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世界不戦への潮流

元ネタ語録 > 世界不戦への潮流 軍縮と核兵器廃絶をめざして

人間が人間らしく暮らし、子どもたちは明るく健やかに育つ。今日も人の活気が息づく町。人は誰でも心の奥で平和を願っています。
1945年8月。広島。
(テロップ:広島)
そして長崎。
(テロップ:長崎)
人類の平和への願いをよそにエスカレートする核兵器開発競争。

(タイトル:世界不戦への潮流)
(テロップ:軍縮と核兵器廃絶をめざして)

(テロップ:第37回本部総会で 核兵器全廃を提言(昭和49年11月 名古屋))
池田大作「今こそ人類は強い信念と勇気と思って、核兵器全廃に向かっていかなる国の核兵器の製造・実験・貯蔵をも禁止すること、そして核兵器をこの地上から一層することへ、必死の最大の努力を固めるべきであることを私どもは訴えたいのであります。
(テロップ:広島で原爆慰霊碑に献花)
(テロップ:原水爆禁止一千万人署名運動)
原水爆禁止署名運動が全国に展開され、核廃絶への熱い願いが込められた1000万人の署名簿が国連本部に提出されたのです。
(テロップ:昭和50年1月国連本部に提出)

(テロップ:国連本部)
1982年6月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で「核兵器―現代世界の脅威」展が開催されました。
(テロップ:「核兵器―現代世界の脅威」展 ニューヨーク国連ビル)
(テロップ:ウスチノフ国連事務次長)
デクエヤル国連事務総長をはじめ、国連スタッフ、識者、多くの市民が熱心に展示を見学。
(テロップ:デクエヤル国連事務総長)
初めて目にする生の原爆資料の数々。それはニューヨーク市民の間に大きな反響を呼んだのです。
この核の脅威展は、ニューヨークに続き、スイスのジュネーブにある国連欧州本部でも。
(テロップ:リキ・ジャイパール国連事務次長補)
見学に訪れた人々は、改めて核兵器の恐怖を知り、世界不戦と平和を守ることの大切さを命に刻んだのです。
核兵器現代世界の脅威点は世界の核として次々と。1983年9月にオーストリアのウィーンで。 10月、フランスのパリで。1984年には、9月にスウェーデンのストックホルムで。10月、フィンランドのヘルシンキ。11月、ノルウェーのオスロ。続いて12月ベルゲン。そして1985年1月、ドイツ連邦共和国の西ベルリンでも。国連の世界軍縮キャンペーンの一環として、世界の各都市を巡回して開催された核の脅威点は、反核軍縮への国際世論を大きく高めていきます。
一メガトン核爆弾のニューヨーク上空2000mでの炸裂を想定したパネル。町が一瞬にして消失してしまう恐怖を市民は初めて現実感を持って受け止めたのです。
さらに、広島長崎の被爆直後の惨劇を伝える写真も展示。ケロイドや脱毛など原子爆弾の放射線による身体的障害を具体的に解説しています。高熱で変形し、変色した屋根瓦が原爆の恐ろしさを物語っています。
長崎の原爆展示物品も広島と同様、原子爆弾の脅威を生々しく伝えています。原爆投下のショックで針が止まったままの時計。高熱で雨のように溶けたガラス器具。
核の脅威展はさらに1985年4月、ギリシャのアテネで。 5月ユーゴスラビアのベオグラードに続いて、ザフレブで。 1986年の1月にはインドのニューデリーで。アジアで初の開催となりました。
(テロップ:ナラヤナンインド外務担当大臣)
4月、カナダのモンテリオール。5月同じくカナダのトロント、10月には中国の北京でも。
(テロップ:天安門広場)
開催期間中、多くの北京市民が会場を訪れ、同じアジアの隣国日本に投下された原爆による惨状。初めて目の当たりにしたのです。翌1978年5月、アメリカと並ぶ世界の大国ソ連のモスクワで核の脅威展が開催されました。
(テロップ:クレムリン)
このモスクワ展のオープニングセレモニーには、SGI創価学会インターナショナルの会長である池田大作氏も出席。SGIは、国連の非政府機関NGOとして、この核の脅威点の開催を一貫して推進してきたのです。

