最終章、小十郎救済。これで終わりです。
- 伊達政宗が謀殺され、妹が影武者をやっていたというトンデモ設定。
- 史実の娘(五郎八)とか息子(重綱)とか正室(愛姫)とか登場するので
そういうのが苦手な人は華麗にスルーしてください
- やっぱりオリ臭漂うので、苦手な人はスルーしてください
遠慮容赦なく降り注ぐ夏の日差しと蝉時雨を頭に受け、小十郎は渋い顔を作った。
(暑い)
一日に何度も思うことを、繰り返し言葉にする。
京の夏は暑い。家の戸という戸を全開にして水を撒いてもまだ暑い。一度倒れたこともある。
あまりの暑さに、水を取ることすら忘れてしまったせいだった。
「京の暑さは、こう……大きな蓋が、天にかかったせいらしいですわ」
墨染めの衣をまとった愛姫――今は院号を名乗っているため陽徳院か――がそう言って
笑っていた。確かに、巨大で透明な蓋が、山の上についていても不思議ではない。
じーわじわじわじわ……
蝉が鳴いている。何を必死に探しているのか。
泣きながら何かを必死に探した少女を知っている。
彼女は今どうしているのだろう。子を産んだと聞いた。
幸せかどうかは聞いていない。
(暑い)
一日に何度も思うことを、繰り返し言葉にする。
京の夏は暑い。家の戸という戸を全開にして水を撒いてもまだ暑い。一度倒れたこともある。
あまりの暑さに、水を取ることすら忘れてしまったせいだった。
「京の暑さは、こう……大きな蓋が、天にかかったせいらしいですわ」
墨染めの衣をまとった愛姫――今は院号を名乗っているため陽徳院か――がそう言って
笑っていた。確かに、巨大で透明な蓋が、山の上についていても不思議ではない。
じーわじわじわじわ……
蝉が鳴いている。何を必死に探しているのか。
泣きながら何かを必死に探した少女を知っている。
彼女は今どうしているのだろう。子を産んだと聞いた。
幸せかどうかは聞いていない。
小十郎、と呼ぶ声が不遜な響きを持つようになったのは、一体いつからだっただろう。
おずおずと遠慮がちに呼ぶか細い声をもう思い出せない。
先代の寵を受けた女中が、娘を産んだ。家督争いの種にならずむしろ他家との縁組に使えると、
娘は伊達の家に入った。
娘は十三の時に死んだ。そして不遜な竜が生まれた。
小雪の舞う日だった。
菓子を食べた政宗が、泡を噴いた。相伴に預かった小十郎たちは無事だったから、菓子が
原因ではないのかもしれない。茶か、それとも既に盛られた後だったのか。今となっては何も分からない。
愛姫が政宗の体を揺すり、泣き叫んでいた。
目の前の光景を呆然と見つめる青ざめた顔。虚ろな黒い瞳。
誰かが、家督はどうなる、奥州はどうなると言った。
ざわめきは波紋のように広がり、家臣は口々に騒いだ。
家臣を静めたのは、少女の声。兄上は死んでないと言った声が、少女のものとは思えぬほど凛としていた。
女中の子、妾の子という負い目があったのだろう。あの瞬間の前までは、おとなしく兄に従う、密やかな月のような娘だった。
お前も武将になるか、という兄の言葉を受け、少し困ったような顔で兄上が望まれるのなら、と答えていた。
己の意思を言わぬ少女だった。我がままを言ったのはたったの一度。蛍が欲しい、というただそれだけ。
綺麗な鞠より兄のお下がりの木刀を欲しがり、絹の小袖より木綿の袴を欲しがり、伊達に、兄に遠慮していた。
たった三月しか生まれ月が違わぬというのに。
そんな娘が、はっきりとした声で私が兄の影となると告げた。
懐剣で髪を切り落とし、兄の遺骸から眼帯を奪った。止める者はいなかった。
「伊達政宗は、生きている。……奥州は、兄が望んだ天下は、私が取る。……小十郎、ダメか?」
黒い瞳は揺らぎ、声は不安に押し潰されそうだった。構いませぬ、と頭を下げた。
兄――伊達政宗は、疱瘡の跡を恥じて体を過剰なまでに隠していたから、体の線などいくらでも誤魔化せた。
背もいつの間にか伸び、男と変わらぬ力をつけた。
そうして、彼女は政宗に成り代わった。
天下を取り、泰平の世を築く。それが彼女の夢となった。何かが付け入る隙などなかった。
最初は、政宗の代わりなど務まらないと侮っていた。ところが軍略も政務も兄と同じようにこなし、
立ち振る舞いも自然と似てきた。誰もが、自分は一体誰に仕えているのか分からなくなった。
