巣の代わりになります。使い方は、次のページをご覧下さい》か。」
隣のページには、巣の準備の仕方が、イラストで分かり易く図解されていた。
鬼井は、手順通り、まず箱の中にある付属キットや領収書を取り出し、
ティッシュペーパーを数枚、底に敷き詰める。
それから、付属キットのビニール袋を破り、小さな正方形の綿布を広げ、
なるべく皺ができないように、箱の中へ入れてやった。
マニュアルによれば、これがゆっくりの布団になるらしい。
「って、これだけ?」
嬉しそうな子れいむの絵と一緒に、説明はそこで終わっていた。
こうして完成した巣は、お世辞にも立派とは言えない。
もしかすると、野良ゆっくりの方が、まだましな巣作りをしているのではないだろうか。
「おにいたんちょっとどいてほちいのじぇ。」
背後から、まりさの声がした。
振り向くと、鬼井の尻のところで、まりさがこちらを見上げている。
「ああ、すまんすまん。」
まりさは、男の尻に潰されたマッチの空箱を口にくわえ、ゴミの山へ放り投げた。
鬼井にとっては、どうにも居場所がない状況だ。
これがもっと広いアパートなら、まりさの様子を横から観察することもできたのだろうが、
いかせん部屋が狭過ぎる。
鬼井は諦めて、しばらく散歩に出ることにした。
「ちょっと出掛けてくるよ。一時間くらいで戻る。」
「いってらっちゃいなのじぇ。」
部屋を出てドアに鍵を掛けたところで、鬼井は、ふと人影に気付いた。
見ると、大家の婆さんが、コンポストに生ゴミを入れているところだった。
「大家さん、おはようございます。」
「あら、鬼井さんじゃないの。今日は休みかしら。」
「ええ、久しぶりにゆっくりできます。」
そのとき、コンポートの中から、虫の鳴くような声がした。
「ゆっくりしていってね…。」
「まりさたちをここからゆっくりだしてね…。」
どうやら、中のゆっくりが、鬼井の台詞に反応してしまったらしい。
婆さんは、顔色ひとつ変えずに、持っていた箒でコンポストの中身をこづいた。
「ほらほら、さっさと食べないと、また腐ってお腹壊すよ。」
そう言えば先月、ゆっくりたちのストライキで、生ゴミが腐ってしまい、
庭で異臭がするという騒ぎがあった。
住人の中には、コンポストごと廃棄するように訴える人もいたが、
結局、婆さんが押し切り、ゆっくりたちが観念するまで放置されることになったのだ。
臭いが漏れ出すほどなので、容器の中は凄いことになっていたらしく、
腐ったゴミを耐えかねて処理したゆっくりたちの半分が、食中毒で死亡したという。
残りの半分も下痢まみれで生死の境を彷徨ったという噂だ。
「ゆぅ…うんうんさんとまらないのやだよぉ…。」
「むーしゃむーしゃ…ふしあわせぇ…。」
げに恐るべきはこの婆さん。
若い頃は、ゆ虐で一名を馳せていたとか何とか。
ただ、アパートの住人を巻き込むのは、さすがに勘弁して欲しい。
「そ、それじゃ、これで失礼致します。」
鬼井は、そそくさとその場を離れる。
婆さんも、そんな鬼井の態度を気に留めず、1階の南側にある管理人室へと戻っていった。
門を出たところで、鬼井は空を見上げた。
雲ひとつない青空。散歩には最適だ。
もっとも、朝から晩まで働きづくめの彼には、余暇を過ごすお気に入りの公園もなければ、
行きつけの喫茶店もない。
結局、コンビニで缶コーヒーを買い、それをちびちびと飲みながら、
普段通らない場所を散策することに決めた。
こうやってあてもなく街中を歩いていると、意外な発見があるものだ。
しかし、それがいつも愉快なものとは限らないけれども。
「「「「「「ゆ〜♪ゆゆ〜♪」」」」」」
