VOD(SOKAチャンネル)版平成の宗教改革第四部です。
有名な日顕の再現シーンがあります
第四部 日顕宗の実態
(女性ナレーター)
日蓮大聖人の御遺命に違背し、僧俗和合の道を断ち切った阿部日顕とは、一体いかなる男なのか。
大正11年12月19日、のちの第60世法主日開と彦坂スマとの間に生まれる。
昭和22年、東京墨田区の本行寺住職。昭和36年には教学部長。2年後には京都の平安寺に赴任する。
憂宗護法同盟 小板橋明英氏「ちょっともう気にくわないというか、もたもたしてるとすぐバーンとやるわけですよね。
世間にもねその気の短い人はいっぱいいますけど、まさに『瞬間湯沸かし器』…。」
(女性ナレーター)
日顕の凶暴性の裏には、その生い立ちが深く影響しているという。
日蓮正宗改革同盟(創価寄りの坊主団体)
故・渡辺慈済氏「お母さんが、なんとか、結局この子を猊下(げいか:日蓮正宗のトップ)に育てようという一つの目標があった。
あまりにも妙修さん(母親)が大事にしすぎて、ねぇ、そして、大事に大事に育ててきた。
そういうものが結局、日顕を、あれだけの横暴な人間にしていった」
(女性ナレーター)
もともと、日顕は学会に悪意を抱いていた。
昭和27年、学会が宗門外護(げご)のため、宗教法人の認可を受けようとした際、日顕は強く反対した。
渡辺慈済氏「戸田(城聖)先生から今度『宗教法人を学会でつくった』と、ま、阿部日顕に報告したら、ものすごく怒ったと。
『それはもう、頭からつぶさなきゃダメだ!』って言って、ものすごい反対ぶりだったね」
戸田第2代会長は日顕のことを警戒し、
「阿部は腹黒く、インチキが多い。気をつけよ」
と周囲に注意を促していた。
現に、阿部日顕自身、戸田先生より叱責されたことを『戸田会長先生の御逝去に対して』と題する一文の中で、次のように書いている。「先生の云ういはゆる坊主根性の為か、師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない事があった」
昭和54年5月、総監に就任。そして、その2カ月後。
昭和54年7月22日、(細井)日達法主が急逝した。
その知らせを受けた日顕は、日達法主の娘婿菅野慈雲ら遺族が休んでいた西奥番室へと向かう。
(再現イメージ)
ヤング日顕「あと(相承)のこと、君たち聞いてるか?」(律儀)
(3人が顔を見合わせる)
菅野「(東北風の訛りで)いやぁ~、そりゃ~総監さん(日顕)じゃねぇ~んですぅ?」
ヤング日顕「あぁ、そうかぁ…」(あぁ、創価…)(何故か敵対組織の名前をつぶやく謎のヤング日顕)
3人が再び顔を見合わせる
ヤング日顕「あぁ、そうだったな…」
(女性ナレーター)
日顕は、うめくようにそうつぶやいたという。
(憂宗護法同盟『法主詐称―阿部日顕の正体を暴く』(2003年)の表紙をバックに)
その後、枕経の導師を務めた日顕の頭の中には、野望がうごめいていた。
「誰も相承(そうじょう)を受けていない」
そう確信したであろう日顕は、その後の重役会議にて一世一代の勝負に出る。
小板橋明英氏「もうとにかくもーそのー、絶対法主になるっていうことで若い頃からきたわけですからね、それはもうぜ…そのチャンスは絶対、見逃さないと。実は自分が(昭和)53年の4月15日に大聖人(日達上人)から内々に相承を受けていたようなことを、その後のそのー…会議で切り出すわけですね」
そして、仮通夜の席上、日顕新法主の就任が発表された。
重役(当時) 椎名法英「猊下より自分に対し、内々に御相承の儀に関するお言葉があり」
