高橋ジョージとすてきな仲間たち
ビクトリーロード
高橋ジョージ「オワァ!シャア!」
観客「ワン!ツー!スリー!フォー!」
(テロップ:「アイム・ジャスト・ロックンロール」)
いま、高橋ジョージとTHE 虎舞竜のメンバーが、青春のビクトリーロードを駆ける!
(テロップ:ボーカル・ハープ 高橋ジョージ)
(テロップ:1993年、2ヵ月にわたってくりひろげられた「THE 虎舞竜」初の全国ツアー。 日本青年館(東京)でのファイナルステージも熱い舞台となった。)
(歌詞は省略)
高橋ジョージ「きょうの日、一生忘れません!ホントに最後に、みんなの顔が見れたんで、今度は、最高の声を、聞かしてやってください(?)。もし良かったら、一緒に、歌ってください。」
(テロップ:「ロード」)
(歌詞は省略)
(テロップ:宮城県)
高橋ジョージの歩んできた道、それは、生まれ故郷である宮城県から、ロックシンガーを夢見て上京するところからはじまる。
(テロップ:上京する時の心境)
高橋ジョージ「僕が、まあ高校は、いくつか行ったんwですけども、えー途中で辞めて、でまだ、何故かっていうとやっぱり、自分の夢を果たす為には、まあ東京に早く出てきたいなってのがあって。
オリジナルの曲を3曲しか持ってなかったんですけども、それと、まあギターと、ギターはもうあのケースに入れてなくてハダカで持ってたんですけども、まあ、東京行かないと、あのー何もできないという、僕らの仕事っていうかね、夢が叶わないってことでー、あのーまあ親から、ほとんど勘当同然で出てきましたから、ス~、まあやっぱり引き下がるわけにはいかないなっていうことで、だからこのー、列車の線路は、あのー往復はないんだっていう想いで、行きしかないんだっていうところで」
(テロップ:仙台駅)
高橋ジョージ「飛び乗ったのを覚えてますよね、ハイ。」
(テロップ:「アンチェインド・ドリーマー」)
(歌詞テロップ:カバンひとつで飛び乗った 東京行きの夜行列車 ガキの頃から憧れてた 全てがこの街にあると 本気で信じていたから 迷いもためらいもなかった 消えかける街に叫んだ もう二度と帰りゃしないと)
憧れの東京。しかし、そこに待っていたのは厳しい現実だった。生活するのが精一杯の日々が続いた。
(テロップ:ロックバンド「トラブル」を結成)
それでも、夢だけは心に抱いて、必死の思いで仲間を募りバンドを結成。
(テロップ:1982年 レコードデビュー)
上京して5年目の23歳のとき、レコードデビューする。
喜びも束の間、売れるわけでもなく、売れないわけでもない。そんな中途半端な日々が続き、ひとり去り、ふたり去り、ついには解散に。
(テロップ:1985年 バンドの解散)
夢は破れ、彼は底知れぬ孤独感にとらわれる。
(テロップ:故郷の母からの電話)
高橋ジョージ「そん時にまあ正直にね、なんか知んないけどー、あの正直に『死にたいんだ』っていう、ところで話したんですよね。したらー、ス~まあ普通の母親でしたら、『何を考えてるんだお前』っていうところにね、行くんでしょうけどもー、あっさりと、えー『死にたいっていうんだったら自分の意志だからー、死ねばいい』と。『それだったらいいよ』と。だけどもー、ひとつだけ言いたいのはね、
ある高校生の男の子が、僕の歌を聴いてね、自殺を思いとどまった、っていうことだってあると。『そうやって人の命を変えてしまうっていう、やっぱ曲を書けるんだからー、もうちょっと頑張ってみたらどうだ』っていうところがあって。
そん時に、僕がこう、息子がね、死を考えてるときに、なんでこう、力強いことを言えるんだろうっていう、そういう不思議さがあって、そうした時に、『お前も死ぬんだったら、どうせ死ぬwんだったら、1年間親孝行のつもりで、信心をしてみないか?』って言われたんすけど、そん時、正確に考えるとー、そうですよね『する』って言わなかったんですよね。でまあとりあえず、じゃあ折衷案っていうことで、えー『┏(^o^)┓聖教新聞を取るよ』ってことでずっと拒み続けてきたんですけど、取るっていうことになりまして」
(テロップ:入会の動機)
