「なぁ。……俺を手に入れるってことは、奥州を手に入れるってことか?」
奥州にはいくつもの金鉱がある。他にも強力な軍隊、豊かな農地、漁場が揃っており、
軍事的にも政治的にも、実に魅力的な土地である。
政宗と婚姻を結ぶということは、それらを手に入れるという意味合いもある。そのため、
政宗は結婚に慎重である。
それ以上に、肌と目のこともあるのだが。それを家康に話すことは躊躇われた。
「そんなことはねぇ――と、いいたいところだが、そういうこと抜きにして、わしら
大名の婚姻はねぇだろ」
「それもそうだな」
あっさり答えられたため、政宗もまたあっさりと頷いた。
「けど、そういうのも全部含めて、俺はおめぇを正室として三河に迎えてぇんだ」
政宗は目を閉じて家康の胸に顔を寄せた。体を絡め、心臓の音を聞く。
「いいかもしれねぇな」
家康はぺちっと政宗の頭を叩く。顔を上げると、家康は笑っていた。
「簡単に答えるんじゃねぇ。ことは一生の問題なんだぞ」
「直感って奴も大事にしろよ、家康」
家康は困った顔をすると、政宗の髪を乱して嘆息した。
「だから少しは慎みを持てって」
「ぐぅ」
「寝るな!」
奥州にはいくつもの金鉱がある。他にも強力な軍隊、豊かな農地、漁場が揃っており、
軍事的にも政治的にも、実に魅力的な土地である。
政宗と婚姻を結ぶということは、それらを手に入れるという意味合いもある。そのため、
政宗は結婚に慎重である。
それ以上に、肌と目のこともあるのだが。それを家康に話すことは躊躇われた。
「そんなことはねぇ――と、いいたいところだが、そういうこと抜きにして、わしら
大名の婚姻はねぇだろ」
「それもそうだな」
あっさり答えられたため、政宗もまたあっさりと頷いた。
「けど、そういうのも全部含めて、俺はおめぇを正室として三河に迎えてぇんだ」
政宗は目を閉じて家康の胸に顔を寄せた。体を絡め、心臓の音を聞く。
「いいかもしれねぇな」
家康はぺちっと政宗の頭を叩く。顔を上げると、家康は笑っていた。
「簡単に答えるんじゃねぇ。ことは一生の問題なんだぞ」
「直感って奴も大事にしろよ、家康」
家康は困った顔をすると、政宗の髪を乱して嘆息した。
「だから少しは慎みを持てって」
「ぐぅ」
「寝るな!」
書の海の中で笑い合いながら体を絡ませている政宗と家康を見て、小十郎は雷で打たれた
ような衝撃を覚えた。
着衣のまま、ただ子供がじゃれるようにしているだけ。二人はゆっくりと離れ、
寝転んだまま地図を指差して何か言葉を交わしている。
一歩を、踏み出せない。踏み出せば足音がするだろう。そうすれば気づかれてしまう。
そのとき、二人はどんな顔をするだろう。気まずそうにするだろうか。それとも。
何も、変化が起きなければ。
「っ…………」
遠目にも、政宗が笑っていることが分かる。計算ずくの笑みとは違う、心からの笑み。
自分にしか向けられないと思っていたのは、驕りだったというのか。
盆を持つ手が震えた。かたかたと湯飲みが鳴る。まさかその音を聞きつけたわけでは
ないだろうが、政宗の顔が上げられた。目が合った、と思った瞬間、小十郎は背を向けた。
足早に立ち去る。
だらしないと一喝すればいいだけだが、できそうになかった。
そんなことをすれば、政宗は小十郎に平手を打って詰るだろう。いつものことだが、
それを家康に見せたくない。
家康は、政宗が手を上げる相手が小十郎しかいないことを知らない。
家康に哀れまれるなど、屈辱以外の何ものでもない。
女中が小十郎の横を通り過ぎようと頭を下げる。小十郎は反射的に盆を女中に押し付けた。
「小十郎様?」
女中が不思議そうに見上げてくる。
「政宗様と客人に出せ」
「ですが、これは」
「いいから出せ!」
敵に向けるような小十郎の声を、女中は聞いたことがないのだろう。恐怖に竦んだ顔をすると、
