概要
事件に至るまでの背景
当時、
ル・マンティスは
クリート北部地域に南下し、支配地域を徐々にではあるが広めていたが、その統治は、支配下とした土地では無理やり改派を迫り、拒否すれば厳罰に処すという激しいものであり、軍全体のモラルの低下もあり、その方針を悪利用して私欲、私怨を満たす者が後を絶たなかった。
その過程で
コダン神殿の悲劇は起こった。
コダン神殿は、元々クリートの神殿だったが、領域内が
ル・マンティスの支配下に入ってからは表向きは恭順を示していた。
しかし、
ル・マンティスの一部勢力が、裏で
クリートといまだ繋がっているとして神殿に攻め込み、神官、司祭のみならず、下働きの使用人に至るまで皆殺しにした。
両軍の戦力
戦闘経緯
クリート側で中心となって指揮を執っていたのは、当時神殿に在職中だった
マオだと言われている。
正規の軍隊ではない
コダン神殿の兵たちは序盤こそ必死に抵抗してよく耐えたが、その後は
ル・マンティス兵による一方的な虐殺の舞台となった。
事件の結末
コダン神殿は完膚無きまでに破壊され、降伏した人間も残虐な方法で処刑されたと言われる。
この事件により、
ル・マンティスは周辺国からの非難を受け、内部からも非難の声があがった。
ただし、宗教施設の破壊は
ル・マンティス、クリート両国でこれまでも行われていたことであるし、このコダン神殿の悲劇も大規模であったが、最大級の事件というわけではない。もちろん、
女神戦争中のこれらの行為に対する非難も、各国から出され続けていた。
この事件が特別に大きく取り上げられる背景には、後の
シャクティアナの侵攻の際に、この事件のことが取り上げられたことが大きい。特にクリートは
シャクティアナの侵攻に絡めて好んでこの事件について言及する。
ル・マンティス側でこの事件に関わった
トレインは、その後、事件の波紋が広まるにつれ上層部から疎まれ最前線に立たせられるようになるが、それでも生き延び続けたために特別報奨金等を頻繁に受け取るという、本末転倒な展開になる。
また、
クリート側でも、英雄と呼ばれながら
第一次シャロッツ包囲戦以降、周囲との関係がうまくいってなかった
フレイヤが、事件の対応を巡って部下との揉め事を起こし、罷免されている。
最終更新:2024年08月06日 13:57