今回鬼井が発見したのは、路地裏を占拠した、野良ゆっくりの合唱団だった。
れいむ種が1匹、逆さまになったビールケースの上で、メトロノームのように体を左右に振り、
その正面で、5匹のゆっくりが、リズムに合わせて歌を歌う。
この描写だけなら、なんとのどかな風景かと思われるかもしれないが、
残念なことに、ゆっくりの歌は、よほどのことがない限り、聞くに耐えない代物だ。
特に、都会で育った野良ゆっくりには、音程のメチャクチャなものが多い。
ある愛護学者によれば、それは、ゆっくりたちが都会の喧噪で音感を狂わされているせいらしいが、
鬼井には眉唾物の説だった。
「「「「「「ゆ〜は♪ゆ〜くりのゆ〜♪」」」」」」
野良ゆっくりは、普通、野生のゆっくりよりも強い警戒心を持っている。
日頃から、虐待虐殺される仲間を目の当たりにして、恐怖心を植え付けられているからだ。
しかし、こうやって歌に夢中になったりしていると、人間の接近に気付かないこともある。
鬼井は、物陰からこっそりと、この音痴なコーラスの処遇を考えていた。
駆除すべきか見逃すべきか、それが問題だ。
鬼井は、携帯を取り出し、時間を見る。
家を出てから、まだ20分しか経っていない。
「駆除しとくか…。」
他人の敷地とはいえ、近所に野良ゆっくりが大勢いるのは、あまり好ましくない。
いつアパートの庭で糞をされたり、窓ガラスを割られたりするのか、分かったものでないからだ。
とはいえ、どうやって駆除したものか。
加工場か保健所に通報する手もあるが、到着前にはいなくなってしまうかもしれない。
そう読んだ鬼井は、辺りを見回し、何かいい道具はないかと物色する。
彼が目をつけたのは、電柱の側に投げ捨てられた、お汁粉ドリンクの空き缶だった。
こんなものが道ばたに転がっていることからして、おそらくゆっくりたちの戦利品だろう。
鬼井は、気付かれないように、電柱の影から手を伸ばし、それを拾い上げる。
鬼井は、まだ半分近く残っているコーヒーを、お汁粉ドリンクの空き缶に移すと、
そのまま地面に置き、物陰からゆっくりたちの方向へ軽く蹴飛ばした。
カラン、という音と同時に、ゆっくりたちがこちらを振り向く。
鬼井は、電柱の背後で息を意潜め、ゆっくりたちの行動を観察する。
「ゆゆ?なにかあるのぜ?」
1匹のまりさ種が、遠目から慎重に様子を伺っている。
さすがに駄目か。鬼井は内心焦った。
「れいむあれしってるよ。とってもあまあまなのみものさんだよ。」
そう言って、さっきまで指揮を執っていたれいむが、ビールケースから飛び降りた。
「ずるいわ!ありすもあまあまさんのむわよ!」
「ひとりじめはだめなのぜ!」
一足先に飛び出したれいむを先頭に、他のゆっくりたちも釣られて駆け出した。
ゆっくりたちは、まるで蟻のように、地面にこぼれた液体の周りに群れ、
我先にと、溢れた中身に舌を伸ばす。
「ぺろぺろ…。ゆゆ!!」
「あまあまさんじゃないのぜ!」
「にがいよー!わからないよー!」
餌にありつけた喜びから一転、ゆっくりたちは地獄に突き落とされた。
彼らにとって、コーヒーは、赤ゆっくりなら浴びただけで死んでしまうほどの猛毒だ。
無論、成人ゆっくりが少量舐めた程度では、死には至らない。
しかし、それがかえって、彼らを苦しめることになる。
「ゆっぐじぃ…げろろ…。」
先陣を切ったれいむが、口から餡を吐き出す。
それを合図に、他のゆっくりたちも、次々と嘔吐を始めた。
いわゆるもらいゲロというやつだ。
人間なら阿鼻叫喚の汚物絵図というところだが、中身が中身だけに、そこまで汚くはない。
「ゆべべ…まりざのあんごぉ…。」
