◆ ◆ ◆
『復讐、それこそがこれからは光よりも、食べ物よりも大事なものだ』
――――メアリー・シェリー<フランケンシュタイン>
◆ ◆ ◆
今日は曇りで良かった――――
雪村鉄志はそんなことを考えながら、冷たいアスファルトの上を歩く。
東京の五月は、暑い。……東京に限った話でも、五月に限った話でもないが。
ここ数年で跳ね上がった気温は、五月という春の季節であっても容赦なく猛暑で地上を焼きにかかる。
熱の籠るアスファルトの上ともなれば、もはや鉄板焼きの様相で人類を苛むようになって久しい。
それでも今日のように雲が太陽を阻んでしまえば、随分と過ごしやすくなるのは幸いなところか。
『――――くえすちょん。ますたー』
先ほどまで実体を伴って歩いていた少女は、霊体となって付き従いながら念話を送っている。
そう命じたのは、他ならぬ鉄志だ。
なにも意地悪でそう命じたわけではない。
気まぐれか気晴らしか、しばしの間実体化した彼女と散歩をしていたわけだが、冷静に考えて両手足が機械でできたギリシャ人の少女など、聖杯戦争に関わるものが見れば一発でサーヴァントかなにかだと判別できる。他の聖杯戦争参加者にサーヴァントの存在が露見するリスクが大きいのだから、あまり長時間彼女と連れ立って歩くべきではない。
それもある。
が、それ以上の理由として――――
『今は、どのような手掛かりを求めているのでしょうか? 例の、ええと……………………やまかがし!』
『…………惜しいな。ニシキヘビだ』
『………………そ、それです。はい。知ってました。いいまちがいです。……ほんとです』
鉄志は思わず、噴き出してしまいそうになる。
確かにニシキヘビもヤマカガシも同じ蛇だが、言い間違えるには音が違い過ぎるだろう。
けれどそれはあまりに少女――マキナに悪いだろうから、どうにか嚙み殺して。
『いや――――“奴”ならこんなわかりやすい手掛かりは残さねぇ。だから多分、これは別件だ』
表情を引き締め直して、そう答えた。
手掛かり……そう、手掛かりだ。
鉄志は今、街に残る魔力の痕跡を調査し、その主を追跡している。
だから、マキナには霊体化してもらったのだ。
気晴らしの散歩の時間が終わり、鉄志の“戦い”が始まったから、控えてもらったのだ。
現在鉄志が捜索を行っているのは、世田谷区。
より具体的に言うならば、二子玉川――――世田谷区南西部、多摩川沿いに位置するエリアである。
駅前を中心に広がる商業地と、都内としては緑の残る住宅地で構成されたこのエリアは、普段は中々の活気に満ち溢れ……しかしこのところは、鬱屈とした緊迫感に包まれていた。
世田谷区は都内としては自然が豊かで、田畑も多い。
それはつまり、数多の英霊集うこの仮想東京においては――――“蝗害”という前代未聞の大災害の被害を、色濃く被る地区ということに他ならない。
二子玉川周辺はまだ蝗の群れの被害を受けずに済んでいたが、その悍ましき災害はほんの目と鼻の先で繰り広げられており、決して他人事であってはくれなかった。
なにせ同区内の北西方面は、既に蝗の大群によって壊滅的打撃を受けているというのだ。
もしもかの蝗の軍勢が、多摩川を下ってこちらまでやってきたら?
その危惧は決して荒唐無稽なものではなく、確かな実感を伴う眼前の脅威として、住民たちの心を苛んでいた。
原因不明で正体不明。
けれどあまりに具体的な、終末の災害であった。
聖杯戦争の参加者である鉄志は、もちろんこの災害の正体に見当はついている。
なにをどう考えても間違いなく、サーヴァントによる侵略行為――――
あるいはこの空間が仮想であるのをよいことにリミッターを外した魔術師の大魔術かもしれないが、ともあれ聖杯戦争参加者の仕業には違いない。
聖杯とは別の目的を持つ鉄志であっても、生活基盤を揺るがす大規模な侵略攻撃を無視するわけには行かない。
スーパーの食料は高騰し、そのことについて、道行く主婦たちが不安そうに話しているのを聞いた。子供たちが、それを見上げていた。
……かつては警官であった頃、確かに存在したなけなしの正義感というやつが、まだ自分の中で燻っているのかと自嘲する。
ともあれ鉄志は、聖杯戦争を無視できないのだ。
本当の目的が、別にあるとしても。
鉄志の目的は、宿敵“ニシキヘビ”の正体を突き止め、辿り着くことである。
もちろん鉄志も、ニシキヘビがこの聖杯戦争に参加している……などと都合のいい想像をしているわけではない。
ただ、先ほど会った知人・根室清がそうであるように――――この仮想の東京には、仮想なりに忠実に、そこに住む人々が再現されている。
つまり、あるはずなのだ。
ニシキヘビの犯行と目される失踪事件は、全国各地で発生している。
しかし東京は、東京には、いるはずなのだ。あるはずなのだ。
東京に住む後輩・山里が独自に調査を行い、奴に“散らされた”以上は。
ニシキヘビの手掛かりは、この東京に存在しているはずなのだ。
この、仮想の東京であっても、確実に!
そして奴がこの東京にいるのなら、いたのなら、奴もまた聖杯戦争を無視できないはずだ。
必ず、なにがしかの影響を受けている。
鉄志の勘は、ニシキヘビからある種の傲慢さを嗅ぎ取っていた。
敵対者を嘲笑い、じわりじわりと絞め殺し、かと思えば時に興味を失くしたように雑に蹴散らしていく、玩具で遊ぶ子供のような君臨者。
そしてそれほどの傲慢さの持ち主が、己の“庭”の惨状を無視するとは思えない。
舌なめずりをして好機を待つことはできても、どこかで尻尾を出す可能性は高い。意識的にせよ、無意識的にせよだ。
故にこそ鉄志にとって、この“聖杯戦争”という変数を調べ上げることには意味があった。
その先に、己の宿敵の尻尾が見つかるかもしれないのだから。
――――そういうわけで、鉄志は二子玉川エリアで発見した魔力の痕跡の調査を行っている。
気になったのだ。
魔力の痕跡の濃さ……推定される術者の魔力量に対して、杜撰すぎる後処理の拙さが。
気になったからには、調べずにはいられないというのが鉄志の性分である。
『戦闘痕……ともまた違うな。場所もある程度決まっていて、定期的……恐らくはなんらかの訓練……戦闘訓練か? いや、多分もっと初歩的な……』
マキナに対する念話は、説明というよりは思考の整理に近しい。
そのマキナ自身、要領を得ない相槌を返すだけなのは都合がいいところだった。
……シンプルに話をよく理解できていないのだろう。理解させるつもりで話していないのだから仕方ないが、少々罪悪感が芽生えた。
状況を整理する意味でも、一度ちゃんと説明してやるのもいいか。
そう思いながらも、ひとまず――――
『……痕跡分布の中心部は、この付近』
鉄志が辿り着いたのは、ほとんどの遊具が撤去されて久しい広めの公園。
周辺は住宅街であり……目を引く施設と言えば、少し離れたところに教会があるぐらいだろうか。
日本人にとっては少々馴染みのないその建物には、信者と思しき人々で賑わっているのが見えた。
なにかのイベントでもあるのか、と一瞬思ったが……彼らの表情が一様に不安げなそれであることを確認して、状況は理解できた。
東京を襲う蝗害、聖杯戦争の余波、それらによる姿なき緊張感――――そういったものに襲われた市民たちが、救いを求めて神への祈りを捧げに集まっているのだろう。
下らない――――とは、思わなかった。
善良な神などこの世に存在しないと吐き捨てる鉄志だったが、神に救いを求める気持ち自体は、彼にもよくわかるからだ。
「……………祈ったって、助かるもんじゃねぇだろうけどな……」
その呟きは、ほとんど無意識に漏れたもの。
「いえす、のん。ますたー。彼らの崇める神は救済装置として普遍的な性能を持たず、縋る対象としては不適格な旧式と呼ぶべきでしょう」
……だから霊体化を解いて現れた機械四肢の少女に対し、しまったな……と頭を抱えることになる。
一瞬驚いて、それが“二回目”だから理由に思い至って、己の落ち度であることを遅れて把握したのである。
