「オリックス退団選手名鑑(野手part2)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
オリックス退団選手名鑑(野手part2) - (2007/09/16 (日) 16:25:41) の最新版との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
>&font(I){史上初の800本塁打、歴代最多の本塁打・打点を記録した最強のスラッガー}
>
>&size(30){彪流姜維Ⅲ}(JASON)
>#right(){127~147オリックス}
>&font(b){MVP2度(134・138)、首位打者1度(134)、本塁打王5度(134・137~139・144)、打点王3度(134・138・144)、ベストナイン18度(128~142・144・145・147)、新人王(127)}
>>彪流3代目の選手で今度もスラッガータイプ。今までは台頭までに時間がかかっていたが、今度は1年目から25本塁打・82打点の活躍で早速力を発揮。テスト(ソ)を抑え野手新人王を獲得。翌2年目も同じ25本塁打でジンクスを打破。97打点はチーム最多でクリーンナップでは最高の働きを見せた。129期は後半の活躍で六番ながら120打点をマークし不振だったオチローとの評価を逆転するシーズンに。翌シーズンは不振だったが131・132期ともに打率3割30本塁打110打点以上と四番のオチロー以上の活躍を見せ、両シーズンともチームMVP(非公式)。133期は.343の高打率に初の40本塁打をマークし、全打撃部門で2位につけるという準三冠王になると、翌134期は三冠王に躍り出た。リーグ最高レベルの打者・オチローを抑えてのこの勲章はまさに圧巻でしかも特殊能力が安定感と威圧感だけの20代での達成。132期からは課題だった守備力も向上し指名打者解除。波の少ない選手でもあり打線の中核を打つにあって非常に頼もしい。135期は26本塁打94打点と彪流にしては物足りない成績だったものの、136期は40発130打点としっかり巻き返したところはさすが。137期はオチローとともに初の50本塁打コンビに。138期は2期連続の50本塁打で二冠王を獲得。139期は9期ぶりに打率2割台、本塁打も40台に落ち着いたが、それでも同僚のオチローを振り切っての3期連続本塁打王。140・141期は連続50本塁打160打点も、ソフトバンクのネイル選手が歴史的な数字を残す活躍っぷりでこの2期はタイトルに届かず。翌142期はオチローの引退を待たずに四番を奪取。記録では全ての面で前任者を下回ってしまったものの、ようやく戻った定位置で残りのシーズンで本塁打と打点の記録を狙う。143期は打率以外の成績で上回っていたのにも関わらずソフトバンクの中山がベストナインに選出され、入団2年目から続けていた連続選出がついにストップ。オチローの残してきたものがあまりにも圧倒的で三番時代が長かったが、それだけに相手バッテリーはこのコンビに震えた。144期は本塁打・打点の二冠をゲットし実に5期ぶりのタイトルホルダーとなった。146・147期はともに3割を切ってしまいさすがに衰えを隠せなかったが最終契約年に通算800号を達成。打点でもオチローを上回りふたつの記録で歴代最多に上り詰めた。史上に残る強力打線との相乗効果もあってこれだけの数字になったのだから、当分この記録が破られることはないだろう。ベストナイン18度も単独トップ。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|127|.274| |25| 82| 4||138|.366|207|50|144| 7|
>|128|.285| |25| 97| 1||139|.293|171|46|134|10|
>|129|.285|161|31|120| 3||140|.368|192|51|160| 5|
>|130|.280|160|29| 90| 5||141|.348|204|50|169| 6|
>|131|.306|168|31|112| 8||142|.352|194|38|160| 8|
>|132|.306|181|36|122| 6||143|.324|180|44|149| 7|
>|133|.343|200|40|123| 7||144|.338|189|43|162| 2|
>|134|.356|205|43|138|15||145|.319|176|37|133| 1|
>|135|.310|179|26| 94|10||146|.268|152|38|112| 1|
>|136|.346|195|44|130|12||147|.282|163|29|115| 1|
>|137|.312|179|52|135|17||(21)|.317|3767|808|2681|136|
|CENTER:BGCOLOR(navy):COLOR(khaki):[[オリックス・バファローズ>http://www6.atwiki.jp/akebon/pages/430.html]]関連ページ一覧|
|&strong(){掲示板}:[[オリックス板]]&br()&strong(){過去の選手}:[[オリックス殿堂館]]|[[オリックス退団選手名鑑(投手)]]|[[オリックス退団選手名鑑(投手/part2)]]|[[オリックス退団選手名鑑(野手)]]|[[オリックス退団選手名鑑(野手part2)]]&br()&strong(){記録・チーム史}:[[各年度チーム成績・個人チーム記録>オリックス・バファローズ・レコード・ブック]]|[[オリックスバファローズ史]]&br()&strong(){過去ページ倉庫}:[[オリックス・保存ページ倉庫]]|
>&font(I){かつて首位打者2度に輝いたアベレージヒッター}
>
>&size(30){フィンクス}(lick)
>#right(){156(大)~172ヤクルト、173~176オリックス}
>&font(b){首位打者2回(164、166)、盗塁王1回(158)、ベストナイン7回(158、164、166、168、172、他2回)、ゴールデングラブ(164)、新人王(156)}
>>18年目39歳の最晩年にオリックスへ移籍してきた選手。ヤクルト在籍時は俊足巧打の選手として鳴らし、首位打者2度盗塁王も1度輝いた。しかしそれらは全盛期に獲得したもので、移籍時には大分力も衰えており、開幕四番で迎えた173期は打率2割6分と期待に応えられなかった。しかし翌174期はかつての安定感が蘇り3割1分とチームトップの打率をマーク。引退年となった176期も高打率をマークし、ともにその年は龍王が不振で四番に座ることもあり健闘した。盗塁数のほうはかつてほど稼げなくなったがなんとか通算500盗塁を達成。かつていたカモメ選手のような三番タイプの選手だった。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|||||||~|167|.303|183|20| 66|24|
>|||||||~|168|.339|206|19| 75|33|
>|||||||~|169|.315|194|25| 85|21|
>|||||||~|170|.273|161|25| 74|27|
>|||||||~|171|.333|207|29| 98|32|
>|||||||~|172|.315|187|24| 86|33|
>|||||||~|173|.269|140|11| 74|26|
>|163|.309|186|12|51| 9|~|174|.312|162|16|67|16|
>|164|.357|212|16|75|29|~|175|.293|159|10|63| 8|
>|165|.370|221|24|72|47|~|176|.316|174|25|82|14|
