The Terminal Velocity


「ゆうう゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅぅぅぅぅぅ!!?」
 青空を一直線に貫く甲高い悲鳴。
 日夜ゆっくりがさまざまな悲劇に巻き込まれている幻想郷だが、この母ゆっくり
れいむの状況は一味違った。
 彼女は落下しているのだ――高度四千メートルの高みから。

 いきさつは単純だった。
「ゆっゆゆぅ、ゆゆゆっゆぅ♪」
「おかーさん、おうたじょうずー!」「じょーずー!」
 いつものように野原でゆっくりと団欒を楽しんでいたゆっくり一家。
 だがその頭上をバサリと不吉な影が横切った。それはトンビの姿。
 大空のハンターはゆっくりにとっても大敵だ。
「ゆゆっ、あぶないよ! みんなきをつけて!」
 母ゆっくりは注意したが、このままでは襲われると本能的に悟った。
「みんな、ちょっぴりがまんしてね! あむあむあむぅ!」
「ゆゆっ、おがあざん、なにずるのぉ!?」「ぜまいよ゛ー!」
 母は五匹の子供たちを守るために、口の中にくわえ込んだのだ。
 その直後、トンビの鋭いカギ爪が、わっしと母をとらえた。
「ゆう゛う゛ぅう゛!? いだいいだいいだいよぉ!」
 もがく母をがっしりとつかまえて、トンビは舞い上がる。折りよく上昇気流が見
つかり、一気に高空まで輪を描いて昇っていった。
 五百メートル、千メートル。二千メートル、三千メートル。
 高く高く、さらに高く。
 だがそこで、母の決死の抵抗が実を結んだ。
「はなして、はなしてね、すぐにはなじでねぇぇぇぇぇ!!!」
 もさもさもさもさ、もぢっ!
 暴れる母の皮の一部が切れてしまった。
「ゆうう゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅぅぅぅぅぅ!!?」
 そこで彼女は、虚空に放り出されたのだった。

「……ゆうううぅうぅぅぅい゛い゛い゛いぃ゛いぃ゛ぃ゛ぃぃ……!!」
 落ちてゆく落ちてゆく、母は凄まじい勢いで落ちてゆく。
 吹き付ける強風に、柔らかな頬はバタバタと波打ち、髪とリボンは嵐の前の旗の
ようにびりびりと震えている。見開かれた目に涙が溜まる。
 その目に映るのは、幻想郷の雄大な俯瞰。
 こんもりした茂る緑は魔法の森だ。小さな玉砂利の庭は博麗神社。その近くにご
ちゃごちゃと固まっているのは人間たちの村だろうか。
 少し高台になったところ、霧に包まれた湖がある。あそこには吸血鬼の主が住ん
でいるだろう。
 明るい緑の背高の林は、永遠亭のある竹林だ。
 そのほかにも、地べたを這いずり回るゆっくりには、想像もできなかったような
広い広い景観が、広がっている。
 しかしそれは、死の前の走馬灯に等しい。
「落ぉぢぃるぅのぉ い゛や゛ああ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛!!」
 母は狂ったように喚いている。落ちると死ぬ、その知識は、やわらかいゆっくり
の本能に刻み付けられている。
 そのとき、開け放った口の中でもがもがと何かが動いた。
「ゆ゛ゆ゛うう゛う゛ぅ゛ぅ゛!!?」「おっごぢでるぅぅぅ!!」
 それは子供たち。身を挺して救ってやったつもりの五匹の子らが、信じがたい状
況に気付いて、恐慌しているのだった。
「ごわい゛ごわ゛い゛ごわい゛よぉぉぉぉ!」
「おがあざん、なんどがじでぇぇぇ!!」
 子供たちは、吹き込む烈風にもてあそばれ、母の口の中でころころと回転してい
た。直下に地面はなく、気味の悪い浮遊感が体を包み続けている。それはやわらか
いゆっくりにとって耐え難い恐怖だった。
 子供たちの悲鳴が、母の母性本能を刺激する。なんら望みのないまま、母は必死
に励ました。
「ゆうぅ゛っ、だいじょうぶだよおおお、おがあざんがついでるよぉぉぉ!!」
「ごあいごあい、ごあいよぉぉぉ!!」「落ぢだくないいぃ゛い゛ぃ!」
 母の慰めも通じない。子供たちはさらに狂ったように泣き喚いた。