「故に、より完璧で完全な最新の救済装置――――即ち当機の完成が必要なのですよ、ますたー」
無表情に、しかし心なしか誇らしげにそう語る少女は……多分“わかる話題”が出て来たから喜んで飛びついたのだろうな、と予測できた。
あんな旧式の“神”よりも、自らが目指す“機械仕掛けの神”の方がずっとすごいんだぞ、と。
こういうところは実に、子供っぽい。
こういうところでなくとも、子供っぽい……子供らしいと、普段から思ってはいるのだけれど。
「……なぁ、嬢ちゃん」
「? はい、なんでしょう」
「俺が肉声で喋ったからって、別に肉声での会話を求めてるわけじゃない……いやまぁ、出て来るなって言いたいわけじゃないんだが……」
「?」
伝わっていない。
しかしこの悪意無き少女に、目立つとマズいから出て来るな……とそのまま伝えるのは、いくらか良心が咎めた。
結局のところそう伝えなくてはならないのだが、できるだけ彼女が傷付かない言葉を選ぶ必要がある。
頭ごなしに否定せず、彼女がわかりやすいように。
――――昔、娘を育てている時はどうしていたっけ……
ちくりと走った胸の痛みを、押し出すようにため息をひとつ。
それから、視線を公園の入り口に向けて――――――――
「――――――――ま、そういうわけだ。そろそろ出てきてもいいぞ、アンタら」
――――物陰からこちらを伺っていた“彼ら”に、声をかける。
「……流石に、気付いてはいたか」
「斥候じゃねぇしな、俺達。こんなもんだろ」
物陰から姿を現したのは、長い前髪を右に流した、半袖のワイシャツを着た少年――恐らくは高校生だろう――と、革ジャンを着た栗毛の伊達男。
伊達男の方は、サーヴァントだろうと鉄志は判断した。
彼が地中海系の人種である、というのも判断の一因ではあったが――――なによりも、その目だ。
自信に満ちた不敵な笑みを浮かべながらも、その瞳は油断なく鉄志を、マキナを、そして公園全体を観察している。
獲物を前にした肉食動物の如き、威圧を伴う静寂。
戦士の瞳だ。
それも、ただの戦士ではない。
幾度となく戦場を駆け、駆け抜けて、栄光を勝ち取って来た、将の瞳だ。
真っ当な現代人が、これほどに戦場に慣れることはまずありえない。
まず間違いなく、ひとかどの将として名を馳せた英霊――――多くの犯罪者との戦いを繰り広げて来た鉄志だからこそ、ひと目見ただけでそこまでを看破していた。
「! ま、ますたー、下がって……」
現れた“敵”を前に緊張感を滲ませるマキナを、鉄志は無言のまま手で制した。
マキナは、尾行者に気付いていなかったのだろう。
彼らの尾行はそこまでレベルの高いものではなかったが、最低限息をひそめる程度のことはできていた。
だがもちろん、鉄志は早い段階で彼らの存在に気付いている。
なにせ彼は、尾行に関してはまさしく本職なのだ。素人の尾行程度、気付けないはずがない。
気付いた上で、ここまで泳がせていたのは……
「――――それで? 俺達になんか用かい、お二人さん」
……その目的を探るため、だったのだが。
調査もひと段落し、見るからにサーヴァントであるマキナも出てきてしまった。潮時だろう。
問いを投げ、ポケットに手を突っ込みながらも……鉄志は油断なく尾行者を見据えている。なにか妙な動きをすれば、即座に“撃つ”つもりだった。
その殺気を、この二人は十分に感じ取っているのだろう。
自然体を装いつつも、特有の緊張感が場を包んでいく。
「別に」
と声を発したのは、伊達男の方だった。
場を包もうとする緊張感を、緩めるようなタイミングで発された言葉だった。
“間”を外された――――これ以上沈黙が続けば、沈黙を破ることそのものが口火となりかねない状況を、意図して回避したのだろう。
「用ってほどじゃねぇんだが、お前の目がな」
「…………目?」
「そ。目だよ、目。
ほとんど縋るみてーに、“何か”を探してる目だ。……ちょいと気になってな」
伊達男が、僅かに目を細める。
……警官として数多の犯罪者を見て来た鉄志とはまた異なる、観察眼。
恐らくは、将としてのそれ。
数多の兵を率い、数多の兵を相手取って来た者が持つ、人を見る能力。
「……ランサーの言葉に従って後を追ってみれば、魔力の痕跡……
それも貴方が残したものではなく、元々あった痕跡を貴方が追跡しているのだということはすぐにわかった。
用は何かと問うのなら、むしろ貴方にこそ目的を問うことが僕達の目的のひとつだ」
少年が言葉を引き継いだ。
やはりというか、少年の方がマスターであり、伊達男の方がサーヴァント――――クラスはランサーであるらしい。
「なるほどね……なら、悪いがそう面白いものじゃねぇよ。
街中で魔力の痕跡を見つけたから、気になって調査してる……それだけだ。大したことじゃない」
追跡調査の様子を他の参加者に見咎められ、接触を受ける。
これ自体は、十分に想定していたことだ。むしろ、ある程度望んでいたことでもある。
どうやら彼らもこの魔力の痕跡の主とは別口のようだが、それはそれとして交渉の目はあるか。
少しでも他の参加者から情報を引き出し、この戦争の全容を……と、鉄志が思考を回していたところで。
「そうか――――――――なら、もうひとつ」
少年が一歩、コンパスのように円を描きながら、足を引く。
深く腰を落とし、開いた両の掌を上下に、前へ。
その動きと同時に、公園一帯を魔力の“波”が打ち――――人払いの結界が張られたことを鉄志は理解する。
これでこの公園は、認識的に外界から隔絶される。
魔術の心得無き者が踏み入ることはできないし、少し遠くで教会に集っている人々は、ここで何が起ころうとも気付かない。
――――これ即ち、宣戦布告。
少年の視線が真っ直ぐに、鉄志を射竦めた。
その両腕、肘から先のテクスチャが溶けるように剝がれていき、中から神秘を伴う木製の義手が現れる。
傍らのランサーは革ジャンを脱ぎ捨て――――次の瞬間には、重装歩兵の鎧を真紅の外套で覆った、戦士の姿をしていた。
鉄志と並ぶマキナもまた、無言のままに鋼鉄の両碗を複雑に肥大化させ、展開したバイザーがその瞳を覆い隠す。
「貴方が魔術師か魔術使いか……そうである以上、問わねばならないことがある」
「……それが人にものを聞く態度かよ、坊主」
「そうだ。こうしなければ、問えないこともある」
交渉の目は、果たしてあったのだろうか。
いいや、これは聖杯戦争だ。
たったひとつの聖杯を求め、魔術師と英霊が殺し合う、神秘の戦争だ。
参加者同士が出会えば、優勝というひとつしかない椅子を巡って戦う運命にある。
……という、それ以上に。
鉄志は少年の瞳に宿るそれに、どこか覚えがあった。
カタチは違えど、本質として燃えるそれに、覚えがあった。
交渉など、最初から不可能だったのだ。
彼は最初から、こうするつもりだったのだから。
「問おう、魔術師――――――――――――この技に、覚えはあるか」
少年は明確な覚悟と殺意を伴って、問いと共に大きく踏み込み――――
「――――――――点火(シュート)」
その“出がかり”を、鉄志は撃ち抜いた。
「っ!?」
ポケットに突っ込んでいた手の、早抜き。
中から現れた“杖”はボールペン。
爆竹が炸裂するかの如き轟音。瞳を焼く閃光。噴き出す硝煙。
魔力が巡る速度が異常に早い特殊な魔術回路と、歴戦の戦闘勘が実現した究極の“後の先”。
『速射回路』による必殺最速の早撃ちは、しかし咄嗟に危機を察した少年、河二の手首の返しで弾かれる。
覚えはあるかと問われるまでもなく、彼の流儀たる技術には予想がついた。中国拳法だ。
それも、宙を撫でるように構えたその手は、受けを得手とする太極拳のそれだろう。
大きく踏み込みつつも防御に備えたその構え故に、少年は鉄志の不可避の早撃ちを防いで見せた。中々の反応速度と言っていい。
高威力のガンドを難なく弾ける辺り、当然あの木製の義手は相応の性能を持つ魔術礼装と見るべきであろう。
だがいずれにせよ、彼の突進は出がかりを潰されて停止を余儀なくされた。
「――――――――嬢ちゃん」
「いえす、まい、ますたー。――――お覚悟を」
