※今までに書いたもの

神をも恐れぬ
冬虫夏草
神徳はゆっくりのために
真社会性ゆっくり


※今現在進行中のもの

ゆっくりをのぞむということ1〜


※注意事項

  • ゆっくりの形じゃ最初のひと跳ねもできないだろとか突っ込み禁止。



 お日様昇って天高く、ぽかぽか大地を照らしてる。
 風はびゅうびゅうまだまだ寒く、北から元気に吹いて来る。

 睦月一月、春まだ遠い。とある冬の小春日和。
 ここ数日続いていた陽気に誘われて、うっかりおうちの外に出かけてしまったれいむ一家は困っていた。

「ゆううぅぅ……」
「「「「「みゅぅぅぅ……」」」」」

 人里近い川べりに、しょんぼり屯する一家、母れいむと六匹の赤れいむの総勢七匹。
 水面に困り顔の影を落としても、事態が改善するわけもなし。

「水さん、ゆっくりしていってね!」
「みじゅしゃん、ゅっきゅりちていっちぇにぇ!」

 もちろん川の流れに呼びかけたところで、急流がゆっくりしてくれるはずもなし。
 さらさらと音を立てて流れる小川に恨みがましい目を向けて、「はぁ」と溜息と共に愚痴を吐くのが関の山だ。

「これじゃかえれないよ……」
「みゃみゃ、ひゃやくおうちにきゃえりちゃいよ……」

 そう、れいむ一家のおうちはこの小川の向こうにある。
 川幅おおよそ十尋にして、深さはおおよそ一尺ほどもあるだろうか。
 この小川、一昨日れいむたちが渡った時には幅も深さも半分ほどでしかなかった。ゆっくりでも這って渡れる浅瀬もあった。
 それが急に大きくなったのは、れいむたちを外に誘い出した小春日和に原因がある。
 大本を辿れば妖怪の山にたどり着くこの小川に、この数日の陽気で生まれた雪解け水が一気に流れ込んだのだ。 

 妖怪の山から霧の湖へ、霧の湖からこの小川へ。
 本格的な春が訪れた訳ではないから、流出した水の量もまだ微々たるもの。
 だが、その微々たる量が、今はこうしてれいむたちの帰宅を断固として拒んでいた。

「ゆぅ……どうしよう。こまちのわたしぶねはここからだととおいし……」

 この小川を遡っていけば、上流にゆっくりこまちが営む渡し舟の里がある。
 だが、そこまで行こうと思えば、ゆっくりの足では丸一日。赤ちゃん連れでは二日を見ないと難しい。
 今の一時的な増水が収まるまで待つのとどちらが早いか、れいむの餡子脳では判断しにくいところだった。
 というよりも、餡子脳では考えても無駄なことであった、というべきか。

「あ。ゆっくりだ」
「ほんとだ。親子だ」
「ゆ?」

 親子揃って無益な思索にどれほどの時間を費やしたことだろう。
 状況の変化は、結局れいむが起こすのではなく外部からやってきた。

「ゆゆっ。ゆっくりしていってね!」
「ゆぅ〜、にんげんしゃんだ!」
「ゆっくちー!」
「ゆきゅちちちぇいっちぇにぇ!」

 くるり、とれいむ一家が振り向いた先には数人の人間の少年がいた。
 口々に挨拶するゆっくり一家に、人間に対する不審はない。
 もともと魔法の森の奥に住むこの一家のこと、人間に出会うことも稀なために先入観というものがないのだ。

「にんげんさんは、ゆっくりできるひと?」

 だから、とりあえず親れいむは聞いてみた。
 相手のことをれいむは何も知らないのだから、本人に聞いてみるのが一番だ。
 人間さんはとてもゆっくりできると、れいむの餡子脳の中に伝わる一族の記憶が伝えている。
 きっと快く答えてくれるだろうと、根拠なく想った。

「ん? 俺たちはゆっくりしてるぞ」
「ゆっ。よかった、ゆっくりしようね!」
「「「「「ゆっきゅちちようね!」」」」」

 返ってきたのは期待通りの返事で、れいむたちは今の状況も忘れてすっかり嬉しくなり、ぴょこんぽこんとその場で飛び跳ねた。
 一方の人間の少年たちといえば、もちろんその場で飛び跳ねるような事もなく、ふいっと視線を水かさの増した川へと遊ばせる。