高橋ジョージ「そうやって呼んでるうちにー、ある日の、あのー┏(^o^)┓聖教ー、新聞の中にですね、あのー池田先生の、言葉の中で、あのー、『昨日の自分と今日の自分を比較していきなさい』っていう、『人と自分を比べるのが一番愚かで、どうせ比べるんだったら、昨日の自分と今日の自分を比較していきなさい』っていう、そういうねスピーチがあって。すごく僕は、シンプルなんだけれども、今の僕にとってね、そん時の自分にとってね、スゴい、ガーーーン!とこう、ホントに、その真実っていうか、あのー、の、言葉だったんですよ。それで『こういう、言葉っていうか、えー、を語れる、人ってのは、素晴らしい人だな』っていう風に思って、それでー、こう、まあ、入会を、決意したっていう、状況だったんですよね、ハイ。」
(テロップ:「故郷(ふるさと)の風」)
(歌詞テロップ:WOO 故郷は忘れかけてた あの頃の夢を あのままの夢を もう一度 見せてくれた もう一度 やってみよう 初めから…)
故郷の母の励ましは、彼に信仰と、生涯の師との出会いをもたらし、生きる勇気を与えた。新たな仲間とも出会い、バンドを再結成。再び夢の実現に向けて歩み始める。
(テロップ:東京)
(笑い声)
地域の創価学会の青年たちと、活動に励む高橋ジョージ。今でこそ、地区リーダーとして活躍する彼だが、はじめからそうだった訳ではない。
高橋ジョージ「もうわーかけちゃってもうわーwってあのわーwっていうもう…(?) どうもありがとうございました。」
(拍手)
(テロップ:入会の条件)
高橋ジョージ「僕ーとしては、あのー、自分の中でね、三大決意をしまして、ま、えー、『人に見つからない』、『人に勧めない』、それから、『体に無理をしない』、っていうこのまあ、みっ、三大決意をしちゃったんですけどもw、まとりあえず、それをー、やり、遂げようっちゅーか、まあ、人には勧めないでね、見つからないでいこうと思ったんですけどー、どーもその、自分がー、勤行唱題っていう実践する中でー、自分ではわからないんですけどもー、そのー、メンバー、周りのメンバーがですね、あのー、『なんか変だぞ』と。
元々、こうー、元気ありすぎるんだけども、『最近は、もう特に、なんかスゴいよ』と、なんか、ガンガン来てると、んー、いうとこで、実はー、っていうとこで話さないつもりだったんですけども、まあ、あのー、ドラムの田中っていう人間にですね、ス~『実は僕、創価学会入ったんだ』と。それで、えー、それで『こういう勤行唱題してるうちにー、こういう生命力みたいなね、なんか元気が出てきて勇気が湧いてきたんだよ』っていうことをね、話したんですよ。
(テロップ:メンバーの信仰との出会い)
(テロップ:ドラムス 田中清人(ターナー))
田中清人「ス~、ジョージとは仲がよくてー、スゴいなんか、友達的な中身みたいな感覚でね、いたんで、ス~、二つ返事で言っちゃったら、ジョージも『え!?』っていうよな感じでまあ、あのー驚いてたらしくて、それをなんかジョージはお、お母さんに言ったらね、『折伏ってのはそんな簡単なもんじゃないから、もっと慎重にいきなさい』って言われたらしくて、まそれからまあ、仏法の話を、をー、何回か聞いてるうちにね、うん、『ま俺もやってみようかな』と。
いう感じで、まあ付き合いで入ったと、いうようなw、最初はw、あはははw、最初はそんな感じで、ま軽い感じで、入っちゃったからっていう、うー、キッカケはそうですね、まそれでまあ、(咳き込む)、ついにー、入信したのがー、タカだよね。」
田中敬久「すごいショックだったのは覚えてるんですよ、最もこの世で、宗教が、似合わない人が、そういうなんていうんすかね、宗教をやってるという、ことを聞いたときにー」
(テロップ:ベース 田中敬久(タカ))
田中敬久「やっぱ自分の中では、宗教ってのはやっぱ弱い人間ね、やると思ってたしー、あのー、そゆなんか、なんかに縋るっていう感覚が非常にあったんで、ちょっと、ヤだなと。頑なにこう、閉じこもったような、気がしますね。」
(テロップ:サックス 上村CAN)
