翌日、小太郎は別の牢に移された。
鍵は二つに減り、畳も置かれて寝床も用意された牢だった。明り取りの窓も、
最初に入れられた牢よりやや大きい。
二日に一度ではあるが、体を拭くための湯と洗いざらしの着替えを貰えるようになったのは有難かった。
逃げるつもりがないことを、武田も理解しているのだろう。
恐らく、あの忍び――佐助といったか――が、誰かに進言したのだろう。
他に考えられない。
小太郎は静かに時を過ごした。
餓えや渇きを心配する必要はなく、誰かに襲われる危険も、誰かを襲う
緊張もない時を過ごすのは、小太郎にとって初めてのことだった。
物心がついたころから「小太郎」となるべく忍びの術を教えられ、常に
里の誰かに命を狙われた。それは妬みからくるものもあったが、先代風魔小太郎の
命によるものが多かった。
女の戦忍びは珍しい。大抵の女の忍びは、身体を使っての情報収集が主な任務だ。
戦場で女は目立つため忍ぶことが難しく、男以上の働きが必要となる。
故に、女の戦忍びは男以上に目覚しい働きをする。だから小太郎は「小太郎」の名を継いだ。
小太郎の名を継ぐ前は、小太郎は女の戦忍びだった。農民や遊女のふりをして、
戦場で情報を集め、時には敵将の首を取った。
女は目立つため、よく襲われた。わざと襲われて犯されることも多かった。
弱い女のふりをすれば、男は惑わされ、油断し、重要な情報を漏らした。
最初に入れられた牢よりやや大きい。
二日に一度ではあるが、体を拭くための湯と洗いざらしの着替えを貰えるようになったのは有難かった。
逃げるつもりがないことを、武田も理解しているのだろう。
恐らく、あの忍び――佐助といったか――が、誰かに進言したのだろう。
他に考えられない。
小太郎は静かに時を過ごした。
餓えや渇きを心配する必要はなく、誰かに襲われる危険も、誰かを襲う
緊張もない時を過ごすのは、小太郎にとって初めてのことだった。
物心がついたころから「小太郎」となるべく忍びの術を教えられ、常に
里の誰かに命を狙われた。それは妬みからくるものもあったが、先代風魔小太郎の
命によるものが多かった。
女の戦忍びは珍しい。大抵の女の忍びは、身体を使っての情報収集が主な任務だ。
戦場で女は目立つため忍ぶことが難しく、男以上の働きが必要となる。
故に、女の戦忍びは男以上に目覚しい働きをする。だから小太郎は「小太郎」の名を継いだ。
小太郎の名を継ぐ前は、小太郎は女の戦忍びだった。農民や遊女のふりをして、
戦場で情報を集め、時には敵将の首を取った。
女は目立つため、よく襲われた。わざと襲われて犯されることも多かった。
弱い女のふりをすれば、男は惑わされ、油断し、重要な情報を漏らした。
――ふ、と小太郎は理解した。
あの時の男たちのようなことを、佐助もしようとしたのだろう。
怒りはなかった。ただ理解しただけだった。
理解した途端、妙に胸が痛む。何故だろう、と首を傾げた。
あの時の男たちのようなことを、佐助もしようとしたのだろう。
怒りはなかった。ただ理解しただけだった。
理解した途端、妙に胸が痛む。何故だろう、と首を傾げた。
「どーしたの? なんか、おとなしいんだって?」
聞き覚えのある声と口調。何故か頬が緩む。
戸が開き、盥を持った佐助が入ってきた。
小太郎は首を傾げる。湯なら昨日貰った。
「――明日、あんたを処刑する」
小太郎はこくんと頷いた。処刑という言葉も、どうなるかも知っている。
佐助は盥を置くと、一度牢を出た。着替えを持って、また中に入ってくる。
番人に声をかけて下がらせているのが聞こえた。
「……取り乱したりしないんだ」
何故、と首を傾げた。決まったのなら従うまでだ。抗うよう命じられてない。
もっとも、小太郎に何かと命じてくる主は、随分と前に亡くなっている。
他の風魔衆は、ある者は足軽として、ある者は農民として、ある者は行商人や旅一座、
遊び女や陰間として普段を過ごし、情報を集め、危険があれば知らせ、集まれと
命じられれば「風魔」の名を背負って集まる。
北条が滅び、大半の風魔衆は隠れ蓑としていた生活に戻った。もう二度と「風魔」の名を
背負うことはないだろう。
聞き覚えのある声と口調。何故か頬が緩む。
戸が開き、盥を持った佐助が入ってきた。
小太郎は首を傾げる。湯なら昨日貰った。
「――明日、あんたを処刑する」
小太郎はこくんと頷いた。処刑という言葉も、どうなるかも知っている。
佐助は盥を置くと、一度牢を出た。着替えを持って、また中に入ってくる。
番人に声をかけて下がらせているのが聞こえた。