>|166|.357|210|21|83|34|~|(21)|.309|3605|368|1365|501|
>156~172期の各年度記録はヤクルトさんのページから抜粋しました(空白は記録なし)
>&font(I){打撃では遅咲きながらも走守に玄人好みの選手}
>
>&size(30){アルヴィア}(ある)
>#right(){156(大)~175オリックス}
>&font(b){首位打者(166)、盗塁王(166)、ゴールデングラブ(165・168)}
>>全体的なバランスの良さが身上の右打者。遅咲きではあったが何度かタイトルも獲得している好選手。威圧感を習得していたものの1年目はさっぱり不振。それ以上に目立ったのが27失策を記録した守備だったが、これは無理矢理セカンドを務めさせられたから(というより変更を忘れられていた)。翌157期は外野にシフトし失策数大幅減に成功し守備面の不安は一掃された。チャンス×を消去した159期には打率.270、翌160期には3割をマークし上位を打つことが多くなった。162・163期は盗塁が40を超え一番に定着。しかし打率がなかなか上がらず2割5分台に終わった164期はParkerにトップの座を譲ってしまった。毎シーズンチームトップの盗塁数をマークするように足は大きな武器だが、どうも打撃が向上してこなかった。それでも当時は打線が弱かった為、既に上位には欠かせない選手であった。10年選手となった165期は久々に打撃復調で自己最高の.314をマーク。160期の以来の好成績で優勝に貢献。チャンスメーカーを習得した166期はさらに安定感が増し打率.326の高打率。幸運にも首位打者となり、さらにはオリックスの選手には馴染みの薄い盗塁王の二冠の大活躍。もはやParkerとの一二番コンビはおなじみになった。13年目の168期からは守備職人習得で守りでも欠かせない選手に。ただここに来てさすがに全盛期の力は弱ってきており、16年目からは3割からはちょっと後退。足のほうはまだまだ健在だが、ちょっと上位を打つには苦しい数字になっており、引退説も飛び交うように。それでも契約最終年までなんとか通し、20年の現役にピリオド。依然守備のほうは名手のレベルを維持し、目立たないながらもあまり評判の良くないオリックスの守備陣を支え続けた。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|156|.216|115| 2| 33|12|~|167|.296|179|14| 48|39|
>|157|.248|136| 4| 31| 8|~|168|.322|192|15| 64|56|
>|158|.244|126| 5| 39| 9|~|169|.307|187|17| 68|46|
>|159|.270|157|12| 60| 7|~|170|.301|184| 6| 31|57|
>|160|.310|192|12| 57|23|~|171|.267|163| 6| 32|35|
>|161|.237|129| 7| 31|22|~|172|.284|171| 8| 51|40|
>|162|.260|156| 6| 41|43|~|173|.276|169| 6| 43|23|
>|163|.272|161| 6| 35|40|~|174|.268|163| 4| 32|39|
>|164|.259|157|10| 48|26|~|175|.270|151| 6| 44|13|
>|165|.314|185|11| 58|31|~|||||||
>|166|.326|198| 7| 52|50|~|(20)|.278|3271|164|898|619|
>&font(I){かつての名プレイヤーが次々と抜けた低迷期にようやく生まれたスラッガー}
>
>&size(30){村山重喜}(ナンバ8)
>#right(){152(大)~172オリックス}
>&font(b){MVP2回(164・166)、本塁打王4回(166・169~171)、打点王4回(164・166~168)、ベストナイン11回(158・162・164~172)}
>>一発不足に陥ってきているチーム事情の中で入団したホームランバッター。チームでは唯一の特殊打法(一本足)。長打の才能が開花したのは4年目の155期、一時は四番も打ち28本塁91打点はチーム最高の数字だった。翌156期も25ホーマーを放ち97打点。158期は初の100打点を記録し順調な成長ぶりを見せた。パワーMAXとなった159・160期は不振だったが、翌161期は中軸を打つ選手の目標でもある「3割・30本塁打・100打点」を達成。しかし162期は前半本塁打王で折り返すも後半チームとともに大失速。ここまでシーズン成績にややムラがあったが、超特能を習得した164期は134打点を叩き出し大ブレイク。終盤まで同僚のクリーンナップの中村・ランタンらと三冠王争いを演じ、闘気習得で一気にハイアベレージを残せる主砲へと成長した。これ以降、不動の四番として完全定着。166期は初の40本塁打で2度目のMVP。打率は同僚アルヴィアにわずか1厘差及ばず三冠王を逃した。167期は後半に入って本塁打を量産し3度目の打点王。この間打率が下降傾向だったが168期は.350の高打率で挽回。満塁時に強さを発揮し本塁打は30に留まりながら140近い打点を稼いだ。169期はこれも減少傾向にあったホームランを40本とし、これを始め171期まで3期連続本塁打王獲得。衰えはたしかにあるのだがうまく特能でカバーしており、尚且つこの間チームの打線が良くなってきたのが幸いになって長く活躍できた。ラストイヤーの21年目は9期連続の100打点突破も、同じく9期ぶりに3割・30本塁打を切ってしまいさすがに息切れ。かつては同期の彪流・オチロー・skillらが伸び悩み、貧打に喘いだ打線もいつの間にか次第の戦力がひしめく顔ぶれになった。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|152|.206|113|12| 57| 3|~|163|.279|148|29| 85|12|
>|153|.300|156|11| 61| 5|~|164|.341|176|38|134| 7|
>|154|.219|117|14| 49| 6|~|165|.331|177|31|111|19|
>|155|.262|149|28| 91| 1|~|166|.325|171|42|139|13|
>|156|.289|151|25| 97| 0|~|167|.309|159|37|123|21|
>|157|.272|142|20| 88| 3|~|168|.350|188|30|138|13|
>|158|.313|167|29|104| 0|~|169|.343|174|40|117|10|
>|159|.272|141|27| 76| 0|~|170|.303|160|34|109|15|
>|160|.267|143|22| 71| 6|~|171|.323|176|36|101| 9|
>|161|.304|156|37|111| 9|~|172|.290|155|25|101|11|
>|162|.294|156|28| 87|13|~|(21)|.294|3275|595|2050|176|
>&font(I){オリックス移籍後はどうも本来の力を出せず}
>
>&size(30){六本木ヒルズ}(六本木ヒルズ)
>#right(){154(大)~166巨人、167~172オリックス}
>&font(b){ベストナイン(169、他6回)}
