0-3.日曜(昼2):物語_5
携帯が鳴り、それは四焉たちの助けを求める者の居場所が生徒会室前であると告げた。
参った。昼休みが終わりそうだ。次は何の課目だったか。腕時計を睨みながら、緋夕はため息をつく。何にしたって、偶然出会ってしまった妖しい二人組から離れなければ、午後の模試は遅刻間違いないだろう。
電話で向かうべき場所を知った二人だったが、背の高い方が何度か方向を間違えた。自分たちの校舎だろうにそんなことあるのかと呆れたが、広すぎなんだと愚痴られた。間違えるたびに、小さい方が正しい方向をフォローするが、それ以外は何も告げず、ご機嫌を損ねていくのまではフォローしない。
すまん、テストがあるから俺は戻る。言うのは簡単だが、後は面倒そうだった。明らかに不良な外見をしている二人だ。テストなど軽視しているだろうし、それより仲間の一大事というから、例え緋夕にとって義理も何もない相手でも軽んじればあの不良は激怒しそうだった。
「シエ、あそこ」
結局、黙って付いていくことを選び続けているうちに、小さい方の不良が離れの校舎を指し示した。
緋夕は校舎の三階を見、顔をしかめた。確かに、妖しく近寄りたくない空気に包まれている。
街を通る時にほんの小さな霊でさえ見かけなかったのが嘘のように、重い霊璋の渦ができていた。
シエと呼ばれた背の高い方が、校舎の壁際を見て、にやりと笑う。
「見ろよ、ガラスが割れてる」
窓際の地面に、キラリと陽光を反射するガラス片が散乱している。窓ガラスだろう。一階の窓も二階にも割れた窓は見当たらない。とすれば、3階しかない。
それも霊障なのか。自分でなんとかできる範囲なのか、今更躊躇が生まれる。
緋夕は軽く頭を振って、躊躇を切り捨てた。生半可な気持ちで臨めば、その分だけヤバいことになるのは自分だ。
入口、と目で探していると、シエに止められた。
「正面から入る馬鹿がいるかよ」
上機嫌に言って、彼は顎でしゃくって手近な大木を指した。
「は?」
「アス、先登れ。様子を見てこい」
打って変わって楽しそうな笑みを浮かべている不良青年。緋夕は心の底から呆れてしまった。いたずらっ子が名案を思い付いた時のような表情をしている。
大木を見上げ、なんとなく悪戯っ子の作戦を理解する。ガラスが割れているということは、三階の窓が開いてるという事。正面、というか一階の玄関口から入らず、窓から飛び移って意表を突こうというのか。
植え込みの木は太く、確かに三階まで伸びていた。しかも丁度良い具合に、校舎へ向いている太めの枝がある。しかし、どう頑張っても人が伝って侵入できるような枝じゃない。
幹から窓までは約三メートル。跳べる距離か、これがッ!
「待て待て待て」
もっとよく考えろ。諌める間もなく、小さい方が命じられるままに登っているし。指示した方も、根元から手を伸ばして最初の枝に登ろうとしている。
緋夕は慌てて駆け寄り、意気揚々と登ろうとする肩を抑えた。
「なんだよ」
「あのな……。お前達ができたって、無理だと思うんだよな。俺が」
落ちる。それってなんか受験生的にタブーなフレーズだと思う。
「じゃあ、てめぇは指咥えて待ってろ」
言い捨てられた。ここまで黙って付いてきてやった相手になんていう言い様だ。
緋夕は改めて己の不運を感じた。
こいつらに遭ったのが運の尽きなのか。
「……」
悔いている間にも、アスは三階近くへ昇り、シエはもう最初の枝に乗り上げていた。
昇るべきか昇るまいか。
「……? おい!」
緋夕は不意に、後ろから近付く妖気を感じ取って振り向く。小さく、木の上のシエに警告を発した。
中等部の校舎の方から、誰か来る。二人の学生。一人はもう一人の肩を借りている様子だ。どちらか、あるいは両方が、木の上の不良達のように『憑かれ』ている。
「あれ? シエ!?」
近付く学生の、肩を貸している方が声を上げた。
「ん?」
「なんだ、知り合いか?」
『憑かれ』友達か。緋夕の言葉に、シエは「そんなもんだ」と頷いた。
向こうは一人を肩に担いでいる所為か、足を止めただけで近寄っては来ない。もう一人の方が睨むように三階を見ている。目的地は似たようなものらしい。
「何してんの。て、あれ? オレ、レグに電話して家出るなっつったよね。危ないんだ、オレ達の領域なんだよ」
「知らねぇな」
ここから逃げろ、と言う学生に、不良は不遜に言い放った。
「レグが、上にいる」
「窓から新手が来ます」
目を瞑り、晶は言った。ニィと廉也が笑みを浮かべ、目玉がそろりと動く。その横で忍が不敵に笑い、起き上がった部下に命じた。
「エリゴル、ハゲンティ!」
呼応するように真貴子と咲羅の纏う妖気が揺らめいた。
『邪魔だ』
奇妙な声が、真貴子の口から漏れる。干乾びた咽喉から発せられた男のような声と少女の低い声が同時音声のように重なっている。少女の声はもちろん真貴子自身のものだったが、今までに一回も聞いた事のない低い音域で発せられていた。