「……川を、渡りたいんだ?」
「ゆっ! そうだよ、れいむたちのおうちはこのかわさんのむこうにあるんだよ!」

 ぴょこん、少年の問いかけにもう一度れいむはその場で飛び跳ねた。
 人間さんと会えた喜びでゆっくり忘れてしまっていたが、今はそれが一番大事なことのはずなのだ。
 川の流れは激しくて、れいむ家族は愛するれいむ(同種のつがいらしい)が待つおうちに帰れない。

「ふぅん……」
「でも……ねぇ、れいむ?」

 そう窮地を必死に訴えるれいむにも、少年たちの視線は相変わらず川のどこかに向けられていた。
 人間さんがどこを見ているのか、れいむは不思議に思って高い場所にあるお顔がどこを見ているのか必死に追いかける――と、
少し上流の川の中ほどをゆっくり進むそれを発見して納得がいった。

「まりさたちは川を渡ってるよ?」

 れいむが見つけたそれ、人間さんが指摘したそれは、別の群れのまりさの家族が川を向こう岸に帰っていく光景だ。
 親まりさ一匹に、赤まりさ六匹の計七匹。
 川岸で侘しく佇むれいむ一家と同じ数。でも彼女たちはおうちに帰ることが出来て、れいむたちには同じことはできない。

「ゆぅ……まりさはおぼうしでかわをわたれるんだよ。れいむにはできないんだよ……」
「ゅー。まりしゃのおぼうち……いいにゃぁ……」
「うらやまちいにぇ……」

 だって、それが生まれついてさだめられたゆっくりの種としての特徴だから。
 まりさは帽子を舟代わりにして水辺を過ごすことができて、れいむは川を渡ることが出来なきない。
 親一匹と赤ゆっくり六匹、羨ましそうにまりさたちの後姿を見送ることしか出来ないのだ。

 れいむたちだって、おうちにかえりたいのに。
 おうちにかえって、もう一匹の親れいむと何日かぶりにすりすりしたいのに。
 ちょっとしたお散歩と餌集めのつもりが、陽気に誘われて随分遠出してしまった。
 さぞかし、お留守番の家族は心配しているに違いない。早く、顔を見せてゆっくり安心させてあげないと。
 思えば、最初から留守番れいむは遠出に反対していたのだ。

 ここまで連れて来た六匹の赤ちゃんたちは、れいむとれいむの初めての子供だった。
 秋口にれいむ達はつがいになって、冬篭りに入る直前に初めてのすっきりでこの子達を作った。
 たっぷり食料を蓄えた巣穴で、安全に大きくなるまで育てる為に。
 春の目覚めを十分に成長した子ゆっくりとして迎え、危険の少ない状態で外界での生活をスタートさせるために。

 ああ、だから赤ちゃんたちを連れてくるべきではなかった。
 今はちょっとゆっくりできそうだからって、お外の世界を見せてあげようなんて思うんじゃなかった。
 れいむの反対を聞いておくべきだったのだ。何がおきるかわからないよ、ってれいむはちゃんと注意してくれていたのに。
 川の流れに逆らって、ゆっくり遠ざかるまりさの姿を見送りながら、お出かけれいむの焦りは募る。

 かなわない願いだけれど。
 今は、ほんとうに、早く、帰りたい。

「ふぅん……じゃ、渡れるようにしてやろうか」

 ――その、見送ることしか出来ないはずのものを、人間さんがこともなさげに聞いてきた。
 びっくりして、れいむ一家はお互いに顔を見合わせた。
 与えられた衝撃と、それによって生じた困惑と、そこに芽生えた期待の大きさは、みんな同じだった。

 この川を渡るなんて、れいむたちにはとてもじゃないけれどできないこと。
 だけどれいむたちより大きくて、とてもゆっくりしているはずの人間さんの言うことなのだ。
 人間さんが口にすることならば、それはとってもゆっくりできることのはず。疑うことなんて何もない。
 そして、お出かけれいむだけではなく、赤ゆっくりの心も一つ。

