デルポイへの奉納品

  • デルポイ市内には、各ポリスからの奉納品を納める宝庫や、各ポリス寄贈の銅像、石碑が並んでおり、
   アルゴス市寄贈のトロイの木馬像や「テーバイ攻めの7将」像、「王族群像」、
   またナクソス市奉納のスフィンクス像、アテネによるマラトン戦勝記念碑などが並んでいた。




   3匹の蛇が絡み合う円柱に刻んだ「蛇柱」が、このデルポイに奉納されている。
   この柱の一番上には黄金の鼎が載っていたが、これはのち第三次神聖戦争の際にフォキス人に溶かされてしまったとか。
   またこの柱は、コンスタンティヌス帝により新都(現在のイスタンブール)に運ばれ、
   現在はそこに立っているという。


  • ヘロドトス『歴史』によれば、プリュギアのミダス王は、異邦人としてデルポイに
   自身が裁きをするときに腰を掛けていた見事な玉座を奉納したことがあるという。
   その後、リュディア王国のギュゲスが、デルポイにおびただしい量の銀製の奉納品を納め、
   これはその名をとって「ギュガダス」と呼ばれていたという。

  • また『歴史』によれば、リュディア王アリュアッテスもまた、病気平癒の感謝として奉納品をデルポイに
   納めているが、その中に鉄を溶接して作った混酒器の台があり、これは
   鉄の溶接技術を発明したグラウコスの作であったと伝えている。
   ヘロドトスによれば、デルポイにあるすべての奉納物の中でも「逸品」であったとか。

  • 同じく『歴史』によると、アルゴスで女神ヘラの祭礼があった際、牛が出払っていて牛車を引くものがいなかったので、
   母親を祭礼に間に合わせるために自ら牛車を牽いて送り届け息絶えたクレオビスビトンについて、
   その体力や心がけを称えたアルゴス人が作った立像もまた、デルポイに奉納されていたという。

  • 『歴史』に、コリントス人の宝蔵に、クロイソスが奉納した黄金の獅子像があったという。
   これはBC548年(W)の神殿火災により溶け落ちて、重さが約3分の2ほどになっているものだとか。
   また、クロイソスは他にそれぞれ黄金製、銀製の混酒器をも奉納しており、このうち銀製のものは
   デルポイ人がテオパニアの祭の際に使用しているとしている。



      参考文献
『図説ギリシア』周藤芳幸
『歴史(上)』ヘロドトス


最終更新:2015年07月11日 01:21