>>トレードで巨人からやってきた中距離ヒッター。巨人時代はアベレージヒッターとして鳴らし、通算打率は3割超で移籍前年も打率リーグ4位を記録。衰えが始まり全盛期ほどの力はないが、豊富な特殊能力の持ち主であり、打撃だけでなく走塁・守備での貢献も期待されている選手だった。しかし三番打者として期待された移籍1年目の167期は一向に打率が上がらず、不調なシーズンに。巻き返しを図った168期は豪力を習得。しかし本来が率を残すタイプだったせいか、長打を狙うことでどうも歯車が狂ってしまった。本塁打はわずかの増加で打率がさらに低下。最も注目されていた打撃で期待に応えることが出来ないままだったが、移籍3年目の169期はようやく3割30本塁打と復活。このシーズン前半戦だけで20ホーマーを稼ぎ一時は本塁打王争いに参戦したほど。しかしようやく迷走から脱却したと思われたのも束の間、翌170期からはまた元の状態に戻り巨人時代に見せた打撃職人ぶりが影を潜め安定感が無くなってしまった。172期終了後、まだ契約を残していたが引退を決め19シーズンの現役にピリオド。移籍後本来の働きが出来たのは169期の1シーズン限りというのは何とも寂しい。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|154|.269| |12| 55|15|~|165||||||
>|155|.273| |12| 62|14|~|166|.317|180|21| 86|18|
>|156|.264| |10| 54|10|~|167|.293|172|17| 75|19|
>|157|.297| |19| 97|13|~|168|.267|155|21| 92|18|
>|158|.306| | 7| 73|20|~|169|.317|189|30| 91|20|
>|159| | | | | |~|170|.283|159|17| 85|14|
>|160|.310| |22| 96|27|~|171|.253|140|25| 75|13|
>|161| | | | | |~|172|.276|160|16| 79|13|
>|162| | | | | |~|||||||
>|163| | | | | |~|||||||
>|164| | | | | |~|(19)|.299|3206|367|1577|368|
>154~166期の各年度記録は巨人さんのページから抜粋しました(空白は記録なし)
>&font(I){低迷中のチームを甦らせた救世主}
>
>&size(30){ランタン}(雛氷)
>#right(){148~162巨人、163~168オリックス}
>&font(b){MVP1回(161)、本塁打王1回(164)、打点王2回(161・162)、ベストナイン10回(157、158、160~166、168)}
>>常勝巨人の不動の四番として君臨した強打者。161期MVPに打点王、翌162期も打点王を獲り、まさに全盛期真っ只中でオリックスに移籍してきた。wiki編集者不足というチーム長年の課題もこの方の登場により吹き飛ばした。移籍1年目は巨人時代と同様打棒を発揮し「.300・30本・100打点」をクリア。翌164期はさらに成績を伸ばし初の本塁打王を獲得。ベテランになってからの移籍だったので、オリックス在籍は6シーズンだったが、その6年間全て3割・100打点突破と主軸として全く衰えを見せ付けない打棒を発揮した。守備にも自信がありとまさにチームに欠けていた部分を一気に解消してくれた存在。チームの建て直しにあたって大きく貢献した救世主。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|148|.269| |10| 71| 4||159||||||
>|149| | | | | ||160|.280| |31|111| 9|
>|150|.229| |21| 59| 7||161|.324| |34|119| 9|
>|151|.265| |23| 94|16||162||||||
>|152|.295| |22| 74|11||163|.317|164|33|112|14|
>|153|.318| |26| 84|12||164|.329|184|39|113|12|
>|154|.290| |22| 90|11||165|.318|175|32|114|15|
>|155|.296| |25| 87|22||166|.315|174|27|108|18|
>|156|.270| |28| 73|10||167|.305|163|31|112|13|
>|157|.333| |26|102|16||168|.301|168|27|111|13|
>|158|.316| |30|103|22||(21)|.298|3575|567|2039|276|
>162期までの各年度記録は巨人さんのページから抜粋しました(空白は記録なし)
>&font(I){確実性向上で波状の無い選手に。しかしMVPを獲ったオフにまさかの退団・・・}
>
>&size(30){カモメ}(Fish@HIAOC)
>#right(){154~165オリックス}
>&font(b){MVP(165)、首位打者(165)、ベストナイン(164・165)、新人王(154)}
>>入団時、オリックスでは貴重だった俊足巧打型野手。元々左を苦手とする弱点があったものの、1年目は六番を打つ等チーム最多タイの18盗塁で新人王を獲得した。154期にシェフチェンコが退団してからは唯一チームで走れる(走力C以上)選手になったのだが、2年目の155期は途中からトップバッターに定着するも大砲型がズラリと並ぶ打線の中とあって走る機会が激減。結果前期の半分にすら及ばない6盗塁となった。こうなってみると率を稼ぐタイプとして期待したいところだが成績に安定感が無く、55がトップに定着した150期代後半は下位に廻っていた。左腕が苦手という弱点はいつも同様、プラス能力で上書き消去するのがこの方ならでは。その為最初6年は全く戦力になっていなかったが、160期に左×を除去、一転左○を習得すると打撃覚醒。突如主力選手並に打つようになり、28本塁打103打点と爆発。後半戦やポストシーズンでは一二番を務めた。盗塁数は新人年以来の巻き返しで、たちまち怖い打線のポイントゲッターに。しかしそれ以降成績が下降線でやや物足りない数字。打点も163期は18本塁打打ちながらわずかに43と以前の勝負強さが影を潜めている。164期に復調気配を見せると、165期は自身初の3割どころか首位打者まで獲得する打撃爆発を見せ、たちまちクリーンナップに定着。村山や中村といった同僚を引き離してMVPまで獲得。チーム18期ぶり優勝の立役者となった。足もあり一発もありに今度は確実性まで急上昇。怖い打者に成長したが、連続未キャンプで自己最高の成績を挙げた途端に名無しに。絶頂期を迎えていた選手の離脱以上に長く中距離打者専門として貢献してきたFish@HIAOCさんの退団も非常に痛い。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|154|.258|145| 5| 38|18||165|.334|204|35| 93|28|
>|155|.269|162| 8| 45| 6||||||||
>|156|.253|160| 5| 41|12||||||||
>|157|.256|160| 7| 38| 8||||||||
>|158|.232|130|11| 56| 6||||||||
>|159|.247|127|10| 53| 6||||||||
>|160|.298|161|28|103|16||||||||
>|161|.286|160|21| 68|10||||||||
>|162|.259|149|25| 75|14||||||||
>|163|.278|156|18| 43|27||||||||
>|164|.294|177|27| 88|22||(12)|.272|1891|200|741|173|