 おうちに早く帰りたい。

 れいむ一家は「ゆっ」と一つ頷きあって、それから一斉に人間さんへと顔を向けた。

「ゅんっ、ほんちょ?」
「にんげんしゃんはゆっくちできるね!」
「ゆっ、ありがとうにんげんさん! れいむ、とってもうれしいよ!」

 そして顔の次に向けるのは、感謝感激雨あられ。
 なんて人間さんは凄いんだろう。
 れいむたちに出来ないことを簡単にやってのけるのだ。

「んじゃ、と……おい」

 れいむたちが提案を受けれたことに、少年たちも満足そうにお互い笑いあった。
 ただし、全員ではない。幾人かは、どこか不満そうな顔で仲間たちの行動を少し離れたところから見守っていた。
 何か言いたげなその連中を一瞥して黙らせ、れいむを助けてやると請け負った少年たちはさっそくれいむ親子の周りに集まる。

 ひょい、と男の子の一人がれいむを顔の両側から抱え込むようにして手を差し込んでくる。
 少しびっくりしたけれど、れいむはそれに逆らわない。きっと、これからゆっくりできることをしてくれるはずだ。
 次の瞬間、地面が、すぐ側にいた赤ちゃんが、目の前にどこまでも広がるように見えた川面さえも一気に遠ざかり、
視界が大きく広く拡大する。
 その絶景、まるで鳥さんになったよう。

「ゆ? ゆーん、おそらをとんでるみたい♪」
「おしょらをとんじぇるみちゃい!」

 気が付けば、赤ちゃんたちもいつの間にか少年たちの手にそれぞれつかまれている。
 今まで目にした事がないような光景に出会っているのは、赤ちゃんたちも同じこと。
 きゃっきゃと賑やかに声を交わすその様子は、とってもゆっくりできているようだった。

 でも、『人間さん』の中には『ゆっくりできていない人間さん』もいたようだった。

「おい、やめなよ。いじめはよくないってけーね先生もいってただろ?」
「ゆぅ、いじめはゆっくりできないよ?」

 少年たちの一人――仲間たちから先ほど距離を置いた少数派の少年たちの一人が、少し震える様子で上げた制止の声を聞いて、
れいむは思わず自分を抱える少年の顔を見上げて言った。
 不満を洩らした人間さんは、れいむのかわいい赤ちゃんを持っていない。れいむたちより人間さんの方が数が多かったらしい。

「ゆー?」
「ゆゆっ?」

 れいむのかわいい赤ちゃんたちも、きょとんとした顔を自分を手にした人間さんの顔へと向けていた。
 それは、不満顔の人間さんが怒るのも当然だとれいむは思う。
 こんなにもかわいらしい赤ちゃんを、手の上に載せて挙げられないというのはあまりにも不公平というものだろう。
 独り占めなんていじめっこのすることだ。ゆっくりの世界では一番しちゃいけないことのひとつなのに。

「バーカ、いじめじゃないよ。儀式だ儀式」
「こないだ先生に習ったろ? 蜀の国の諸葛孔明は荒れた川を治めるのに人間の顔に似たお菓子を川の中に投げ込んだって」
「それが饅頭のはじまりだってね。だから、これが饅頭の正しい使い方だろ?」
「そうだけど、そうじゃないだろ。先生にバレたら怒られるぞ」

「ゆ……ゆゆー?」

 人間さんたちのお話の内容は、れいむには難しくてわからない。
 なんでケンカしているのかも、いまいちはっきりとはわかっていなかった。
 わからないけれど、人間さんたちが普通にれいむたちを運んで川を渡してくれるわけではないことだけはわかった。
 それはそうだろう。川はいつもより深くて急だ。
 れいむたちに渡れないんだから、きっと人間さんにも危ないんじゃないだろうか。
 だから、れいむたちにも渡れるように、逆に川さんにゆっくりしてもらうんだろう。

「ゆゆっ? ゆっくりりかいしたよ! かわさんにゆっくりしてもらうほうほうがあるんだね!」
「ゆー! ゆっくちできにゃいかわさんが、ゆっくちできりゅかわしゃんになるんだね!」
「ゆう、にんげんしゃんはすぎょいんだにぇ!」

 赤ちゃんたちがいうように、人間さんは、やっぱりすごい。
 川さんにゆっくりしてもらえる手段なんて、れいむどころかドスもぱちゅりーも知らないはずだ。
 れいむは人間さんの会話を素直に受け取り、とても素直に感動する。