池田大作「世界で原爆は日本の国に投下された。したがって、日本人として、また平和主義者として、また私は仏教者としてこの悲惨さ、残酷さだけは一生涯。世界を駆け巡って訴えなくちゃならない使命と義務と責任と、またそれだけの、お~権利がある。こう思っております。」(拍手)
池田大作「全人類のすべての人々の心の宮殿に平和という、また幸せという共鳴の音楽が高らかになりゆくことをわたくしは願いたい。そして、21世紀はこの地球上に核のない、悲惨のない人間と人間との平和の花が咲き乱れることを、私は強く信じてメッセージとさせていただきます。」(拍手)
核の脅威展はタイのバンコクでも開催され、大きな期待と注目が寄せられました。
(テロップ:チュラロンコン大学)
こうして「核兵器―現代世界の脅威展」の開催は世界16カ国、25都市となったのです。 SGI等民間団体も協力して、世界的規模で展開された国連による軍縮キャンペーンが高まる中、米ソ首脳によるINF、中距離核戦力全廃条約がワシントンで調印され、さらにモスクワで戦力核削減に向けて共同声明が発表されました。
(テロップ:昭和62年12月8日 ワシントン・ホワイトハウスにて)
(テロップ:昭和63年6月1日 モスクワ・クレムリンにて)
核のない世界へ、大きく第一歩が踏み出されたのです。
(テロップ:爆破廃棄現場を査察する各国の代表)
そして池田SGI会長の世界不戦と平和への貢献に対し、INF全般に基づいて最初に破棄されたミサイルの破片がソ連平和委員会から贈られました。
(テロップ:アメのように曲がったSS12ミサイルの破片)
(テロップ:SS20ミサイル本体の破片)

(テロップ:「私たちと国連展」(九州池田平和記念館))
私たちと国連展の開催。世界不戦と恒久平和を目指す、SGIの平和運動は、国連の非政府機関NGOの一員としての役割を果たし、国連を大きく支援するものとなっています。国連難民高等弁務官事務所と連携して、アジアアフリカ飢餓救援募金など創価学会青年部による難民救援活動を全国に展開。ユニセフの協賛を得て、婦人部が「21世紀と世界の子ども展」を開催。また、ユネスコの後援により全国で世界の少年少女絵画展を。さらに、ソ連平和委員会との共催で、核兵器のない21世紀展を開催しました。
(テロップ:青年・婦人による反戦出版運動)
戦争への怒りを込め、二度とこの悲劇を繰り返してはならないと、青年や婦人たちが反戦出版活動を地道に進めていきます。
(テロップ:戸田平和祈念館(神奈川))
各地で展開された反戦・反核平和展。
戦争になると、いつも何も知らない子どもたちや力の弱い女性までも、その矢面に立たされます。太平洋戦争では、東京をはじめ各都市が空襲に遭い、多くの子供や婦人たちが犠牲となったのです。
(テロップ:女たちの太平洋戦争展)
平和を愛する女性たちの手によって、太平洋戦争展が開催され、多くの人々の共感を呼び起こしています。

(テロップ:世界青年平和文化祭)
世界の若者たちが一堂に集まって開催される世界青年平和文化祭。国連の後援によるこの平和のページェントは、世界の民衆にワンワールドワンアースの意識を高揚していきます。世界平和に向かってどこまでも進むことを固く誓い合う世界の若者たち。
池田SGI会長に国連支援と世界平和への貢献に感謝して、国連平和賞が授与されました。
(テロップ:明石国連事務次長)
さらに、1988年6月、第3回国連軍縮特別総会を記念して、日本人として初めて国連栄養表彰がデクエヤル国連事務総長より贈られたのです。
(テロップ:国連栄誉表彰)
(テロップ:デクエヤル国連事務総長)

(テロップ:長崎平和公園)
長崎の平和公園で原爆慰霊碑に献花するSGIの友。
(テロップ:広島平和記念公園)
広島でも、SGIの地球市民たちが核の廃絶と恒久平和の実現を誓って原爆犠牲者の霊に鎮魂の祈りを捧げます。今広がりゆく民衆レベルでの平和のネットワーク。世界不戦への潮流は、いよいよ水嵩を増し、世界の民衆一人一人の心の中に、戦争を防止する強固な砦が、平和の花咲く宮殿が築かれていくのです。

(タイトル:世界不戦への潮流)

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最終更新:2026年02月27日 20:05
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