「甲斐の……なんと申しましたかしら。武田家中の武将に、想いを寄せておられますのよ」
小十郎は息を詰めた。
知っている。
殺すよう言い含めたというのに、政宗は真田幸村を殺すどころか惚れてしまい、しまいには抱かれて帰ってきた。
手管にとるというつもりは毛頭ないらしく、いまだに小十郎の目を離れたところで逢瀬を重ねている。
夜を共にすることはないようだが、それでも、時々男の匂いをきつくさせて帰ってきているところを見ると、抱かれていないわけではないようだ。
あいつといると安心できる、などと無防備な笑みを浮かべられ、小十郎は胸に黒いものが浮かぶのを自覚する。
何故あの男なのだ、と叫びたくなるのをこらえ、あまり深入りされませぬよう、と注意するのが精一杯だった。
「お互い、身分を捨てる訳にはいきませぬ。けれど添いたいのもお互いの思い」
「そう、仰られたのですか」
小十郎の声が強張り、愛姫は訝しげに眉をひそめた。
「小十郎様。政宗様もわたくしも年頃の娘ですわ。わたくしは、女としての幸せより政宗様をお支えする道を選びましたし、
そのことを後悔もしておりません。それに、話す殿方と言えば小十郎様や藤五郎様くらいで、お二人ともそのようなお気になれぬでしょう?
けれど、政宗様はいつか子を産み伊達家の跡目を継がせねばならない身。
どうせ誰かの子を産むのなら、好いた方の子を産みたいと思われても、おかしくないと思いますよ」
「……お方様は、政宗様が、いずれ武田に連なる武将の子を生むことも、やむなしと仰るのですか」
「武に秀でた、立派な殿方なのでしょう? お血筋も、伊達と比べると家格は低うございますが、代々続く武門の出であられるとか。
もしやや子がお生まれになったら、お育てしとうございますわ」
愛らしく笑うと、愛姫は針仕事を再開する。心なしか針がよく動いている。
けして袖を通すことのない打ち掛け。政宗が女である証。
ばたばたと騒がしい足音が聞こえてきた。伊達の城をこんなに騒がしく駆け回るのは一人しかいない。
小十郎が座を下がって姿勢を正すより先に部屋に到着した政宗は、小十郎を視界にいれると不思議そうに首をかけた。
「小十郎。なんでいるんだ?」
「なんで、とは」
「いや、別にいいけどよ。呼んだか、愛」
政宗は愛姫の隣に座り、打ち掛けを手に取った。白い肌に深い蒼がよく映えた。
「やっぱり綺麗な模様だな。いつ出来るの?」
愛姫の前でだけ、政宗の言葉は少し柔らかくなる。
「妻」というより「兄嫁」という思いが強くなるらしい。
兄嫁を慕う妹。今はそうありたいと、そういうのか。
「政宗様にと思いまして、繕っておりますの。お呼び立てして申し訳ありませんが、丈を検分させてくださいませ」
「……俺に? いいよ、似合わないし」
「そんなことありませんわ。ほら、蒼が肌によく映えますわ。お顔も凛とされておられますし、わたくしよりずっとお似合いですよ」
愛姫は針が刺さったままの打ち掛けを無理やりに羽織らせた。政宗はすぐ脱ごうとするが愛姫の手は離れようとしない。
「いいって、愛の方が似合うって」
「このような模様、派手すぎてわたくしには似合いませぬ。小十郎殿、どう思われますか?」
急に話を振られ、小十郎は戸惑いの声を漏らした。
ふて腐れた顔の政宗に、打ち掛けが乱れたままかかっている。
蒼の打ち掛けは政宗によく合っている。白い肌がより白く見えて艶かしい。
「とても……お似合いです」
心からの言葉だった。政宗はそうか? とつぶやいて袖に腕を通した。心なしか嬉しそうだ。
「あ、腕が足りない……」
「あら。……政宗様、腕が長うございますのね」
「うーん、そういえばそうかもしれない……」
残念そうに袖を抜き、政宗は打ち掛けを愛姫に渡した。
「合わせてくれるのは嬉しいけど、着ることのねぇ着物なんかいらないって。それより小十郎、刀の帳簿はできたのか?」
言われて小十郎はまだ作ってないことを思い出した。北の一揆衆との小競り合いとはいえ、武具の勘定はきちんと合わせる必要がある。
「は、申し訳ありません。今すぐ」
「しっかりしてくれよ」
そういって政宗は苦笑した。
柔らかな女の顔で笑われ、小十郎は自分の中の黒いものを止めることができないことをはっきりと自覚した。
小十郎は息を詰めた。
知っている。
殺すよう言い含めたというのに、政宗は真田幸村を殺すどころか惚れてしまい、しまいには抱かれて帰ってきた。
手管にとるというつもりは毛頭ないらしく、いまだに小十郎の目を離れたところで逢瀬を重ねている。
夜を共にすることはないようだが、それでも、時々男の匂いをきつくさせて帰ってきているところを見ると、抱かれていないわけではないようだ。
あいつといると安心できる、などと無防備な笑みを浮かべられ、小十郎は胸に黒いものが浮かぶのを自覚する。
何故あの男なのだ、と叫びたくなるのをこらえ、あまり深入りされませぬよう、と注意するのが精一杯だった。
「お互い、身分を捨てる訳にはいきませぬ。けれど添いたいのもお互いの思い」
「そう、仰られたのですか」
小十郎の声が強張り、愛姫は訝しげに眉をひそめた。
「小十郎様。政宗様もわたくしも年頃の娘ですわ。わたくしは、女としての幸せより政宗様をお支えする道を選びましたし、
そのことを後悔もしておりません。それに、話す殿方と言えば小十郎様や藤五郎様くらいで、お二人ともそのようなお気になれぬでしょう?