田中敬久「でそんときにー、あのー、『2年間で、絶対武道館に立てる方法は、あるんだ』と、それが『この仏法を、やってみることだ』と、いうふうに言われてー、で、頑なに、そういうふうに否定してきた、んですけどー、『まいいか』と、そんときに、ま、思って、僕のキッカケっていうのはだから、その『武道館に立てるよ』という、非常にこう甘い言葉に、負けたとw、いう、状況なw、訳ですね。」
(テロップ:ギター 池田芳輝)
池田芳輝「さっきはターナーと同じでまあ、安易なw、非常にこう、全然こう、根拠のないw、『やってみると気持ちいいぜ』みたいな。
いやでそれであの、みんなと一緒にやるようになりましてですね。
ま実際やってみるとなんかこう『朝のラジオ体操が終わって気持ちいいぞ』というみたいな気持ちになるんです。」
(笑うメンバー達)
池田芳輝「こんなんじゃダメかな?w、こんなんじゃダメだよな……ですけどね。」
???「いやあ別に…、いやもう…」
(テロップ:ギター・キーボード 本間敏之)
本間敏之「という訳で、最後までひとり頑固に残った、本間ですけどw、ハハハハってw」
田中敬久「けどね?」
本間敏之「でもあの、一応新聞は、あの取ってますけど。」
田中敬久「長く取って届いてますねー。」
本間敏之「ね、ホントね…。」
本間敏之「ま、という状況の中で、えーと、まあ、私は、えー、唯一、学会には入ってないんですが、えー、一応交友という、立場で、ね、歌も覚えてますよ。うん、で、えー、まあ、実験的に今、えちょっと…。」
???「実験w」
本間敏之「モルモット状態であの…」
(笑うメンバー達)
本間敏之「えーと、勤行をですね、えーと、4月ぐらいまで、ええ、一応。」
田中敬久「やってみようかと。」
本間敏之「みなさんが一緒にいる時はですね、えー、たまに、やっております。でもハッキリ言って1時間は、たいへ、大変辛いです。」
(苦笑するメンバー達)
俺たち、天才じゃないし不器用だからさ、やり続けるしかないじゃない。と、ジョージとTHE 虎舞竜のメンバー達は、客が多い時でも少ない時でも、いつも全力を出してぶつかっていった。
(スタジオでリハーサルをするTHE 虎舞竜のメンバー達)
わずかの不安に支えられ、たったひとつの夢を追いかけ、こうしたスタジオでレッスンに励んでいた時代。ジョージの創作に変化が。
(テロップ:作詞の変化について)
高橋ジョージ「そうすね、あのー、丁度6年前になりますけども、あのー、こうやってリハーサルをやってる、時代がありまして、でまあライブを、月にいっぺんとか、まあ、名古屋に一回くらい行った、そんな時代だったんですけども、それまではあのー、自分のオリジナルっていうのが、なん十曲も書いてきたんですけども、でも、こういつでも、えー30万人にウケようとか、えーどうやったら100万人にウケるんだろうとか、そんなことばっかり考えてて、
えー作詞をしても、えージグソーパズルみたいな、えそんな、え作詞しかできなくて、それでーあのー、ある日の┏(^o^)┓聖教新聞に載ってました池田先生の、あの『歌には良い歌と悪い歌がある』。それを聞いたときに、なにかこうグサッ☆とこう、えー、胸に刺さったものがあって、えー自分で、『そうじゃない』って思いながらも、『そうじゃないかな』って思い当たる節がいっぱいあって、
感謝できたときに、あの、自然と、こうひとりひとりに、なんか、あ、30万人じゃなくてひとりにこう伝えられるような、手紙を書くような、そんな詞を書きだしまして、それでーそんときに、あのー自分の大きく変わった、自分の作る歌が変わったなって思えたのが、あの、『祈り』っていう歌でした。
それで少し経ってからやっぱり、あのー『ロード』っていう、この曲もですね、あのー、その時代に、えー、やっとこう出来てきたかな、っていう感じがありますけどね。」
(テロップ:「ロード」)
(歌詞テロップ:ちょうど1年前に この道を通った夜 昨日の事のように 今はっきりと思い出す 大雪が降ったせいで 車は長い列さ どこまでも続く赤いテールランプが綺麗で サイドシートの君は まるで子供のように 微笑みを浮かべたまま 眠れる森の少女 ゆすって起こした俺を 恨めしそうににらんで 俺の手を握り返し 「愛が欲しい....」と言った 何でもような事が 幸せだったと思う 何でもない夜の事 二度とは戻れない夜)