そしてそれは、絶好の隙であり――――ごう、と。
背部のスラスターから魔力を噴射させて急加速したマキナが、巨大な鉄拳を振りかざして突撃する。
躊躇なく接近戦を挑もうとした辺り、少年にもそれなり以上の心得と自信はあるのだろうが……それは決して、サーヴァントの膂力に抗しうるほどのものではあるまい。
機械仕掛けの剛腕が、少年の防御ごと押し潰さんと迫り――――――――
「させねぇなァ!!」
――――当然の権利とばかり、割って入ったランサーの盾が拳を防ぐ。
大気を揺るがし鳴り響く轟音。
遅れて吹きすさぶ衝撃波。
大地に刻まれるクレーター。
槍と盾で武装したランサーが、拳の重さを確かめるように、ニィと笑みを見せた。
「お前の相手はこの俺さ、お嬢ちゃん! 光栄に思ってくれてもいいんだぜ?」
「…………――――のん。押し切ります」
力と力の押し合い。
しっかと大地を踏み締めるランサーと、魔力を推力に変換するマキナに大きな差異は無い。……この瞬間だけは。
スラスター、出力上昇。
勢いを増した魔力の奔流が、瞬間的にマキナの腕力を引き上げる。
魔力放出。
そう、彼女の推力は、魔力を変換して発生している。
ならばつぎ込む魔力の量を増やせば、推力が上がるのは当然の帰結。
故に成される剛力一閃。
均衡が崩れる。
天秤が傾く。
大柄なランサーが、盾の防御ごと大きく吹き飛ばされる。
もちろんこれだけでランサーを撃破できたわけではないが、彼のマスターを守る者がいなくなった。
この隙に改めて追撃を、と視線を少年へとスライドさせて――――その視界の端から、槍の一撃が振るわれた。
「!?」
防御は間に合う。
マキナの体は鋼鉄であり、その装甲は極めて分厚い。
反射的に槍を払いのけ……遅れて気付く。
槍に担い手がいない。
それは宙に浮き、追撃を阻むように浮かぶ盾と共に、独立してマキナを狙っている。
「これは…………」
宝具、あるいはなんらかのスキル。
宙に浮かんで自立駆動する“子機”、ということか。
そしてそれが、気付けばマキナを囲むように、三対。
槍と盾がそれぞれをカバーし合うように、合わせて六つ浮かんでいる。
これでは、敵のマスターを狙いに行けない。
どうする。
どうする。
どうする。
マキナは高い性能(スペック)を持つサーヴァントである。
名のある英霊と切り結ぶことになっても、そのパワーとスピード、そして装甲を押し付けていくことで、十分戦いになるだろう。
だが、英霊
デウス・エクス・マキナの依り代になっているのは、年端もいかないただの少女である。
デウス・エクス・マキナ自体、強制的に物語をハッピーエンドに導く“舞台装置”であり、戦士ではない。
彼女は、戦士では無いのだ。
故に、迷う。
判断が遅れる。
優れた躯体を十全に操作することはできても、適切な対処を咄嗟に考えるのは不得手な少女。
どうする。
どうする。
どうする。
思考が堂々巡りを起こし、暗闇に包まれかけ――――
「こっちは俺が片付けるッ!! 時間はかけねぇ、サーヴァントの方を頼むッ!!!」
――――その暗闇を切り裂いたのは、マスターたる鉄志の声。
見れば彼は既に、少年との間合いを詰めている。
マキナとランサーが交差する一瞬で、既に接近を行っていたのだろう。
時間はかけない――――自身が敵マスターを打破する、という宣言。
使い魔たるサーヴァントからしてみれば、屈辱すら感じてもいい宣言。
だがマキナはその宣言を、優秀な道具として素早く咀嚼した。
「――あい、こぴー」
だから改めて、それを見る。
前を見る。
受け身を取って、眼前へと復帰した、敵サーヴァントを見る。
ランサー。
槍兵のサーヴァント。
顔立ちや装備は、マキナにとって非常に馴染みの深いもの。
きっと、あの時代のギリシャを生きた英霊。
「どうやらお互いの陣形は決まったらしいな、お嬢ちゃん?」
「お嬢ちゃん、ではありません」
自己改造を開始する。
冷静になれば。
目的が決定されたのならば。
それに向けて、この機体のスペックを十全に振るえばいい。
道筋が定まれば、マキナの判断は早かった。
そういうものなのだ。
この、デウス・エクス・マキナという装置は。
「クラス:アルターエゴ。機体銘:機密につき隠匿。製造記号:機密につき隠匿。当機には通称として『マキナ』が設定されています」
「機械(マキナ)、ね……見ての通りってワケだ」
装甲はより分厚く、鉄腕はより力強く。
速度よりも、パワーとタフネスに特化した形態へと、自らを作り替えていく。
既にマスターたちのことは、思考の外へと追い出している。
そんな余分なことを考えながら戦えるほど、マキナは器用ではないからだ。
今この場で、マキナに出来ることは酷く単純だった。
「――――――――これより、撃滅を開始します」
宣言と共に、スラスター加速。
本人たちは露知らずとも、奇しくも同じ時代を生きた英霊が二騎。
懐かしき地中海の香りを、互いに肌で感じ取りつつ。
「おもしれェ――――――――遊んでやるよ、マキナちゃんッ!!」
英霊の戦いが、始まった。
◆ ◆ ◆
「盾構えェッ!!!!」
ランサー……
エパメイノンダスの鋭い号令と同時に、宙に浮かぶ三枚の盾――――“神聖隊”が重なり合うように、エパメイノンダスの前に移動する。
例え兵としての血肉を失おうと、宝具へと昇華された“神聖隊”は生前と同じく将たるエパメイノンダスの指示に忠実に従う。
エパメイノンダス自身が構える盾と合わせて、四重の防壁。
これに対してマキナが切ったカードは、本当に本当に、あまりにシンプルなものだった。
「スラスター出力全開、噴射時間調整、入射角算出完了――――突撃(チャージ)っ!」
もはやマキナの背丈と遜色ないほどに巨大化したくろがねの右腕。
背部と、右腕部に設置されたスラスターから魔力の噴出炎を吹かして、機械仕掛けの神は突撃を実行する。
そう――――突撃だ。
拳を握って真っ直ぐ駆け出す、正面突破の突撃だ。
それは全身をひとつの砲弾として射出する、あまりに愚直なスペックの押し付け。
あまりにわかりやすいその攻撃は、しかし猛烈な勢いで巨大な弾丸と化す。
前述の通り、マキナは戦士ではない。
けれど、それで十分なのだ。
戦士としての嗅覚を持たずとも、戦士としての手練手管を知らずとも、問題は無いのだ。
凄まじい轟音と共に、鉄拳が四枚重ねの盾に着弾する。
宝具にまで昇華された、“精鋭”の概念を纏う盾だ。
並大抵の攻撃であれば、テーバイ市民の誇りと恋人への愛情を燃料に踏みとどまって防ぎきることができるはずのものだ。
その鉄壁の防御が――――押し込まれる。
弾き飛ばされる。
殴り抜かれる。
競り負ける。
悪夢のような破壊力。
冗談のような推進力。
巨人のような突破力。
結果だけで言えば、先ほどの再演。
エパメイノンダスは盾を構えて突進を受け止め、マキナは強烈な突進力を以てその防御を突破した。
違う点は、互いの戦力。
エパメイノンダスは四重の防御で突進に備えた。
そしてマキナは、突撃に特化したカタチに自らを造り変えて貫いた。
互いに改善を行い、マキナの改善がより上を行った。
エパメイノンダスが勢いよく弾き飛ばされるのと同時に、突進後の隙を突くように浮遊する三本の槍がマキナに襲い掛かる。
だがそれも、マキナは対策済みだった。
肥大化した右腕を乱雑に振り回し、槍を弾いていく。
単純に――――装甲が分厚すぎるのだ。
いかに精兵と言えど、その槍に鋼鉄を切り裂くほどの威力は無い。
精々装甲表面にかすり傷をつける程度で、こうして軽く振り払ってしまえる程度の存在でしかない。
とはいえ、放置すれば急所を狙われる可能性もある。
潰せる内に数を減らして置くべきか――――そう判断し、巨大な手刀を振りかざして槍を狙い、
がん、と。
マキナの側面に、円盾の体当たり(シールドバッシュ)が叩きつけられる。
「っ!?」
ダメージはさほどでもない。
だが、一瞬体勢を崩してしまう。
エパメイノンダスは?
まだ遠い。
盾だけだ。
盾だけが最速で、妨害に来たのだ。
エパメイノンダスの指示か?