>&font(I){移籍元年に初タイトル!オリックスではわずか2年間というのが残念}
>
>&size(30){中村信二}(ディック)
>#right(){148~163巨人、164~165オリックス}
>&font(b){首位打者1回(164)、ベストナイン(156・157・159・164他)}
>>長きに渡り捕手専門で歩んできた攻守における司令塔。走者を釘付けにする強肩もさることながら、打撃でも一発こそズバ抜けて多くはないものの、幾度となく100打点をマークしたように勝負強さが持ち味のクラッチヒッター。巨人で16年在籍後、2年契約でオリックスへ移籍。巨人時代晩年はかつての打棒は潜めていたが、移籍後復活。流動的だった三番にようやく定着した村山を退け、フルシーズン安定して安打を量産し自己新の打率.349で自身初タイトルとなる首位打者を獲得。安打数も200超えを果たした。三番に定着しハイアベレージを叩き出したことで、村山が五番で打点王を獲得するブレイクをし一気にリーグ最高峰のクリーンナップとなった。ランタンとともにオリックス打線を蘇らせた選手。しかしこの活躍で燃え尽きたか、翌165期は打率を1割近く落とす大不振。それでも94打点を叩き出したが、急激に劣化したのは否めない。丁度契約切れとなり巨人で16年、オリックスで2年の現役生活にピリオド。引退前年に首位打者を獲ったのは見事。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|148|.188| | 8| 36|10||158|.341| |25|109|18|
>|149| | | | | ||159||||||
>|150|.241| |15| 58|13||160|.286| |34|117|15|
>|151|.264| |14| 56|25||161|.315| |27|102|19|
>|152|.274| |14| 61|22||162||||||
>|153|.249| |26| 70|14||163|.270|144|15| 61|11|
>|154|.281| |28| 76|15||164|.349|211|32|102|17|
>|155|.301| |15| 80|13||165|.257|154|19| 94|18|
>|156|.290| |32|113|10||||||||
>|157|.286| |31|109|15||(18)|.282|2775|389|1482|295|
>164期までの各年度記録は巨人さんのページから抜粋しました
>&font(I){超特能習得後の移籍は非常に痛い}
>
>&size(30){skill5}(skill)
>#right(){150~154西武、155~164オリックス、165~阪神}
>&font(b){ベストナイン(164)}
>>skillさんと言えばパワーヒッター量産機として有名で、前の「4代目」では西武でシーズン本塁打記録(62本)を更新。5代目は150期に西武に入団し5年目に初の20本塁打を突破するとオリックスへ移籍。扇風機セール打線という事情で二番という馴れない打順の中、打席数急増で自己最多の25本塁打を記録。157期は四番のオチローが大不振でリーグワーストの得点力だった打線の中、一人気を吐く初の100打点突破を果たす。しかし30を迎えた翌157期はまた以前のような不安定な成績になり、クリーンナップ定着には至らず。基礎能力の割に3割無し、キャリアハイ25ホーマーと期待の打撃はまだまだ眠っている状態が続いたが、159期に初の特能となるパワーヒッターを習得しチームの主砲へ成長。30本塁打の壁を破りいよいよ打線の主役に。161期まで3期連続で30本塁打を記録した。しかしここ最近は衰えの波が来たせいか低迷。翌162期はわずか2割6分しか打てず、163期は20本塁打に終わった。下降線を辿り続ける成績だったが164期オフに闘気を習得。これにより復調が期待されたものの、同オフ阪神に移籍。ジリ貧傾向だったとはいえ超特能を習得した主砲の退団は打線の攻撃力低下を招くことに。移籍後1年目はいきなり自身最高の37本塁打110打点の成績を残した。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|150|.269|152|17| 78| 5||161|.276|161|33| 85|2|
>|151|.244|152|17| 76| 4||162|.265|140|27| 86|7|
>|152|.258|145|19| 63| 5||163|.254|137|20| 92|3|
>|153|.250|136|17| 81| 5||164|.280|157|22| 90|6|
>|154|.296|163|23| 78| 9||||||||
>|155|.277|173|25| 71| 3||||||||
>|156|.273|155|20| 70| 0||||||||
>|157|.293|157|20|103| 1||||||||
>|158|.267|141|21| 75| 2||||||||
>|159|.289|158|35|102| 0||||||||
>|160|.301|164|30| 87| 1||(15)|.273|2267|346|1237|53|
>154期までの各年度記録は西武さんのページから抜粋しました
>&font(I){もし、ゴールデングラブ賞があればタイトルホルダーになっていた守備職人}
>
>&size(30){55}(55)
>#right(){149~163オリックス}
>&font(b){}
>>強肩好守の守備職人。意外にも足が遅く(入団時F4)、小技(バント×)も苦手。こうなれば守備でアピールするしかないのだが1年目はショートで13失策を記録してしまう。1・2年目の成績が打率では1厘、安打数1本、盗塁数が1個の差が出ただけで本塁打・打点は同数だった。140期代に在籍した完全守備型のあれ選手と似たようなタイプで打撃では全く目立たない存在。しかしあのような経歴は辿らず、156期は一番に定着したように徐々に克服。同オフには威圧感を習得。すっかり不動のトップバッターとなったものの、せいぜい2割7分台と打線の中での一番としてはやや物足りない印象が残った。その後は2割5分前後のシーズンが続き下位に廻ることが多くなった。打率低下は歯止めが利かず、名無し化となった164期はついに九番に。やはり打つよりも投壊が続く中、影で支えた守備が光る選手で、他チームのページの賞やランクに載るほどの鉄砲肩がこの選手の真骨頂だった。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|149|.201|111| 6|37| 2||160|.276|154|11|48|4|
>|150|.202|110| 6|37| 3||161|.282|170|12|57|9|
>|151|.211|114| 6|34| 8||162|.259|150| 5|55|10|
>|152|.240|127| 2|28| 4||163|.245|137| 9|48|9|
>|153|.261|137| 7|47| 2||||||||
>|154|.232|123|11|51| 0||||||||
>|155|.223|117|15|56| 2||||||||
>|156|.276|167|13|57| 2||||||||
>|157|.277|171|10|38| 1||||||||
>|158|.277|169| 9|52| 1||||||||
>|159|.287|174| 7|47| 1||(15)|.245|2131|129|692|52|
>&font(I){暗黒期だった90期に移籍し長年主軸として支え続けたJASONさんが退団}
>
>&size(30){彪流姜維Ⅳ}(JASON)