「実はそうなんだよ、れいむ。だから一緒にがんばろうな」
「あのなぁ……」
「ゆゆっ。よくわからないけど、れいむがんばるね!」

 人間さんの一人がえっへんと胸を反らせて答え、別の一人が、「はぁ」と疲れたような吐息を吐いた。
 ため息をついた一人はぶすっとした仏頂面で胸張る一人をにらみつけ、

「俺たち知らないからな」
「バラさなきゃ、先生だってわかんねえよ。っつーか先生に気づかれたらお前ら殴るからな」

 逆に凄まれて「わ、わかったよ」と怯む。
 やっぱり、れいむのあかちゃんを持ちたいのに、独り占めされてるから怒ってるんだ。
 れいむはそう理解して、頭上の少年にわが子を宥めるような優しい声を掛ける。

「ゆぅ。にんげんさん、けんかはよくないよ?」
「よしよし、待たせたな。じゃあ行くぞれいむ」

 少年は、れいむのいさめには答えない。変わりに笑って川のほうを見るようれいむに促した。
 いよいよ、この川を渡れるようにしてくれるらしい。
 れいむは先ほどの人間同士のやりとりなど忘れ、満面の笑みがパァっとれいむの顔に咲く。

「ゆーん。これからかわさんにゆっくりしてもらうおねがいをするんだね! ゆっくりがんばってねにんげんさん!」
「お前も頑張るって今言ってたじゃん……」

 それは、期待通りの話題変更ではあったけど。
 れいむの能天気な受け答えを聞いた少年と、彼の仲間たちの顔にいつしか強い嘲りと愉悦の色が浮かんでいた。
 だが、近づく帰宅への期待に胸膨らませるれいむ一家は、頭上はるかな人間達の表情の変化に気が付かない。
 気付けといっても、顔を直接見あげることの出来ない位置に固定されたれいむたちには無理な話ではあったが。

「……ゆゅっ」

 れいむ一家が微妙な空気の変化に、なにも気が付くことのないままに。
 一人の少年が赤れいむを掴んだ右腕をすっと身体の後ろに引いた。
 唐突な動きに赤れいむはほんの少し驚いたようだったが、怯えの色は微塵もない。
 人間さんはゆっくりできる存在で、ことにこの人間さんたちはれいむたちを助けてくれる特別ゆっくりな存在なのだ。
 なんで恐がる必要があるというのだろう。

「おねえちゃん、りぇいみゅおしょらをふわふわすぃーってとんじぇりゅよー」
「きゃっきゃっ♪」
「ゆっくりできてるねおちびちゃん!」
「うまくやれよー、弥平次」
「任せとけって」

 赤ゆっくりたちの歓声、それを見守る親れいむのゆっくりした声、はやし立てる周囲の少年たち、
そんな彼らに向けて空いた側の手でガッツポーズを作って応える少年。
 何が起きようとしているかわかっている者と、何もわかってはいない者。
 今だけは、お互いの感情は一致している。

「できればまりさにぶつけたいな」
「あ、それ面白そう。ぶつけたヤツが一等賞だ」
「ゆゆーん、もうすぐおうちにかえれるね!」
「おうちにきゃえったらおきゃーしゃんとゆっきゅちちようにぇ!」

 即ち、これから起きること、その先に待つことへの期待と喜悦。

「んじゃ、第一球――」
「ゆっゆぅ、たきゃいたきゃい〜♪」

 一瞬先には、その明暗はくっきり分かれてしまうのだが。

「――投げましたぁっ!」 
「ゅ……ゅぅぅぅぅぅぅぅっっ!!?」

 一瞬の静止から、サイドスローで少年がれいむを掴んだ腕を振りぬいた。
 突然身体に掛かった強烈な加速感に、掴まれた赤れいむの歓喜の声が驚愕の叫びに変じたその瞬間、
 すっかりゆっくりしていたれいむ一家の目には、わが子が、姉が、妹が、マジックのように消えうせたように見えた。
 だから、川面の方から聞こえてくる同属の声を、すぐには誰のものか認知しない。