違う。
気がする。
そうではない気がする。
早すぎる気がする。
宙に浮かぶ槍や盾の速度は、そこまで速いものではない。
突撃で殴り飛ばして、槍を払って、槍を狙うまでの時間は、そこまで猶予のあるものではなかった。
他の盾も来ている。
宙に浮かんだまま、それぞれが1本ずつ、槍を庇うように帰還している。
体当たりを仕掛けてきた盾を、鉄拳で砕こうとして――――今度は槍が割って入る。
まるで盾を守るように、マキナの右肩目掛けて飛んでくる。
再び装甲で弾いたものの、意識がそちらに持っていかれる。
盾は射程内に退避し、槍と共に浮遊している。
「――――…………これは……」
違和感がある。
恐らくは、エパメイノンダスの指示に従い、けれどある程度は自立駆動する子機の軍勢。
そういう性質の武装。
であろうはずなのに――――これらは、そう。
「お互いを、守っている……?」
まるで彼らは意志を持ち、お互いを慈しむように――――お互いを、守り合っている。
そういう動きを、“彼ら”はしている。
意志持たぬ槍と盾に過ぎぬというのに、そうしている。
戸惑いと分析。
分析と戸惑い。
マキナの攻撃の手が止まり、エパメイノンダスが再び、前線に合流する。
「麗しいもんだろ?」
負傷らしい負傷は、見受けられない。
うまく受けているのだろう。
大仰に吹き飛ばされているのも、衝撃を逃がした結果のそれなのかもしれない。
「こいつらは、“愛し合って”たのさ。
そーいう軍隊だったことを、肉体を失っても覚えてんだ」
テーバイの神聖隊。
三百人の恋人たちからなる、ギリシャ最強の歩兵集団。
その伝説は、その愛情は、エパメイノンダスの宝具となって血肉を失ってもなお、機能として残った。
ただの槍と盾となっても、彼らはお互いを愛し守り合うことを覚えている。
エパメイノンダスが心から信を置く、強く美しい軍勢のカタチ。
「今ので、お前の基本戦力はおおよそ把握した。……もうちょっと付き合ってもらうぜッ!!」
裂帛、エパメイノンダスが槍を突き出す。
彼は将にして、一流の戦士でもある。
その鋭い突きはしかし、当然と言わんばかりにマキナの鉄腕に阻まれた。
阻まれて、エパメイノンダスはすぐさま退いた。
槍の間合いを生かし、鉄腕の間合いの外から攻撃して離脱する。
好機だ。
愚策だ。
少なくとも機動力という点で、魔力放出によるスラスター機動を有するマキナはエパメイノンダスのそれを圧倒的に上回っている。
多少距離を取ったところで、マキナにとってそれは突進に必要な助走距離が確保されたことを意味する。
すぐさまスラスターで加速し、再び鉄拳を叩きつけてやろう、
マキナがそう判断したのと同時に、宙に浮かぶ神聖隊が素早く槍を突きこんでくる。
厄介なタイミング。
歯噛みしながら防御し、反撃――――しようとする頃には、その槍は盾に守られながら距離を取っている。
そしてまた別の方向から、槍が。
繰り返し、繰り返し、それが行われる。
三組の神聖隊とエパメイノンダスが、入れ替わり立ち替わりにヒット・アンド・アウェイで攻撃を仕掛けてくる。
反撃・追撃に移ろうとすれば、その瞬間に別の兵が妨害を差し込んでくる。
軍略と呼ぶにはシンプル過ぎる、しかし呆れるほどに有効な、統制の取れた連携。
数と間合いの優位を十全に生かした、集団によるヒット・アンド・アウェイ。
――――ならば。
マキナは、跳んだ。
正確には、飛んだ。
スラスターの出力を調整し、直上へと飛翔する。
マキナを囲んでいた兵隊たちも、こうなってしまえば全員が“下”の一方向。
宙を浮かぶ神聖隊たちは飛翔するマキナにも問題なく攻撃を加えるだろうが、それが一方向からのそれなのであれば問題はない。
「背部及び脚部スラスターを滞空モードに移行、関節部アタッチメント修正、腕部スラスター出力120%――――!!」
そして今度はいちいち、自ら下に飛び込むようなことはしない。
高所という地の利を、最大限に生かしたまま攻撃を行う。
エパメイノンダスが槍を逆手に構える。投槍の構え。
弓引くように引き絞られたそれはしかし、無意味だ。
これはもはや、そんなものでどうこうできるほどの質量ではない。
そしてもう、間に合わない。
それを察したのか、エパメイノンダスは槍を投げ捨て、神聖隊の盾を重ねて防壁を作る。
それももう、意味を成さない。
「――――――――――――――――発射(ファイア)ッ!!!」
掛け声と同時、マキナの鉄腕が魔力を噴出させる。
肘から先が分離し、スラスターで推力を得て力強く地上のエパメイノンダス目掛けていく。
例えるならば、鋼鉄の彗星。
これ即ち、ロケットパンチ。
高空からの大質量が、無慈悲にも地表へと着弾。
轟音、地鳴り、地揺れと共に、公園の地面に巨大なクレーターができあがり、猛烈な勢いで砂煙を噴き上げた。
例え攻撃目標が城門であったとしても、間違いなく破砕可能であるほどの威力。
帰還した鉄腕を腕部に再連結してからゆっくりと地上に降下したマキナは、勝利を確信し――――――――
「――――――――――――これで王手(チェック)だぜ、機械のお嬢ちゃん」
――――――――晴れた煙の中から現れたエパメイノンダスは、不敵な笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆
高乃河二は、苦戦を強いられていた。
「どうした。そんなもんか?」
「ぐ……っ!!」
前蹴り。
掌打。
胸倉への掴み。
裏拳。
タックル。
足払い。
打突。
一切の淀みなく、怒涛の勢いで繰り出される攻撃――――これ全て、雪村鉄志のものである。
すさまじい連撃だ。
河二はそれらをどうにか受け流しながら、舌を巻いていた。
ひとつ受ければそのまま次が。
ひとつ流せばそのまま次が。
ひとつかわせばそのまま次が。
容赦も継ぎ目も猶予もなく、濁流の如き攻め手の数々が河二を追い詰めている。
「中々うまく受けるもんだが、守ってばっかじゃ勝てねぇぞ、坊主」
「よく言う……!!」
通常、攻撃の瞬間とは最も隙が生まれる瞬間でもある。
河二の扱う太極拳は受けを得意としており、敵の攻撃を受け流すと同時に反撃を入れることで敵を制圧することが基本となる戦術。
故にこそ、本来であれば防御と同時に反撃を入れるべきなのだが……
鉄志の異常なまでの攻性連撃は、河二から反撃の余地を全て奪い尽くしていた。
無いのだ。
反撃の余地となる瞬間が。
もしも河二が反撃を試みようとすれば、その瞬間に鉄志の必殺が河二の反撃ごと意識を刈り取るだろう。
徹底した先制攻撃が、何もさせてくれない。
これこそ、対魔逮捕術の神髄。
公安特務隊が開発した、魔術師を打倒するための格闘技術。
相手に反撃も対応も許さず、先の先を取り続けることで無力化する超攻撃的武術。
この攻撃の嵐を前に、河二はよく持ちこたえている方だと言っていい。
河二の戦闘力は、磨き上げた拳法の技術と、生態義肢礼装『胎息木腕』による高効率の自己強化に由来するものだ。
だがその特性すらも、今は発揮できていない。
呼吸を整える余裕が与えられていないのだ。
通常の三倍の効率で気を練り上げることを可能とする両腕は、しかし呼吸の隙そのものを与えられなければ意味を成さない。
息が詰まる。
怒涛の攻撃を前に、溺れてしまいそうだ。
あるいは敵の攻撃に合わせ、あえて吹き飛ぶように距離を取る手も考えはしたが……初手の速射回路による攻撃が、その選択肢を牽制していた。
今は防御だけに集中しているから、隙を晒すことなく耐えられている。
だが少しでも色気を出そうとすれば、その瞬間を鉄志は見逃さないだろう。
そのイメージを既に、河二は色濃く印象付けられている。
先の先による、反撃の封殺。
後の先による、反撃の棄却。
数多の犯罪者と交戦し、これを無力化してきた鉄志の研ぎ澄まされた戦闘嗅覚は、実戦経験に乏しい河二を完全に封じ込めていた。
強化の魔術を含めた戦闘魔術師としてのスぺック自体は、河二の方が上だろう。
十分に気を練り上げる猶予さえあれば、河二の身体スペックは鉄志のそれを容易に上回る。
しかし、そうはならない。
そうはさせない。
海千山千の魔術師を、その実力を発揮させることなく無力化してきた技なのだ。
しかし同時に――――鉄志もまた、焦っている。
思ったより、粘られている。
一ヵ月前の河二なら、既に鉄志の攻撃を防ぎきれずに倒されていたかもしれない。
だが歴戦の勇将エパメイノンダスとの修行や、予選期間中に経験した魔術師との戦いは、彼に急速な成長を促していた。
元より十分な才と技術を持っていた少年である。
それがこの聖杯戦争という特殊な空間で、短期間に経験を積み重ねているのだ。
例え百戦錬磨の鉄志のそれには遠く及ばずとも、耐えるだけなら可能な程度の実力を今の河二は備えている。
河二はよく持ちこたえている。
対魔逮捕術を前にして、防戦一方と言えどこれほど耐えられていることがまず脅威。
体力勝負となれば、若さと礼装による補助の分、河二の方が有利だろう。
そしてもうひとつの懸念が、サーヴァントである。
鉄志は知っている。
マキナは、恐ろしく燃費が悪い。