>#right(){148~162オリックス}
>&font(b){ベストナイン(152・161)}
>>JASONさん4代目となる選手。過去3選手と同様今度もスラッガータイプ。1年目の148期は八番で15本塁打を放つと、その後も順調に成長。4年目の151期に27本塁打92打点と台頭。いよいよスラッガーとして頭角を表す。翌152期(5年目)に打率3割・99打点をマークし大ブレイク。確実性が増したことで五番に定着。この台頭の早さがJASONさんならではと言ったところで8年目の155期には34本塁打を放ち初の大台突破。しかしここまでいい感じに来ていると見えるが実はかなり苦戦中。年俸がなかなか上がらず貯金のほうもまだちょっと少ない。ようやく159期にパワーヒッターを習得もなんと17本塁打止まり。翌160期には27本塁打を放ち、四番に定着して巻き返したものの、習得前と比べあまり状態が変わっていない。毎度10年目前後に果たしていた超一流への殻破りも今度は一流で終わってしまう危険性も出てきた印象で、歴代彪流の中では一番低い成績で終えてしまう可能性も。しかし14年目の161期ようやく40本塁打と100打点の壁を破り、一皮剥けた活躍を見せた。しかし翌年は25本塁打75打点を下回り、長続きはせず。この成績に不満を抱いたか、はたまた諸事情なのかわからないが突然退団を決意。JASONさん自身その後もどことも契約せずリーグから遠ざかってしまった。長年チームを支え続けた主砲量産機が去ったのは残してきた数字以上に重たく、痛い。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|148|.265|144|15| 59| 3||159|.276|138|17| 67| 0|
>|149|.226|122|16| 66| 0||160|.285|159|27| 95| 0|
>|150|.239|131|14| 72| 2||161|.294|169|40|108| 1|
>|151|.253|140|27| 92| 0||162|.299|168|24| 73| 1|
>|152|.305|166|22| 99| 0||||||||
>|153|.289|162|23| 70| 0||||||||
>|154|.272|146|18| 63| 0||||||||
>|155|.261|147|34| 78| 0||||||||
>|156|.300|172|30| 85| 1||||||||
>|157|.278|156|23| 71| 0||||||||
>|158|.296|164|35| 95| 0||(15)|.276|2284|365|1193|8|
>&font(I){15年目にアベレージヒッター習得後まさかの転落}
>
>&size(30){オチローⅤ}(オチロー)
>#right(){143~161オリックス}
>&font(b){ベストナイン(151・159)、新人王(143)}
>>あけペナ史上五本の指に入る最強の四番バッター「オチローⅣ」の転生選手。今度は初期能力に威圧感は付いておらず、1年目は打率.254、21本塁打とさすがに再現とまではならなかったが新人王を獲得。147期は29本塁打と確実に長打力は伸びてきているが打率は2割5分あたりをウロウロしており粗さが目立っていた。入団当時は野手陣は中堅以上がズラリと並び早いうちに野手陣のリーダー格となった。148期に初の100打点突破を果たすと、翌シーズンも連続100打点で初めて四番に定着。その後ウミツバメの復調により一度外されたが、それ以後は絶対的な支柱として四番の座を守り抜いている。自己最多本塁打は豪力を習得した12年目154期の36本。しかしそれ以降のシーズンは30本程度と超特能を得る前からさほど成績が変わっておらず、せっかく長い時間をかけて身に付けたものも活かせない状態が続いている。タイトル争いにも名が挙がることもほとんど無く5代目の選手は苦戦続き。打率もシーズン毎にムラがあり、どうにか不確実性を打開すべく156期オフにはアベレージヒッターを習得したものの蓋を開けてみると入団後最悪とも言えるシーズンに。スラッガー型が変に安打量産狙いに転じたせいで迷いが見られたのか、157期は打率2割6分18本塁打と両面でパッとしない成績に。打点50台は自身最低の数字で四番として到底満足できる成績を挙げれなかった。まさかの大不振で立場はかなり狭くなってしまったが、158期は2割7分に27本塁打と不振からはどうにか抜け切った模様。しかし160期に打率2割2分台と再び大不振に見舞われ、161期もホームランは10本台と、戦力としては怪しい状態に。ここでついに名無し化してしまい19年の現役にピリオドを打った。名無し化した162期は打率1割台とやはり挽回は難しかったようだ。長年チームに貢献してきたオチローさんの退団は大きな打撃となりそう。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|143|.254|151|21| 76| 9||154|.295|162|36| 91| 6|
>|144|.236|136|23| 88| 2||155|.310|175|29| 75| 3|
>|145|.247|140|19| 86| 3||156|.274|151|32|115| 3|
>|146|.249|134|25| 70| 1||157|.269|153|18| 59| 0|
>|147|.246|140|29| 89| 7||158|.290|160|22| 85| 2|
>|148|.267|141|28|107| 7||159|.276|158|27| 83| 0|
>|149|.287|154|27|117|10||160|.222|121|19| 75| 2|
>|150|.282|152|24| 92| 4||161|.238|130|18| 75| 4|
>|151|.301|159|32|113| 2||||||||
>|152|.324|180|21| 81| 3||||||||
>|153|.266|148|23| 78| 5||(19)|.270|2845|473|1655|73|
>&font(I){黄金期に登場したこともあって打点マシンぶりは凄い}
>
>&size(30){Zenka}(steve)
>#right(){138~156オリックス}
>&font(b){本塁打王1回(151)、打点王1回(148)、ベストナイン2回(140・148)、新人王(138)}
>>黄金期に入団し、自身の成長が進むと同時にチームが沈んでいく中気を吐く主砲。1年目は低打率に喘いだが15本塁打とそこそこ長打力を見せ、翌139期は本塁打数を20本に乗せると、140・141期はおもに七番を務めながら100打点をマーク。145期は3割に到達し確実性が大分出てきた。チームの野手では唯一の高卒選手。147期は10年目にして初となる30ホーマー。143期以降毎年100打点をクリアしており、いよいよクリーンナップへステップアップした。148期は42本塁打135打点と大ブレイクし、打点王を獲得(チームでのタイトルホルダーは唯一)。しかし翌149期は不振に陥り、四番を一つ下のオチローに譲る形に。辛うじて3割は守ったが、本塁打が20と前期の半分に終わってしまった。四番を取り返したのは151期で、前期復活を遂げたウミツバメが元の状態に戻る不振でシーズン終盤に四番交代。日本ハム勢のスラッガーを差し置いて初のホームランキングに。この辺を峠に段々と下り坂に入り15年目の153期は打率2割6分台と精細を欠き、高卒のせいもあってか衰退期突入後の激しい劣化が激しくなってきた。154期からは四番を外れ、155期は3期ぶりの3割達成もホームランは20と伸び悩み、翌156期はついに14本塁打。打率も2割5分を切り引退を決意。ホームランは大体30本前後で推移しており、どちらかと言えばチャンスに頼れるクラッチヒッター。台頭こそ早かったが晩年時代の衰えが激しく財津堂年数は20に届かなかった。今度は守備型タイプで勝負することに。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|138|.236|134|15| 82| 1||150|.310|165|25|100| 8|
