ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko2009 足りないらんと足りすぎるちぇん(前編)
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「ちぇぇぇぇん!! もうすぐ産まれるよー!!」
「わかるよらんしゃまぁぁぁ!! ゆっくり産んでねー!」
らんのまむまむを押し広げ、今にも産まれそうな赤ゆの前にちぇんは命の次に大事なお帽子をベースボールのキャッチャーのように構えて待っていた。
二匹が住まう木の洞の外では桜の花びらがちらほらと舞い落ちていた。厳しい冬を乗り越えた山の生き物は植物動物問わず一斉に目覚め、長い眠りについていた生命力を発散させている。
越冬を終えたゆっくりたちもその例外ではなく、このらんとちぇんの番もまた新しい命を迎え入れようとしていた。
「ゆぅぅ……ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
番への信頼か出産の痛みに耐える本能的な咆哮がそれなのか、ともあれ母親であるらんは最高の力を振り絞り我が子をこの世へと送り出した。
体中にくっつかせた酢飯を散らしながら、赤ゆっくりがまむまむから発射された。父親のちぇんがお帽子で赤ゆっくりを受け止め、その下に敷いた桜の花びらでこさえられた絨毯に二匹の子供が着地する。
「………………え?」
「ちぇん……?」
父ちぇんは、顔面から桜の絨毯に落下してうぞうぞと背部の尻尾を触手のように蠢かしながら起き上がろうとする『それ』を凝視して、完全に固まっていた。
母らんは次の子供がさらにまむまむから顔を出そうとしているというのに、不穏なちぇんの反応に嫌な予感を覚えて、桜の絨毯に視線をやった。
二匹の子供は桜の花びらと酢飯を顔中にくっつかせながらも元気いっぱいの表情で、力強く産声をあげた。
「わきゃりゅよー! ゆっきゅりしちぇいっちぇね!」
わかるよーという口癖、茶がかったふさふさとした黒髪、木の葉色のお帽子、頭から生えた猫耳、さらに片耳にだけ生まれつき付けられた金色の耳輪。
全てゆっくりちぇんの特徴を過不足なく反映し、さらにお顔も母らんに似た美ゆっくりだ。だが、それでも、二匹の子供にはゆっくりできない点があった。
「……ゆ? わきゃりゃにゃいよー? ゆっきゅりしちぇいっちぇね?」
不安げに『九本の尻尾』をイソギンチャクのように揺らしながら、赤ちぇんは両親の顔を見比べた。
「わからないよーーー!? なんでらんしゃまとちぇんのおちびちゃんがゆっくりできないおちびちゃんなのおおおおお!?」
「ちぇん! 大声を出しちゃだめ!」
父ちぇんは、はっとして二本の尻尾で口を閉ざす。
そう、本来ちぇん種は生まれついて尻尾を二本持つゆっくりである。それ以上でも以下でもない。もしそれ以上でも以下でもないちぇんが生まれたなら、それは人間で言う所の『畸形児』であり、ゆっくりで言う所の『ゆっくりできないゆっくり』である。
実際、この赤ちぇんはそれ相応の太さを持つ尻尾を九本も持つため、背中の下半分全てが尻尾の付け根という人間でも凝視すればキモいと感想を抱いてしまう外観であった。まぁ毛を全部刈ったゆっくりらんの尻尾の実態とはこういうものなのであるが……。
とにかく、尻尾が二本でないちぇんはゆっくりできない。ゆっくりできないので、そのちぇんもろとも産んだ両親も畸形ですらない姉妹をも含めて一家全員せいっさいの対象だ。
そうなりたくなければ、速やかにこの赤ちぇんは潰してしまい、証拠隠滅してしまう必要があった。だから母らんは父ちぇんの動転した大声を制止したのである。
「……わきゃりゃにゃいよー! おとーしゃんもおかーしゃんも、にゃんでしゅーりしゅーりしてくりぇにゃいのー!? ちぇんはおとーしゃんとおかーしゃんとゆっくりしちゃ――」
「だまってね!」
父ちぇんに体当たりを食らわせられた赤ちぇんは洞の天井にぶち当たり、母らんの傍に落下した。
生れ落ちて十秒も経たない間に祝福どころか実の父親に殺意のこもった攻撃を食らわせられた赤ちぇんは、何もかもがわからないといった表情で目にいっぱいの涙を溜めて泣き叫ぼうとした。
だがその口をとても暖かでふんわりとした感触が止めた。それは母らんのふさふさとした尻尾である。
「おきゃーしゃん……?」
「おちびちゃん、ゆっくり聞きなさい。おちびちゃんは、らんのおちびちゃんでも、ちぇんのおちびちゃんでもないの。だから今すぐこの家から出てってくれる?」
「わきゃりゃにゃいぃぃぃいいい! おかーしゃんも、おとーしゃんも、ちぇんのおかーしゃんとおとーしゃ――ゆべにゃ!?」
暖かく赤ちぇんを抱き止めてくれていたはずの尻尾が弾かれるように跳ね、その小さな体を洞の壁に叩きつけた。
赤ちぇんは一本二本三本四本五本六本七本八本九本と、その呪われた尻尾の先端を地面に着けて顔を上げ、涙と酢飯と花びらでぐしゃぐしゃになった表情で両親を見つめる。
胎内の中で無間の鐘をBGMにゆっくりしたゆん生を夢描いていた赤ちぇんの中で、砂糖粒の欠片すらも予測していなかったものが、そこにあった。
つまり、まるで温度を感じさせない、路傍の犬の糞でも見るかのような、両親の表情。
今、赤ちぇんの中はわからないことだらけだった。疎まれている原因が自分の尻から背中にかけて生えているものが多すぎるからなど見えていないのだからわからなく、このような仕打ちを受ける原因も、間違いなく遺伝餡が告げているはずの本物の両親が自分の両親ではないと言う理由も、何もかも。
だが、それでも、ただ一つ、わかりたくない答えが赤ちぇんの中で理解されようとしていた。
「らんしゃま、ちぇんにはわかるよ! このおちびちゃんはゆっくりできないおちびちゃんだよ! ゆっくりできないゆっくりはみんなにバレる前に潰さないとらんしゃままでゆっくりできなくなるんだよ!」
「でも、そうすると死臭が付く。らんはちぇんをおちびちゃん殺しにしたくないんだよ……わかってね」
「……わかったよらんしゃま……そういうことだから、お前はゆっくりしないでさっさとどっか行ってね!」
自分は、生まれてきてはいけない命だったのだと、赤ちぇんは、理解した。
それがこの九つ尾の赤ちぇんが生まれて初めてわかったことだった。
「わきゃっちゃよ、おかーしゃん、おとーしゃん……」
「何を言ってるの? らんはお前みたいなゆっくりできないちびは知らないよ」
「そうだよ! ゆっくりできないゆっくりはゆっくり死ね!」
「わきゃっちゃよぉお!! でも、せめちぇ、せめちぇいもーちょだけは、いちどでもいいきゃら、みさしちぇね!」
この願いを、両親は憐憫の情を以って受け入れた――わけではなかった。父ちぇんは一度家の外に視線をやり、群れのゆっくりが近くにいないか確認したのだ。いくら追い出すとはいえ、家から出てきた現場を見られては意味が無い。
赤ちぇんはあちこち擦り剥けたりへこんだりした体を舐めて、妹が誕生する瞬間を待ち侘びた。自分が得られない幸せ、親からの愛情、ゆっくりした生活……母胎の中で思い描いた夢を受ける、自分と同じ餡を受けたゆっくりの姿を見たかった。
それは羨望や妬み、嫉みの感情ではない。赤ちぇんは本能から理解できていた。親もいない、生まれたばかりのゆっくりが野生で生き延びることはあまりにも難しすぎることを。だから、幸せに生きる妹の姿を自分の姿に置き換えて夢想することで、ゆっくりした最期を遂げられるだろうと、無意識に考えていた。
「ちぇぇぇぇん!! もうすぐ産まれるよー!!」
「わかるよらんしゃまぁぁぁ!! ゆっくり産んでねー!」
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
そして、二匹目が産まれた。
赤ちぇんと同じように酢飯の尾を引きながら父ちぇんのお帽子に受け止められ、桜の絨毯に落ち、もぞもぞと顔を上げようとする。そこまでは同じだ。だが、そこからのゆん生は百八十度……
「………………え?」
「ちぇん……?」
父ちぇんのチョコレート脳は冷温と室温とを行ったり来たりして、ファットブルーム現象でも起こしたのか、さーっと顔が白ざめた。
なんとか顔を起こした母らんは、その赤らんを見た。
お札が貼られた帽子。帽子の中に納まったピンとした二本の三角耳。お顔も父ちぇんに似てどこか愛嬌がありながら凛々しさも感じさせる美ゆっくりだ。
だが、足りない。ゆっくりらんには後光が差すとも言われる由来の、あの九つ尾、黄金色の尻尾が、一股――たった二本しか生えていなかった。
「ゆぅ……ちぇぇぇぇぇん!」
