縄で縛られ、竹中半兵衛の前に引き出される。睨みつけると相手は端整な顔をゆがめて笑った。
豊臣の兵は政宗の体を突き飛ばした。体勢をうまく整えられず、地面に転がる。
顔を思い切り踏まれ、政宗は自分を踏みつける軍師を睨みつけた。
「怖い眼だね。でも、今の状況を分かっているよね?」
謡うように囁く声。伸び縮みする奇怪な剣がしなり、耳を掠めた。
奥歯を食いしばり、涙を零すまいとこらえる。筆頭、とあちこちで声が上がるが、その声は明らかに少ない。
稲刈りが終わるとほぼ同時に豊臣が奥州を攻めた。より強い軍を作るため、豊臣と伊達を統合する、というのが豊臣の軍師の言い分だった。
摺上原で迎え撃った。兵の数は向こうが多かっただろうか。地の利はこちらにあり、葬竜陣を用いた。負けるわけがない。
それは自惚れだったのだろうか。
伊達は負け、今政宗は敗残の将として捕らえられている。
「伊達は終わりだね、政宗君」
「気安く俺の名前を呼ぶんじゃねぇ」
「おや。そんな口を利いていいのかい? 彼らの命は誰が預かっているのか、今一度吟味したまえ」
顔から足が離れる。縄を引き立てて無理やり座らされ、喉元に剣を突きつけられた。
「さあ、君を思慕してやまない兵士たちの目の前で、降伏したまえ」
政宗は一度兵士たちを見た。数が少ない。欠けた将も多い。小十郎が目に飛び込んできた。腕を大きく斬っている。早く手当てをしないと腐り落ちてしまう。
政宗は半兵衛を一度睨みつけた。それから深く頭を下げる。
「筆頭!」
悲嘆の声が上がった。
「黙れてめぇら! ――俺の首で、てめぇらの命を買ってやる。だから、…………だから黙ってろ!」
あちこちで悔しさのあまりすすり泣く声がする。泣きたいのは政宗も同じだ。
だが彼らが目の前で殺されるよりずっとマシだ。頭を下げるだけで購えるのなら喜んで下げてやろう。
「よろしい」
半兵衛の唇が満足そうに笑った。
「伊達領のものは、今後豊臣が支配する。そうそう、豊臣の兵は普段統率が取れるんだけど、一度箍が外れると手がつけられなくなる。
――政宗君、僕が言いたいことは分かるよね?」
「ああ……。てめぇらが最低だってことはよーく分かった」
「女が欲しい」
「領民に手を出すな。……城下に、遊郭がある。そこを開放する」
「それだけじゃ駄目だ。まさか君、秀吉に遊女なんて賎民(せんみん)を差し出せると思ってるのかい?」
政宗は奥歯を噛み締めた。遊女にも格というものがある。貴人をもてなす遊女もいる。政宗が気に入った遊女もいる。
男だったら絶対囲う、と言うと愛姫に叩かれた。
「愛には手を出すな」
「愛? ああ、君の奥方か。……いいね。君の目の前で穢してあげようか?」
近づいてきた顔に唾を吐きかける。ぱん、と平手を打たれた。目尻に涙が浮かんだ。
政宗様、と小十郎が叫んだ。立ち上がろうとして豊臣の兵に押さえつけられている。
(それだけは)
名前の通り愛らしい姫君。愛らしいだけでなく心も強い。
兄の影武者となり戦場を駆け巡る自分を支えるために、女としての幸せや喜びを捨てさせた。
本来なら、田村の実家に帰るのだろう。
夫婦としての暮らしは、幼い頃にわずか数日。そのたった数日を無理やり引き伸ばし、彼女を縛り付けた。
酷い妹だ、と己を嘲笑う。
(もう、いい)
彼女に、これ以上の負担を強いたくない。
「もっといい女がいるぜ」
目を細め、顔を上げる。誘うように微笑みかける。
半兵衛の目が驚いたように丸くなる。手が頬を探り、喉を探った。胸を押して感触の違いを見る。
その手は滑らかで、ああこいつも女だったのか、とぼんやり考えた。
「……驚いたな。伊達政宗は男だと思っていたけど?」
「本物はな。もっとも、とっくの昔に死んでるけど」
「それじゃあ、君は」
「妾が産んだ、妹だ」
兵がざわめいた。どういうことだ、まさか筆頭、と声が上がる。家臣が何人か俯いた。
兵の戸惑いをよそに半兵衛は満足そうに微笑む。瞳は少しも笑っていない。毒蛇に睨まれているような気分になった。
「――いいだろう。それに、君が辱められたという事実があれば、伊達の皆もおとなしく従うだろうしね」
「てめぇ!!」
「筆頭をなんだと思ってやがる!!」
政宗は目をきつく閉じた。
女だと知っても、伊達の兵は政宗をなじらない。
戸惑ったようなざわめきはすぐに半兵衛への怒りへと摩り替わった。いい兵に育った。
政宗は立ち上がった。もう一度兵を見回す。
もう二度と見ることはないだろう。
よくここまでついてきてくれた。一人一人に言葉をかけたいが、そんな悠長なことを許す半兵衛ではない。