「……取り乱したりしないんだ」
何故、と首を傾げた。決まったのなら従うまでだ。抗うよう命じられてない。
もっとも、小太郎に何かと命じてくる主は、随分と前に亡くなっている。
他の風魔衆は、ある者は足軽として、ある者は農民として、ある者は行商人や旅一座、
遊び女や陰間として普段を過ごし、情報を集め、危険があれば知らせ、集まれと
命じられれば「風魔」の名を背負って集まる。
北条が滅び、大半の風魔衆は隠れ蓑としていた生活に戻った。もう二度と「風魔」の名を
背負うことはないだろう。
小太郎は違う。
忍び以外の生き方を知らない。流れた経験もないため、どうすれば他の主を
見つけられるかも知らない。
農民や遊女のふりならしたが、それらの者がどう生きているのかも知らない。
命じられるまま、どのような姿にも変じ、どのような役目も請け負った。
命じられねば、小太郎は動くことができない。言葉を知らぬため、考えも乏しい。
――木偶のような。
小田原には、よく旅一座が現れた。木偶をまるで生きているかのように操る一座を見たことがある。
小太郎は木偶のようなものだった。誰かが動かさねば、生きているのか死んでいるのか分からない。
「これは、俺様からのせめてもの温情だよ。最期の夜くらい、綺麗な体でいたいでしょ。……使いなよ」
小太郎は頷き、ふと佐助を見た。
忍びに貞操などない。命じられれば誰にでも抱かれるし、陵辱を受けたこともある。
女としての羞恥など持ちえない。男が見ている前で沐浴し、男の報告を聞くこともあった。
どうということではない。体を洗うとき、いつもおかしなことをしないように番人が監視していた。
今回は佐助が番人というだけだ。
だがそれが、酷く恥ずかしかった。
どうしてそう思うのか、小太郎は分からない。
小太郎は仮面を取った。広くなった視野に佐助を映す。夜目にも分かる、鮮やかな橙の髪。
小太郎は佐助に向かって腕を伸ばした。何故か、佐助の髪に触れたくなった。
「へぇ……あんた、そんな顔なんだ」
柔らかな髪の感触。腕にかかる吐息。じん、と胸が痛む。
いーもん見ちゃった、と佐助が口角をつり上げる様子を見て、小太郎は目を細める。
「何、最期の男に選んでくれちゃったの?」
自分の意思で、誰かと寝たことなどない。
房術を覚えるために誰かと寝るのは先代からの命であり、戦場で誰かと寝るのも、
主や先代から探れと命じられ、手っ取り早い方法として選んだ結果だった。
誰かに抱かれたい、寝たい、と思ったことはない。
木偶は己の意思など持たない。
忍び以外の生き方を知らない。流れた経験もないため、どうすれば他の主を
見つけられるかも知らない。
農民や遊女のふりならしたが、それらの者がどう生きているのかも知らない。
命じられるまま、どのような姿にも変じ、どのような役目も請け負った。
命じられねば、小太郎は動くことができない。言葉を知らぬため、考えも乏しい。
――木偶のような。
小田原には、よく旅一座が現れた。木偶をまるで生きているかのように操る一座を見たことがある。
小太郎は木偶のようなものだった。誰かが動かさねば、生きているのか死んでいるのか分からない。
「これは、俺様からのせめてもの温情だよ。最期の夜くらい、綺麗な体でいたいでしょ。……使いなよ」
小太郎は頷き、ふと佐助を見た。
忍びに貞操などない。命じられれば誰にでも抱かれるし、陵辱を受けたこともある。
女としての羞恥など持ちえない。男が見ている前で沐浴し、男の報告を聞くこともあった。
どうということではない。体を洗うとき、いつもおかしなことをしないように番人が監視していた。
今回は佐助が番人というだけだ。
だがそれが、酷く恥ずかしかった。
どうしてそう思うのか、小太郎は分からない。
小太郎は仮面を取った。広くなった視野に佐助を映す。夜目にも分かる、鮮やかな橙の髪。
小太郎は佐助に向かって腕を伸ばした。何故か、佐助の髪に触れたくなった。
「へぇ……あんた、そんな顔なんだ」
柔らかな髪の感触。腕にかかる吐息。じん、と胸が痛む。
いーもん見ちゃった、と佐助が口角をつり上げる様子を見て、小太郎は目を細める。
「何、最期の男に選んでくれちゃったの?」
自分の意思で、誰かと寝たことなどない。
房術を覚えるために誰かと寝るのは先代からの命であり、戦場で誰かと寝るのも、
主や先代から探れと命じられ、手っ取り早い方法として選んだ結果だった。
誰かに抱かれたい、寝たい、と思ったことはない。
木偶は己の意思など持たない。
――だが小太郎は木偶ではなかった。