こうして日顕は第67世法主の座を手に入れることに成功した。
しかし、今日に至るまで、相承を証明する証拠は何一つ示されていない。
所化教育の実態
(大石寺三門と富士山の画像をバックに)
(女性ナレーター)
宗門では昔から、代々坊主の寺院を中心に派閥が形成されていた。
末寺で弟子を取るから派閥が生まれる。ならば本山で一括して弟子を取ろう。
こうして、昭和35年より、年分得度制度(ねんぶんとくどせいど)が始まった。
(テロップ:年分得度制度が始まる)
これは12歳の少年を対象に、一括して得度者を採り、本山で集団教育する制度である。
少年達は大坊と呼ばれる宿舎に寝泊りしての、修行の日々が始まる。
青年僧侶改革同盟 渡辺雄範氏
「本山に入って驚いたのは、まったくあの、江戸時代さながらの本山の状態でした。
言葉ひとつとっても『お目通り』とか『大奥』とか、まるで時代劇に出てくるような」
希望に燃えて本山に入った彼らを待っていたのは、法主(ほっす)や先輩に対する絶対服従と、暴力による制裁であった。
青年僧侶改革同盟 石井信広氏
「僧侶として生きていく中でですね、まぁ重要なことということで、
あのー白い壁を指差してですね、これを猊下(げいか:日蓮正宗のトップ)が黒だと言ったら、黒なんだと、
絶対服従っていうことをまぁそこでまぁ叩き込まれるわけなんです」
(再現イメージ)
「オデマシデス」
所化たちは法主の前では「伏せ拝」と呼ばれる姿勢を取らなくてはならない。
それは心服随従を意味する姿勢である。
渡辺雄範氏「まさしくあのテレビの時代劇に出てくるような、あの殿様に対するような態度です。
で日顕と道端で会った時には端座合掌(たんざがっしょう)といって、まぁしゃがんで合掌すると、だから本当に信じられないような世界でした」
(再現イメージ)
「南無妙法蓮華経~南無妙法蓮華経~南無妙法蓮華経~」
大坊では想像を絶するいじめが横行していた。
朝の勤行中、居眠りをする小僧は、情け容赦なく殴る蹴るの暴行を加えられる。
(居眠りをする小僧に向かって正拳突きで頭を殴ったり背中を蹴ったりする先輩のバイオレンス坊主)
渡辺雄範氏「1年にですね何回か脱走事件があるんですね。
やはり、そういう本山のそういう暴力やいじめに耐えられなくて、
子供達が夜中逃げだしてしまうということも、度々ありました」
(再現イメージ)
さらには、さしたる理由も無く先輩の所化(しょけ)から金属バットでお尻をフルスイングで叩かれることも、日常茶飯事であるという。
(パー┗(^o^)┛ーン☆)(パー┗(^o^)┛ーン☆)(パー┗(^o^)┛ーン☆)(パー┗(^o^)┛ーン☆)
(汗流しながらケツバットに耐える小僧。………ウホッ)
青年僧侶改革同盟 菅原雄政氏
「まぁあの、教育、所化教育という、その「教育」という言葉が使われますけれども、
実際には教育というような内容なことはほとんどないわけで、
言うことをきかなければ、まぁ暴力でそのーおさえつけると」
(再現イメージ)
10代の多感な頃に受ける教育は、その後の人格形成に大きな影響を与えると、兵庫教育大学・梶田学長は指摘する。
兵庫教育大学 元学長 梶田叡一氏
「教育という名に借りてですね、自分が腹を立てた、
その腹を立てた気持ちをですね、子供にぶつけてです、子供をですねまぁ、結果としていじめる。
そのいじめられた子・虐待された子がね、大きくなっていって、
自分がですね教育する立場に立った時に同じことやるんです。
自分が腹が立ったからです、怒鳴りちらす。ある意味でこれも卑劣な話なんですね」
この異常な暴力体質の元凶はどこにあるのだろうか?