女中は頭を下げて足早に書房に向かう。
小十郎は深く息を吐き出した。
――分かっていたつもりだった。
政宗は主君なのだ。政宗がどれほど我がままを通そうが奔放に振舞おうが、嫁ぐか婿を
取るか、いずれはどちらかを選択する。
嫁ぐ相手に、自分が選ばれることなどない。また、婿としても不適任だ。家同士密接に
結びついたところで、伊達に利点がない。
快楽を与え女としての悦びを教え込んだところで、政宗は小十郎を選ばない。
身分を、呪った。
乳飲み子だった頃から知っている。守り役に任ぜられたのは十八のときだったが、
それ以前から遊び相手や剣の稽古役を務めたし、馬となって背に乗せたこともある。
何度かおしめも変えた。十かそこらの少年におしめの替え方など分かるはずもなく、
とんでもないことになって乳母役の異父姉に怒られた。
赤ん坊は娘になり、女になった。ずっと見守って、いつしか自分のもののように思えてきた。
誰かの手に渡したくない。
(自惚れか)
生涯傍に侍りたいと思ったところで、小十郎の意思が通るとは限らない。
拳をきつく握り、自室へと急ぐ。木刀を手に取り、庭へ向かった。
ような衝撃を覚えた。
着衣のまま、ただ子供がじゃれるようにしているだけ。二人はゆっくりと離れ、
寝転んだまま地図を指差して何か言葉を交わしている。
一歩を、踏み出せない。踏み出せば足音がするだろう。そうすれば気づかれてしまう。
そのとき、二人はどんな顔をするだろう。気まずそうにするだろうか。それとも。
何も、変化が起きなければ。
「っ…………」
遠目にも、政宗が笑っていることが分かる。計算ずくの笑みとは違う、心からの笑み。
自分にしか向けられないと思っていたのは、驕りだったというのか。
盆を持つ手が震えた。かたかたと湯飲みが鳴る。まさかその音を聞きつけたわけでは
ないだろうが、政宗の顔が上げられた。目が合った、と思った瞬間、小十郎は背を向けた。
足早に立ち去る。
だらしないと一喝すればいいだけだが、できそうになかった。
そんなことをすれば、政宗は小十郎に平手を打って詰るだろう。いつものことだが、
それを家康に見せたくない。
家康は、政宗が手を上げる相手が小十郎しかいないことを知らない。
家康に哀れまれるなど、屈辱以外の何ものでもない。
女中が小十郎の横を通り過ぎようと頭を下げる。小十郎は反射的に盆を女中に押し付けた。
「小十郎様?」
女中が不思議そうに見上げてくる。
「政宗様と客人に出せ」
「ですが、これは」
「いいから出せ!」
敵に向けるような小十郎の声を、女中は聞いたことがないのだろう。恐怖に竦んだ顔をすると、
女中は頭を下げて足早に書房に向かう。
小十郎は深く息を吐き出した。
――分かっていたつもりだった。
政宗は主君なのだ。政宗がどれほど我がままを通そうが奔放に振舞おうが、嫁ぐか婿を
取るか、いずれはどちらかを選択する。
嫁ぐ相手に、自分が選ばれることなどない。また、婿としても不適任だ。家同士密接に
結びついたところで、伊達に利点がない。
快楽を与え女としての悦びを教え込んだところで、政宗は小十郎を選ばない。
身分を、呪った。
乳飲み子だった頃から知っている。守り役に任ぜられたのは十八のときだったが、
それ以前から遊び相手や剣の稽古役を務めたし、馬となって背に乗せたこともある。
何度かおしめも変えた。十かそこらの少年におしめの替え方など分かるはずもなく、
とんでもないことになって乳母役の異父姉に怒られた。
赤ん坊は娘になり、女になった。ずっと見守って、いつしか自分のもののように思えてきた。
誰かの手に渡したくない。
(自惚れか)
生涯傍に侍りたいと思ったところで、小十郎の意思が通るとは限らない。
拳をきつく握り、自室へと急ぐ。木刀を手に取り、庭へ向かった。