弱り切ったところで、鬼井が物陰から姿を現した。
右手には、側で拾ったコンクリートブロックが握られている。
「ゆぅ…にんげんじゃん…だずげでぇ…。」
「ぎぼじわるいよぉ…。」
「まりざまだじにだぐなぶべ!」
涙を流しながら助けを求めるまりさの上に、鬼井の腕が振り下ろされた。
餡が詰まったその物体は、音も立てずに真ん中からぐにゃりと両断される。
寒天質の目玉が飛び出し、上下の穴から、大量の餡が吹き出した。
「やべでえぇ!!!ゆっぐじじよおぉ!!!」
「わがらないよおぉ!!!」
他のゆっくりたちも、鬼井の目的をようやく察したようだ。
泣き喚きながら、必死でその場を離れようとする。
だが、コーヒーを摂取した彼らは、なめくじのようにゆっくり這い回ることしかできない。
鬼井は、一匹、また一匹と、手際良く潰していく。
そこには、虐待マニアのようなねちっこい動作は微塵もない。
ゆっくりを駆除する。それだけのことだ。
「ゆっぐ…ゆっぐ…でいぶをごろざないでぇ…。」
最後に残ったのは、あのリーダー格のれいむだった。
既に中身が残っていないのではないかと思うほど、盛大に脱糞している。
「で、でいぶゆっぐじなおうだ…い、いっばいじっでるよ…。ゆ、ゆは、ゆっぐりの、ゆばべ!」
コンクリートの塊がれいむの腹にめり込み、
まるで漫画のように、内容物が口からがぶっと吐き出される。
それから2、3度大きく痙攣したかと思うと、ぐったりと地面に倒れ込んだ。
まだモミアゲがぴこぴこしているものの、生命の反応はもはやなかった。
「ふぅ…。」
こうして、ゆっくり駆除は終わった。
鬼井は、周囲を眺め、肩を落とす。
なるべく散らからないようにやったつもりだったが、あちこちに餡が飛び散っていた。
「ここからが面倒なんだよな…。」
鬼井は、溜め息まじりにそう呟くと、元ゆっくりだったものの片付けに取りかかった。
「ただいまー。」
ビニール袋片手に、鬼井はドアを開けた。
外は、もう暮れなずんでいる。
几帳面な性格の彼は、ここにも餡があそこにも餡が、と掃除を続けているうちに、
路地裏をすっかり奇麗にしてしまっていた。
しかも、体の汚れを落とすため、ついでに銭湯へ寄って来たというわけだ。
着替えを持っていなかったが、鬼井はそんなことを気にする性格ではない。
「おかえりなちゃいなのじぇ。」
奥の方から、まりさがぴょんぴょんと跳ねてくる。
あたりを見回すと、部屋の中は見違えるほど片付いていた。
「おお、凄いな。まりさ、えらいぞ。」
「まりさはゆっくりおかたづけとくいなのじぇ。」
鬼井は、スーパーで買ったゆっくり用の餌を取り出し、テーブルの上に置く。
「腹減っただろう。飯にするか。」
ところが、まりさは、体を左右に振った。
ノーという意味だろうか。
「ごはんはいらないのじぇ。」
「え?でも今日一日、何も食べてないだろ?」
「さっきたべたのじぇ。」
鬼井は、もう一度あたりを念入りに見回す。
この部屋には、食糧になるものなど何もない。
冷蔵庫にも、ビール缶が2、3本冷やしてあるだけだ。
「何を食べたんだい。」
「ちらしさんとほこりさんなのじぇ。」
鬼井は、声を失った。
聞き間違えかと思ったが、まりさの返事は、幻聴ではない。
「つまり…ゴミを食べたってこと…?」
まりさは、こくりと頷いた。
頷いたと言っても、全身を前に屈めただけだが。
鬼井は、テーブルの上に置かれたマニュアルを手にし、ページをめくった。
【餌について】という項目を見つけ、急いで目を通す。
《当社のゆっくりは、残飯の他に、紙くず、ほこりなどを処理することができます。
