アマネオ

それ(1991年)

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amaneo

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 雨多ノ島にあった怪しい工場は地域住民の反対運動により潰れてしまった。跡地に建てられた水族館は新しいが既に寂れており、海洋生物学を専攻しているタマキが勤めていた。

「女としてどうかと思うほど身嗜みは最悪なのに、脱色だけはしてるのね」

 隣のデスクで熱心に仕事するタマキを、ユーミは茶化すように言った。
「そっちはオシャレに余念がないようで。おかげさんで会計まで僕の仕事だ」
「その『僕』ってやめてくれない? 三十過ぎてボクっ娘って痛いわ」

 タマキは目を見開き、資料を見せる。
「――この会計、おかしいぞ。計算が合わない。巧妙に隠されてるが、知らない金が入ってる」
「赤字よりいいじゃないの」

 手を広げ、マニキュアの塗られた爪を見つめて言う。タマキは息巻いてプリントを机に投げた。
「よくないだろ。税金とか!」

 ユーミはイスごと近づいて、立ち上がりかけたタマキの顔を覗き込む。
「知りたい? 知ったら戻れないわよ」

 一時間後、二人は水族館地下プールの端にいた。ちゃぷちゃぷと波立つ水の中央には、多数の触手と蝙蝠の羽を持つ生き物が仄青く明滅している。
「図鑑にもない生き物かっ」

 タマキの頬が紅潮する。
「本土と雨多ノ島の間は小型ボートで行き来できるくらい短いけど、それと反比例するように深さは二千メートル。何故か事故が多発してた。そこで調査艇を送り込んだら『それ』がいたってわけ」
「お金は」
「政府から出てる『それ』の軍事研究費――ていうか口止め料ていうか」

 タマキは玩具を見つめるこどものように、プールサイドから身を乗り出している。
「だから、口止めのためにこうするワケよ!」

 ユーミはタマキの背を押し、水中に突き落とした。途端に『それ』はエサに気付き、触手を伸ばす。

 ごき。ぶちり。

 瞬間、タマキは自分の小指を第一関節まで噛みちぎり、『それ』に向かって投げていた。投げられた指に触手が絡みつき、補食行動に入る。別の触手はタマキを再び追い始めたが、既に彼女は泳いでプールサイドに向かっていた。

 ユーミは呆気にとられた表情で動けずにいる。そこへタマキが上がって早足で向かい、肩をつかんで揺さぶった。
「ヒィッ! ごめ」
「すごいすごいすごい! なんだアイツ。軟体動物らしいが明らかに腕は数十本! そのどれもを自分の意思で動かしてる! しかもカワイイ! こんなのを隠してたなんてズルイ。僕も研究に参加させてくれよ、なあ、お願いだよ」

 こうして、タマキとユーミは同じ仕事をする仲間になったのだった。
「ねえ、なんで髪を脱色してんの?」
「昔から泳ぐのが好きで、プールの塩素で色が抜けたんだよ」
「だっさい理由」

 タマキは意に介さずに、『それ』の記録を嬉しそうに眺めていた。