概要
戦闘に至るまでの背景
ゾイヤ平原の戦い以降、一進一退の戦いを続けていたル・マンティスとクリートだが、
ルーイガルド10720年に小規模な戦いで連勝したル・マンティスは、その勢いにのってクリート北部の都市
ビドサラズに侵攻する。
両軍の戦力
戦闘経緯
ル・マンティスの進軍を察知した
クリート軍は、防衛戦に持ち込むふりをして一部の部隊を事前に先行させ伏兵兼遊撃部隊にしようとする。
しかし、
ル・マンティス軍の
ジュノーがたまたまその方面に大がかりな索敵を出していたために、突然の遭遇により両軍は正面からぶつかってしまった。
この遭遇戦は、いち早く増援を派遣することで
ル・マンティスが圧勝、勢いに乗ってそのまま
ビドサラズ攻略に取りかかる。
数の上で不利になった
クリート軍は、援軍のあてもないまま籠城戦に入る。
しかし、先の野戦での失策を取り戻そうとした一部の将軍たちが、あえて積極的に打って出ることを主張し、基本は籠城、好機を見計らって街の各門のうち可能な場所から出撃と退却を繰り返すという方針がとられた。
だが、この出撃すら
ジュノーが勘で総攻撃を予定していた時間、場所と重なってしまい再び不幸な遭遇戦となり、一方的な敗北により早々に瓦解する。
戦略が悉く裏目に出て、結果的に戦力の逐次投入になってしまった
クリート軍だったが、それでも数日間の攻防を必至に耐え抜くものの、頼みの綱の援軍はついに間に合わず、
ビドサラズは陥落した。
戦いの結末
ル・マンティスがクリートを破り、
ビドサラズの街は略奪によって「蹂躙」された。
ル・マンティスはビドサラズの一帯を支配下に治めることで国境線を僅かに南下させる。この頃から
ル・マンティス軍のモラルの低下が言われるが、後の
コダン神殿の悲劇と合わせて、後世に脚色された可能性が強い。
その根拠は「蹂躙」されたはずの
ビドサラズの街がすぐに復興し、約30年後の
シャクティアナ侵攻期には政治的に重要な地位を占めているからであるが、それでも一定の被害が出ていたことは事実である。
最終更新:2024年08月04日 03:47