ゆっくりはもともと雑食性ですので、健康上の問題はありません。
但し、飲食可能かどうかは、ゆっくり自身に判断させ、無理矢理嚥下させないで下さい。
万が一、何らかのアレルギー反応などを起こした場合は、サービスセンターへご連絡下さい。》
さすがに、これは予想の斜め上だった。
他のページは念入りに読んでいたが、餌に関しては飼いゆっくりと同じものと早合点して、
ここだけ読み飛ばしてしまったのだ。
「そんなもの食べて大丈夫なの?」
鬼井は、まりさの顔を上から覗き込む。
いくら雑食性とはいえ、限度というものがあるのではないか。
確かに、貧窮した芸人が、ティッシュにマヨネーズをかけて飢えをしのいだという話を、
鬼井はインターネットの掲示板で読んだことがある。
そう考えると、紙くずなどは、案外食べても大丈夫なのかもしれない。
しかし、床に溜まっていたほこりが安全な食べ物とは、どうしても思えなかった。
「んー…あのさ…別にそういうのは処理しなくていいよ。」
「なんでなのじぇ。ちりがみさんもほこりさんも、まりさはだいすきなのじぇ。」
いったい、どういう教育をしているんだ。
鬼井は、改めて、このダスキユという会社に興味を持った。
ゆっくりブリーダーでも、ここまで従順なゆっくりは、なかなか育てられない。
いや、これではもはや、洗脳ではなかろうか。
「そ、そうか。でも、この部屋のゴミは、俺が仕事場から持ち込んだものもあるし、
あんまり食べないでくれないかな。やばい薬品とか含んでるかもしれないから。」
鬼井の仕事は、某有名電機メーカー、の下請けの下請けで、いわゆる零細企業というやつだ。
社長曰く、下請けの下請けの下請けでない分マシだ、とのこと。
工業高校を出た鬼井は、親類の紹介でこの職場を選び、そのまま正社員に収まった。
正社員と言っても、機材の修理から事務所の掃除までやらされる何でも屋みたいなもので、
発電機の一件も、先輩上司のツテで、提携先の工場へ派遣されただけである。
そんな職業柄、作業服で現場と自宅を行き来する鬼井の衣服には、
あまり安全とは言い難いお土産がくっついている可能性があった。
人間には害のない量でも、ゆっくりには致命的な毒になってしまうかもしれない。
鬼井は、それを心配していた。
とはいえ、そんな鬼井の考えが、まりさに読み取れたどうかは、はなはだ疑問である。
まりさは、おさげをぴこぴこさせながら、体を左右に軽くひねった。
首をひねっているつもりなのだろうか。
「わかったのじぇ。かみさんとほこりさんは、たべないのじぇ。」
「ああ、そうしてくれ。食べ物は、俺がちゃんと買ってくるから。」
そう言うと、鬼井は、ビニール袋の中から、ゆっくりフードを取り出した。
表には、舌をぺろりと出したれいむの顔が描かれ、その下に、チョコ味と表記されている。
「さあ、まりさの好きなあまあまさんだよ。いっぱい食べてね。」
鬼井は、紙袋をびりりと破き、用意した皿の上に、固形のゆっくりフードを何個か並べた。
ところが、子まりさは、ゆっくりフードの匂いを嗅いだだけで、口をつけようとしない。
「ん、どうしたんだい。あまあまさんだよ。苦くないよ。」
「まりさは、あまあまさんたべちゃだめなのじぇ。たべるとゆっくりできないのじぇ。」
「へ?」
鬼井は、口をぽかんと開けたまま子まりさとゆっくりフードの袋を何度か見比べた。
そして、ふと思い当たったように、マニュアルを見た。
先程の説明の下に、さらに続きがある。
《当社のゆっくりには、残飯処理などをスムーズに行うため、味覚コントロールが施されています。