挙句の果てに頭まで足りないのか、赤ゆっくりですらまず間違いなく言える、ゆっくりのゆっくりたる由縁である挨拶すらまともに言えず、ちぇんを鳴き声にしている始末だった。
母らんは、自らの尻尾に顔を埋めてわっと泣いた。
しかし、今度の子供には、その誕生を祝福するものが一匹だけいた。
「わきゃりゅよ! らんしゃまはちぇんのいもーちょだね! ゆっくりしちぇいっちぇね!」
「ゆぅー♪ ゆゆっ、ちぇーーーーん!」
「らんしゃまぁぁぁぁ!!」
この日、二匹の赤ゆっくりが親元から捨てられた。
春。多くの命が祝福を受けて生まれる中、群れの誰もその誕生を知らず、両親から突き放され、ただ、お互いがお互いの存在を認め合っただけの小さな命が二つだけあった。
足りないらんと足りすぎるちぇん
初夏、畸形のゆっくり姉妹は生き延びていた。
「らんしゃま! あそこにゆっくりがいるよ! 早くこっちに来て!」
「ゆん! ちぇーん!」
桜の木々は青葉となり、無条件に食糧を与えることはなくなっていた。しかしその頃にはすっかり九つ尾のちぇんは舌足らずな赤ゆ言葉が抜けて、二匹共に生れ落ちた時の一回り以上の大きさにまで成長していた。
二匹が生き残れたことは幸運以外の何ものでもない。
まず第一に、二匹は胎生出産であった。もし植物型にんっしんであれば、ある程度形ができてきた段階で親に間引きされてしまっていたことだろう。また、胎生出産は植物型より赤ゆを大きく成長させてから産むことも幸いしたと言える。
第二に産まれた時期が春であったこと。この時期は冬眠から目覚めた飢えた捕食者がれみりゃやふらんを除いても余るほどにいるが、それでも相応の食糧が手に入りやすい時期でもある。右も左もわからず、本能と他のゆっくりの狩りを盗み見しただけのちぇんが生き残れる程度には、自然は畸形の姉妹にも平等に接した。
第三に、九つ尾のちぇんは胎内で妹から知能を吸収したかのように聡明だった。
「ゆーん? 今、このあたりからちぇんのこえがきこえてきた気がするんだぜ」
「気のせいじゃない? それより、ゆっくりしないでいそがないとれいむのとかいはなりはーさるにおくれてしまうわ!」
「そうだったぜ。いそぐんだぜ!」
おそらくちぇんと同じように春に生まれたのであろう、子ゆっくりのまりさとありすが山林をぽよんぽよんと跳ねていった。
木の陰に身を潜めていたちぇんは、幹の幅に入りきらなかった妹のらんを頭から降ろした。九本の尻尾を腕のように使ったその動作は素早く、且つらんを羽毛のように地面へと優しく接触させる妙技であった。
れいむ種のぴこぴこもみあげと同じように、ちぇん種の尻尾も人間の腕のように融通が効くゆっくりにとって重要な身体部位の一つである。そしてらん種の尻尾はどちらかというと暖を取ったり非常食の意味合いが大きいため、ちぇんやおりん、ゆうかにゃんなどに比べると短く鈍重で腕の延長器官としての能力は低い。
だが、このちぇんは九本の尻尾をタコの足の如く自在に使いこなしていた。キモい外見のかわりに得たささやかな生存優位な能力といったところか。
「れいむのおうたを聞きにいくんだね、わかるよー。ちぇんもゆっくり聞いてみたいよー……」
「ちぇーん?」
「ゆん! らんしゃま、わかってるよ! ちぇんは盗み聞きもしないよ! そんなのして見つかったりしたら、ゆっくりできなくなるからね! あ、でもらんしゃまが聞きたいっていうなら……」
「ちぇんちぇーん」
「あ、お腹空いた? うん、ちぇんもお腹空いたよー。ごはんさがそーねー」
「ちぇーん!」
ちぇんはまりさとありすが向かった先とは逆方向に駆け出した。らんもそんな姉の後を追う。
第四の幸運を上げるとするならば、この妹らんも『らんにしては』足りない程度でゆっくり基準としては十分な知能を持っていたことであろうか。
言語分野を司る餡がやられているのか語彙はちぇん以外絶無と言って良かったが、ゆっくりの言葉そのものは理解しているようである。おかげでちぇんは一方的な意思表示だけは不自由しなかった。
逆にらん側の意思表示は、ほとんどちぇんのフィーリング頼りである。YES、NO程度は身振りで示せるがあとは微妙な「ちぇーん」の高温やリズムの違いをちぇんが聞き分けて、らんの意思を汲み取るとのだ。
もっとも、当たっているかどうかはらんのみぞ知ることなのだが。
姉妹のこの日の主な食事は青葉を食べて丸々と太りだした青虫さんたちだった。お互い俊敏で感覚器官も鋭い種なので、芋虫程度ならば楽々と狩れる。
お腹いっぱい満たした後の午後は、この日の寝床探しであった。夜、活発に活動を始める捕食種に見つかりにくく、通常のゆっくりにもやっぱり見つかりにくいねぐらはそうそうあるものではない。どうしても無理な時は新たな寝床を探すのを諦めて前日と同じ場所で休むこともある。
だが、三日以上同じ場所にはいないようにしている。これはちぇんたち姉妹が旅人だからではなく、単純に危険だからだ。どうしても生活の痕跡というものは残り、やがて、必ず、他のゆっくりとの接触を招くことを、一度経験したうえでちぇんは学習していた。
ちなみにその時出会ったれいむは、らんを隠してちぇんが挨拶することで難を潜り抜けた。尻尾を四本と五本にまとめたごん太な二本にしてごまかされるようなおつむのゆるいれいむで助かった。
自分たちは、ゆっくりたちと一緒にゆっくりすることはできない。だから群れの縄張りを抜けて、抜けて、やがて誰のものでもない二匹だけのゆっくりプレイスを見つけて、ゆっくりすること。
これが当面の姉妹の目標であった。
梅雨、畸形のゆっくり姉妹は生死の境をさまよっていた。
雨が山林を潤していた。だがそれはゆっくりからすれば腐葉土が濡れ、空から水が降ってきてその身を溶かすことを意味している。
おうちを見つけられず、雨宿りできるような場所も無く、蓮の葉っぱを使った傘で姉妹はなんとか難をしのいでいるが、それも時間の問題だ。既にちぇんの表皮はじっとり溶けかかってきているのである。
「ちぇぇぇん……」
「大丈夫だよらんしゃま! 今すぐちぇんがゆっくりした雨さん宿りできる場所を見つけるからね!」
お帽子の中に入れたらんを励ましたが、姉ちぇんは今進退極まっていた。
姉ちぇんの目の前には、洞穴があった。ゆっくりの生活臭がしてくる洞穴が。
おそらく、ここはどこかの群れの縄張りだ。このおうちの持ち主もその群れの一員なのだろう。
普通のゆっくりならば雨宿りを頼むくらい簡単なことだ。だがこの姉妹はゆっくりに見られただけで、下手をすれば無条件に殺されかねない。その事を姉ちぇんは身に染みて理解していたが、一縷の希望を託してくんくんと鼻を鳴らした。
わずかにカカオの香りがする。おそらく、ちぇん種が住んでいるのだ。
(……わかるよー……どうせここでもたもたしていたら、らんしゃままで溶けて永遠にゆっくりしちゃうんだねー。もうこれしかないんだよー)
ちぇんは腹をくくり、そのおうちに飛び込んだ。
「お邪魔するよ! 雨宿りをさせてもらいたいんだよ! のきさきだけでいいから貸してね! ゆっくりわかってね!」
「ゆ!? ゆっくりしていってね!」
家の主が奥から出てきた。案の定ちぇん種である。他のゆっくりはおらず、一匹だけだ。
「ゆっくりわかったよー。見たことないちぇんだけど、群れのそとのゆっくりなの?」
「そうだよー。雨さんが止んだら出て行くんだよー。ゆっくり我慢してねー」
「わからないよー。まだちぇんは小さいんだよー。一人だけじゃあぶないんだよー。雨さんがあがったら長のところにいって、そうだんするといいよー」
「ありがとう! ちぇんはとてもゆっくりしているね! ちぇんにはわかるよー!」
……まともに話をできているのは、ちぇんが面と向かって目と目を見ているからである。
姉ちぇんは尻尾を家主ちぇんに見せないよう精一杯気を使って背中で隠していた。妹らんもお帽子の中。このまま雨が上がるまでこの体勢でやり過ごす……!
だが家主ちぇんはお世話焼きであった。
「ちぇーん、そこは雨さんがふきこむよー。ゆっくりできないよー。もっとおくにきなよー」
「ちぇんはおきゃくさまだからここでいいよ! 外さんに比べたらずっとゆっくりできるよ!」
「わかるよー。苦労したんだねー。でもちぇんのおうちにいるあいだはゆっくりしていってね」
ぴきっ、とちぇんの額に青筋が走った。
このおうちは確かにゆっくりできる。気ままな一人暮らしであろうところを見ると、本当にゆっくりした毎日を送っているのだろう。群れのみんなに守り守られた、とてもゆっくりした毎日をこの家主ちぇんは送っているのだろう。
(そんなゆっくりが、おとーさんにもおかーさんにも捨てられたちぇんの苦労をわかるはずがないよ! わかるよ! それは絶対だよ!)