>|139|.267|153|21| 89| 4||151|.320|172|38|105|10|
>|140|.279|163|18|105| 4||152|.300|160|24| 86| 7|
>|141|.258|145|24|106| 7||153|.263|145|29| 87| 4|
>|142|.258|153|24| 93| 6||154|.276|145|30| 97| 6|
>|143|.268|156|23|107|10||155|.312|176|20| 70| 2|
>|144|.283|160|24|102| 6||156|.249|130|14| 65| 0|
>|145|.310|173|28|116|10||||||||
>|146|.277|150|27|103| 5||||||||
>|147|.312|174|30|114| 6||||||||
>|148|.329|180|42|135|19||||||||
>|149|.302|158|20| 82| 9||(19)|.284|2992|476|1844|124|
>&font(I){30本塁打・100打点・30盗塁3度記録した俊足スラッガー}
>
>&size(30){ウミツバメ}(Fish@HIAOC)
>#right(){134~153オリックス}
>&font(b){MVP1回(145)、本塁打王1回(145)、ベストナイン7回(140~145他)、新人王(134)}
>>T.B.Bird改めFish@HIAOCさんの転生選手。足の速さが武器で1年目は打線好調の影響を受け83打点をマーク。そこからは若干盗塁数は伸ばすも打撃面では停滞状態だったが、137期は打率3割台を記録し138期は97打点を記録。さらに翌139期は大台の100打点を突破し球史初の100打点セクステット最後の打者として名を刻んだ。次のシーズンも打点マシンぶりは変わらず前年を大きく上回る135打点をマーク。とはいえ打率は依然低い状態が続いていたが、威圧感習得の141期は自己最高の.322を記録。ようやく打順も二番になり光が当たりだしてきた。その二番で143・144期ともに35本塁打120打点をクリア。145期には河崎の不調で一番打者に定着した。146期は2割5分の打率に終わる不安定なシーズンだったが、翌147期はしっかり.305と修正した。
>> 148・149期は打率2割8分台と精細を欠き、おもに六番を打った。それでも149期は4期ぶりの100打点を記録した。
>> 150期は6期ぶりに3割2分台をマークするなどかつての輝きを取り戻す活躍。途中から四番に座り打線の核となりベテランの意地を見せた。ただ盗塁がわずか3個と足の衰えは顕著になってきた。
>> 確変は一シーズンで終わり151期はクリーンナップから外されることはなかったが低打率に悩まされた。
>> 152期(19年目)は再び3割をマーク。似たタイプの大田・河崎らが一気に劣化したのに比べてベテラン期に突入後もしっかりと成績を収めている。
>> 20年目を迎えた翌153期は.263と不振に終わり、契約残り1年を残しながら引退。
>> 本来は俊足がウリだったが5期連続30本塁打をマークする等、走れる長距離砲だった。トリプル3は142・143・145期と3度達成。通算打点も非常に多く後1年やっていれば2000打点の大台突破も時間の問題だった。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|134|.265|150|10| 83|14||145|.317|194|39|117|32|
>|135|.272|161|14| 83|19||146|.253|141|24| 76| 9|
>|136|.264|149|12| 71|21||147|.305|177|29| 90|21|
>|137|.302|171|14| 84|25||148|.281|147|20| 75|16|
>|138|.290|168|15| 97|16||149|.283|150|19|103|22|
>|139|.256|151|23|102|18||150|.328|176|27|105| 3|
>|140|.279|166|26|135|14||151|.277|156|25| 95|13|
>|141|.322|183|32|117|24||152|.301|165|19| 73| 5|
>|142|.311|187|35|109|39||153|.263|142|18| 69| 6|
>|143|.339|211|36|147|32||||||||
>|144|.329|194|38|128|28||(20)|.292|3339|475|1959|377|
>&font(I){142期に史上2人目の4割打者になる等、140期前後は暴れまくった核弾頭}
>
>&size(30){大田良祐}(ナンバ7)
>#right(){131~151オリックス}
>&font(b){MVP2回(142・144)、首位打者3回(139・142・144)、盗塁王1回(142)、ベストナイン15回(133~145・147・148)、新人王(131)}
>>142期に77シーズンぶりとなる史上2人目の4割打者となったアベレージヒッター。通算打率でも上位に進出。最初から威圧感を所持しており打率.304、25盗塁と堂々新人王を獲得。翌2年目は前半戦大不振でいわゆる二年目のジンクスにはまってしまうものの、後半大きく巻き返し2割8分台にまで持ち直した。結果的に上昇期中不調に陥ったのはこの年だけで133期は2期ぶりに3割を記録し、20本塁打を打つなど長打力も徐々に発揮。134期はついに200本安打を記録し不動の一番に。138期にはチームでは恐らく初のトリプル3を達成しそれに加え100打点を突破する等凄まじい成績を記録。勢いは留まることなく翌139期もトリプル3&100打点を記録。そして.371のハイアベレージでついに首位打者を獲得。140期は打率こそ下がったが36本塁打を放ち長打力も非常についてきた。翌141期はこれまで30台が続いていた盗塁数を一気に50台へアップ。142期はさらに加速。打率.416を記録しduo3.0(西)が記録して以来となる4割打者となり77期ぶりにシーズン最高打率を更新。開幕時から凄い勢いで打ち続け、一番か三番かの起用法をめぐって起用変更合戦が勃発。結局は後半から三番に落ち着き、首位打者・盗塁王・MVPとタイトルを総ナメした。この快進撃でついに通算打率1位に立ち打率に関しては完全に極めたといった感じに。衰退期に突入した翌143期はさすがに打率3割4分とダウンしてしまったが2期連続の40本塁打100打点と中軸として完全定着。144期には3度目の首位打者を獲得。しかしこのあたりから転落期を迎える。145期は久々に通算打率を下回る.332、146・147期はギリギリでの3割。特に147期は終盤での帳尻合わせで辛うじて3割に乗せた苦しいシーズンだった。
>> 148期は2年目以来実に16期ぶりに3割を切った。チームで2人しか選ばれなかったベストナインになんとか選出されたが、トップだった通算打率がついに2位に転落。
>> 149期、下がり続ける打率は尚も止まらず自己ワーストの.279に終わってしまう。フルで三番で出続けたが本塁打は10本台で打点も一気に下がってしまった。
