真田昌幸

【元ネタ】史実
【CLASS】アサシン
【マスター】
【真名】真田昌幸
【性別】男性
【身長・体重】152cm・48kg
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力C 幸運A 宝具B+
【クラス別スキル】
気配遮断:D
 サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

【固有スキル】
反骨の相:B 
 寝返りを繰り返し、秀吉に表裏比興と評された将星。
 同ランクの「カリスマ」を無効化する。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

軍略:C+
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
 自陣営が敵に数で劣る場合、効力が増強される。

【宝具】
『上田合戦(うえだじょう)』
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:0~80 最大捕捉:1000人
 数多くのトラップを備えた迷宮城『上田城』を築城する。
『上田城』内で戦闘を行う場合、1ターンごとに敵全員のHPを減少させ、退却判定の成功率も低下させる。
 さらに、敵陣営は戦闘の際、どれほどの大人数であろうと1ターンに1人までしか行動させることができない。

【Weapon】
『片鎌槍』
 鎌状の突起が槍穂に付いた槍。
 歌川国芳作の浮世絵に、片鎌槍を持って初陣に臨む真田昌幸の姿がある。

【解説】
 戦国時代の武将・大名。攻め弾正の異名で知られる真田幸綱(幸隆)の三男。
 徳川幕府体制下で大名となる真田信之、日本一の兵と評される真田信繁(幸村)は、昌幸の息子たちである。

 父が武田家に仕えるに辺り人質となるが、その才能を武田信玄に見ぬかれ、信玄の親族である武藤家の養子となる。
 信玄の病死後は後継者となった武田勝頼に仕えたが、長篠の戦いで兄達が討死したため、真田家に複して跡継ぎとなった。
 また、勝頼の本城となる新府城の築城にも携わったという。

 織田信長が甲州征伐を開始すると、武田軍団はあっけなく崩壊。
 この窮地に昌幸は勝頼を自身の本城・岩櫃城に迎えようとしたが、勝頼は譜代家臣の小山田信茂を頼み、その居城・岩殿城へと落ち延びようとした。
 結局、小山田信茂は織田家に寝返り、勝頼は天目山で自害することとなったが、一方で昌幸も武田家を見限り北条家に通じていたと言われる。

 武田家滅亡後は織田家に臣従するが、本能寺の変で織田信長・信忠父子が横死し、
 武田家旧領は、後に『天正壬午の乱』と呼ばれる、諸勢力が入り乱れる混乱状態に陥る。

 昌幸はこの機を逃さずに勢力を広げつつ、
 上杉家、北条家、徳川家の間で寝返りを繰り返し『天正壬午の乱』を乗り切ることに成功。
 徳川家と戦った『第一次上田合戦』では7000の敵兵を2000で撃退する功績を挙げている。
 後に上杉景勝を通じて豊臣秀吉に臣従。秀吉の命で徳川家の与力大名となり、小田原征伐などで活躍した。

 秀吉死後に天下の後継を巡って徳川家康が台頭しはじめると、昌幸は家康に対抗する西軍側へと味方したが、
 長男・信之(当時は信幸)は徳川家康率いる東軍に加担した。
 これをどっちに転んでも真田の家名を守るための昌幸の策と見る向きも存在するが、
 実際のところは議論が紛糾した末に結局、方針が統一できず喧嘩別れした、というのが実情だったようである。

 西軍についた昌幸に対し、家康は後継者・秀忠に38000の大軍を預けて制圧を命じた。
 これに対し昌幸は軍略・奇策の限りを尽くして抵抗し、秀忠勢に大勝を収める。
(このために秀忠が関ヶ原の戦いに遅参したと見る向きもあるが、実際は伝令が増水で遅れたためである)
 しかし、本戦である関ヶ原の戦いでは家康率いる東軍が勝利し、昌幸の奮闘は無に帰した。

 結局、昌幸は徳川家に降伏。
 本来は死罪のところを、信之とその舅・本多忠勝が必死に嘆願したことで、高野山(後に九度山へ)への配流となった。
 流人としての生活は病死するまでの十年間に渡り、初めは復権を画策していた昌幸の気力も萎え果てたという。

【蛇足】
 個人的に宝具“は”会心の出来。
 ハマれば強いが対城宝具対策なし。味方もいないと毒効果つきの一騎打ち宝具にしかならない。
最終更新:2016年10月08日 21:52