「……ゆっ! ちぇぇぇん……」
姉ちぇんの抑えきれない怒気を敏感に感じ取ったのか、らんが怯えて鳴き声を上げた。
家の奥に引っ込んだはずの家主ちぇんが、姉ちぇんの目の前まで瞬間移動してきたかのような素早さで現れた。
「らんしゃまあああああああああああああああああああああああ!?」
「ちぇぇぇん?」
「らんしゃまああぁぁぁああぁぁあああぁぁああああああぁぁああ!!」
姉ちぇんは家主ちぇんの唾まみれになった顔を尻尾で拭きたいのをぐっと堪える。
そんな姉ちぇんの苦労をいざ知らず、家主ちぇんは右左と血走った目を巡らせた。
「どこ!? らんしゃまはどこ!? たしかに聞こえたよ! わかったよ! そこだよ! ちぇんのおぼうしの中だよ! ちぇん、らんしゃまはみんなのものだよ! ひとりじめするヤツはゲスだよ! ゆっくりしないですぐ出してね!」
「わかったよー……でも、このらんしゃまを見ても何も言わないでね?」
「わかるよ! はやく! はやく! はやく! はやく!」
条件反射的に頷き、噛みつかんばかりの勢いで家主ちぇんは姉ちぇんに迫ってきた。
姉ちぇんは嫌々ながらおぼうしをずらし、妹のらんを家主ちぇんに見せた。
「らんしゃまあああああああああああぁぁぁ……れ? にゃんで!? わからないよ! にゃんでこのらんしゃましっぽが二本しかにゃいにょおおおおおおお!?」
「生まれつきなんだよー。好きでこんな体に生まれたわけじゃないんだよー。ゆっくりわかってねー」
「ゆぅ……わかったよー……でも、らんしゃまはらんしゃまだもんね! らんしゃま、こっちにおいで!」
「ゆん? ちぇぇぇぇん!」
「らんしゃまああああああああああああ!!」
明らかに妹らんは姉ちぇんの方を向いて助けを求めるように鳴いていたが、そんなこと家主ちぇんには関係なかった。姉ちぇんには見えないほど部屋の奥へと連れて行ってしまう。
姉ちぇんは追おうとしたが、下手に動いて自分の尻尾までバレてしまうことを恐れた。らん種に無条件の好意を抱くちぇん種だから尻尾が足りなくてもあの程度の反応で済んだのだ。姉ちぇんまで畸形であるとバレた時は、同じちぇん種である分余計にその反発は大きくなる。
それに、と姉ちぇんはふと思いついた。
(妹のらんしゃまは尻尾が足りなくてもちぇんに好かれるよ……ちぇんと一緒に旅を続けるより、この群れでゆっくりした方がらんしゃまのためかもしれないよ……わかるよ……ちぇんはお姉ちゃんだから、妹のことを考えなきゃならないんだよ……)
俯いて、姉ちぇんはらんのことを必死で考えた。らんの幸せ、どうすればらんが本当にゆっくりできるか。
だがその思考は、巣の奥から聞こえてきたらんの声に吹き飛ばされた。
「ちぇぇぇええぇぇええええぇぇぇえええええぇええええええぇん!!!」
「らんしゃまあああああああああああああああああああああああ!!」
後も先もなく、姉ちぇんは玄関先から跳ねた。
他のゆっくりには、他のちぇんにはわからないかもしれない。
だが姉ちぇんにはわかった。妹のらんがあの叫び声を上げる時は、ゆっくりできない時、助けを求める時の声、たとえば捕食種を前にした時などの声だ。
何が起こっているかも考えず、とにかく妹の危機を助けるためだけに姉ちぇんは巣の奥に飛び込んだ。
「らんしゃまあああああああああああああああああああああああ!!」
「ちぇぇえぇあああぁぁぁ!!」
らんにのしかかり、ぺにぺにをおったてたちぇんがすこすこ腰を振っていた。
姉ちぇんの目の前がチョコレートで茶褐色に染まった。
気がつくと、巨大なチョコレート大福が荒い呼吸で這いずり回っていた。
「ゆ……あ゛……わか……にゃ……」
よく見ればそれはところどころ髪がむしられているが、目玉を抉られ、耳を噛み切られ、尻尾を潰された家主ちぇんだった。
姉ちぇんは、そんな汚物より妹らんのことが心配だった。床に這いつくばったままのらんに駆け寄る。
「らんしゃま! 大丈夫!?」
「ちぇぇぇん……ちぇぇぇん! ゆえええええん!!」
らんは姉ちぇんに泣きながらすり寄った。幸い精子餡を出される前だったからなのかにんっしんした様子は無い。
安心すると、途端に家主ちぇんに対する怒りにチョコレートクリームが沸騰した。
あんよの皮を千切られて身動きできない家主ちぇんの頭に姉ちぇんはかぶりつき、髪ごとその皮をひっぺがす。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!! わぎゃりゃにゃいよおおおおお!!」
「わからないのはこっちだよ! 妹のらんしゃまは普通のゆっくりより弱いんだよ! それに、まだおちびちゃんなのに! れいぱーは、ゆっくりしね!!!」
家主ちぇんの頭に乗っかって跳ねるうちに、姉ちぇんは思い出した。そう、家主ちぇんのあんよも耳もぺにぺにも噛み切ったのは姉ちぇんだ。アマギったのも姉ちぇんだ。禿げさせたのも姉ちぇんだ。
姉ちぇんは理性を取り戻していた。群れのゆっくりをこんな風にしてしまった以上、もううかうかしていられない。すぐにでも逃げてしまわなければいけない。
だが、
だが――!
「お前だけは永遠にゆっくりさせる!!!」
「わぎゃ!!?」
姉ちぇんの尻尾が束となって両の眼窩に突き刺さった。
中のチョコレートクリームを掻き分け、抉り、まさぐり、姉ちぇんは鬼気迫った表情で目的の物を探す。
「わ……ぎゃ……らんしゃ……」
「お前が!!」
『それ』を掴み取った姉ちぇんは一気に尻尾を引き抜いた。
チョコレートクリームの飛沫を上げて引きずり出されたのは、硬いチョコでくるまれた家主ちぇんの中枢餡だった。
その中枢餡を家主ちぇんの口腔に押し込み、上に飛び乗って無理矢理咀嚼させる。
「らんしゃまって言う資格はない!!」
とどめの体当たりを喰らって家主ちぇんは壁に直撃し、チョコレートクリームを部屋中にぶち撒けた。
「ゆはははははは! わかるよー! ちぇんはゆっくりできない劣等種だよー! そうじゃきゃ永遠にゆっくりさせてこんなにザマ見ろ&スカっとしてさわやかな気分にならないよー! ゆはははははははははははははははははははは!!」
何かが壊れたかのように九本の尾を怪しく蠢かしながら姉ちぇんは笑った。
雨が止むまで、笑い続けた。
夏が来た。畸形のゆっくり姉妹は大きく成長していた。
姉ちぇんは最早成体ゆっくりと比べても遜色の無い若ゆっくりだ。妹らんはまだ小さいが、特にどこか悪いところがあるわけもなく、元気いっぱいなゆっくりに育っている。
親のいないゆっくり姉妹がここまで大きく成長したことは奇跡と言えるだろう。数え切れないほどの幸運に助けられたが、もちろん様々な不運もあった。それでも姉ちぇんの機転と妹らんの絆でこの姉妹は成体直前まで自力で生き抜いた。
だが、運命は平等ではない。親の庇護の下、ゆっくりした生活を送っていたはずのゆっくりがちょっとしたことで命を失うこともある。
そのれいむも、そんな状態にあった。
「……ゆぅ……」
野原でれいむが干からびていた。
あんよには小さな枝が突き刺さっている。これが直接の原因だろう。
都会のアスファルトほど酷くないとはいえ、野山でも長い間直射日光を浴び続ければさすがに干からびる。暑いからと足元への注意を疎かにして移動すれば、こんな瑣末事で命を失うのがゆっくりだった。
「ゆぅ……」
だが、まだ息はある。ちぇんは一瞬どうしようかと考えたが、らんが尻尾を引っ張ったことで、決意した。
「らんしゃま! れいむを影に移動させて見ていてあげてね!」
「ちぇぇぇぇん!!」
この姉妹が別行動を取ることは珍しい。だがお互い信頼しているだけあって、いざという時ためらいはしないのだ。
ちぇんは川へと向かった。そしてなんの躊躇もなく自分のおぼうしを脱ぎ、水面へと浸ける。
たっぷり水を含んだことを確認すると、尻尾でおぼうしを掴み多少破けるのも気にせず引きずって走った。
瀕死のれいむの元に戻った時には水はほとんどなかった。それでも九本の尻尾で絞り出すとゆっくりにはそれなりといえる量が零れ落ち、れいむの口の中に吸い込まれていった。
「ゆぅ…………う……ゆっくり……していってね……」
「気がついたよ! らんしゃま、ちぇんはもう一回水を取ってくるよ!」
「ちぇん!」
二度目の水補給を施すと、れいむはすっかり顔色が良くなり、完全に意識を取り戻していた。あんよに突き刺さった枝も抜かれ、らんのおぼうしのお札を貼られて傷口を塞がれている。
代償にちぇんのおぼうしはよれよれの傷だらけとなったが、ぺーろぺーろすれば多少はマシになるはずだ。
「れいむ、動ける? 川さんまで連れて行ってあげるよ」
「ちぇぇん」
「ありがとう……ありがとう……」
何度も何度も礼を言うれいむの両脇を支え川まで連れて行き、さらに水分補給。
その頃には治療効果のあるお札のおかげでれいむのあんよは好調になり、なんとか自分で歩けるようになるまで復活していた。
「じゃあ、もう自分で群れまで帰れるね! それじゃあね、れいむ」
「ちぇぇぇん!」
「待って、ゆっくりしていってね!」
姉妹は揃ってさっさとその場を立ち去ろうとしたのだが、れいむはショックを受けたような表情で引き止めた。
「れいむはまだ二人におんがえししてないよ! このままじゃゆっくりできないよ!」
「ゆぅ……でも、ちぇんたちと一緒にいる方がゆっくりできないんじゃない?」
一刻も争うゆん命救助に遠慮なくちぇんもらんも、れいむにその尻尾を見せつけていた。だが、れいむは少しの気負いもなくぶんぶんとかぶりを振る。
「そんなことないよ! ちぇんとらんはれいむの命の恩ゆんだよ! 尻尾さんが多かったり少なかったりするのなんて、それに比べればぜんぜんたいしたことないよ! ゆっくりしていってね!」
おそらく、これがちぇんにとってゆん生初の心の底から受けた「ゆっくりしていってね」という挨拶だった。そしてちぇんは、自分が今まで本物の「ゆっくりしていってね」という言葉を受けたことがないことに気づいた。両親からすら。
「ゆ……」
「ちぇ……」
「ゆん? どうしたの?」
「ゆああああああああああああああああああああああああん!!」
「ちぇえええええええええええええええええええええええん!!」
「どうして泣いちゃうのーーーー!?」
嬉しさとも悲しさともつかない、とにかく凄まじい感情に突き動かされてちぇんは泣いた。らんも泣いた。滂沱と泣いた。顔面が溶ける寸前まで泣いた。
ひとしきり泣き終わった後、混乱するれいむにちぇんは
「それはね……」
と、いままでのゆん生をかいつまんで話した。
今度はれいむが泣く番だった。こちらは干からびから復活したばかりなので流出量は控えめだったが……
結局、三匹が揃って水分補給し直し情報交換を終える頃にはすっかり日は傾いていた。
「ゆん? もうおひさまがあんなに赤いよ! ゆっくりしないですぐ帰らないと、まりさがしんっぱいするよ!」
「そうだね、ちぇんたちもすぐにねぐらを探さないといけないから、もうお別れだね」
「ゆ! ちぇん、そのことなんだけど、命の恩ゆんをこのまま行かせるのはしのびないよ。だから、れいむはちぇんとらんを長に紹介して、群れに入れてもらうよう説得するよ!!」
「ゆえ?」
ちぇんは、耳をほじほじと九本の尻尾で掃除し始めた。ぞろぞろ独立して動き回るその尻尾のキモさにれいむは明らかに引いたが、どうにか堪えた様子だった。
「ごめんね! ちぇんはちゃんと聞こえなかったみたいだよ。もう一回言ってね」
「ちゃんとらんは、れいむが絶対群れに入れてあげるよ! もう誰にもゆっくりしてないゆっくりなんて言わせないよ! 長だって、きっと言ってくれたらわかるよ! だってちぇんとらんはこんなにゆっくりしているんだもん!」
「わからないよおおおおおおおおおお!?」
ろくに他のゆっくりから愛情や好意というものを受けられなかったちぇんは、ちぇん種がゆっくりできない時に叫ぶその定番文句しか吐けなかった。いや実際、ちぇんのチョコレート脳はちっともゆっくりしていなかった。それどころか、今ちぇんの頭を占めていることは主に
(このれいむは今すぐ永遠にゆっくりさせるべきだよ!)