>> 150期は2割6分台とさらに打率ダウン。一桁本塁打に終わり、30個前後を維持し続けてきた盗塁数も半減。不動だった三番もついに外され七八番をおもに打った。
>> 最終年の151期はようやく打率が復調しそこそこの働きを見せたが、全盛期に比べると輝きは完全に失っていた。
>> 通算打率は最終的には4位にまで後退。150期には史上初の「500本塁打・500盗塁」を達成。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|131|.304|162|14| 56|25||143|.341|193|40|150|36|
>|132|.287|162| 9| 73|20||144|.365|198|40|131|32|
>|133|.307|187|20| 89|31||145|.332|191|32|114|30|
>|134|.313|201|15| 67|38||146|.305|176|26| 82|21|
>|135|.314|194|21| 83|33||147|.300|176|26|101|26|
>|136|.333|212|22| 81|38||148|.297|175|22| 89|31|
>|137|.317|196|23| 80|39||149|.279|158|13| 54|30|
>|138|.328|205|31|109|36||150|.262|143| 7| 61|15|
>|139|.371|221|30|106|36||151|.287|153|14| 71|14|
>|140|.328|202|36|105|34||||||||
>|141|.347|205|36|110|53||||||||
>|142|.416|243|43|149|69||(21)|.321|3948|520|1961|687|
>&font(I){黄金期には二番打者として切れ目の無い打線を演出}
>
>&size(30){河崎}(聡3)
>#right(){131~151オリックス}
>&font(b){盗塁王1回(143)、ベストナイン5回(139~141・143・144)}
>>巧打と足の速さが特徴的な大田良祐と1・2番を組む同期入団の中堅選手。ルーキーイヤーとなる131期は打率2割半ば、盗塁は20に1つ届かなかった。2年目となる132期のキャンプで左投手に弱いと言う弱点を克服、すると開幕から別人のように打ちまくり、一時期は.350を記録していた。が、最終的には丁度.300。しかし盗塁を除く全ての打撃成績で前年を上回った。133期は本塁打・打点・盗塁数は増加したものの打率は2割半ばとやや後退し、それに伴い打順も9番に降格。134・135期はそこそこの成績を残すも強力打線にあって下位に定住したまま。ややじり貧状態だったが、136期は自己最高の打率.315をマークし成長の跡を見せた。翌137期も好調を維持しZenkの後釜として二番に定着。139期は長打が冴え二番という打順ながら100打点突破。140・141期は本塁打数はグンと減ったが.329の高打率をマーク。同シーズンのアベレージヒッター習得で打撃安定感がグッと増した感。守備でも進歩を見せ不恰好であった二塁守備も大分安心して見れるようになってきた。141期後半より1番に抜擢。それに伴い盗塁も142期から連続50個と大幅増。打率は4期連続で3割2分以上を記録してきたが、144・145期ともに3割を割ってしまった。146期は打順下位からのスタートも他の野手が不振でなんとか最終的には二番に戻った。翌147期は4期ぶりの3割復活をするも打順はおもに八番で打点が50を割ったのは1年目以来だった。
>> 148期は打撃が復調してきたこともあって二番に定着。あとヒット1本というところで3割には届かなかったが、3期ぶりに180安打・二桁本塁打・30盗塁を記録。
>> 翌149期は3割到達を果たすも、150期は2割5分を切る大不振に。
>> 最終年となった151期は中盤まで3割を維持し打線復調の一人者となる汚名返上の活躍。通算安打20傑にランクインした。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|131|.258|145| 6| 48|19||143|.322|208|19| 82|59|
>|132|.300|178|10| 56|15||144|.293|189|13| 65|35|
>|133|.265|156|12| 70|23||145|.274|185|13| 61|40|
>|134|.292|163| 9| 81|23||146|.296|179| 9| 63|21|
>|135|.272|156|10| 79|25||147|.308|178| 9| 49|23|
>|136|.315|181|11| 73|22||148|.299|182|13| 63|30|
>|137|.318|207|16| 81|28||149|.306|189|10| 47|23|
>|138|.269|176|13| 67|24||150|.245|149| 6| 37|23|
>|139|.325|209|25|108|36||151|.291|156| 2| 40|15|
>|140|.329|212|15| 84|27||||||||
>|141|.329|217|13| 93|33||||||||
>|142|.319|212|14| 93|51||(21)|.297|3827|248|1440|595|
>&font(I){とにかく特殊能力で不必要なものにこだわった守備のスペシャリスト}
>
>&size(30){あれ}(あれ)
>#right(){135~149オリックス}
>&font(b){}
>>広い守備範囲に精度の高い守備を魅せるオリックスの中堅手。若い頃はややボロも多かったが年数が経つにつれて今やリーグ最高の守備力を誇る。「俊足堅守」タイプが多い中、それに「強肩」が加わっている選手は同リーグでは非常に貴重な存在。入団以来ずっと「完全9番打者」だったが146期に八番を打ったことで記録は途絶えた(恐らく本人がやったかも)。あまりに弱すぎる打撃のほうは特殊能力の購入履歴を探ると効果の薄いものばかりを優先しており、どうやらこのあたりは意図的にやっているよう。悪い面を探ると他にもちょっと書けないものがあり、引退と同時に退団してくれたのはチームにとってプラスになるか。転生選手は現在常勝の横浜に行ったが、どうもこの常勝というのが引っかかる。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|135|.233|132| 8|62|18||146|.222|120| 7|43|16|
>|136|.225|127| 7|52|23||147|.254|139| 7|54|30|
>|137|.218|123| 7|54|19||148|.252|141| 7|43|24|
>|138|.244|138|10|65|22||149|.231|123| 6|41|18|
>|139|.250|141| 6|50|26||||||||
>|140|.256|150|11|71|18||||||||
>|141|.252|144|16|84|21||||||||
>|142|.288|172| 8|66|43||||||||
>|143|.283|159| 9|70|44||||||||
>|144|.252|145| 9|53|22||||||||
>|145|.278|159|11|60|26||(15)|.250|2113|129|868|370|
>&font(I){打って守ってwiki編集と三拍子!}
>
>&size(30){るぱん.Jr}(abba)
>#right(){135~148オリックス、149~中日}