サーヴァントとして優秀なスペックを持つ彼女ではあるが、残念ながらそのスペックは短い稼働時間の引き換えに実現しているものなのだ。
長時間の戦闘を、彼女はすることができない。する方法を知らないのかもしれない。する気も無いのかもしれない。
現に今も、躊躇なくなけなしの魔力を吐き出して交戦していることが鉄志にはわかる。
なにせ魔力のパスで二人は繋がっていて、マキナの支払う魔力は鉄志から供給されたものなのだ。
このままでは遠からず、マキナは燃料切れを起こしてしまうだろう。
それを見越して速攻を仕掛けるつもりだったのだが、河二の粘りがそれを許さなかった。
時折捌ききれなかった拳が、河二の肩口を穿つ。
時折受けきれなかった蹴りが、河二のふくらはぎを叩く。
こうして少しずつ、鉄志の攻撃は河二の防御を掻い潜ることがある。
だが、それだけだ。
致命的なダメージに繋がるような攻撃は全て、紙一重のところで捌かれている。
いずれは鉄志の必殺が河二を捉えて勝利を収めるのだろうが、そのいずれが遠すぎる。
河二も必死だということはわかるが、鉄志もまた必死だ。
早急にこの少年の意識を刈り取り、戦闘を終わらせなくてはならないのだ。
「この技に覚えがあるか、と聞いたな坊主」
故に鉄志は、口を開く。
攻め手を緩めないままに、会話によって隙を伺わんとする。
一瞬でも河二が隙を見せれば、そこを突いて勝利を奪えるのだから。
「仮に覚えがあったとしたら、どうするんだ?」
鉤突き。回し受け。
肘打ち。ガード。
掴み。パリング。
攻防の中で、その問いを発した瞬間、河二の心が僅かに冷えたことを鉄志は感じた。
「――――――――父の仇を討つ」
短い返答は、あまりに雄弁だった。
隙には繋がらない。
その殺気は常に、彼の中で研ぎ澄まされているであろうもの。
それを少し鞘から覗かせたところで、隙となるほどのものではない。
むしろ動揺したのは、鉄志の方だった。
長年の実戦で鍛え上げられた戦闘論理は、多少の動揺で鈍らない程度には体に染みついている。
だがそれでも少し、言葉を失った。
父の仇。
殺されたのだろう。
誰かに。
父から受け継いだ武術を、僅かな手掛かりとしているのだろう。
彼の父を殺した者は、きっとその技を知っているはずだから。
やめておけ――――などと、言えるはずもなかった。
愛する家族を失う痛みは、鉄志にもわかった。
なによりたった今殺し合いをしている相手が、そんなことを言っても滑稽なだけだ。
そしてここまで来て、戦闘の手を止めるわけにも行かない。
格闘戦には慣性があり、これをピタリと止めることはとても難しいことなのだ。
故に鉄志はここで、わざと一瞬だけ攻め手を緩めた。
河二はその一瞬を見逃さなかった。
問答による動揺で、隙が出来たものだと判断した。
「――――悪いな」
そしてそれが罠であることに気付いた時には、河二の身体は既に宙を舞っていた。
河二の反撃。
それを掻い潜り、胸倉を掴んで繰り出されるは一本背負い。
美しく淀みない動きで投げられた河二が、勢いよく地面に叩き付けられる。
肺の中の空気が全て飛び出した。
声にならない悲鳴が上がる。
遠くで轟音。
サーヴァントたちの戦いも大詰めなのだろうか。
だがそれも、ここで終わる。
河二の意識を容赦なく刈り取るべく、地面に倒れる河二目掛けて拳が振り上げられて。
――――――――――――鋭い投槍が飛来し、河二と鉄志の間を切り裂いた。
「なっ!?」
鉄志が距離を取る。
取らざるを得ない。
槍は二人の間を通り抜けた後に減速し、宙に浮かんだままに河二の傍に移動した。
少し遅れて、こん棒の図像が描かれた円盾が河二に侍る。
それはさながら、主を守護する近衛のように。
鉄志は理解した。
これが敵サーヴァントの支援であるということ。
そして、まずいことになったということを。
◆ ◆ ◆
なんのことはない。
ここまで全て、エパメイノンダスが描いた絵図の通りである。
河二と鉄志は、条件と相性の問題で鉄志が優勢になると把握できていた。
しかしそれが決定的な差ではないことも、エパメイノンダスとマキナの戦いがある程度膠着することも理解できていた。
二つの戦場は互いに膠着し、勢いよく魔力を垂れ流すマキナの魔力が枯渇するのが先か、鉄志が河二を捉えて無力化するのが先か。
――――というのが、順当に戦う場合の決着になるだろうということを、エパメイノンダスは戦いながらに把握していたのだ。
将とは常に戦場を俯瞰して把握するもの。
不敗の将軍たるエパメイノンダスにとって、戦いながらに二つの戦場を観察するなど児戯にも等しいことである。
そして観察で得た演算結果を元に勝利を手繰り寄せるのが、軍略というものであった。
マキナのロケットパンチを受ける直前、エパメイノンダスが投げ捨てた槍は神聖隊であった。
投棄すると見せかけて河二を援護するよう命令され、そちらへと投げ込まれていたのだ。
河二と鉄志は鉄志が優勢だが、その差は決定的なほどではない。
ならば神聖隊という援護が加わったことで、一気に天秤は河二の方へと傾くだろう。
ちなみに撃ち下ろされるロケットパンチは、盾を重ねて衝撃を分散させ、回避していた。
正面から鉄拳を受けるのではなく、衝撃を分散させるように防御させ、勢いを削いでいたのだ。
あれだけの威力の攻撃、まともに受ければ盾ごと破壊されてしまっただろう。
それでも回避の暇を作る程度のことなら、神聖隊の盾を損なわずとも実行できた。
「これで王手(チェック)だ。お前のマスターは中々の戦士だが、助太刀を二人も加えれば流石にこっちが勝つからな」
「っ、ま、ますたー……!!」
「おっと、逃がしはしないぜ」
咄嗟に救援に向かおうとするマキナを、槍の一撃が阻む。
無防備に背中を晒せば、その背を貫くと言わんばかりに。
「――――――――切れよ、奥の手を」
そして――――不敗の将軍は、唆すのだ。
「…………!!」
「まだ王手(チェック)だ。詰み(チェックメイト)じゃねぇ。このままやるなら俺達の勝ちだが、お前たちにもまだ選択肢がある」
自信に満ちた、不敵な笑み。
己の勝利を微塵も疑っていないかのような、不遜な笑み。
例え何が立ちはだかろうと、問題なく対処してみせるという自負に満ちた笑み。
「あるんだろ、お前にも……伝承の核となるような、宝具がッ!!」
歌うように、高らかに。
古代ギリシャ世界において将とは市民であり、市民とは政治家であり、政治家とは弁論家であった。
故にエパメイノンダスは、心得ている。
言葉によって人を動かす技術と、その有用性を心得ている。
「さぁ、見せてみろよッ!!! じゃねぇとお前ら……ここで負けちまうぜ?」
「う、あ、あ、ま、ますた…………っ!!」
どうする。
どうする。
どうする。
切り札は――――ある。
当然ある。
英霊デウス・エクス・マキナの第二宝具。
マスターを鎧う漆黒の外骨格。
燃費問題を解決し、マスターに絶大な力を与える、神機融合モードへの移行。
間違いなくこの状況に適した、強力な宝具である。
だが――――――――いいのか。
それを今ここで切って、いいのか。
わからない。
マキナにはわからない。
視界の端では、鉄志が三対一の戦いを強いられている。
鉄志の攻撃は円盾に阻まれ、そこで生じた隙を槍と河二に突かれて攻撃を受けている。
反撃を許さない怒涛の攻撃も、相手に防御役がいるのであれば意味を成さない。
助けなければならない。
けれど、助けに行けない。
助けに行こうとすると、エパメイノンダスに襲われる。
どうする。
どうする。
どうする――――――――――――
マキナの思考がまた、混乱の渦に飲み込まれそうになったその時に。
「――――――――そこまでだ」
――――――――――――禍々しき二発の大きな魔力弾が、突如として飛来する。
「うおっ、新手か!?」
戦場の時が止まる。
鉄志を攻め立てていた河二も、マキナを責め立てていたエパメイノンダスも、なんとか攻撃を裁いていた鉄志も、判断に迷っていたマキナも。
それぞれの中間に飛来した魔力弾が地面を抉り、攻防の一時中断を余儀なくされる。
間違いなく、この場にいた四人による攻撃ではない。
ならばこの攻撃の主は何者かと、全員の視線が公園の入口へと向かう。
そこにいたのは、修道服に身を包んだ、黒髪の少女。
傍らにサーヴァントの姿はない。
けれど――――けれど。
ぞわ、と。
得体も知れぬ嫌悪と威圧が、空間に滲みだす。
ぶぶぶ、と音がする。
それはなんだか、蝿の羽音に似ているような気がした。
「君は………………」
戦いの手を止めた河二が、油断なく……否、余裕なく構えを取ったまま、少女を見据えている。
気圧されているのだ。
少女が伴う、悍ましい気配に。
体中から汗が噴き出し、体温が下がっていく感覚。
その感覚を、エパメイノンダスも、雪村鉄志も感じ取っている。
精神干渉を受け付けないマキナだけが、この場で唯一威圧を感じ取っていなかった。
「…………あんたら」
少女が口を開く。
それでわかった。
彼女ではない。
この醜悪な威圧感を振りまいているのは、この修道服の少女ではない。
彼女の声にはいくらかの怒気こそ含まれてはいたが、彼女の周囲に漂う激しい嫌悪を直接孕んではいなかったからだ。
ならば、この威圧感の正体は?
そんなこと、少し考えればわかる。
「人んちの前で派手にドンパチやるんじゃない。ここは神の家のお膝元だ……主に救いを求める子羊たちを導くための場所だ」
蝿の羽音が、大きくなる。
嫌悪と威圧が、比例するように膨らんでいく。
「これ以上ここで事を構えようって言うなら…………“アサシン”。次は当てていいぞ」
――――アサシン。
気配を断ち、彼女の傍らに潜んでいるのであろうサーヴァント。
この嫌悪感の主。
この威圧感の主。
この蝿の音の主。
あの魔力弾の主。
姿を見せぬままに、周囲を威圧するサーヴァントはどのようなものなのだろう。
過大評価はすべきではない。
実態以上に大きく敵を見積もってしまうのは、愚策を呼ぶ。
けれど過小評価は、もっとするべきではない。
実体以上に小さく敵を見積もってしまうのは、破滅を呼ぶからだ。
……真っ先に矛を納めたのは、雪村鉄志だった。
「――――やめとこう。元々吹っ掛けられた側だしな、こっちは」
両手を挙げて、無抵抗のポーズ。
油断なき瞳は河二や少女を見据えてこそいるが……それは不意打ちに対する当然の警戒であろう。
「退くぞ、嬢ちゃん」
「ま、ますたー。でも…………」
「でもじゃねぇ。……実際、一旦この辺が潮時だろ。これ以上は見せ過ぎだ」
「…………………………あい・こぴー。了解しました、ますたー」
己の従僕を説き伏せて、じりじりと慎重に合流する。
河二もエパメイノンダスも修道服の少女も、そこを狙うようなことはしなかった。
「……高乃っつったか。お前も、それでいいかい」
「…………………恐らく貴方は、高乃の技を知らない。
これが聖杯戦争である以上は本質的に敵だが、優先して戦うべき相手ではないだろう。
だがこのまま退くというのなら、貴方の名ぐらいは聞かせてもらいたいところだが、いかがか」
「……………雪村鉄志。しがねぇ私立探偵だよ」
「当機のことはマキナとお呼びください」
そう言い残して、一人と一機は素早くその場を去って行った。
やはり誰も、その背を撃つようなことはしなかった。
…………最もそんなことをしようものなら、鉄志から手痛いしっぺ返しを受けたのは間違いあるまい。
その程度の用心をしない人物とは、到底思えなかった。
そうして鉄志たちが去った後、残されたのは河二とエパメイノンダスと、修道服の少女と、威圧感の主。
少女と河二はしばらく視線を交わした。
相手の出方を伺うような、緊迫した視線。
どれほどそうしていたか、ゆっくりと……侍らせる威圧感を和らげながら、しかしやはり不機嫌そうに、少女の方が口を開いた。
「こんなところで会うとはな――――――――転校生」
「……僕も相応に驚いているよ、琴峯さん」
修道服の少女は、この公園の少し先に位置する琴峯教会の主、
琴峯ナシロであり――――河二はこの少女のことを、知っていた。
◆ ◆ ◆
二人の関係を説明するのは、酷く簡単なことである。
いや、正確に言うならば、彼らの間に関係と呼べるほど深いものは存在しない。
ただ、転校生――――その情報が彼と彼女とを繋ぐ情報の全てであった。たった今までは。
高乃の家は本来、山梨県に居を構えている。
これは自然との合一を目指す高乃の魔術にとって、開発された都心部よりも自然の多い土地の方が適しているためである。
故にか、この時計仕掛けの偽りの東京において、河二に与えられた役割(ロール)は“上京してきた一人暮らしの転校生”であった。
四月の新学期という時期故に、このロールはさして違和感もなく周囲に受け入れられた。
そして河二が転校してきたクラスこそ、琴峯ナシロがいるクラスだった。
ただ、それだけのことだ。
二人はお互いが聖杯戦争の参加者などとは露ほども思っていなかったし、この一ヵ月で特に関わることも無かった。
河二はあまり人付き合いをするタイプではなかったし、ナシロは教会の仕事で多忙を極めていたためだ。会話らしい会話など一度もしていない。
その内に学校が聖杯戦争の余波で休校となり、とうとう完全に顔を合わせることもなくなった。
本当にただそれだけの、関係と呼べるほどのものでもない間柄だったのだが……
「で…………何があったんだよ、転校生。話してみろ」
「転校生、ではない」
「は?」
「僕の名前は高乃河二だ。
一族から受け継いだ大切な姓と、父から与えられた大切な名だからな。
そういった代名詞で呼ばれるのはあまり好きではない。できれば姓名のどちらかで呼んでほしい」
「…………なるほど。そりゃ確かに私が悪いな。すまん、高乃」
「ありがとう。構わない」
そんな前置きを挟んでから、河二は事の経緯をかいつまんで説明した。
鉄志が魔力の痕跡を追っていたこと。
自分たちはそれを追跡したこと。
ここで追跡がバレて交戦したこと……
「……ちなみにあの魔力の痕跡だが、琴峯さんに覚えはあるか?」
「…………………………………ある」
「そうか……なら気を付けた方がいい。痕跡を完璧に消すのは難しいが、程度問題というものがある」
「ああ……そうだな。次からは気を付けるよ」
魔力の痕跡、とは言ったが……実際のところそれは、大雑把に行使した魔術の破壊痕を、大雑把に形だけ修復したかのようなそれだ。
魔術を使って痕跡を隠すとなると、痕跡を隠す魔術の痕跡が残ってしまう……というような事情はあるが、それにしたって気を付けるに越したことはない。
私は魔力を使ってここを修復しましたよ、という事実を隠す気配もない痕跡は、少し注意深い者ならすぐに気付く。あの鉄志という私立探偵のように。
「で、それより――――――――どうするんだよ、高乃」
ナシロが纏う威圧感は、既に消え失せていた。
だがナシロの瞳は、油断なく河二を見据えていた。
それは十分に、相手を聖杯戦争参加者と認めた視線であった。
「どうする、とは?」
「吹っ掛けたのは、あんたからなんだろ。…………私にも、吹っ掛けるのか?」
――ならばそれは、いつ戦いになってもおかしくないということ。
ナシロは油断していない。
威圧感を消した彼女のアサシンは、今もどこかに潜んで主の命令を待っているのだろう。
ストレートなナシロの問いは有無を言わせぬものがあり、返答次第では今から殺し合いになるということを、十分に覚悟しているように感じられた。
…………とはいえ、河二の返答は決まっている。
「いや――――遠慮したいところだ」
「へぇ?」
「単純に連戦は避けたい。積極的に戦う理由も無い。……それに、君の言葉は正しい」
河二は両腕の義手に、偽装をかけ直した。
霊木から作られたそれが、リアルな生身のテクスチャを貼ってその正体を隠ぺいする。
偽装をかけたということはつまり、矛を収めるということだ。刀を鞘に入れる行為に近い。
「――――ここは、救いを求める人たちが集まる場所だ。万が一にも飛び火させるわけには行かないだろう」
結界によって、公園の内外を隔てているとはいえ。
激戦の余波が周囲に及ばない保証はどこにもないし、公園の中に“勘のいい”者が迷い込む可能性もゼロではない。
そして、そうあるべきではないと河二は思う。
河二は見ず知らずの他者に手を差し伸べるほどの善人ではないが、見ず知らずの他者が救いを求めることを尊重する程度には善良なのである。
ナシロはその答えにある程度の納得を得たようで、ふぅん、とやや意外そうに頷いていた。
「迷惑をかけたな、琴峯さん。後始末は僕がやっておこう」
「ん。いや、いいよ。流石にあんたにだけやらせるわけにも行かないだろ?」
「大丈夫だ。謝罪の意味もあるし……キミには教会の仕事があるだろう」
「う゛」
それを言われると、ナシロは弱い。
実際問題、昼休憩の延長で抜け出してきてはいるが、琴峯教会の人手は全くと言っていいほど足りていないのだ。
今すぐ戻って教会の仕事ができるのなら、どう考えてもその方がいい。
ナシロからすれば忙しい仕事でしかないそれらは、教会に集う信者たちからすれば耐えきれないほどの苦痛と祈りなのかもしれないのだから。
「…………わかった、任せる。悪いな高乃」
「構わない。気にしないでくれ」
それきり、踵を返して去っていくナシロの背中を、彼女が教会に入っていくまで見送ってから……今まで静かにしていたエパメイノンダスが、口を開いた。
「――――良かったのかよ、マスター?」
「何がだ?」
「あの子がマスターの親父さんの仇である可能性を切っちまって良かったのか、って話だよ」
エパメイノンダスはいつの間にか鎧を脱ぎ、シャツの上に革ジャンを羽織っている。
現世の街を歩きたいと言うエパメイノンダスが、河二に頼んで買ってもらったものだ。
ともあれその問いには、なんだそんなことかと言わんばかりに、多数の破壊痕の残る公園の修復を開始しながら、河二は答えた。
「構わない。……父さんの仇にしては、痕跡の隠し方が杜撰すぎる。彼女がもしそうなら、僕はもっと早く下手人に辿り着けていたはずだ」
色々と理由はあったが、決定的なところはそれ。
あの大雑把な痕跡の隠し方であれば、父の仇はすぐに見つかったことだろう。
そしてまだ見つかっていないのだから、彼女は父の仇では無い。
信者の安全を想い、学校でも真面目な人物として慕われていた彼女が父の仇とは思えない、という部分も無いではないが……
……人格は判断の際、あまり考慮しないことにしていた。
人は嘘をつき、装うことができるし、例えば教会の代行者などであれば、魔術師であった父と善良なままに敵対していた可能性も十分にあり得るからだ。
同様に年齢なども考慮しない。
魔術の世界では百年を生きる老人が若者を装うことも、十代の若者が恐るべき戦闘能力を持つことも無い話ではない。
故に河二は、太極拳の技で問い、確かめる。
命を賭した戦いの中で、経験にしらを切るのは難しい。
その点、あの鉄志という男は巧みに河二を封じ込めていたが……あれは単に、膨大な戦闘経験で類例的に対応しているだけのように思えた。
直接、高乃家の太極拳と組み合った経験があるようなそぶりではなかった。
手を合わせれば、感覚でそのぐらいのことはわかるのだ。
「……貴方こそ、良かったのか?」
「なにがだよ」
「戦闘自体は、貴方が盤面をコントロールして有利に立ち回っていたように思う。その有利を捨てた形になるが」
一方で、乱入者によって有利を手放す形になったことを、河二は少し気にしていた。
それは勝利を逃したことへの不満というより、エパメイノンダスの奮戦が無駄になってしまったことを残念に思っている、という風ではあったが。
けれどエパメイノンダスはいつものように、からからとそれを笑い飛ばした。
「わはははは!! なぁに、勝負の女神は移り気で、気まぐれに止まり木を変えるもの!
あのままやったって、勝てたとは限らねぇよ。ちょいと惜しくはあるがな!!」
惜しいとは言いつつも、特に惜しむほどの後悔も不満も無いというのは明らかである。
こういった大雑把さ、よく言えば豪快さは、この一ヵ月で慣れたものではあるが……
「…………貴方は生前、不敗だったことを誇っていたように思うのだが」
負けを知らずに死ねたことを喜び、彼は果てたはずだ。
英霊として召喚された今だって、不敗の将軍という栄光を自慢げに語っていたのだが。
けれどエパメイノンダスはやっぱり、それすらも豪快に笑い飛ばす。
「ありゃあ運が良かっただけだよ!!
もちろん俺だって負ける気はねぇが、頭のどっかでいい負け方を考えられねぇ将軍は出来損ないだぜ。
だいたい、小競り合いで退くぐらいのことは俺だってやったからな。勝つべきところで勝てばいいんだよ。
向こうはまだ宝具があったからなァ。そこまで見えれば、確実な勝ち筋を組み立てられたんだが……」
「ああ……それで、あのサーヴァントに宝具の使用を煽っていたのか」
「おうとも。敵の手札を見て、対策を立てて、追い詰める。それが軍略ってもんだろう。
だからマスターも、奥の手はちゃんと用意しとけよ。手札が全部割れた時が、そいつが負ける時だからな」
「………………その割には、あの竜牙兵と戦った時には躊躇なく宝具を切ったと記憶しているのだが……」
「あれはしょうがねぇ!! だって竜牙兵だから!!! しかもあれ……“本物”かもしれないんだぜ!?」
「それはもう何度も聞いたが……」
……そう。
先日、幼い少女が率いる数体の竜牙兵と交戦した時、エパメイノンダスはかなり高揚した様子を見せた。
何事にも執着しない彼にしては珍しい態度だ。
そのまま宝具の展開まで躊躇なく行ったのだから、相当だろう。
後で問い質してみれば、納得はできた。
竜牙兵(スパルトイ)――――神話においてテーバイ建国の王
カドモスが創造した、竜の牙から生まれた兵士。
そして彼らスパルトイは子を産み、テーバイ人の祖先となったのだ。
つまりエパメイノンダスからすれば、神話に語られるご先祖様と対面した格好となる。
あれはスパルトイそのものがサーヴァントだったのか……あるいはテーバイ建国の王、カドモスが呼び出したものなのか。
遥けき父祖よ照覧あれと、エパメイノンダスは高揚のままに神聖隊を呼び出した。
果たして、伝わっただろうか。
宝具を開示するということは、その真名を開示するに等しい行為だ。
もしもこの戦争にカドモスがいるというのなら、会ってみたいと彼は思っている。
子供の頃からその神話を聞いて育った、親愛なるテーバイの、敬愛する英雄と会えるかもしれないなんて、なんと素敵なことだろうか。
……まぁそのために不要な犠牲を払うほどでもないと思っている辺り、やはりエパメイノンダスは何事にも執着しない人物ではあったのだが。
「ともあれ、あの感じなら一時的な同盟も視野に入れてもいいかもしれんな。テツジとマキナとは」
「……この出会い方でそれが可能なのかはやや疑問ではあるぞ」
「別に行けるだろ。俺達のスタンスは明確で、絶対に相容れないワケでもない。
昨日の敵が今日の友になるなんて、戦争じゃ珍しいことでもないぜ。それに、言ったろ?」
雑談とも作戦会議とも反省会ともつかぬ会話を交わしながら、公園の修復を進めて行く。
改めて、凄まじい破壊痕だ。
公園にはいくつもクレーターが発生し、戦いの余波でベンチが粉砕されている。
……多少は初歩的な魔術で修復することもできるが、流石に限度もありそうだ。
確かにそれほどの攻撃力を持つあのサーヴァントを一時的にでも味方にすることができれば、頼もしそうでもあるし……
「…………彼の話か」
「そう。お前にもわかったはずだぜ。
目を見りゃわかんだよ大体……多分あれなら、手を組む目はある」
「まぁ…………そうかもしれない。彼のあの瞳は――――――――」
◆ ◆ ◆
「……申し訳ありませんでした、ますたー」
あの公園から離れて、すぐに。
手足を元通り、少女の大きさに整えたマキナは、まずその言葉を口にした。
マスターへの謝罪。
……理由は言うまでもなく、己の不甲斐なさに対してだろう。
「いや……あれは相手が上手だった。俺も場数には自信があったが、流石に本職の将兵となると違うな」
それをフォローするように、鉄志は苦笑する。
悲しげに目を伏せるマキナの頭を……そっと撫でようとして、やめる。
手を伸ばした瞬間、娘の顔がフラッシュバックした。
けれど彼女は、娘ではない……鉄志が失った娘の代わりではないのだ。
行き場を失った手が、誤魔化すように自分の首を掻く。
「…………ま、例の第二宝具……アレを使っちまうハードルはもうちょっと下げてもいいかもしれん。
嬢ちゃん、今ので結構消耗しただろ。大丈夫か?」
「………………………のん、いえす。ごめんなさい……」
参った。
気を遣ったつもりだったが、かえって落ち込ませてしまっている気がする。
泣き出しこそしていないが、かなりショックを受けている様子でもあった。
自認として“道具”である彼女にとって、有用性を示せなかったという事実は相当重いものとしてのしかかるらしい――――役に立たなかったなどと、鉄志はまったく思っていないのだが。
だが、それをどう伝えたものか。
子供の相手は、難しい。
いなくなってしまった娘のことを、どうしても思い出してしまう。
あの頃娘に対しては、どう接していたっけか。
マキナが娘の代わりではないことを理解していても、どうしても、脳裏を過るものはある。
「しかし、収穫もあったな。
あの魔力痕の主は多分、乱入してきたシスターの嬢ちゃんだ。生憎サーヴァントの姿は見えなかったが……」
だから苦肉の策のように、鉄志は聖杯戦争の話題を振る。
この話題であれば、彼女を娘と重ね合わせることはない。
マキナも落ち込みながら、努めて冷静沈着であろうとして、どうにか態度としては平静を装い始めた。
「……くえすちょん。そうなのですか?」
「ああ、多分な。多分あれは……“試し撃ち”かなんかの痕だろう。
マスターの方は、ありゃ魔術師としては素人だ。雰囲気でわかる」
恐らくは、巻き込まれた一般人。
立ち回りに、神秘の世界を生きる者特有の“欠落”が感じられないのだ。
神秘の世界に生きる者には決まってどこか、非日常を受け入れて暮らすための“欠落”がある。
それはある種の適応であるとか、覚悟とか、場合によっては諦念と呼んでもいい部類のものだ。
その欠落も決して悪性のものであるとは限らないが……端的に言えば、“カタギっぽい”というのが鉄志の琴峯ナシロへの評価である。
「琴峯教会、ね……覚えておいた方がよさそうだな」
拠点となる建物の名前まで把握できていれば、いくらか経歴を追っていくこともできるだろう。
…………明らかに未成年の少女の経歴を追うことに抵抗を覚えないことも無かったが、最低限の備えということで許してほしい。誰が許すんだろう。自分かな。
「後は……あのランサーみたいに、嬢ちゃんに服を買っとくのもいいかもな……」
「? 人目を避けたいのなら、霊体化すれば問題ないと思いますが」
「………………いやそうなんだが……」
だって嬢ちゃん、急に出てくるだろ……とは言い出せない鉄志である。
手を覆うほどに長い袖で、裾の長いワンピースでも着せれば、鋼鉄の手足も誤魔化せるかもしれない。
……なおさらに娘を想起させそうで、そういう意味では気乗りしない話ではあったが、だからと言ってこういったものに制限をかけるのも何かが違うだろう。
あとは――――あとは、あの少年か。
少年。
高乃河二。
父の仇、と言っていた。
そのことに思うところが無いと言えば、嘘だろう。
そういったものに敏感だったからこそ、鉄志は警官という仕事をやっていたのではなかったか。
またどこかで会えば、戦うことになるのだろうか。
優先して戦う敵ではないと言っていたが、本質的に敵だとも言っていた。
ナシロとは逆に、魔術師として適格な“欠落”の持ち主であった。
敵と味方を切り分け、恨みが無くとも殺傷が可能な精神性――――カタギではない、ということだ。
それこそ年の頃は、ナシロとそう変わらないであろうに。
あるいはその欠落は、平常時よりも大きく広がったものなのかもしれないが。
なにせあの少年の、あの瞳は――――――――
◆ ◆ ◆
「どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーですか!!!! どうですかナシロさん!!!!!