という、およそ他のゆっくりからは想像だにできないほど飛躍した思考であった。
身から出た錆とでも言うべきか。あの梅雨の事件以来、姉ちぇんは妹らん以外のゆっくりに対してより強い警戒心を抱くようになった。今まで自分たちが迫害されるのは尻尾の数のせいだけだと思えたが、殺ゆを犯してしまってから変わった。いつかあの群れから追っ手がやってきて、自分たちをせいっさいするのではないかと怯えるようになったのだ。
(このれいむは、罠さんだったのかもしれないよ……たとえそうじゃなくても、どうせこんな所、他のゆっくりが見ているわけないよ。白か黒かなんてどうでもいいよ。とりあえず殺しておいたらちぇんたちはあんっしんできるはずだよ……)
通常、ちぇん種はゆっくりできない局面に出会うとらん種に助けを求める傾向にある。しかしこの姉ちぇんは生まれたその日から自分よりずっと弱々しい妹らんを守り、育ててきたのだ。助けを求めるなどもっての他だった。
結果、姉ちぇんは極度のストレス状態に置かれると攻撃性が増すようになってしまった。一度犯した殺ゆが、さらに姉ちぇんのブレーキを壊していた。
(でもわかるよー……油断は禁物だよー。このれいむは隙だらけな気がするけど、誘っているだけかもしれないよー。無防備な瞬間を狙って、まずあんよを潰してから上に乗っかるよ。それからおめめに尻尾を入れて、中枢餡を潰すよ)
「ちぇ、ちぇ、ちぇーーん!!」
姉が物騒な思考をチョコレートクリームの中で練り上げることも知らず、妹らんは素直に喜んでいる様子だった。なぜかゆっくりしていないちぇんの様子に戸惑っていたれいむだったが、らんのリアクションに安心したのか笑顔を取り戻す。
「よかった、らんはうれしいんだね! でもちぇんは群れじゃゆっくりできないの?」
「わからないよ……」
それは正直な答えだった。今更群れの生活に慣れることができるか不安だし、受け入れてもらえるなどと信じがたかった。
「ゆっ、ゆっ、ゆっ」
「らんしゃま……」
らんはちぇんの顔を見上げて何か意思を伝えようとしていた。それが厳密に何かはわからずとも、広義的に受け止めれば「れいむについていこう」に帰結することくらいはわかった。
ちぇんは恐る恐るうなずく。
「わかったよー。れいむ、長の所まで案内してねー」
「任せてね! こっちだよ!」
れいむはあまりにも無防備にちぇんへと背中を晒し、先導して飛び跳ねて行った。殺そうとすればあまりにもたやすい有様だった。
ちぇんは俯いた。涙を隠したのだ。
(ちぇんはゆっくりできないゆっくりだったよ……れいむは嘘なんかつかないゆっくりだよ。今わかったよ)
「むきゅー……そんなことがあったの」
長のぱちゅりーはれいむから一部始終を聞き、しかめっ面をした。一方れいむは既にちぇんは群れの一員になるものと思い込んでおり、にこにこしながら長のおうちの入り口でもみあげをぴこぴこさせた。
「それじゃちぇん! らん! また明日ね! この群れで、ずっとゆっくりしていってね!」
そう言って、ぴょこぴょこ家路についた。ぱちゅりーはむきゅーとため息をつく。
「まずは、れいむを助けてくれてありがとう。礼を言うわ。それで……群れに入れることだけど」
ぱちゅりーはちぇんをあまり真正面から見ないようにして会話を始めた。ぱちゅりーとしてはれいむの命の恩ゆんだということはわかるが、九つ尾のちぇんというのは見るからにキモかった。直視しただけでエレエレしかねないと判断したのである。
逸らした視線の先にはらんがいた。しかしこちらは希少種でぱちゅりーは今まで話に聞いたことはあっても見たことはないため、尻尾が多かろうが少なかろうが『まぁそういうもんだわね』とスルーである。
「ぱちぇ個ゆんとしては迎え入れてあげたいんだけれど、群れのみんなの反応次第、と言ったところかしらね……」
「わかるよー。ちぇんはみんながゆっくりできないって言うならすぐ出て行くよー」
「むきゅ、なんだか悪いわね。とりあえず今日の所はぱちぇの家でゆっくりしていってね」
そうして、ちぇんたちは生まれて初めて姉妹以外のゆっくりと食事をすることになった。
ぱちゅりーの家には番のまりさとその間に生まれた子ぱちゅりーと子まりさが一匹ずつおり、ちぇんとらんが加わるとやや食卓は狭かったが、それでも誰一匹たりとも文句は言わなかった。
「むーしゃ! むーしゃ! しあわせー!」
「に゛ゃ゛っ!?」
子まりさの幸せいっぱいな宣言に、ちぇんはびくりと後ずさりした。ぱちゅりーたちは目を丸くしている。
「……にゃ、にゃに、それ?」
「にゃにって……むーしゃむーしゃするとしあわせーな気分になるんだぜ。あたりまえなんだぜ?」
「わかならいよー。そんな大声出しながら食べると、誰かに見つかるよ?」
「じゃあみんなでごはんをわけるんだぜ! みんないっしょにたべるともっとしあわせーになれるんだぜ! おとーさんもおかーさんもいつもそう言ってるんだぜ!」
ちぇんの頭を潰さんばかりに?マークがたくさん浮かんだ。
「わからないよー。みんなで一緒に食べたら、見張り役がいなくなるよ?」
「なんでみはりやくなんかいるんだぜ? 仲間はずれがいたらかわいそうだぜ」
「わからないよー。れみりゃや犬さんとか猫さんが来たら……」
「おうちのなかまでさすがにあいつらも入ってこないんだぜ?」
「わからないよー。おうちってそんなにすごいの?」
「むきゅ! れみりゃも大人のゆっくりが何人いるかもわからないおうちに無防備に入ってきたら自分が危ないことくらいわかっているわ! 犬さんも猫さんもよ」
そわそわしながらの食事を終え、子ゆっくりはちぇんの尻尾で遊ぼうとした。偏見の目がまだ薄い子ゆっくりにとっては、一度同じ釜の飯を食う仲になってしまえば多少尻尾が多かろうが少なかろうが仲間であると認識できたようである。親まりさは未だにちぇんと目が合うとあからさまにぎょっとするが。
子ゆっくりたちの遊び相手はらんに任せ、ちぇんはおうちの入り口まで出て夜風に当たった。
後ろからぱちゅりーの気配を感じたちぇんは星を見上げたまま口だけ動かした。
「わかるよー。ぱちゅりー、何か用?」
「むきゅ!? なんで振り向いてもいないのにぱちぇが近づいているってわかったの?」
「わかるものはわかるんだから仕方ないよー。強いて言えばぱちゅりーの呼吸は特徴的なんだよー」
「そう……それだけ気配を読むのが上手で今まで二人だけで生きてきたのなら、さぞかし狩りも上手なのでしょうね」
「比べる相手がいないからわからないよー」
「……ちぇん、先代から聞いた……先代も先代の先代から、先代の先代も先代の先代の……むきゅー、とにかく、昔から伝えられてきた話なんだけれどね」
何か重要な話が始まりそうな予感を覚えたちぇんは振り返った。
ぱちゅりーはちぇんとやはり視線を合わさないように顔の角度を変えて話し始めた。
「ちぇんの尻尾の数は、本来のらんと同じだけの本数がある?」
「本来のらん……」
ちぇんが思い出したのは、あの冷たい瞳をした母らんの姿だった。
体の中のチョコレートが冷えたような感じがして、ちぇんはかぶりを振った。
「あるよ」
「いつのまにか一本なくなっていたりしたこともないのね?」
「ないよ」
「むきゅ。ちぇんが本当に優秀だということがよくわかったわ」
「ちぇんにはわからないよー。どんな話が伝えられているの?」
「正式に群れの仲間になった時に教えてあげるわ」
ぱちゅりーは口を閉ざした。なぜならば、この情報をもし群れから追い出されたちぇんが得てしまっていては、何が起こるかわからなかったからである。
それは『九尾のちぇん・おりん・ゆうかにゃんが生まれた時、そのゆっくりの命は九つある』という伝説だった。
もちろん数の概念がせいぜい三つまでしかないゆっくりに九という数字の概念は無い。全てらんの尻尾の数だけ、と伝えられている。
問題はそこではなく、その伝説が本当ならばちぇんは死んでも死んでもたくさんたくさん甦るという事実だった。三以上の数はたくさんで終わるゆっくりたちにしてみれば、そんなゆっくりは不死身のゆっくりだ。ゆん智を越えた未知なる存在、正にゆっくりできないゆっくり。
ぱちゅりーは、このちぇんを迎え入れることはできなくとも、まかり間違っても決して敵に回してはいけないと考えた。
「わかるよらんしゃまぁぁぁ!! ゆっくり産んでねー!」
らんのまむまむを押し広げ、今にも産まれそうな赤ゆの前にちぇんは命の次に大事なお帽子をベースボールのキャッチャーのように構えて待っていた。