(テロップ:1988年 音楽事務所「トランプス」を設立)
新しい曲が、次々に生まれるようになる。やがて事務所を設立。だが、時流に乗ることができず、仕事らしい仕事がない日々が続いた。CDの製作を実現しようとするが、レコード会社に取り上げてもらえず、自分達の手で、デビューシングルCDを発表する。
(テロップ:1992年5月 デビューシングルCDを発表(「道化師」「ロード」))
しかし、宣伝費ゼロでは、売れるはずもない。借金がかさみ、事務所は倒産の危機に陥る。それでも、彼らは決して諦めなかった。
(テロップ:夢を捨てずに)
高橋ジョージ「でなんとか、まあでもレコード出せたってことで、CD出せたってことでー、まあライブを、えー、夏ぐらいやって、で夏のー、えー、ときに、ある、深夜の番組に。」
田中清人「ああ~。」
高橋ジョージ「1回だけ出れてね、そのビデオを持ってね、えー有線を、回ったのがやっぱり9月の12日だったねー。」
田中敬久「持ってけばかけてくれますからね。」
高橋ジョージ「そうそうそうそう…。」
田中敬久「一番お金がかかんないっちゅうんで。」
高橋ジョージ「そういう宣伝でね、行ったんだけど、まあやっぱり全然流せてもらえず…。」
(テロップ:「ロード」のヒットの報せが…)
高橋ジョージ「10月の12日の日だね、大阪の、有線から。」
田中清人「事務所に電話、あったんでしょ?」
小寺英春「え、大阪じゃない、東京の有線から、電話あったんですよね?」
3人「うんうんうん…。」
(テロップ:マネージャー 小寺英春)
小寺英春「それで、えー、じゃあちょっと、大阪のほうも電話かけてみようっていうことで、でー入れたらなんと6位に入ってた。」
高橋ジョージ「ってもう…、もうな、何が起きたかわかんない。」
田中清人「そ、外から入ってきてさ、タカがさ、『ターナーさん!今有線から電話があって、12位ですって!』って言うから、『うそだろお前』って、すんごい慎重になって、『じゃあ大阪に電話して聞いてみろ』ったら『6位だ』ってええええ?!w」
田中敬久「あんとき、だから今思えば、あんとき程、いま人生生きてきて、う、嬉しかったって感動はなかったですからね。」
高橋ジョージ「そうだね~。」
田中清人「うんだって、お、お、なんか思い出すとなんかグッとくるもんね。」
高橋ジョージ「あの日のことってねー、そんで…。」
田中清人「その後にー、ジョージが帰ってきてー。」
高橋ジョージ「うん。」
田中清人「ほおっつって、もうね。」
高橋ジョージ「だからみんなで壁に向かってw、なんかw、うーーんみたいなさw」
田中敬久「仕事してるフリしながらwはっはw」
高橋ジョージ「次の、えーその、月曜日、電話かかってきてねー、レコード会社から、あの『お会いしたいんですけど』って、言うんだ、お会いだなんっつって、いや、そん、『こちらから伺いたい!』なんてねー、んで来てもらっちゃ困るからwあんまりにもw」
田中敬久「目立った職場じゃないからw、狭いですもんw」
高橋ジョージ「最初に暖房きかないからw、冬なのに。」
3人「寒いねー、ちょっとじゃあ…腕立て伏せ…w、スクワットやってwやっと終わった~w」
田中敬久「そう、電話終わった瞬間ゲームしてますからねーw」
高橋ジョージ「そうそう、不思議だねーほんっとにね。」
田中清人「それで、あ、ジョージと小寺が会いに行ってー、でもう、来年の1月に、出しなおしましょうと。」
高橋ジョージ「そう、ね。」
田中清人「でお金もかけて、宣伝しましょうと。」
田中敬久「で全国の家から放送するように、出しましょうと。」
発売後、『ロード』はヒットチャートをぐんぐん上り、彼らの目標だった第1位100万枚を遥かに超え、歌が、詞が、若者の心を捉え、200万枚のビッグヒットとなる。
(テロップ:ヒットの背景について)
(テロップ:サウンド・プロデューサー 入江 純さん)
入江純「ッス~、そうですね、この、13年くらいのジョージの作品とか、色々見てきて、一番変わったのはとにかく詞が一番変わった。
