江戸学術年表

1605年(慶長十年)
      林羅山徳川家康に拝謁。信任を得る。

1607年(慶長十二年)
      李時珍『本草綱目』、長崎に渡来


1613年(慶長十八年)
      東インド会社の商船船長セーリス、徳川家康に望遠鏡と虫眼鏡を贈る。
      (一説に、日本人で最初に望遠鏡をのぞいたのは家康であるとも言う)

1627年(寛永四年)
      吉田光由『塵劫記』刊行


1630年(寛永七年)
      林羅山、上野忍岡に林家の家塾を開設


1690年(元禄三年)
      林家の家塾、神田湯島に移転。昌平黌と呼ばれるようになる。

1691年(元禄四年)
      徳川綱吉、湯島聖堂にて自ら経書(儒学経典)を講ずる。


1699年(元禄十二年)
      渋川春海、『天文成象図』を刊行。日本人の観測結果を取り入れた初めての天体図。
      61の星座、308の星を掲載した。

1708年(宝永五年)
      貝原益軒『大和本草』刊行。

1754年(宝暦四年)
      山脇東洋、京都六角獄舎にて死体解剖を行う

1757年
      田村元雄名義で第1回東都薬品会開催。

1758年
      第2回東都薬品会開催。

1759年(宝暦九年)
      山脇東洋『蔵志』刊行。1754年の死体解剖の詳細をしるした
      第3回東都薬品会開催。

1760年(宝暦十年)
      江戸にて第4回東都薬品会開催。
      大坂の鍛冶町浄安寺にて、戸田旭山主催による物産展「薬物会」開催。
         平賀源内の出品もあったという。

1762年
      江戸にて、第5回東都薬品会開催。


1786年(天明六年)
      湲百年(たにひゃくねん)『経典余師』(けいてんよし) 儒学四書の独習書


1788年(天明八年)
      大槻玄沢『蘭学階梯』刊行。オランダ語の入門書。


1793年(寛政五年)
      七月二十日、橘南蹊宅で、望遠鏡を用いた天体観望会が催される。
      日、月、惑星の他、天の川アンドロメダ星雲なども観測していると云々。

1796年(寛政八年)
      司馬江漢『和蘭天説』公刊。コペルニクスの地動説が紹介される。


1797年(寛政九年)
      松平定信の寛政異学の禁を受け、林家の家塾「昌平黌」、幕府直営の教育機関へ。→昌平坂学問所

1799年(寛政十一年)
      京都にて、小野蘭山の門弟たちにより物産展「多識会」開催。


1816年(文化十三年)
      国友一貫斎、江戸へ上京


1826年(文政九年)
      大槻玄沢『重訂解体新書』刊行。『解体新書』の52年ぶりの改訂版で、杉田玄白の意向による。


1833年(天保四年)
      国友一貫斎、国産初のグレゴリー型反射望遠鏡を完成させる。


1832年(天保三年)
      坪井信道、江戸に蘭学塾日習堂を開く。


1835年(天保六年)
      国友一貫斎、正月六日より、日本人として初の太陽黒点連続観測を実施(翌年二月八日まで)





      参考文献
江戸時代の科学技術』市立長浜城歴史博物館
『江戸の教養』大石学編
『江戸の想像力』田中優子
最終更新:2013年10月30日 02:44