二匹が住まう木の洞の外では桜の花びらがちらほらと舞い落ちていた。厳しい冬を乗り越えた山の生き物は植物動物問わず一斉に目覚め、長い眠りについていた生命力を発散させている。
越冬を終えたゆっくりたちもその例外ではなく、このらんとちぇんの番もまた新しい命を迎え入れようとしていた。
「ゆぅぅ……ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
番への信頼か出産の痛みに耐える本能的な咆哮がそれなのか、ともあれ母親であるらんは最高の力を振り絞り我が子をこの世へと送り出した。
体中にくっつかせた酢飯を散らしながら、赤ゆっくりがまむまむから発射された。父親のちぇんがお帽子で赤ゆっくりを受け止め、その下に敷いた桜の花びらでこさえられた絨毯に二匹の子供が着地する。
「………………え?」
「ちぇん……?」
父ちぇんは、顔面から桜の絨毯に落下してうぞうぞと背部の尻尾を触手のように蠢かしながら起き上がろうとする『それ』を凝視して、完全に固まっていた。
母らんは次の子供がさらにまむまむから顔を出そうとしているというのに、不穏なちぇんの反応に嫌な予感を覚えて、桜の絨毯に視線をやった。
二匹の子供は桜の花びらと酢飯を顔中にくっつかせながらも元気いっぱいの表情で、力強く産声をあげた。
「わきゃりゅよー! ゆっきゅりしちぇいっちぇね!」
わかるよーという口癖、茶がかったふさふさとした黒髪、木の葉色のお帽子、頭から生えた猫耳、さらに片耳にだけ生まれつき付けられた金色の耳輪。
全てゆっくりちぇんの特徴を過不足なく反映し、さらにお顔も母らんに似た美ゆっくりだ。だが、それでも、二匹の子供にはゆっくりできない点があった。
「……ゆ? わきゃりゃにゃいよー? ゆっきゅりしちぇいっちぇね?」
不安げに『九本の尻尾』をイソギンチャクのように揺らしながら、赤ちぇんは両親の顔を見比べた。
「わからないよーーー!? なんでらんしゃまとちぇんのおちびちゃんがゆっくりできないおちびちゃんなのおおおおお!?」
「ちぇん! 大声を出しちゃだめ!」
父ちぇんは、はっとして二本の尻尾で口を閉ざす。
そう、本来ちぇん種は生まれついて尻尾を二本持つゆっくりである。それ以上でも以下でもない。もしそれ以上でも以下でもないちぇんが生まれたなら、それは人間で言う所の『畸形児』であり、ゆっくりで言う所の『ゆっくりできないゆっくり』である。
実際、この赤ちぇんはそれ相応の太さを持つ尻尾を九本も持つため、背中の下半分全てが尻尾の付け根という人間でも凝視すればキモいと感想を抱いてしまう外観であった。まぁ毛を全部刈ったゆっくりらんの尻尾の実態とはこういうものなのであるが……。
とにかく、尻尾が二本でないちぇんはゆっくりできない。ゆっくりできないので、そのちぇんもろとも産んだ両親も畸形ですらない姉妹をも含めて一家全員せいっさいの対象だ。
そうなりたくなければ、速やかにこの赤ちぇんは潰してしまい、証拠隠滅してしまう必要があった。だから母らんは父ちぇんの動転した大声を制止したのである。
「……わきゃりゃにゃいよー! おとーしゃんもおかーしゃんも、にゃんでしゅーりしゅーりしてくりぇにゃいのー!? ちぇんはおとーしゃんとおかーしゃんとゆっくりしちゃ――」
「だまってね!」
父ちぇんに体当たりを食らわせられた赤ちぇんは洞の天井にぶち当たり、母らんの傍に落下した。
生れ落ちて十秒も経たない間に祝福どころか実の父親に殺意のこもった攻撃を食らわせられた赤ちぇんは、何もかもがわからないといった表情で目にいっぱいの涙を溜めて泣き叫ぼうとした。
だがその口をとても暖かでふんわりとした感触が止めた。それは母らんのふさふさとした尻尾である。
「おきゃーしゃん……?」
「おちびちゃん、ゆっくり聞きなさい。おちびちゃんは、らんのおちびちゃんでも、ちぇんのおちびちゃんでもないの。だから今すぐこの家から出てってくれる?」
「わきゃりゃにゃいぃぃぃいいい! おかーしゃんも、おとーしゃんも、ちぇんのおかーしゃんとおとーしゃ――ゆべにゃ!?」
暖かく赤ちぇんを抱き止めてくれていたはずの尻尾が弾かれるように跳ね、その小さな体を洞の壁に叩きつけた。
赤ちぇんは一本二本三本四本五本六本七本八本九本と、その呪われた尻尾の先端を地面に着けて顔を上げ、涙と酢飯と花びらでぐしゃぐしゃになった表情で両親を見つめる。
胎内の中で無間の鐘をBGMにゆっくりしたゆん生を夢描いていた赤ちぇんの中で、砂糖粒の欠片すらも予測していなかったものが、そこにあった。
つまり、まるで温度を感じさせない、路傍の犬の糞でも見るかのような、両親の表情。
今、赤ちぇんの中はわからないことだらけだった。疎まれている原因が自分の尻から背中にかけて生えているものが多すぎるからなど見えていないのだからわからなく、このような仕打ちを受ける原因も、間違いなく遺伝餡が告げているはずの本物の両親が自分の両親ではないと言う理由も、何もかも。
だが、それでも、ただ一つ、わかりたくない答えが赤ちぇんの中で理解されようとしていた。
「らんしゃま、ちぇんにはわかるよ! このおちびちゃんはゆっくりできないおちびちゃんだよ! ゆっくりできないゆっくりはみんなにバレる前に潰さないとらんしゃままでゆっくりできなくなるんだよ!」
「でも、そうすると死臭が付く。らんはちぇんをおちびちゃん殺しにしたくないんだよ……わかってね」
「……わかったよらんしゃま……そういうことだから、お前はゆっくりしないでさっさとどっか行ってね!」
自分は、生まれてきてはいけない命だったのだと、赤ちぇんは、理解した。
それがこの九つ尾の赤ちぇんが生まれて初めてわかったことだった。
「わきゃっちゃよ、おかーしゃん、おとーしゃん……」
「何を言ってるの? らんはお前みたいなゆっくりできないちびは知らないよ」
「そうだよ! ゆっくりできないゆっくりはゆっくり死ね!」
「わきゃっちゃよぉお!! でも、せめちぇ、せめちぇいもーちょだけは、いちどでもいいきゃら、みさしちぇね!」
この願いを、両親は憐憫の情を以って受け入れた――わけではなかった。父ちぇんは一度家の外に視線をやり、群れのゆっくりが近くにいないか確認したのだ。いくら追い出すとはいえ、家から出てきた現場を見られては意味が無い。
赤ちぇんはあちこち擦り剥けたりへこんだりした体を舐めて、妹が誕生する瞬間を待ち侘びた。自分が得られない幸せ、親からの愛情、ゆっくりした生活……母胎の中で思い描いた夢を受ける、自分と同じ餡を受けたゆっくりの姿を見たかった。
それは羨望や妬み、嫉みの感情ではない。赤ちぇんは本能から理解できていた。親もいない、生まれたばかりのゆっくりが野生で生き延びることはあまりにも難しすぎることを。だから、幸せに生きる妹の姿を自分の姿に置き換えて夢想することで、ゆっくりした最期を遂げられるだろうと、無意識に考えていた。
「ちぇぇぇぇん!! もうすぐ産まれるよー!!」
「わかるよらんしゃまぁぁぁ!! ゆっくり産んでねー!」
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
そして、二匹目が産まれた。
赤ちぇんと同じように酢飯の尾を引きながら父ちぇんのお帽子に受け止められ、桜の絨毯に落ち、もぞもぞと顔を上げようとする。そこまでは同じだ。だが、そこからのゆん生は百八十度……
「………………え?」
「ちぇん……?」
父ちぇんのチョコレート脳は冷温と室温とを行ったり来たりして、ファットブルーム現象でも起こしたのか、さーっと顔が白ざめた。
なんとか顔を起こした母らんは、その赤らんを見た。
お札が貼られた帽子。帽子の中に納まったピンとした二本の三角耳。お顔も父ちぇんに似てどこか愛嬌がありながら凛々しさも感じさせる美ゆっくりだ。
だが、足りない。ゆっくりらんには後光が差すとも言われる由来の、あの九つ尾、黄金色の尻尾が、一股――たった二本しか生えていなかった。
「ゆぅ……ちぇぇぇぇぇん!」
挙句の果てに頭まで足りないのか、赤ゆっくりですらまず間違いなく言える、ゆっくりのゆっくりたる由縁である挨拶すらまともに言えず、ちぇんを鳴き声にしている始末だった。
母らんは、自らの尻尾に顔を埋めてわっと泣いた。
しかし、今度の子供には、その誕生を祝福するものが一匹だけいた。