「ぁぁぁぁっ、いぢゃいっ! あびゃいっ!? えべべ……えびょっ」

 ぱしっ! たしっ! じゅぶっ……じゃぼん。

 ぎゅるぎゅるっ、と横回転を加えられた赤れいむは、確かに二回水の上を跳ね、三回目で勢いを失い、
 それからつんのめるようにな軌跡を描いて、その次の着水であっさり流れの中に飲み込まれていった。

 それは、いわゆる石切り遊びと呼ばれる遊びと同じものだった。
 というよりも、石切り遊びそのものだ。使うのが、平たい小石ではなく、れいむ――ゆっくりであるということが違うだけで。
 横投げで、投擲するものに強い回転を掛け、浅い角度で水面で跳ねさせてどこまで遠く、何回跳躍するかを競う。
 投擲物は飛び去るうちに空気の抵抗を受けて回転数を減じ、着水時の抵抗力を失って最後には水中に没することになる。

 たった今、赤れいむがあっという間に水没したように。

「……おちび、ちゃん……?」
「おねーしゃん……いにゃいいにゃいしゅりゅの?」
「いみょうと……れいみゅのいみょうと、きゃくれんびょしてりゅの……?」

 ゆっくりたちが、ゆっくりと異変に気づいたころには、すでに川へ向かって投げられた赤れいむの姿はどこにもなかった。
 音を立てて流れる清流の中に、一瞬餡子の黒が浮かんだが――それも一瞬のこと。
 強い流れの中に溶けて消えうせ、投じられた生き饅頭の残滓は綺麗に何も残らない。

 だから、れいむたちにはわからない。
 なぜ、人間さんが先ほどまで手にしていたはずの家族がいないのか気が付かない。
 順番にその身を襲うだろう、命の危機に気が付かない。

 もっとも、それに気が付いたところで、文字通り生死を握られた状況ではなんら益するところはなかっただろうが。

「んあー、おしいっ!」
「どこがおしいのさ? まりさ、気付いてもないよ」
「次はせめて、まりさに水音が聞こえるぐらいに近づけろよな」

 混乱するれいむたちの頭上で、少年たちが賑やかに言葉を交わしている。
 だがきょときょとと家族の姿を探す一家に、その声は聞こえていても内容を理解することはできなかった。
 理解できぬままに、次の危機は無情にもやってくる。

「っせえなあ。じゃあ助左、お前やってみろよ」
「任せろよ」

 周囲のブーイングにすっかり拗ねた顔をする弥平次と呼ばれた少年に、助左と呼ばれた少年は不敵な笑いを浮かべて応じ、
彼と同じく赤れいむを掴んだ腕をすっと身体の横へと引いていた。

「……ゆ? おにーしゃん、あしょんでくりぇりゅの?」
「おう、遊ぶぞ。れいむで遊んでやる」

 視線が急に水平に動いたことに驚いたらしく、掌中の赤れいむがずれた問いを発する。
 そのずれた問いに返す少年の返答も、また少しばかり言葉をずらしたものだった。もちろん、こちらは意図的にずらしているのだが。

「ゆゆ……? りぇいみゅであしょぶにょ?」

 姿の見えぬ姉妹を探すうちに心に浮かんだ一抹の不安が、幼い赤れいむにその問いを思い至らせたのだろうか。
 微妙な言い回しに気が付いて鸚鵡返しに聞き返す声は、ほんの少し不安に揺れていた。
 横目で親の方を見れば、やはり心の中に広がりつつある形容しがたい不安に瞳の光を揺らがせる、親れいむの視線と目が合った。
 あるいは、腕を引いた少年のしぐさが先の赤れいむの消失のサインだったと思い至ったのかもしれない。
 その未だ人間の善性を信じつつ、それでも禁じえないだろう不安の様子が、芽生え始めた人間への恐怖が、
少年に心地よい快楽を与えることを赤れいむはついにその死までしることはなかった。

「そうだ。おねえちゃんのあとに、つづけぇっ!」
「ゆあっ、ゆぅぁぁぁぁぁっ!?」

 少年の威勢のいい掛け声と、赤れいむの恐怖と驚愕が相半ばした悲鳴が川原に響く。
 今度ははっきりと、親れいむたちは家族が消滅するプロセスを順序だてて目にすることが出来た。