甘いものを与えると、異常をきたすおそれがあるので、絶対にこれを与えないで下さい。
人間が強制しない限り、ゆっくりから甘味を欲しがることはありません。》
異常をきたす、と書いてあるが、要は、本来の状態に戻るということだ。
ものは言いようである。
「そっか…。じゃあ、まりさは、何を食べたいんだ。」
「まりさはなんでもたべるのじぇ。じゃがいもさんのかわでもいいのじぇ。」
「じゃがいもね…。」
鬼井は、全くと言っていいほど自炊をしない。
生ゴミの日が何曜日なのか、覚えていないくらいだ。
「ちょっと待ってて。スーパーで何か買ってくるよ。」
「おにいさんはゆっくりしてほしいのじぇ。まりさはおなかいっぱいなのじぇ。」
鬼井は、少しばかり悩んだが、野良ゆっくりの処理で疲れていたため、
今日は出掛けるのを諦めることにした。
明日は、ちゃんとした餌を食べさせてやろう。
心の中でそう決意する。
「明日はちゃんと用意するから、ゴミは食べちゃ駄目だぞ。いいね。」
「ゆゆっ。まりさはゆっくりりかいしたのじぇ。」
全身を使って大きく頷いたまりさは、いそいそと移動を始めた。
何事かと思って眺めていると、どうやらトイレの時間らしい。
トイレは、まりさが入っていた箱に、キットとして付属されていた。
鬼井は、巣を組み立てるときに、何気なくそれを床に放り出してしまったが、
どうやらまりさ自身が移動させたらしい。
片付けやすいように、玄関の側に置かれていた。
まりさは、仰向けに寝転がると、お尻から茶色い物体をひねり出す。
廃棄餡とはいえ、やはり多少は臭ってしまう。
鬼井は、窓を開け、換気をした。
「うんうんさんおわったのじぇ。」
「ああ、じゃあ捨ててくる。」
鬼井はケースを拾い上ると、ドアを開けて再び外に出た。
そして、管理人室の隣に備え付けられた共同トイレへと足を運ぶ。
小便器が2つに、個室が2つ、他に掃除用具入れのロッカーを備えた、窮屈な空間だ。
しかも、驚くことなかれ、なんと男女共用なのである。
もっとも、女性は現在、大家の婆さんしかいないのだが。
手前の個室を開けると、年代物の和式便座が姿を現す。
鬼井は、黙ってティッシュペーパーを放り込み、大のレバーを押した。
ざーっと言う水音とともに、廃棄餡は下水道へと流れていく。
鬼井は、すぐに自分の部屋へ戻ると窓を閉め、今度は台所へと向かった。
ゆっくりフードと一緒に買って来た犬用の餌入れを取り出し、それに水を半分注ぐ。
畳の上にタオルを敷くと、水がこぼれないように気をつけながら、そこへ餌入れを置いた。
「ほら、お風呂だぞ。奇麗にしろよ。」
「ありがとうなのじぇ。きれいきれいするのじぇ。」
まりさは容器によじ登り、上半身をぴちゃぴちゃと水に浸けた。
おさげを器用にタオル代わりにして、顔全体を洗っている。
それが終わると、今度は体をくるりと180度回転させ、下半身の掃除だ。
お尻を細かく左右に振り、肛門周りについた餡を洗い落とす。
ものの数分で、まりさは、家に来たときと同じくらい奇麗になった。
鬼井は、餌入れの水を台所に流し、適当に洗浄する。
どうせ自炊しないのだから、多少汚れた水を流しても問題ないだろう。
これを毎日やるのは面倒だが、飼いゆっくりと比べれば、それほどでもない。
「明日も早いし、もう寝るか。」
「ゆぅ〜♪」
全ての後片付けを終えた鬼井は、着替えをし、布団を敷いて横になった。
まりさは、ぴょこぴょこと、巣の中へ飛び込み、綿布の中へ潜り込む。
「おやすみ。」
「ゆっくりおやすみなちゃい。」
こうして、鬼井とまりさの初めての1日が終わった。
続く
最終更新:2013年01月10日 21:26