「わきゃりゅよ! らんしゃまはちぇんのいもーちょだね! ゆっくりしちぇいっちぇね!」
「ゆぅー♪ ゆゆっ、ちぇーーーーん!」
「らんしゃまぁぁぁぁ!!」
この日、二匹の赤ゆっくりが親元から捨てられた。
春。多くの命が祝福を受けて生まれる中、群れの誰もその誕生を知らず、両親から突き放され、ただ、お互いがお互いの存在を認め合っただけの小さな命が二つだけあった。
足りないらんと足りすぎるちぇん
初夏、畸形のゆっくり姉妹は生き延びていた。
「らんしゃま! あそこにゆっくりがいるよ! 早くこっちに来て!」
「ゆん! ちぇーん!」
桜の木々は青葉となり、無条件に食糧を与えることはなくなっていた。しかしその頃にはすっかり九つ尾のちぇんは舌足らずな赤ゆ言葉が抜けて、二匹共に生れ落ちた時の一回り以上の大きさにまで成長していた。
二匹が生き残れたことは幸運以外の何ものでもない。
まず第一に、二匹は胎生出産であった。もし植物型にんっしんであれば、ある程度形ができてきた段階で親に間引きされてしまっていたことだろう。また、胎生出産は植物型より赤ゆを大きく成長させてから産むことも幸いしたと言える。
第二に産まれた時期が春であったこと。この時期は冬眠から目覚めた飢えた捕食者がれみりゃやふらんを除いても余るほどにいるが、それでも相応の食糧が手に入りやすい時期でもある。右も左もわからず、本能と他のゆっくりの狩りを盗み見しただけのちぇんが生き残れる程度には、自然は畸形の姉妹にも平等に接した。
第三に、九つ尾のちぇんは胎内で妹から知能を吸収したかのように聡明だった。
「ゆーん? 今、このあたりからちぇんのこえがきこえてきた気がするんだぜ」
「気のせいじゃない? それより、ゆっくりしないでいそがないとれいむのとかいはなりはーさるにおくれてしまうわ!」
「そうだったぜ。いそぐんだぜ!」
おそらくちぇんと同じように春に生まれたのであろう、子ゆっくりのまりさとありすが山林をぽよんぽよんと跳ねていった。
木の陰に身を潜めていたちぇんは、幹の幅に入りきらなかった妹のらんを頭から降ろした。九本の尻尾を腕のように使ったその動作は素早く、且つらんを羽毛のように地面へと優しく接触させる妙技であった。
れいむ種のぴこぴこもみあげと同じように、ちぇん種の尻尾も人間の腕のように融通が効くゆっくりにとって重要な身体部位の一つである。そしてらん種の尻尾はどちらかというと暖を取ったり非常食の意味合いが大きいため、ちぇんやおりん、ゆうかにゃんなどに比べると短く鈍重で腕の延長器官としての能力は低い。
だが、このちぇんは九本の尻尾をタコの足の如く自在に使いこなしていた。キモい外見のかわりに得たささやかな生存優位な能力といったところか。
「れいむのおうたを聞きにいくんだね、わかるよー。ちぇんもゆっくり聞いてみたいよー……」
「ちぇーん?」
「ゆん! らんしゃま、わかってるよ! ちぇんは盗み聞きもしないよ! そんなのして見つかったりしたら、ゆっくりできなくなるからね! あ、でもらんしゃまが聞きたいっていうなら……」
「ちぇんちぇーん」
「あ、お腹空いた? うん、ちぇんもお腹空いたよー。ごはんさがそーねー」
「ちぇーん!」
ちぇんはまりさとありすが向かった先とは逆方向に駆け出した。らんもそんな姉の後を追う。
第四の幸運を上げるとするならば、この妹らんも『らんにしては』足りない程度でゆっくり基準としては十分な知能を持っていたことであろうか。
言語分野を司る餡がやられているのか語彙はちぇん以外絶無と言って良かったが、ゆっくりの言葉そのものは理解しているようである。おかげでちぇんは一方的な意思表示だけは不自由しなかった。
逆にらん側の意思表示は、ほとんどちぇんのフィーリング頼りである。YES、NO程度は身振りで示せるがあとは微妙な「ちぇーん」の高温やリズムの違いをちぇんが聞き分けて、らんの意思を汲み取るとのだ。
もっとも、当たっているかどうかはらんのみぞ知ることなのだが。
姉妹のこの日の主な食事は青葉を食べて丸々と太りだした青虫さんたちだった。お互い俊敏で感覚器官も鋭い種なので、芋虫程度ならば楽々と狩れる。
お腹いっぱい満たした後の午後は、この日の寝床探しであった。夜、活発に活動を始める捕食種に見つかりにくく、通常のゆっくりにもやっぱり見つかりにくいねぐらはそうそうあるものではない。どうしても無理な時は新たな寝床を探すのを諦めて前日と同じ場所で休むこともある。
だが、三日以上同じ場所にはいないようにしている。これはちぇんたち姉妹が旅人だからではなく、単純に危険だからだ。どうしても生活の痕跡というものは残り、やがて、必ず、他のゆっくりとの接触を招くことを、一度経験したうえでちぇんは学習していた。
ちなみにその時出会ったれいむは、らんを隠してちぇんが挨拶することで難を潜り抜けた。尻尾を四本と五本にまとめたごん太な二本にしてごまかされるようなおつむのゆるいれいむで助かった。
自分たちは、ゆっくりたちと一緒にゆっくりすることはできない。だから群れの縄張りを抜けて、抜けて、やがて誰のものでもない二匹だけのゆっくりプレイスを見つけて、ゆっくりすること。
これが当面の姉妹の目標であった。
梅雨、畸形のゆっくり姉妹は生死の境をさまよっていた。
雨が山林を潤していた。だがそれはゆっくりからすれば腐葉土が濡れ、空から水が降ってきてその身を溶かすことを意味している。
おうちを見つけられず、雨宿りできるような場所も無く、蓮の葉っぱを使った傘で姉妹はなんとか難をしのいでいるが、それも時間の問題だ。既にちぇんの表皮はじっとり溶けかかってきているのである。
「ちぇぇぇん……」
「大丈夫だよらんしゃま! 今すぐちぇんがゆっくりした雨さん宿りできる場所を見つけるからね!」
お帽子の中に入れたらんを励ましたが、姉ちぇんは今進退極まっていた。
姉ちぇんの目の前には、洞穴があった。ゆっくりの生活臭がしてくる洞穴が。
おそらく、ここはどこかの群れの縄張りだ。このおうちの持ち主もその群れの一員なのだろう。
普通のゆっくりならば雨宿りを頼むくらい簡単なことだ。だがこの姉妹はゆっくりに見られただけで、下手をすれば無条件に殺されかねない。その事を姉ちぇんは身に染みて理解していたが、一縷の希望を託してくんくんと鼻を鳴らした。
わずかにカカオの香りがする。おそらく、ちぇん種が住んでいるのだ。
(……わかるよー……どうせここでもたもたしていたら、らんしゃままで溶けて永遠にゆっくりしちゃうんだねー。もうこれしかないんだよー)
ちぇんは腹をくくり、そのおうちに飛び込んだ。
「お邪魔するよ! 雨宿りをさせてもらいたいんだよ! のきさきだけでいいから貸してね! ゆっくりわかってね!」
「ゆ!? ゆっくりしていってね!」
家の主が奥から出てきた。案の定ちぇん種である。他のゆっくりはおらず、一匹だけだ。
「ゆっくりわかったよー。見たことないちぇんだけど、群れのそとのゆっくりなの?」
「そうだよー。雨さんが止んだら出て行くんだよー。ゆっくり我慢してねー」
「わからないよー。まだちぇんは小さいんだよー。一人だけじゃあぶないんだよー。雨さんがあがったら長のところにいって、そうだんするといいよー」
「ありがとう! ちぇんはとてもゆっくりしているね! ちぇんにはわかるよー!」
……まともに話をできているのは、ちぇんが面と向かって目と目を見ているからである。
姉ちぇんは尻尾を家主ちぇんに見せないよう精一杯気を使って背中で隠していた。妹らんもお帽子の中。このまま雨が上がるまでこの体勢でやり過ごす……!
だが家主ちぇんはお世話焼きであった。
「ちぇーん、そこは雨さんがふきこむよー。ゆっくりできないよー。もっとおくにきなよー」
「ちぇんはおきゃくさまだからここでいいよ! 外さんに比べたらずっとゆっくりできるよ!」
「わかるよー。苦労したんだねー。でもちぇんのおうちにいるあいだはゆっくりしていってね」
ぴきっ、とちぇんの額に青筋が走った。
このおうちは確かにゆっくりできる。気ままな一人暮らしであろうところを見ると、本当にゆっくりした毎日を送っているのだろう。群れのみんなに守り守られた、とてもゆっくりした毎日をこの家主ちぇんは送っているのだろう。
(そんなゆっくりが、おとーさんにもおかーさんにも捨てられたちぇんの苦労をわかるはずがないよ! わかるよ! それは絶対だよ!)