日蓮正宗改革同盟(これまた創価寄りの坊主組織)渡辺慈済 住職
「で日顕がなってからでしょ、そんな、日顕になってから暴力を振るうっちゅうことが、平気な人間を育てちゃったわけだな」
(再現イメージ)
エア日顕「南無妙法蓮華経~南無妙法蓮華経~南無妙法蓮華経~」
午前二時半に行われる丑寅勤行(うしとらごんぎょう)。
東を向く日顕は、常に小僧達の様子を観察している。耐えかねて居眠りをする小僧を見つけた時…
丑寅勤行を終え、大奥へと戻る廊下で、いつもの『瞬間湯沸かし器』が爆発する。
エア日顕「おい!お前!誰が寝ていいって言ったんだ、YO!誰が寝ていいって言ったんだ、YO!」
小僧「はい」
エア日顕「貴様ァッ!」
小僧「はい」
エア日顕「YO!答えろ!YO!YO!YO!YO!…ハァハァハァハァ」
(坊主用の扇子(中啓)で小僧を殴りつけるエア日顕。途中、中啓が壊れる。)
そして次に日顕は、その頃得度したばかりの山口雄在住職に声をかけた。
エア日顕「あ~~。お前は、ユウゾン(雄存)だったな」
(エア日顕が山口ユウゾンの頭を中啓でペシペシ叩く)
ユウゾン「いえ!雄在(有罪)でございます!」
エア日顕「なぁにぃ~!?キサマァ!お・ま・え・は!ユウゾン(牛丼)なんだ、YO!YO!!」
「貴様ァッ!お前は!ユウゾン(牛丼)なんだ、YO!」
(日顕また爆発して叩きまくる)
青年僧侶改革同盟 山口雄在氏
「『おい!貴様は山口ユウゾンなんだYO!』
すみません…。私はあの、当時(リアル日顕と)目を合わせることもできませんし、
このいくら顔を上げろと言われても、この目を合わせて見ることができませんので、
必死に言われるまま、
『はい!山口ユウゾンでございます』
と言うしかありませんでした」
この屈折した大坊生活で叩き込まれるもの。
それは徹底した差別意識である。
『僧が上で信徒が下』
渡辺雄範氏「まぁ私たちが出家した時に、まぁ一緒に出家した子供達を見てるとわかるんですけど、
まぁ初めはですね、例えば本山に池田先生が来ても、『あっ、池田先生が来た』という風に喜ぶ子もいました。
ところがですね、だんだん池田先生がですね「池田さん」になるんですね。そのうち「池田」になります。
で本山では、何て教えるかというと、『たとえ池田名誉会長でもお前達よりは下なんだ』と、という風に教えるんですね」
(女性ナレーター)
貧しき時代も知らないので、信徒のご供養に対する感謝の念も持たず、繁栄も当たり前のように受け止めていた。
当時、学会の発展に伴い、塔婆供養は膨大な数となっていた。大石寺(たいせきじ)では1日に5000本もの申し込みがあった。
山口雄在氏「しかし、ま、それを書くのは高校生。
何かウォークマンを聞きながらであったり、
あるいは、お菓子を食べながらであったり、
信者さんには表向き見せることができないような
乱雑な字で書いているのが、実態でありました」
さらには、この塔婆を削って使い回しをしていたという。
坊主丸儲けとは、まさにこのことである。
また、葬儀においても日顕宗は「僧侶が引導を渡さないと、成仏しない」との邪説を唱えている。
(ここから新規映像)
創価学会 森中理晃教学部長
「日顕宗はよく、『僧侶がえー葬儀をしないと故人は成仏できない』とか、
また、えー『死者に塔婆をおくらなければならない』
『位牌が必要である』ということを言っていますけれども
そうしたものがなければ故人が成仏できないという教義は
(日蓮)大聖人の御書には一切ありません。
そもそも、釈尊自身が、葬儀について『僧侶は(葬儀に)関わるな』と
『もっと僧侶は修行に専念しなさい』ということを言っています。」
(新規映像終わり)
(東京大学安田講堂の映像をバックに)
東京大学 市川教授はこう指摘する。
東京大学 教授 市川裕 氏
「それは金儲けのためなのかそうでないのかっていうのを、
あの信徒の側も見分けなきゃいけないわけですね。
衣を着た人が言うんだから、あのー、これは下手すると、
自分のあの成仏が関わ、関わってくるということになるとですね、
なかなかその…不正を見抜けない」
死を商売にする宗教と戦い、真の宗教を蘇らせたのが、創価学会の歴代会長である。(そうなのー?)
学会の歴史はまさしく「宗教改革の歴史」そのものなのだ!
第四部 完
最終更新:2026年10月10日 23:17