何度か嗜められていた。普通の女として嫁せばいい。養子を貰えばいいと。
しかし普通の女としての幸せを、少女は拒んだ。
そんなものはいらない。私一人が幸せで、誰もが不幸になるような世なら、滅んでしまえばいい。
小次郎は頼りない。私が一番兄に近い。ならば私が兄の子になれるのか。私が、兄となった方が早い。
燃えるような、隻眼を装った瞳。あの瞳に忠誠を誓ったのはおそらく自分だけ。
小さな頃から見守り続けてきた。密やかでおとなしい少女だから、彼女の目が綺麗なことや兄そっくりの
はっきりした顔立ちをしていることを誰も知らなかった。
己だけが知っていた。
成長すれば瑞々しい体に花の顔(かんばせ)の、傾国傾城(けいこくけいせい)の女になる。
誰もが彼女を奪い合う前に、是非自分の妻にと申し出るつもりだった。
申し出れば容易いと思っていた。彼女のことは、伊達の記録には残っていない。
女中の娘というのは伊達の恥であったのだろう。
こいひとよ2
おずおずと遠慮がちに呼ぶか細い声をもう思い出せない。
先代の寵を受けた女中が、娘を産んだ。家督争いの種にならずむしろ他家との縁組に使えると、
娘は伊達の家に入った。
娘は十三の時に死んだ。そして不遜な竜が生まれた。
小雪の舞う日だった。
菓子を食べた政宗が、泡を噴いた。相伴に預かった小十郎たちは無事だったから、菓子が
原因ではないのかもしれない。茶か、それとも既に盛られた後だったのか。今となっては何も分からない。
愛姫が政宗の体を揺すり、泣き叫んでいた。
目の前の光景を呆然と見つめる青ざめた顔。虚ろな黒い瞳。
誰かが、家督はどうなる、奥州はどうなると言った。
ざわめきは波紋のように広がり、家臣は口々に騒いだ。
家臣を静めたのは、少女の声。兄上は死んでないと言った声が、少女のものとは思えぬほど凛としていた。
女中の子、妾の子という負い目があったのだろう。あの瞬間の前までは、おとなしく兄に従う、密やかな月のような娘だった。
お前も武将になるか、という兄の言葉を受け、少し困ったような顔で兄上が望まれるのなら、と答えていた。
己の意思を言わぬ少女だった。我がままを言ったのはたったの一度。蛍が欲しい、というただそれだけ。
綺麗な鞠より兄のお下がりの木刀を欲しがり、絹の小袖より木綿の袴を欲しがり、伊達に、兄に遠慮していた。
たった三月しか生まれ月が違わぬというのに。
そんな娘が、はっきりとした声で私が兄の影となると告げた。
懐剣で髪を切り落とし、兄の遺骸から眼帯を奪った。止める者はいなかった。
「伊達政宗は、生きている。……奥州は、兄が望んだ天下は、私が取る。……小十郎、ダメか?」
黒い瞳は揺らぎ、声は不安に押し潰されそうだった。構いませぬ、と頭を下げた。
兄――伊達政宗は、疱瘡の跡を恥じて体を過剰なまでに隠していたから、体の線などいくらでも誤魔化せた。
背もいつの間にか伸び、男と変わらぬ力をつけた。
そうして、彼女は政宗に成り代わった。
天下を取り、泰平の世を築く。それが彼女の夢となった。何かが付け入る隙などなかった。
最初は、政宗の代わりなど務まらないと侮っていた。ところが軍略も政務も兄と同じようにこなし、
立ち振る舞いも自然と似てきた。誰もが、自分は一体誰に仕えているのか分からなくなった。
何度か嗜められていた。普通の女として嫁せばいい。養子を貰えばいいと。
しかし普通の女としての幸せを、少女は拒んだ。
そんなものはいらない。私一人が幸せで、誰もが不幸になるような世なら、滅んでしまえばいい。
小次郎は頼りない。私が一番兄に近い。ならば私が兄の子になれるのか。私が、兄となった方が早い。
燃えるような、隻眼を装った瞳。あの瞳に忠誠を誓ったのはおそらく自分だけ。
小さな頃から見守り続けてきた。密やかでおとなしい少女だから、彼女の目が綺麗なことや兄そっくりの
はっきりした顔立ちをしていることを誰も知らなかった。
己だけが知っていた。
成長すれば瑞々しい体に花の顔(かんばせ)の、傾国傾城(けいこくけいせい)の女になる。
誰もが彼女を奪い合う前に、是非自分の妻にと申し出るつもりだった。
申し出れば容易いと思っていた。彼女のことは、伊達の記録には残っていない。
女中の娘というのは伊達の恥であったのだろう。
こいひとよ2