「……ゆっ! ちぇぇぇん……」
姉ちぇんの抑えきれない怒気を敏感に感じ取ったのか、らんが怯えて鳴き声を上げた。
家の奥に引っ込んだはずの家主ちぇんが、姉ちぇんの目の前まで瞬間移動してきたかのような素早さで現れた。
「らんしゃまあああああああああああああああああああああああ!?」
「ちぇぇぇん?」
「らんしゃまああぁぁぁああぁぁあああぁぁああああああぁぁああ!!」
姉ちぇんは家主ちぇんの唾まみれになった顔を尻尾で拭きたいのをぐっと堪える。
そんな姉ちぇんの苦労をいざ知らず、家主ちぇんは右左と血走った目を巡らせた。
「どこ!? らんしゃまはどこ!? たしかに聞こえたよ! わかったよ! そこだよ! ちぇんのおぼうしの中だよ! ちぇん、らんしゃまはみんなのものだよ! ひとりじめするヤツはゲスだよ! ゆっくりしないですぐ出してね!」
「わかったよー……でも、このらんしゃまを見ても何も言わないでね?」
「わかるよ! はやく! はやく! はやく! はやく!」
条件反射的に頷き、噛みつかんばかりの勢いで家主ちぇんは姉ちぇんに迫ってきた。
姉ちぇんは嫌々ながらおぼうしをずらし、妹のらんを家主ちぇんに見せた。
「らんしゃまあああああああああああぁぁぁ……れ? にゃんで!? わからないよ! にゃんでこのらんしゃましっぽが二本しかにゃいにょおおおおおおお!?」
「生まれつきなんだよー。好きでこんな体に生まれたわけじゃないんだよー。ゆっくりわかってねー」
「ゆぅ……わかったよー……でも、らんしゃまはらんしゃまだもんね! らんしゃま、こっちにおいで!」
「ゆん? ちぇぇぇぇん!」
「らんしゃまああああああああああああ!!」
明らかに妹らんは姉ちぇんの方を向いて助けを求めるように鳴いていたが、そんなこと家主ちぇんには関係なかった。姉ちぇんには見えないほど部屋の奥へと連れて行ってしまう。
姉ちぇんは追おうとしたが、下手に動いて自分の尻尾までバレてしまうことを恐れた。らん種に無条件の好意を抱くちぇん種だから尻尾が足りなくてもあの程度の反応で済んだのだ。姉ちぇんまで畸形であるとバレた時は、同じちぇん種である分余計にその反発は大きくなる。
それに、と姉ちぇんはふと思いついた。
(妹のらんしゃまは尻尾が足りなくてもちぇんに好かれるよ……ちぇんと一緒に旅を続けるより、この群れでゆっくりした方がらんしゃまのためかもしれないよ……わかるよ……ちぇんはお姉ちゃんだから、妹のことを考えなきゃならないんだよ……)
俯いて、姉ちぇんはらんのことを必死で考えた。らんの幸せ、どうすればらんが本当にゆっくりできるか。
だがその思考は、巣の奥から聞こえてきたらんの声に吹き飛ばされた。
「ちぇぇぇええぇぇええええぇぇぇえええええぇええええええぇん!!!」
「らんしゃまあああああああああああああああああああああああ!!」
後も先もなく、姉ちぇんは玄関先から跳ねた。
他のゆっくりには、他のちぇんにはわからないかもしれない。
だが姉ちぇんにはわかった。妹のらんがあの叫び声を上げる時は、ゆっくりできない時、助けを求める時の声、たとえば捕食種を前にした時などの声だ。
何が起こっているかも考えず、とにかく妹の危機を助けるためだけに姉ちぇんは巣の奥に飛び込んだ。
「らんしゃまあああああああああああああああああああああああ!!」
「ちぇぇえぇあああぁぁぁ!!」
らんにのしかかり、ぺにぺにをおったてたちぇんがすこすこ腰を振っていた。
姉ちぇんの目の前がチョコレートで茶褐色に染まった。
気がつくと、巨大なチョコレート大福が荒い呼吸で這いずり回っていた。
「ゆ……あ゛……わか……にゃ……」
よく見ればそれはところどころ髪がむしられているが、目玉を抉られ、耳を噛み切られ、尻尾を潰された家主ちぇんだった。
姉ちぇんは、そんな汚物より妹らんのことが心配だった。床に這いつくばったままのらんに駆け寄る。
「らんしゃま! 大丈夫!?」
「ちぇぇぇん……ちぇぇぇん! ゆえええええん!!」
らんは姉ちぇんに泣きながらすり寄った。幸い精子餡を出される前だったからなのかにんっしんした様子は無い。
安心すると、途端に家主ちぇんに対する怒りにチョコレートクリームが沸騰した。
あんよの皮を千切られて身動きできない家主ちぇんの頭に姉ちぇんはかぶりつき、髪ごとその皮をひっぺがす。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!! わぎゃりゃにゃいよおおおおお!!」
「わからないのはこっちだよ! 妹のらんしゃまは普通のゆっくりより弱いんだよ! それに、まだおちびちゃんなのに! れいぱーは、ゆっくりしね!!!」
家主ちぇんの頭に乗っかって跳ねるうちに、姉ちぇんは思い出した。そう、家主ちぇんのあんよも耳もぺにぺにも噛み切ったのは姉ちぇんだ。アマギったのも姉ちぇんだ。禿げさせたのも姉ちぇんだ。
姉ちぇんは理性を取り戻していた。群れのゆっくりをこんな風にしてしまった以上、もううかうかしていられない。すぐにでも逃げてしまわなければいけない。
だが、
だが――!
「お前だけは永遠にゆっくりさせる!!!」
「わぎゃ!!?」
姉ちぇんの尻尾が束となって両の眼窩に突き刺さった。
中のチョコレートクリームを掻き分け、抉り、まさぐり、姉ちぇんは鬼気迫った表情で目的の物を探す。
「わ……ぎゃ……らんしゃ……」
「お前が!!」
『それ』を掴み取った姉ちぇんは一気に尻尾を引き抜いた。
チョコレートクリームの飛沫を上げて引きずり出されたのは、硬いチョコでくるまれた家主ちぇんの中枢餡だった。
その中枢餡を家主ちぇんの口腔に押し込み、上に飛び乗って無理矢理咀嚼させる。
「らんしゃまって言う資格はない!!」
とどめの体当たりを喰らって家主ちぇんは壁に直撃し、チョコレートクリームを部屋中にぶち撒けた。
「ゆはははははは! わかるよー! ちぇんはゆっくりできない劣等種だよー! そうじゃきゃ永遠にゆっくりさせてこんなにザマ見ろ&スカっとしてさわやかな気分にならないよー! ゆはははははははははははははははははははは!!」
何かが壊れたかのように九本の尾を怪しく蠢かしながら姉ちぇんは笑った。
雨が止むまで、笑い続けた。
夏が来た。畸形のゆっくり姉妹は大きく成長していた。
姉ちぇんは最早成体ゆっくりと比べても遜色の無い若ゆっくりだ。妹らんはまだ小さいが、特にどこか悪いところがあるわけもなく、元気いっぱいなゆっくりに育っている。
親のいないゆっくり姉妹がここまで大きく成長したことは奇跡と言えるだろう。数え切れないほどの幸運に助けられたが、もちろん様々な不運もあった。それでも姉ちぇんの機転と妹らんの絆でこの姉妹は成体直前まで自力で生き抜いた。
だが、運命は平等ではない。親の庇護の下、ゆっくりした生活を送っていたはずのゆっくりがちょっとしたことで命を失うこともある。
そのれいむも、そんな状態にあった。
「……ゆぅ……」
野原でれいむが干からびていた。
あんよには小さな枝が突き刺さっている。これが直接の原因だろう。
都会のアスファルトほど酷くないとはいえ、野山でも長い間直射日光を浴び続ければさすがに干からびる。暑いからと足元への注意を疎かにして移動すれば、こんな瑣末事で命を失うのがゆっくりだった。
「ゆぅ……」
だが、まだ息はある。ちぇんは一瞬どうしようかと考えたが、らんが尻尾を引っ張ったことで、決意した。
「らんしゃま! れいむを影に移動させて見ていてあげてね!」
「ちぇぇぇぇん!!」
この姉妹が別行動を取ることは珍しい。だがお互い信頼しているだけあって、いざという時ためらいはしないのだ。
ちぇんは川へと向かった。そしてなんの躊躇もなく自分のおぼうしを脱ぎ、水面へと浸ける。
たっぷり水を含んだことを確認すると、尻尾でおぼうしを掴み多少破けるのも気にせず引きずって走った。
瀕死のれいむの元に戻った時には水はほとんどなかった。それでも九本の尻尾で絞り出すとゆっくりにはそれなりといえる量が零れ落ち、れいむの口の中に吸い込まれていった。
「ゆぅ…………う……ゆっくり……していってね……」
「気がついたよ! らんしゃま、ちぇんはもう一回水を取ってくるよ!」
「ちぇん!」
二度目の水補給を施すと、れいむはすっかり顔色が良くなり、完全に意識を取り戻していた。あんよに突き刺さった枝も抜かれ、らんのおぼうしのお札を貼られて傷口を塞がれている。
代償にちぇんのおぼうしはよれよれの傷だらけとなったが、ぺーろぺーろすれば多少はマシになるはずだ。
「れいむ、動ける? 川さんまで連れて行ってあげるよ」
「ちぇぇん」
「ありがとう……ありがとう……」
何度も何度も礼を言うれいむの両脇を支え川まで連れて行き、さらに水分補給。
その頃には治療効果のあるお札のおかげでれいむのあんよは好調になり、なんとか自分で歩けるようになるまで復活していた。
「じゃあ、もう自分で群れまで帰れるね! それじゃあね、れいむ」
「ちぇぇぇん!」
「待って、ゆっくりしていってね!」
姉妹は揃ってさっさとその場を立ち去ろうとしたのだが、れいむはショックを受けたような表情で引き止めた。
「れいむはまだ二人におんがえししてないよ! このままじゃゆっくりできないよ!」
「ゆぅ……でも、ちぇんたちと一緒にいる方がゆっくりできないんじゃない?」
一刻も争うゆん命救助に遠慮なくちぇんもらんも、れいむにその尻尾を見せつけていた。だが、れいむは少しの気負いもなくぶんぶんとかぶりを振る。
「そんなことないよ! ちぇんとらんはれいむの命の恩ゆんだよ! 尻尾さんが多かったり少なかったりするのなんて、それに比べればぜんぜんたいしたことないよ! ゆっくりしていってね!」
おそらく、これがちぇんにとってゆん生初の心の底から受けた「ゆっくりしていってね」という挨拶だった。そしてちぇんは、自分が今まで本物の「ゆっくりしていってね」という言葉を受けたことがないことに気づいた。両親からすら。
「ゆ……」
「ちぇ……」
「ゆん? どうしたの?」
「ゆああああああああああああああああああああああああん!!」
「ちぇえええええええええええええええええええええええん!!」
「どうして泣いちゃうのーーーー!?」
嬉しさとも悲しさともつかない、とにかく凄まじい感情に突き動かされてちぇんは泣いた。らんも泣いた。滂沱と泣いた。顔面が溶ける寸前まで泣いた。
ひとしきり泣き終わった後、混乱するれいむにちぇんは
「それはね……」
と、いままでのゆん生をかいつまんで話した。
今度はれいむが泣く番だった。こちらは干からびから復活したばかりなので流出量は控えめだったが……
結局、三匹が揃って水分補給し直し情報交換を終える頃にはすっかり日は傾いていた。
「ゆん? もうおひさまがあんなに赤いよ! ゆっくりしないですぐ帰らないと、まりさがしんっぱいするよ!」
「そうだね、ちぇんたちもすぐにねぐらを探さないといけないから、もうお別れだね」
「ゆ! ちぇん、そのことなんだけど、命の恩ゆんをこのまま行かせるのはしのびないよ。だから、れいむはちぇんとらんを長に紹介して、群れに入れてもらうよう説得するよ!!」
「ゆえ?」
ちぇんは、耳をほじほじと九本の尻尾で掃除し始めた。ぞろぞろ独立して動き回るその尻尾のキモさにれいむは明らかに引いたが、どうにか堪えた様子だった。
「ごめんね! ちぇんはちゃんと聞こえなかったみたいだよ。もう一回言ってね」
「ちゃんとらんは、れいむが絶対群れに入れてあげるよ! もう誰にもゆっくりしてないゆっくりなんて言わせないよ! 長だって、きっと言ってくれたらわかるよ! だってちぇんとらんはこんなにゆっくりしているんだもん!」
「わからないよおおおおおおおおおお!?」
ろくに他のゆっくりから愛情や好意というものを受けられなかったちぇんは、ちぇん種がゆっくりできない時に叫ぶその定番文句しか吐けなかった。いや実際、ちぇんのチョコレート脳はちっともゆっくりしていなかった。それどころか、今ちぇんの頭を占めていることは主に
(このれいむは今すぐ永遠にゆっくりさせるべきだよ!)