「れっ、れいむのおちびちゃああああんっ!!!」
「……ゅぁ?」
「おっ、おねえちゃあああぁぁぁん!!」

 家族の絶叫がとどろく中、六尋ほど先の川面から小さな水音がじゃぽんと聞こえた。
 今度のれいむは短い跳躍を五回繰り返し、異常を感知して漕ぐ速度を上げたまりさ一家にほんの少し近づいて、死んだ。
 最初の赤れいむと同じく、この世に生きた証を何も残すことはなく、親に最後の言葉を遺すことすらなく、跡形なく溶け崩れて死んだ。

「なっ……れいぶのおぢびぢゃんだぢがっ……。にんげんざん、ごればどういうごどおおぉぉっ!!」

 れいむは信じたくなかった。
 これが現実だと信じたくはなかった。
 娘がいきなり川の中に投げ込まれ、あっけなく死を迎えたことが現実の世界に起きたことだとは信じたくはなかった。
 先ほどと変わらない笑顔をれいむに向けて見下ろしている人間さんが、こんな非道を唐突に行う存在だと信じたくはなかった。

「儀式するって言ったじゃん」

 その祈るようなれいむの願いを、少年たちは笑顔のままあっさりと折り砕いた。

「饅頭を川に投げ込むって言ったろ。聞いてなかったのか、お前?」
「おまえら饅頭なんだからさぁ。その時点で気づけよ」

 馬鹿だなぁ、と笑う少年たちの口元には、れいむにもわかるほどくっきりと嘲りが浮かび上がっていた。

 それを見てれいむは、生まれてはじめて憎しみというものを知った。
 生まれてはじめて絶望というものを知った。
 生まれてはじめて悪意というものが存在することを知った。

 それらは全て、ゆっくりできるはずの人間という存在から与えられた。
 つい先ほどまで、共にゆっくりしていたはずの、人間さんから。

「でいぶのあがぢゃんはまんじゅうじゃないいぃぃっ!」
「饅頭だよ、キモチ悪いしゃべる饅頭。ほら、その証拠に」
「……っ!!」
「ぃぎゃあああぁぁぁぁっ!!?」
「ほぉら、餡子入りの饅頭だ」

 一瞬の躊躇もなくれいむの右頬を毟り取った少年は、身を襲う激痛に泣き喚くれいむの鼻先にそれを突きつけてけたけたと笑う。
 やがて苦痛に身を捩るばかりで突きつけられた事実に反応を見せないれいむに飽いたのか、千切ったその部分を川の中に投げ捨てる。

「おきゃーしゃーん!?」

 お楽しみは、まだまだあるのだ。
 このゲスしかいない屑饅頭の分際でクソ生意気にも、親を案じるようなミニ饅頭を筆頭にして。

「おきゃーしゃーん、じゃねぇよ。ほらさっさと飛べ」
「ぉきゃーしゃんをいじめりゅ……にゃぁああぁぁぁ、おねーちゃんがぁぁぁぁぁっ!!?」
「ゅぁぁっ、れいみゅしにちゃくにゃ……ゃぁぁぁぁぁっ!!!」

 頬を大きく千切り捨てられて、身を絶えず苛む激痛にほとんど麻痺していた親れいむの精神がようやく我を取り戻したのは、
愛するわが子の怒りや悲しみに満ちた絶叫が次から次へと飛ぶように遠ざかるという恐るべき事態に直面してからだった。

「ぉあ、あああああっ! おぢびじゃあああああああん!!」

 我に返ったところで、もう遅い。
 我に返ったところで、何も出来はしない。

 親れいむにできることは、命に代えても惜しくはない愛するわが子達が、
次から次へと決して対岸に届くことない死への跳躍に駆り立てられる姿を見送ることだけ。

 いや、そもそも描かれる軌跡は対岸へと向けられてすらいない。
 すべて、川の中ほどまで進んだ他所の群れのまりさの家族へと向けて投げられているのだから。

「沈め、沈め!」
「あーっ、当たらねぇーっ!?」
「丸すぎてちゃんと飛ばないんだよ。やっぱ何に使ってもだめだな、ゆっくりって」

 少年たちが楽しげに笑い、天を仰いで嘆くたび、

「ゅびゃぁぁぁぁぁっ、ゆびぇっ、ぃゃだっ、たじゅけぶびゃ!?」
「ゅぎゃっ! ゅぐぅっ、おぎゃーじゃばばっ!!」
「やだやだれいみゅおちょらとびちゃくにゃ……ぶぎゃぅ……」

 赤れいむの声が遠く、彼方へ遠ざかっていく。
 二度と親れいむの肌が触れ合えない彼方へと。

 投じられた赤れいむの誰一匹、対岸にたどり着くことはなかった。
 親れいむと一緒にお散歩に出かけた誰一匹、二度とおうちに帰り着くことはなかった。
 六匹全てが、親れいむの目の前で川のせせらぎの中に没して溶けて崩れて死んだ。

 親れいむは叫び続けた。全てが終わるまでずっと叫んでいた。
 よほど強く投げられたのだろう、最後の一匹は最初の着水の衝撃に耐え切れずに弾けて死んだ。絶鳴すらなかった。
 吹き飛んだ餡子が川の中に沈み、リボンが流れに乗って視界から消え去る頃には両の目から流れ出る涙も、
悲鳴を上げるべき喉も枯れ果て、乾き切っていた。

「あ゛……ゅあ゛あ゛……」

 頬に痛々しく開いた傷口の痛みすら、もう欠片も感じない。
 後に残ったものは、れいむの中を満たすものは、全てを失った絶望だけ。
 少年の腕に抱かれて、れいむは生きながらにして死んでいた。

「もぉ、やだぁ……おうち……かえれない……」

 あるいは、自分が殺される順番を待ちわびていたのかもしれない。
 もう、おうちで待つ伴侶のれいむに会わせる顔などあろうはずもなかった。
 生気のないうつろな眼差しを対岸にあるおうちの方角へ向け、在りし日の幸せな生活を、去りし日の安らぎに満ちた家族を想った。

 それを壊したのは他の誰でもない、自分だ。
 自分が子供たちに早く外の世界を見せてあげたいなどと思わなければ、
 きちんと理由立てて反対してくれた伴侶れいむの言葉に耳を傾けていれば、
 外の世界に出たとしても、調子に乗ってこんな遠くまで遊び歩かなければ。

「れいむが……れいむがばかだから……みんな、みんな……」

 幾つものif全てで、れいむは死に繋がる選択ばかりを選んできた。
 今考えれば、れいむにも如何に愚かな試みだったかが嫌というほどによくわかる。
 だって、こんな最悪の結果を迎えてしまったんだから。

 だから、れいむにはもうゆっくりできない人間たちをうらむ心はなかった。
 ここで彼らに会わなかったとしても、きっとどこかで自分たちは死んでいただろう。だって、れいむはとびきりのばかだったから。
 生きていることが罪になるほどの、誰もゆっくりさせてあげられない、自分の子供さえゆっくりさせられないゆっくりだから。
 今からこのゆっくりできない人間さんたちから与えられるだろう死は、れいむにとって当然の罰なのだと思えた。

「れいむ……ばかでごめんね。れいむをおいてっちゃうことになるけど……せめて、おちびちゃんはあっちでりっぱにそだてるよ……」

 だから、れいむはこっちでゆっくりしてね。
 心のそこからそう願い、れいむはゆっくりと目を閉じる。
 次にくるのはお空を飛ぶ感覚か、れいむの身体を何かが破壊する激痛か。どちらでもよかった。
 全てを受け入れる心は出来ていた。与えられるものが死であるなら、どんな苦痛を伴うものでも構わない。

「おーい、何言ってんだよ」
「ゆぅ……?」

 与えられるものが、死であるなら。

「お前はおうちに帰るんだよ」
「……ゆ゛!?」

 誰が、生など望むものか……!

「お前をおうちに帰すために、ガキども川に投げ込んでやったんじゃないか。お前が帰んなきゃどうすんだよ」

 だというのに。少年の笑顔が、れいむの心を痛烈に一打ちして蘇生させた。
 ま、水が収まるまでゆっくりしろよ。少年はにやにやと嫌な笑いを浮かべてそう告げた。
 れいむの願いと対極をなす、あまりにも残酷な言葉をそんな笑顔で淀みなく告げた。

「……あっ、あがぢゃんみんなじんじゃっで、ごろされぢゃっでがえれるわげないでじょおぉぉ!?」

 だがそれに驚き、叫ぶれいむは本質を理解していない。
 自分を抱えたままの少年が、いったいれいむに何を望んでいるのかを。
 当然、ことの本質を理解しようともしていないれいむの抗議になど、少年はまるで取り合わない。

 そうやって、れいむの身体ではない、心を苦しめ、痛めつけることが目的なのに、この饅頭はまるでわかっていないのだから。
 楽しげに笑う少年の意図を、れいむはまったく理解しない。
 理解しないままに、少年が望むままに苦しみ、悶え、のた打ち回る。

「ごろじでっ! あがぢゃんだぢどおなじみだいに、ごろじで! すぐごろじで! れいぶをごろじでっ!!」
「あっそう。じゃあ好きにしろよ。とりあえず傷は直しておいてやるから」
「ゆびゅっ!?」

 なおも殺してくれと喚きたてるれいむに、少年は肩から提げた布地の鞄から竹筒の水筒を取り出した。
 そこから頭に振りかけらた液体が目に染みて、思わずれいむは悲鳴と共に目を閉じる。
 一瞬、ゆっくりが死ぬことのできる毒か何かと期待したが、もちろんそんなものではなかった。
 それどころか、引き裂かれた頬の傷口があっという間に痛みを失っていくのがわかる。

 恐る恐る、髪を伝って口元に一筋の流れを形作ったその粘度の高い液体を舐めてみる――とても、甘い。
 傷つき、死をひたすら望むほどに疲弊した心すら、油断すると癒してしまいかねないほどにその液体は甘かった。
 それが水あめというあまあまなたべものであるとまでは、まったく野生で育ってきたれいむは知らない。

「じゃーな」

 別れを告げるその言葉に我を取り戻した時には、頬の痛みはまったくなくなっていた。
 頭に注がれる液体も、いつのころからか途絶えている。慌てて目を開けたれいむの
 先のれいむの懇願など気にも留めず、いっそ丁寧なぐらいゆっくりと、安定した岩の上にれいむを置いて手を振っていた。
 岩場から飛び降り、れいむがその背中を追う頃にはすでに少年たちの姿はずいぶん先にある。

「まっ、まって! おいでがないでっ!」
「礼はいらないぞー」
「あと一日も待ってりゃ水は引くと想うぞ。よかったな、赤ちゃん死なせた代わりに家に帰れるぞ」

 まあ、多分ちびが死ぬのと水が引くのは関係ないけどな。
 そう言って、少年たちはどっと愉快そうに笑いあっていた。

「でいぶをごろじで! ごろじでよぉ!」
「やーだよ。死にたきゃ勝手に死ねば?」

 れいむが泣けば泣くほど、叫べば叫ぶほど、少年たちは楽しそうに肩を震わせて笑った。
 顔がキモい、声がキモい。ガキ殺したぐらいで必死なのがキモい。
 理由を挙げ、せせら笑い、だが川原を離れる歩みは止めずに、れいむからどんどんその姿が離れていく。 

「おでがいじばず! でいぶをごろじでぐだざいっ! れいぶを、でいぶをあがぢゃんのどごろにいがぜでぐだざい!
 おねがいじばず、おでがいじばぶっ!!」

 れいむは泣き喚きながら、追いかけた。
 精一杯、尖った石が親れいむの底面を抉り、切り裂く痛みなど気にもならなかった。
 致命傷には至らない痛みなどどうでもよかった。
 ひたすらに、自分の命を少年達が摘み取ってくれることを希った。

 彼らがれいむ自身の命よりもはるかに重い、赤ちゃんたちの命を遊びのために全て流し去ってしまったように。

 だが子供達は無情にも、れいむの願いなど一顧だにせず嘲り笑いながら走り去っていく。
 どんなに跳ねても、どんなに飛んでも、その背中にれいむが追いつくことは決してなくて。

「どぼじで! どぼじでごろじでぐれないのおぉぉぉ!!」

 ただ、痛々しい親れいむの絶叫だけが、誰もいなくなった川原に轟いた後。



 しばらくして、大きな水音がひとつ新たにバシャンと響き、川原は元の静けさを取り戻した。

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最終更新:2022年05月18日 22:32