けれど、政宗様はいつか子を産み伊達家の跡目を継がせねばならない身。
どうせ誰かの子を産むのなら、好いた方の子を産みたいと思われても、おかしくないと思いますよ」
「……お方様は、政宗様が、いずれ武田に連なる武将の子を生むことも、やむなしと仰るのですか」
「武に秀でた、立派な殿方なのでしょう? お血筋も、伊達と比べると家格は低うございますが、代々続く武門の出であられるとか。
もしやや子がお生まれになったら、お育てしとうございますわ」
愛らしく笑うと、愛姫は針仕事を再開する。心なしか針がよく動いている。
けして袖を通すことのない打ち掛け。政宗が女である証。
ばたばたと騒がしい足音が聞こえてきた。伊達の城をこんなに騒がしく駆け回るのは一人しかいない。
小十郎が座を下がって姿勢を正すより先に部屋に到着した政宗は、小十郎を視界にいれると不思議そうに首をかけた。
「小十郎。なんでいるんだ?」
「なんで、とは」
「いや、別にいいけどよ。呼んだか、愛」
政宗は愛姫の隣に座り、打ち掛けを手に取った。白い肌に深い蒼がよく映えた。
「やっぱり綺麗な模様だな。いつ出来るの?」
愛姫の前でだけ、政宗の言葉は少し柔らかくなる。
「妻」というより「兄嫁」という思いが強くなるらしい。
兄嫁を慕う妹。今はそうありたいと、そういうのか。
「政宗様にと思いまして、繕っておりますの。お呼び立てして申し訳ありませんが、丈を検分させてくださいませ」
「……俺に? いいよ、似合わないし」
「そんなことありませんわ。ほら、蒼が肌によく映えますわ。お顔も凛とされておられますし、わたくしよりずっとお似合いですよ」
愛姫は針が刺さったままの打ち掛けを無理やりに羽織らせた。政宗はすぐ脱ごうとするが愛姫の手は離れようとしない。
「いいって、愛の方が似合うって」
「このような模様、派手すぎてわたくしには似合いませぬ。小十郎殿、どう思われますか?」
急に話を振られ、小十郎は戸惑いの声を漏らした。
ふて腐れた顔の政宗に、打ち掛けが乱れたままかかっている。
蒼の打ち掛けは政宗によく合っている。白い肌がより白く見えて艶かしい。
「とても……お似合いです」
心からの言葉だった。政宗はそうか? とつぶやいて袖に腕を通した。心なしか嬉しそうだ。
「あ、腕が足りない……」
「あら。……政宗様、腕が長うございますのね」
「うーん、そういえばそうかもしれない……」
残念そうに袖を抜き、政宗は打ち掛けを愛姫に渡した。
「合わせてくれるのは嬉しいけど、着ることのねぇ着物なんかいらないって。それより小十郎、刀の帳簿はできたのか?」
言われて小十郎はまだ作ってないことを思い出した。北の一揆衆との小競り合いとはいえ、武具の勘定はきちんと合わせる必要がある。
「は、申し訳ありません。今すぐ」
「しっかりしてくれよ」
そういって政宗は苦笑した。
柔らかな女の顔で笑われ、小十郎は自分の中の黒いものを止めることができないことをはっきりと自覚した。