豊臣の兵は政宗の体を突き飛ばした。体勢をうまく整えられず、地面に転がる。
顔を思い切り踏まれ、政宗は自分を踏みつける軍師を睨みつけた。
「怖い眼だね。でも、今の状況を分かっているよね?」
謡うように囁く声。伸び縮みする奇怪な剣がしなり、耳を掠めた。
奥歯を食いしばり、涙を零すまいとこらえる。筆頭、とあちこちで声が上がるが、その声は明らかに少ない。
稲刈りが終わるとほぼ同時に豊臣が奥州を攻めた。より強い軍を作るため、豊臣と伊達を統合する、というのが豊臣の軍師の言い分だった。
摺上原で迎え撃った。兵の数は向こうが多かっただろうか。地の利はこちらにあり、葬竜陣を用いた。負けるわけがない。
それは自惚れだったのだろうか。
伊達は負け、今政宗は敗残の将として捕らえられている。
「伊達は終わりだね、政宗君」
「気安く俺の名前を呼ぶんじゃねぇ」
「おや。そんな口を利いていいのかい? 彼らの命は誰が預かっているのか、今一度吟味したまえ」
顔から足が離れる。縄を引き立てて無理やり座らされ、喉元に剣を突きつけられた。
「さあ、君を思慕してやまない兵士たちの目の前で、降伏したまえ」
政宗は一度兵士たちを見た。数が少ない。欠けた将も多い。小十郎が目に飛び込んできた。腕を大きく斬っている。早く手当てをしないと腐り落ちてしまう。
政宗は半兵衛を一度睨みつけた。それから深く頭を下げる。
「筆頭!」
悲嘆の声が上がった。
「黙れてめぇら! ――俺の首で、てめぇらの命を買ってやる。だから、…………だから黙ってろ!」
あちこちで悔しさのあまりすすり泣く声がする。泣きたいのは政宗も同じだ。
だが彼らが目の前で殺されるよりずっとマシだ。頭を下げるだけで購えるのなら喜んで下げてやろう。
「よろしい」
半兵衛の唇が満足そうに笑った。
「伊達領のものは、今後豊臣が支配する。そうそう、豊臣の兵は普段統率が取れるんだけど、一度箍が外れると手がつけられなくなる。
――政宗君、僕が言いたいことは分かるよね?」
「ああ……。てめぇらが最低だってことはよーく分かった」
「女が欲しい」
「領民に手を出すな。……城下に、遊郭がある。そこを開放する」
「それだけじゃ駄目だ。まさか君、秀吉に遊女なんて賎民(せんみん)を差し出せると思ってるのかい?」
政宗は奥歯を噛み締めた。遊女にも格というものがある。貴人をもてなす遊女もいる。政宗が気に入った遊女もいる。
男だったら絶対囲う、と言うと愛姫に叩かれた。
「愛には手を出すな」
「愛? ああ、君の奥方か。……いいね。君の目の前で穢してあげようか?」
近づいてきた顔に唾を吐きかける。ぱん、と平手を打たれた。目尻に涙が浮かんだ。
政宗様、と小十郎が叫んだ。立ち上がろうとして豊臣の兵に押さえつけられている。
(それだけは)
名前の通り愛らしい姫君。愛らしいだけでなく心も強い。
兄の影武者となり戦場を駆け巡る自分を支えるために、女としての幸せや喜びを捨てさせた。
本来なら、田村の実家に帰るのだろう。
夫婦としての暮らしは、幼い頃にわずか数日。そのたった数日を無理やり引き伸ばし、彼女を縛り付けた。
酷い妹だ、と己を嘲笑う。
(もう、いい)
彼女に、これ以上の負担を強いたくない。
「もっといい女がいるぜ」
目を細め、顔を上げる。誘うように微笑みかける。
半兵衛の目が驚いたように丸くなる。手が頬を探り、喉を探った。胸を押して感触の違いを見る。
その手は滑らかで、ああこいつも女だったのか、とぼんやり考えた。
「……驚いたな。伊達政宗は男だと思っていたけど?」
「本物はな。もっとも、とっくの昔に死んでるけど」
「それじゃあ、君は」
「妾が産んだ、妹だ」
兵がざわめいた。どういうことだ、まさか筆頭、と声が上がる。家臣が何人か俯いた。
兵の戸惑いをよそに半兵衛は満足そうに微笑む。瞳は少しも笑っていない。毒蛇に睨まれているような気分になった。
「――いいだろう。それに、君が辱められたという事実があれば、伊達の皆もおとなしく従うだろうしね」
「てめぇ!!」
「筆頭をなんだと思ってやがる!!」
政宗は目をきつく閉じた。
女だと知っても、伊達の兵は政宗をなじらない。
戸惑ったようなざわめきはすぐに半兵衛への怒りへと摩り替わった。いい兵に育った。
政宗は立ち上がった。もう一度兵を見回す。
もう二度と見ることはないだろう。
よくここまでついてきてくれた。一人一人に言葉をかけたいが、そんな悠長なことを許す半兵衛ではない。