真貴子がおもむろに手を上げれば、そこから騎乗槍のような太く鋭い妖気が放たれ、窓に寄った目玉を散らす。目玉数体を犠牲にし、ミーレクレスが文句を言い募る中、真貴子は妖気の放った後を辿るようにして窓へ突進した。そして、割れたガラスも厭わず窓枠に手を掛け、窓の外に飛び出でる。
『てッめ……!』
「修復します」
無視されたミーレクレスが怒り出す前に、咲羅が手を床に突いた。床からハゲンティの力は窓へと伝わり、ミーレクレスの目前で窓が修復されていく。ゴツンとガラスにぶつかり、目玉は恨めしそうな目で振り返った。
「上? ……生徒会室」
学生が呟くように言葉を漏らした。不良はフンと口端を上げる。
肩を借りている学生が、生徒会室を睨みながら、低く言った。
「……行くぞ、ユキが待ってる」
「あ、はい」
促され、不良の知り合いの学生は肩を持ち上げ、再び動き出そうとした。
しかし、直後、上空で妖気が膨れ上がった。
「おい、上を見ろ!」
緋夕が叫ぶと同時に不良と学生が三階を向く。丸いものがいくつか吹き出た、と思った次の瞬間、人が窓から飛び出してきた。
「ち、アス! 先行けっ」
「ん」
命じられるまま、小さな身体が木の枝を揺らして宙に踊る。窓ガラスが特別な力で急速に修復され閉じられていく。アスが窓の内側に辿り着くより、窓ガラスが元通りの閉じられた状態に戻る方が早い。
しかし、窓枠のほんの少しの突起に軽々掴まり、小さな身体は窓に張り付いた。そして、中を見、そこに守るべき親友の姿を確認すると、影に同化しガラスをすり抜けた。
アスの代わりというように、妖気を膨れ上がらせた女生徒が落ちてくる。
「女の子!?」
肩を貸している学生が驚愕の声を上げる。女の子。言われて気付くが、確かに憑かれているのは女の子だった。しかし、憑いているものを如実に感じ取れる緋夕には、落ちてきた少女が黒い馬に包まれているようにしか見えなかった。
黒馬は生い茂る葉を掻き分け、校舎の壁を駆け下りる。
「来るぞ」
四焉の怒声とともに、衝撃が奔る。粉塵の如く捲き上がる負の気配に緋夕は視界を守るように腕を掲げた。
「シエ……?」
「そんな心配しなくてもな」
遠くで上がる声を鼻で笑って、四焉が腕を振るう。黒馬の吐き出す瘴気とは別の、禍々しい風が腕に絡み一瞬にして黒馬の齎した闇を払う。
「邪魔だから向こういってろよ」
「でも」
「ああ言ってる」
なおも気になるのか、食い下がるが肩に担いでいる方に促され、二人は校舎に消える。どういう知り合いかはわからないが、この場から心配事が一つ減ったのは好ましい。
緋夕は改めて、目前に鎮座する黒馬に向き合った。
「どうするんだ」
黒馬の殺気を真っ向から受けて平然と笑っている男子に問い掛ける。
「さぁて」
どうするかな。混ぜっ返すようにシエはせせら笑う。
何がおかしいんだろう。ピリピリと迸る殺気は肌を焦がすように熱気を孕んで吹き付ける。瘴気の結ぶ実像はそのまま霊威の強さを顕している。少なくとも相手は自らの霊威を隠してもいないようだった。それに比べ、シエの気配は、まだ怪しいところがある程度で人の域を超えていない気がした。
緋夕の懸念を知ってか知らずか、シエはただ笑い、頭上にあった木の枝を折る。
それはアスが登る時に使った最初の枝。枝の先の方とは言え、それなりには太い。約1mの長さだろうか、それを拾い上げ、刀に見立てるように一振り二振りと前方を薙いだ。木の葉の付いた枝が空を切り、柔らかに撓る。
「こんなもんだろ」
「まさか、それが武器ってんじゃ」
「達人は道具を選ばないんだぜ」
弘法、筆を選ばず。センター模試の過去問に、そんな諺があった。
達人じゃないんだから道具は選んでおけ、と言いたかったが、選んでいるような暇はないようだ。黒馬が嘶きを上げる。
前足を高く持ち上げ、嘶く邪妖。その足で蹴られるだけでも生身同然の緋夕とシエにはひとたまりもないだろう。高く持ち上げた前足を振り下ろさんとした黒馬の前に立っていることなどできるはずもなく、緋夕は迷わず回避行動をとる。
直進して駆け抜ける黒馬に、シエだけが木の枝を構えて立ち向かった。
にやりと笑い、シエは軽く枝を振るう。逆巻く風が枝に纏い、一陣の木枯らしがシエの前髪をそよがせた。黒馬は一瞬にして間合いを詰め、敵対する者目掛けて馬上の騎士が槍を振り下ろす。
薄ら笑うシエが、振り下ろされた凶刃に対して掲げたのは細い枝一本。
黒槍と細枝が交わったその点から、爆発的な突風が吹き荒れた。
突風に黒槍は弾かれ、黒馬はよろめき前足を浮かす。対してシエは黒騎士の突撃に一歩として揺らがず、泰然とその場に立っていた。
にやりと顔に浮かんだ笑みは、明らかな勝利宣言。
「もうちょっと遊んでもいいんだが、」
上で、アスが待ってるしな。余裕の笑みでシエは嘯く。
「手間は掛けられねぇ。緋夕お前、アスを止めたあの一撃あったよな」
続く
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