>&font(b){ベストナイン(136・137・139・142・144)}
>>強打と守備を併せ持つスラッガー。1年目は打順はほぼ下位だったものの打率.288に85打点と新人離れした成績を残した(その年の新人王は同僚のアルファクトだった)。さらに翌136期は本塁打を20本台に乗せると、137期は32本塁打と早くも大砲の片鱗を見せた。136期から五番に定着し2期連続100打点とクリーンナップの責務をしっかり果たしている。138期は不振だったが、139期から145期にかけ7期連続100打点をマーク。当初は攻撃型選手だったが若手時代は守備面での成長に時間をかけ今やパーフェクトな選手になった。連続100打点中では継続しながらも143期頃には成績が打ち止め傾向だったが、144期は闘気習得で打率.349の高打率をマークし、翌145期も自身2番目のベストとなる.328と怖い五番打者に成長。146期には彪流に代わって四番となっている。148期も不動の四番で自己最多の39ホーマーを打つも、残念ながら同年限りで中日の移籍が決まった。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|135|.288|169|13| 85| 7||146|.299|157|28| 92| 6|
>|136|.274|158|21|109| 4||147|.315|171|33|116| 6|
>|137|.285|168|32|115|10||148|.314|169|39|111| 7|
>|138|.271|159|19| 84| 7||||||||
>|139|.324|188|31|112| 8||||||||
>|140|.302|178|30|132| 3||||||||
>|141|.280|164|27|113|12||||||||
>|142|.271|164|31|125| 6||||||||
>|143|.283|163|21|103| 9||||||||
>|144|.349|193|32|135| 8||||||||
>|145|.328|176|20|104| 9||(14)|.298|2377|377|1536|102|
>&font(I){史上初の800本塁打、歴代最多の本塁打・打点を記録した最強のスラッガー}
>
>&size(30){彪流姜維Ⅲ}(JASON)
>#right(){127~147オリックス}
>&font(b){MVP2度(134・138)、首位打者1度(134)、本塁打王5度(134・137~139・144)、打点王3度(134・138・144)、ベストナイン18度(128~142・144・145・147)、新人王(127)}
>>彪流3代目の選手で今度もスラッガータイプ。今までは台頭までに時間がかかっていたが、今度は1年目から25本塁打・82打点の活躍で早速力を発揮。テスト(ソ)を抑え野手新人王を獲得。翌2年目も同じ25本塁打でジンクスを打破。97打点はチーム最多でクリーンナップでは最高の働きを見せた。129期は後半の活躍で六番ながら120打点をマークし不振だったオチローとの評価を逆転するシーズンに。翌シーズンは不振だったが131・132期ともに打率3割30本塁打110打点以上と四番のオチロー以上の活躍を見せ、両シーズンともチームMVP(非公式)。133期は.343の高打率に初の40本塁打をマークし、全打撃部門で2位につけるという準三冠王になると、翌134期は三冠王に躍り出た。リーグ最高レベルの打者・オチローを抑えてのこの勲章はまさに圧巻でしかも特殊能力が安定感と威圧感だけの20代での達成。132期からは課題だった守備力も向上し指名打者解除。波の少ない選手でもあり打線の中核を打つにあって非常に頼もしい。135期は26本塁打94打点と彪流にしては物足りない成績だったものの、136期は40発130打点としっかり巻き返したところはさすが。137期はオチローとともに初の50本塁打コンビに。138期は2期連続の50本塁打で二冠王を獲得。139期は9期ぶりに打率2割台、本塁打も40台に落ち着いたが、それでも同僚のオチローを振り切っての3期連続本塁打王。140・141期は連続50本塁打160打点も、ソフトバンクのネイル選手が歴史的な数字を残す活躍っぷりでこの2期はタイトルに届かず。翌142期はオチローの引退を待たずに四番を奪取。記録では全ての面で前任者を下回ってしまったものの、ようやく戻った定位置で残りのシーズンで本塁打と打点の記録を狙う。143期は打率以外の成績で上回っていたのにも関わらずソフトバンクの中山がベストナインに選出され、入団2年目から続けていた連続選出がついにストップ。オチローの残してきたものがあまりにも圧倒的で三番時代が長かったが、それだけに相手バッテリーはこのコンビに震えた。144期は本塁打・打点の二冠をゲットし実に5期ぶりのタイトルホルダーとなった。146・147期はともに3割を切ってしまいさすがに衰えを隠せなかったが最終契約年に通算800号を達成。打点でもオチローを上回りふたつの記録で歴代最多に上り詰めた。史上に残る強力打線との相乗効果もあってこれだけの数字になったのだから、当分この記録が破られることはないだろう。ベストナイン18度も単独トップ。
>|期|率|安|本|点|盗||期|率|安|本|点|盗|
>|127|.274| |25| 82| 4||138|.366|207|50|144| 7|
>|128|.285| |25| 97| 1||139|.293|171|46|134|10|
>|129|.285|161|31|120| 3||140|.368|192|51|160| 5|
>|130|.280|160|29| 90| 5||141|.348|204|50|169| 6|
>|131|.306|168|31|112| 8||142|.352|194|38|160| 8|
>|132|.306|181|36|122| 6||143|.324|180|44|149| 7|
>|133|.343|200|40|123| 7||144|.338|189|43|162| 2|
>|134|.356|205|43|138|15||145|.319|176|37|133| 1|
>|135|.310|179|26| 94|10||146|.268|152|38|112| 1|
>|136|.346|195|44|130|12||147|.282|163|29|115| 1|
>|137|.312|179|52|135|17||(21)|.317|3767|808|2681|136|
|CENTER:BGCOLOR(navy):COLOR(khaki):[[オリックス・バファローズ>http://www6.atwiki.jp/akebon/pages/430.html]]関連ページ一覧|
|&strong(){掲示板}:[[オリックス板]]&br()&strong(){過去の選手}:[[オリックス殿堂館]]|[[退団投手名鑑Ⅰ>オリックス退団選手名鑑(投手)]] [[投手Ⅱ>オリックス退団選手名鑑(投手/part2)]]|[[退団野手名鑑Ⅰ>オリックス退団選手名鑑(野手)]] [[野手Ⅱ>オリックス退団選手名鑑(野手part2)]]&br()&strong(){記録・チーム史}:[[レコードブック>オリックス・バファローズ・レコード・ブック]]|[[オリックスバファローズ史]]|[[シーズン別ベストオーダー1(~140)>オリックスシーズン別ベストオーダー]] [[2(141~)>オリックスシーズン別ベストオーダー(141~)]]&br()&strong(){etc}:[[他球団分析&注目選手]]&strong(){過去ページ倉庫}:[[オリックス・保存ページ倉庫]]|
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: