帝国内乱戦争時代には
セリーナの元で戦い、ハルバードの戦いで神聖帝国軍を半壊させる。
クーデター発生後は落ち延びて
クレアムーン国に渡る、それ以後戦場から身を引いて弥生の護衛を主な任務とする。
1263年の
バスティア会談(未作成)には弥生と共にバスティアに赴きルディとの再開も果たし、この会談を見届けると安堵したのか、表舞台から姿を消す。生活環境の変化から病がちになるが医師も薬も一度として受け付けず、バスティア会談から僅か数年後に病死する。弥生は親友を亡くしたと涙を流し、彼女の墓はクレアムーンと
ラグライナの国境に「恒久国境の碑」として建てられた。