今回その、ジョージのアルバムをー、とか色んなロードも含めてそうなんですけどもー、詞に関しては非常にジョージは成長したっていうのかなー、でそれが、ス~、精神的にその、物事を見る目とかー、世の中を見る目とかー、ス~、そういうのがまあ色んな苦労もしたろうしー、色んなことで非常に、変わった、ような気がします。
やっぱりジョージなんかも、たぶんそれなりに彼なりに葛藤があっただろうけどー、やっぱり、やることはね、こうやって成功した、まず、何よりのね、もう続けることがなによりのもー、基本だったってのがジョージがホントによく、ス~、示してくれたろうし、これはもう、ホントに、大きな、なんてかな、ジョージにとっての財産だろうし、素晴らしいことだなーと思いますね。」
ヒット曲『ロード』を引っ提げて、テレビにステージにと、虎舞竜の活躍がはじまった。そして、93年の数々の音楽賞を受賞することに。
(テロップ:日本有線大賞有線音楽優秀賞 全日本有線放送大賞特別賞 審査委員会最優秀賞 レコード大賞ヒットシングル賞)
虎舞竜 控室
多くの人々が、心から喜び、祝福した。その中に、研ナオコさんが居た。高橋ジョージの長い下積み時代から、この日が来ることを陰ながら祈り、見守ってきた研ナオコさん。
創価学会の芸術部のメンバーでもある研ナオコさんと、高橋ジョージのトークが弾む。
(テロップ:研 ナオコ(友情出演))
研ナオコ「やっとの思いでお会いできた日は、7年前に、えー、ライブ。」
高橋ジョージ「そうですね。」
研ナオコ「ね、クロコダイルのライブを、えー主人に連れてってもらって。」
高橋ジョージ「そうですね。」
研ナオコ「ね、そんときにはじめて。」
高橋ジョージ「来ていただいて。」
研ナオコ「ええ。」
高橋ジョージ「ええ。ナオコさんってのは僕にとってすごく、目標だったんすよね、やっぱりー、僕らの世界でいうと、なんかこう、口で言うのは簡単ですけどねー、やっぱ生き残るってのはまあ、で、キャリア違いますからねハッキリ言ってねw、今こうやってね、お、お話できてるってのも、意外と振り返るとね、考えられないような、とこなんですよ。」
研ナオコ「あのー高橋ジョージに会えたっていうことは私にとってもほんっとにスゴい、出会いだったと思う。」
高橋ジョージ「いえいえいえ…。」
研ナオコ「いやそうなの、高橋ジョージに会えて、それで、だんだんどんどんどんどん変わってきて、『もうああこの仏法はスゴいスゴいスゴい!』って自分で体験してきて、うん、やっぱり同性の高橋ジョージがこう、実証を示していくっていう、姿を見せて、くれたっていうことが、主人にとってスゴいことだし、『あぁ~よかったな~会えてよかったな』とホントに思った。
それで、お正月を迎えて、先生が(?)、みなさんいらっしゃるところで、デュエットして、(?)だけど、デュエットして、もうみんながなんか喜んでくださってる姿見たときに、『なんて素晴らしい仕事させてもらってるんだろ』と思って。いやこれは頑張んなきゃいけない。」
高橋ジョージ「僕にとっては池田先生の前で、」
研ナオコ「うん、うん。」
高橋ジョージ「歌えてたってのは、ま夢の夢っていうか、あのー『ロード』でこう感想言ってね、で色んなことをね、こう走馬灯のようにね、いつでももう、それは先生の行動見るだけで激励をいただいてた訳だから、っとに先生と出会えたっていうね、ところの幸せ感ってのはね。」
研ナオコ「うん。」
高橋ジョージ「もう、今まででいっちばん嬉しかったですね、うん、だから、ホントになんか、うん、今年はナオコさんがさっき仰ってたように、あのー、『頑張る、二乗三乗』みたいなね、もうw、一日もこれは無駄にできない!」
研ナオコ「フル回転だよねw」
高橋ジョージ「そりゃそうですよ。」
研ナオコ「うん。」
高橋ジョージ「うん。」
高橋ジョージと、THE 虎舞竜のビクトリーロードは、今はじまったばかり。これからも、ビッグな夢を抱き、未来に向かって歌い続けていくことだろう。いつまでも、人の心に響く歌を。
(テロップ:協力/㈱トランプス WOWOW・㈱メルダック THE 虎舞竜 オリジナルビデオ「ロード~ドキュメント・第一章」より)
最終更新:2026年02月07日 03:42