 が――

 しばらく叫んでいるうちに、親子はじょじょに落ち着いてきた。
「おおおちいいいいるううううぅぅ?」
「おおおぉちぃいなぁいいいよぉぉ?」「だぁいいぃじょおぅぅぶぅぅ?」
 強風は依然として吹きつけているが、いつまでたっても地面に激突しない。
 雄大な景色は、ずっと変わり映えせず見えている。
 ひょっとしたら、怖がることはないのかもしれない。
 それどころか、これは楽しいことなのかもしれない!
「うーかーぶうーかーぶ、たーのしーいよー♪」
 子供たちは母の口の中で、渦巻く空気を浴びてきゃっきゃと浮かんではしゃぎ初
めていた。それを感じた母も、うきうきしだす。
「たーのしーいねぇー♪」
「ゆぅっくーり、とーんでーるねーえ♪」
 そう、彼女らは、Terminal Velocity――終端速度に達したのだった。
 落下する彼女らを空気抵抗がささえ、加速を停止させていた。このとき母ゆっく
りは下向きに口を開いて袋状になっていたため、抵抗はかなり強いものとなってい
た。
 秒速約五十メートル。
 落下開始から三十秒、短いCM二本分もの時間、彼女たちはそうやって楽しみ続
けた。

 だが、愚かなようでも、ゆっくりはそれなりに生きる力を持った生物だった。
 母の心の中で、不安が少しずつ増大していた。
 風は吹き付けるが、目に映る景色は変わっていない。落ちていると感じたのは錯
覚のはずだ――そう思ってはいても、何かが危険な気がした。
 実は母の目に映る地上の景色は、高度が二分の一になったため、最初と比べると
すでに四分の一の面積にまで減っていた。気がつかなかったのは、変化が全体にわ
たってゆっくりと進む、モーフィング的なものだったからだ。クイズ番組などでご
覧になったことのある方も多いだろう。生き物の目はゆっくりとした変化を捉える
のが苦手だ。
 その危険な景色を前にして母が取った行動は、しかし、やはりゆっくり的なもの
だった。
「ううううん、しょっと!」
 皮に力を込めて、ぐるりと回転し、上を向いたのだ。
 上を向けば、もう地上は見えない。
 明るくきれいな青空と、優雅に舞う鳥が見えるだけだ。
 ふわふわとした浮遊感だけを思うさま楽しむことができる。
「ゆっくりー!」
 それに加えて、子供たちは落下風から守られ、一種の乗り物に乗っているような
気分になった。ゆっゆっと口の中から這い出し、大きな母の顔の上に乗る。
「わぁい、おかあさんえんばんだよ!」
「ゆっくりひなたぼっこができるよー」
「ゆっゆく、ゆゆぅん♪」
 母は終端速度で落下している(自由落下ではない)ので、その顔面には若干の重
力が残っている。子供たちは落ち着いて座ることができ、母の顔の端からそうっと
下を覗いては、吹き上げる風に、キャッと後ろへ下がったりした。
 そんな子ゆっくりたちのたわむれを顔の上に感じ、母もつかの間の幸せに浸るの
だった。
 落下開始から、四十秒がすぎた。

