「ヘイザム・ケンウェイ」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

ヘイザム・ケンウェイ - (2013/07/08 (月) 01:17:17) のソース

#ref(ヘイザム・ケンウェイ.png,,right,width=300) 
&bold(){&big(){&big(){ヘイザム・ケンウェイ}}}
(Haytham E. Kenway 1725 - 1781年)

ヘイザム・ケンウェイはアサシンである[[エドワード・ケンウェイ]]の息子として生まれたが、10歳ごろからレジナルド・バーチによってテンプル騎士として育てられた。

その後テンプル騎士団の初代植民地グランドマスターを1754年から1781年に亡くなるまで務めた。

また彼は[[コナー(ラドンハゲードン)]]の父であり、[[デズモンド・マイルズ]]の祖先でもあった。

[[アサシンクリードⅢ]]ではシークエンス3まで彼を操作できる。

#contents()

----
*伝記

**誕生と幼少期(1725年~1735年)
#region()
1725年、ロンドンにて[[エドワード・ケンウェイ]]とテッサ・ケンウェイの間に第二子ヘイザムが生まれる。ちなみに第一子は異母姉ジェニー(12歳年上)である。
その後は父から戦闘訓練を受けて育つ。その間、父の友人でジェニーの婚約者のレジナルド・バーチがケンウェイ邸を何度か訪問している 。
#endregion

**ケンウェイ邸襲撃事件(1735年12月)
#region()
1735年、12月3日の夜にケンウェイ邸が何者かに襲撃される。父エドワードが殺害され、ジェニーが拉致される。使用人や護衛、隣家の少年も犠牲となった。
母を助けようと、ヘイザムは初めて殺人を犯す。
10歳の誕生日を機に、アサシンとしての実践的な訓練が始まるはずだった。

1週間後にレジナルドと会い、大陸でジェニーを探すことを提案される。
母親は(息子が目の前で人を殺したことのショックからか)ヘイザムと距離を置きたがっている節もあり、イギリスを離れることを決意する。
その後5年間レジナルドのテンプル騎士としてのコネおかげで、ヘイザムはヨーロッパ各国を回ることができ、最終的にフランスの拠点に落ち着くことになる。
#endregion

**テンプル騎士としてのヨーロッパでの活動(1743年~1754年)
#region()
レジナルドからテンプル騎士としての教育を受け、18歳で騎士団に加わる。
暗殺者としての才能を見いだされ、リヴァプールの商人とオーストリアの皇子を暗殺している。

1747年、ヘイザムと戦った人物が、死に際にヘイザムの父親はアサシンだったと言い残す。
その数日後ブラドックと会い、彼の部隊に加わることになる。1753年途中まで各地を転戦するが、その間ブラドックによる数々の悪行を目撃する。

1753年6月25日、ホアンの手記解読のため拘束したアサシン教団の解読者モニカが、「息子ルーチョと一緒でなければ解読できない」とごねたことによりヘイザムが誘拐任務を任される。
コルシカ独立戦争のさなか、ジェノヴァ軍の襲撃に乗じて、アサシンを装い教団側の拠点に潜入し、ルーチョを誘拐。
途中、アサシン・ミコと遭遇し交戦。彼のアサシンブレードを奪う。

その翌年、ロンドンのオペラハウスでミコを暗殺し、宝物庫の鍵を奪う。
アサシン側の資料を元に神殿の位置をアメリカと推定。アメリカへ向かうよう命令を受け、明け方にロンドンからボストンへ向け出航する。
#endregion

----
*コメント欄
#pcomment(,reply,enableurl,5)