という、およそ他のゆっくりからは想像だにできないほど飛躍した思考であった。
身から出た錆とでも言うべきか。あの梅雨の事件以来、姉ちぇんは妹らん以外のゆっくりに対してより強い警戒心を抱くようになった。今まで自分たちが迫害されるのは尻尾の数のせいだけだと思えたが、殺ゆを犯してしまってから変わった。いつかあの群れから追っ手がやってきて、自分たちをせいっさいするのではないかと怯えるようになったのだ。
(このれいむは、罠さんだったのかもしれないよ……たとえそうじゃなくても、どうせこんな所、他のゆっくりが見ているわけないよ。白か黒かなんてどうでもいいよ。とりあえず殺しておいたらちぇんたちはあんっしんできるはずだよ……)
通常、ちぇん種はゆっくりできない局面に出会うとらん種に助けを求める傾向にある。しかしこの姉ちぇんは生まれたその日から自分よりずっと弱々しい妹らんを守り、育ててきたのだ。助けを求めるなどもっての他だった。
結果、姉ちぇんは極度のストレス状態に置かれると攻撃性が増すようになってしまった。一度犯した殺ゆが、さらに姉ちぇんのブレーキを壊していた。
(でもわかるよー……油断は禁物だよー。このれいむは隙だらけな気がするけど、誘っているだけかもしれないよー。無防備な瞬間を狙って、まずあんよを潰してから上に乗っかるよ。それからおめめに尻尾を入れて、中枢餡を潰すよ)
「ちぇ、ちぇ、ちぇーーん!!」
姉が物騒な思考をチョコレートクリームの中で練り上げることも知らず、妹らんは素直に喜んでいる様子だった。なぜかゆっくりしていないちぇんの様子に戸惑っていたれいむだったが、らんのリアクションに安心したのか笑顔を取り戻す。
「よかった、らんはうれしいんだね! でもちぇんは群れじゃゆっくりできないの?」
「わからないよ……」
それは正直な答えだった。今更群れの生活に慣れることができるか不安だし、受け入れてもらえるなどと信じがたかった。
「ゆっ、ゆっ、ゆっ」
「らんしゃま……」
らんはちぇんの顔を見上げて何か意思を伝えようとしていた。それが厳密に何かはわからずとも、広義的に受け止めれば「れいむについていこう」に帰結することくらいはわかった。
ちぇんは恐る恐るうなずく。
「わかったよー。れいむ、長の所まで案内してねー」
「任せてね! こっちだよ!」
れいむはあまりにも無防備にちぇんへと背中を晒し、先導して飛び跳ねて行った。殺そうとすればあまりにもたやすい有様だった。
ちぇんは俯いた。涙を隠したのだ。
(ちぇんはゆっくりできないゆっくりだったよ……れいむは嘘なんかつかないゆっくりだよ。今わかったよ)
「むきゅー……そんなことがあったの」
長のぱちゅりーはれいむから一部始終を聞き、しかめっ面をした。一方れいむは既にちぇんは群れの一員になるものと思い込んでおり、にこにこしながら長のおうちの入り口でもみあげをぴこぴこさせた。
「それじゃちぇん! らん! また明日ね! この群れで、ずっとゆっくりしていってね!」
そう言って、ぴょこぴょこ家路についた。ぱちゅりーはむきゅーとため息をつく。
「まずは、れいむを助けてくれてありがとう。礼を言うわ。それで……群れに入れることだけど」
ぱちゅりーはちぇんをあまり真正面から見ないようにして会話を始めた。ぱちゅりーとしてはれいむの命の恩ゆんだということはわかるが、九つ尾のちぇんというのは見るからにキモかった。直視しただけでエレエレしかねないと判断したのである。
逸らした視線の先にはらんがいた。しかしこちらは希少種でぱちゅりーは今まで話に聞いたことはあっても見たことはないため、尻尾が多かろうが少なかろうが『まぁそういうもんだわね』とスルーである。
「ぱちぇ個ゆんとしては迎え入れてあげたいんだけれど、群れのみんなの反応次第、と言ったところかしらね……」
「わかるよー。ちぇんはみんながゆっくりできないって言うならすぐ出て行くよー」
「むきゅ、なんだか悪いわね。とりあえず今日の所はぱちぇの家でゆっくりしていってね」
そうして、ちぇんたちは生まれて初めて姉妹以外のゆっくりと食事をすることになった。
ぱちゅりーの家には番のまりさとその間に生まれた子ぱちゅりーと子まりさが一匹ずつおり、ちぇんとらんが加わるとやや食卓は狭かったが、それでも誰一匹たりとも文句は言わなかった。
「むーしゃ! むーしゃ! しあわせー!」
「に゛ゃ゛っ!?」
子まりさの幸せいっぱいな宣言に、ちぇんはびくりと後ずさりした。ぱちゅりーたちは目を丸くしている。
「……にゃ、にゃに、それ?」
「にゃにって……むーしゃむーしゃするとしあわせーな気分になるんだぜ。あたりまえなんだぜ?」
「わかならいよー。そんな大声出しながら食べると、誰かに見つかるよ?」
「じゃあみんなでごはんをわけるんだぜ! みんないっしょにたべるともっとしあわせーになれるんだぜ! おとーさんもおかーさんもいつもそう言ってるんだぜ!」
ちぇんの頭を潰さんばかりに?マークがたくさん浮かんだ。
「わからないよー。みんなで一緒に食べたら、見張り役がいなくなるよ?」
「なんでみはりやくなんかいるんだぜ? 仲間はずれがいたらかわいそうだぜ」
「わからないよー。れみりゃや犬さんとか猫さんが来たら……」
「おうちのなかまでさすがにあいつらも入ってこないんだぜ?」
「わからないよー。おうちってそんなにすごいの?」
「むきゅ! れみりゃも大人のゆっくりが何人いるかもわからないおうちに無防備に入ってきたら自分が危ないことくらいわかっているわ! 犬さんも猫さんもよ」
そわそわしながらの食事を終え、子ゆっくりはちぇんの尻尾で遊ぼうとした。偏見の目がまだ薄い子ゆっくりにとっては、一度同じ釜の飯を食う仲になってしまえば多少尻尾が多かろうが少なかろうが仲間であると認識できたようである。親まりさは未だにちぇんと目が合うとあからさまにぎょっとするが。
子ゆっくりたちの遊び相手はらんに任せ、ちぇんはおうちの入り口まで出て夜風に当たった。
後ろからぱちゅりーの気配を感じたちぇんは星を見上げたまま口だけ動かした。
「わかるよー。ぱちゅりー、何か用?」
「むきゅ!? なんで振り向いてもいないのにぱちぇが近づいているってわかったの?」
「わかるものはわかるんだから仕方ないよー。強いて言えばぱちゅりーの呼吸は特徴的なんだよー」
「そう……それだけ気配を読むのが上手で今まで二人だけで生きてきたのなら、さぞかし狩りも上手なのでしょうね」
「比べる相手がいないからわからないよー」
「……ちぇん、先代から聞いた……先代も先代の先代から、先代の先代も先代の先代の……むきゅー、とにかく、昔から伝えられてきた話なんだけれどね」
何か重要な話が始まりそうな予感を覚えたちぇんは振り返った。
ぱちゅりーはちぇんとやはり視線を合わさないように顔の角度を変えて話し始めた。
「ちぇんの尻尾の数は、本来のらんと同じだけの本数がある?」
「本来のらん……」
ちぇんが思い出したのは、あの冷たい瞳をした母らんの姿だった。
体の中のチョコレートが冷えたような感じがして、ちぇんはかぶりを振った。
「あるよ」
「いつのまにか一本なくなっていたりしたこともないのね?」
「ないよ」
「むきゅ。ちぇんが本当に優秀だということがよくわかったわ」
「ちぇんにはわからないよー。どんな話が伝えられているの?」
「正式に群れの仲間になった時に教えてあげるわ」
ぱちゅりーは口を閉ざした。なぜならば、この情報をもし群れから追い出されたちぇんが得てしまっていては、何が起こるかわからなかったからである。
それは『九尾のちぇん・おりん・ゆうかにゃんが生まれた時、そのゆっくりの命は九つある』という伝説だった。
もちろん数の概念がせいぜい三つまでしかないゆっくりに九という数字の概念は無い。全てらんの尻尾の数だけ、と伝えられている。
問題はそこではなく、その伝説が本当ならばちぇんは死んでも死んでもたくさんたくさん甦るという事実だった。三以上の数はたくさんで終わるゆっくりたちにしてみれば、そんなゆっくりは不死身のゆっくりだ。ゆん智を越えた未知なる存在、正にゆっくりできないゆっくり。
ぱちゅりーは、このちぇんを迎え入れることはできなくとも、まかり間違っても決して敵に回してはいけないと考えた。