 くつろぐ子ゆっくりたちが、ふと不安な声を漏らし始めた。
「おかあさん、だんだん近くなってるよ!」
「地面が見えてきたよ! ゆっくりとまってね!」
 このとき、彼女らの高度は千メートルを割っていた。
 これぐらいの高度まで下がると、地上の光景が鮮明に見えてくる。個々の人が見
分けられ、建物の看板なども読めるようになる。
「あ、神社にあかしろのひとがいるよ!」
「まほーつかいさん、ばいばーい♪」
 唖然とした顔で見つめる、箒に乗った魔女を、ゆっくりたちはあっというまに上
から下へ追い抜いた。
 そんなつかの間の面白みが去ると、急速に恐怖が頭をもたげる。
「おかーさん、おかーさん、ゆっくり近づいてるよ!」
「だいじょうぶなの? とまって、ゆっくりしないでとまって!」
 母の縁から下を見つめる子ゆっくりたちが、叫び始める。
 母ゆっくりは必死でそれに応えようとする。
「んんっ、んぎっ、んぐぐぅっ!」
 体をそらせ、くねらせ、なんとか速度を落とそうとする。
「んぐくぐぅぅ! んぐんぐんぐぅっ!」
 あまつさえ左右にばたばたともがいて、上昇しようとさえしてみた。
 もちろん、効果はまったくない。
「おっ、おがあざぁぁぁん!!?」
 子供たちの顔が、再び恐怖に引きつり始める。母は必死に励ます。
「だっ、だいじょうぶだからね! ゆっくりとまるからね! んぎぃぃっ!」
 顔を真っ赤にして、体を平べったくし、少しでも抵抗を増やそうとする。知識は
なくても、とっさの本能がそれを可能にした。
 座布団のように潰れた母れいむは、奇跡的に横方向への速度を得る。
 スィー、と空を滑っていくゆっくりれいむの後頭部は、地上から見たら相当な奇
観であったろう。
 しかしそれもしょせんは気休め。時速百五十キロを越える速度は、親子を容赦な
く地上へと導いた。
 ぞっとするような速度で、山が森が木立が迫る。親子はとうとう悟る。助かる道
はない。硬くて痛い地面に猛烈な速度で叩きつけられる。自分たちは跡形もなく砕
けて死ぬ。死ぬ。死ぬ。死んでしまう!
 最後の数秒もはや完全にパニックに陥った子供たちが、泣き喚いて母の上で跳ね
た。
「落ぢでる、おぢでるよぉぉぉ!!」
「おがあざんのばかぁぁぁ!」
「どおじでお空につれでっだのぉぉぉ!?」
「ほっどいでくれだらよかっだのにぃぃ!!」
 対する母もめちゃくちゃな悲鳴を上げていた。
「あんだだぢ乗ってるがらゆっくりうかべながったのよぉぉぉ!!!」
「ばがぁぁぁ!」
「ゆっくりじねぇぇぇ!」
「おりでぇぇぇぇ!!」
「い や゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ ぁ゛ ぁ゛!!!!」

  バヂャンッ!

 一瞬の、高密度に圧縮された衝撃が、親子を粉砕した。
 魔法の森のかたわらの道に落ちた母ゆっくりは、半径五メートルの放射状に飛び
散った。上からローラーでもかけたような平べったさが、衝撃の激しさを物語って
いた。
 だが、中心部にだけは、わずかに拳ほどの餡が盛り上がっていた。
 それはセントラルピーク。隕石衝突などの際に見られる中央丘である。
 その餡が、もぞもぞと動いたかと思うと――
「……っぷぅ!」
 なんと、一匹の子ゆっくりが顔を出したではないか!
 その一番小さな子ゆっくりは、インパクトの瞬間、母の喉の奥へ退避した。それ
がために、分厚い餡子の層がクッションとなって、一命を取り留めたのだった。
 餡子まみれで這い出してきた子ゆっくりは、家族の残骸を振り返って、涙した。
「うっうっ、おかーたん、おねーたん……ゆっくりちていってね」
 子供ながらに、ゆっくりの心には強い使命感が芽生えていた。
 不幸にして死んでしまった家族のためにも、自分がしっかり生きていかねばなら
ない。
「れいむ、がんばるね!」
 力強く宣言して、子ゆっくりは新たな一歩を踏み出したのだった!


 バッサバッサバッサ ぱく


 が、追ってきたトンビに食われた。






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思いつきで突貫工事しました。
ゆっくりが好きで好きで、ほんと可愛がってやりたいんだけど
情味のある可愛がりが書けないー。
YT

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最終更新:2022年05月03日 17:07