私、めちゃくちゃ魔王っぽくなかったですか今!!!!! 聖職者に憑りつく超すごい悪魔って感じバリバリじゃありませんでした!?!!?
これはもう蝿王様への変態も遠くない未来ですよ!!!!! でへへへへへ…………」
「変態なんだな。進化じゃなくて」
「えっ…………進化は世代を経た変容であって、同一個体が成長の過程で変容するのは変態って呼ぶんですよ?
もしかしてそんなことも知らなかったんですかナシロさん? 不勉強ですねぇ。ぷぷっ」
「調子に乗るな」
一旦自宅に帰還したナシロの最初の行動は、初陣の活躍で調子に乗りまくっているハエの頭をはたくことであった。
ぐえ、という蛙が潰れたような声を(ハエなのに)出して、ヤドリバエたる彼女は蹲った。
「うううううう~~~~~~~~……………なにするんですかナシロさん!!!!」
「……お前、今の状況わかってるのか?」
頭を抱えたいのはナシロの方である。
課題と問題は山積みで、そしてそれすらも労働の多忙に流されて行きかねない。
だが今回のこれは、命に係わる――――ナシロのそれだけではなく、教区内の信者たちの命にも。
例えそれが再現された仮想の命であったとしても、それを見捨てることはできない。見捨ててしまえば、もはやナシロは琴峯ナシロではなくなるだろう。
「とりあえず……特訓の場所は気を付けた方がいいな。そうか痕跡が残るのか……」
「ええ~~。もういいじゃないですか特訓とか~~~」
「そういうことは動く的に攻撃を当てられるようになってから言え」
喫緊の問題として……琴峯ナシロは、魔術に関しては素人なのだ。
父が何かと戦っていた光景を、時折夢に見る――――今にして思えばあれは神秘にまつわるなにかだったのだろうが、ナシロに詳しいことはわからない。
ただその程度が、これまでの琴峯ナシロが知る神秘の世界の全て。
つまり、何も知らないということだ。
だから魔力の痕跡が残るという認識もまったくしていなかったし、それを追跡されるともまったく考えていなかった。
考えが甘い、と言うのはあまりに酷だろう。
彼女は聖杯戦争の仕組みによって戦闘力を与えただけの、平和を強く生きる一般人に過ぎないし――――
「というかお前、後始末は得意だから任せておけって言わなかったか?」
「ぎく」
……本来はサーヴァントであるこのハエが、その辺りのサポートをしてしかるべきなのだが。
実際、これまで特訓の痕跡はヤドリバエに始末させていた。
限定的ながらも理屈を無視して悪魔の力を振るえるヤドリバエにとって、ちょっとした破壊痕を無かったことにするなど児戯にも等しい。
ハエは食物連鎖における分解者、言わば掃除屋の役割を担う動物であり、その性質がうまくかみ合っていたというのもあるのだろう。
ヤドリバエが軽く手を振るだけで特訓の痕は全て消滅し、ナシロは便利なものだと感心していたのだが……
「だ、だだだ、だって仕方なくないですか!? 私ちゃんと元通りにしましたし!!!
魔力使ったから痕跡が残ります、とかズルですよズル!!! ていうかそれ追いかける方がキモいです!!!! ストーカーですよストーカー!!!!」
「虫がそれを言うのか? お前らだってフェロモンで追跡とかするだろ」
「うわっそれセクハラですよ。ナシロさんのえっち!!」
「これデリケートな話題なのか……」
どうもヤドリバエにとっても、痕跡がどうこうというのは考慮の外であったようだった。
……………まぁ、なにせハエである。
能力として悪魔の力を持ち、英霊の端くれとして神秘の知識を持っていても……それを運用するのは所詮、ハエである彼女なのだ。
神秘の隠匿という魔術世界の常識について無知であることを責めることはできまい。反省はしろと思う。
閑話休題。
「ともかく……実際今回は助かったよ。ありがとうな」
彼女の力で、ナシロと教会を守れたのは事実。
そのことについて、ナシロは正直に礼を言った。
昼休憩を終えて仕事に戻ろうかという瞬間に、教会の外で展開された人払いの結界。交戦の気配。
積極的に聖杯戦争に参加する気の無いナシロではあったが、これはいくらなんでも近すぎた。
戦闘の規模によっては、教会にも被害が及ぶだろう。
両親から受け継いだ教会と、そこに集う信者を守らなくてはならない。
故にナシロは即座に出陣を選んだ。
他の参加者を見るのはこれが初めてのことだったが、それは躊躇する理由にならなかった。
問題は、こちらの戦闘力。
聖杯戦争側のシステムで多少の戦闘能力を与えられた一般人のナシロと、スペックはともかく戦闘センスがドブのハエ。
これだけの戦力でまともな介入ができるかは相当怪しいところだったし、割って入ったところで真っ先に殺されてしまう可能性も高かった。
――――故にナシロは、“ハッタリ”を選んだ。
気配遮断スキルを持つヤドリバエを控えさせ、偽の魔王として放つ威圧感のみを振りまき、最初に見せためくら撃ちの魔力弾を印象づけて両者を牽制する。
まさか転校生……高乃河二がいるとは思わなかったが、作戦は概ねうまくいった。
彼らがどれだけハッタリに騙されてくれていたのかは不明だが、目論見通り戦いを終わらせることができたのだから、上々だろう。
そしてこの作戦は、全面的にヤドリバエの協力が必要なものであった。
彼女はナメた態度を取る怠惰でアホで調子に乗ったクソザココバエではあったが、ナシロの作戦に従って力を貸してくれたことには、素直に感謝している。
「今日の晩飯はいいもの食わせてやる。楽しみにしておきな」
「え……ど、どうしたんですかナシロさん!? なにか悪いものでも食べましたか!? もしかしてさっきのサーヴァントたちになにかされました!?
あの悪魔よりも悪魔な鬼軍曹のナシロさんが私にお礼を言って優しくするなんて……
いくら私が真の蝿王様への道を歩み始め覚醒したからといって考えられない異常事態です……!!
こ、こうなったら今すぐあのサーヴァントたちを追いかけて、この手で始末してやるしか……っ!!」
「……お前の中で私はどんなイメージになってるんだ?」
これまでも頼んだことをやってくれたら普通にお礼は言っていたはずなのだが。
……いや、そもそも頼んだことをまともにやり遂げている率がかなり低かったので、トータルで言えばお礼を言った回数はそこまで多くないかもしれない。
いずれにせよ礼を言うべき場面ではちゃんと礼を言うように心がけているので、この評価ははなはだ遺憾である。
「まぁいいや。ともかく私は教会に戻るから、お前は休んでていいぞ。というかここにいろ」
「あ、はい。わかりました」
なんにせよ、いい加減教会に戻らなくては。
休憩の間を任せているシスターに悪いし、信者たちにも悪いだろう。
そう思って改めて支度をして、教会に戻ろうとしたところで、ふと。
「でも、良かったんですか?」
「ん?」
「いや、あの男の子ですよ。お知り合いだったんでしょう? さっぱり別れちゃいましたけど、もうちょっとお話とかしなくても良かったんですか?」
「あー………」
まぁ確かに、あの別れはちょっとさっぱりし過ぎだったかもしれないが。
「いいんだよ。話したいことがあるなら向こうから来るだろうし、知り合いっていうほど関わりがあったわけじゃない」
クラスの、控えめで礼儀正しいが人付き合いの悪い転校生。
ナシロの知る高乃河二はそれで全てだったし、これを知り合いと呼ぶのもなんだか憚られる。
それにまぁ、なんというか。
わかる気がするのだ。
彼の行動原理というか……彼の戦う理由のようなものが。
そしてそれは足早に去って行った、雪村鉄志という中年にも同じことが言えた。
彼らの瞳を見れば、なんとなくわかった。
だってそれはナシロにも覚えのあるものだったから。
きっと彼らの、あの瞳は――――――――
◆ ◆ ◆
――――――――愛する家族を失って、その空白を悲しんでいる瞳をしていたから。
◆ ◆ ◆
【世田谷区・二子玉川エリア/一日目・午後】
【高乃河二】
[状態]:健康(多少の疲弊はあったが、調息によって回復した)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
1:公園の破壊を修復する。余裕があるタイミングで改めて琴峯さんに謝罪を入れるべきだろうか。
2:雪村鉄志は強敵だった。精進しなくては。
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(小)
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:マキナ、ね……中々強敵ではあったな。底を見たい。
2:これからの立ち回りも再検討しなくちゃな。一時的でも味方は大いに越したことはない。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。
【雪村鉄志】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
1:戦闘方針を話し合うべきかもしれない。マキナは燃費が悪すぎるし、戦闘経験にも乏しいのを実感した。
2:マキナに服を買い与えるか悩んでいる。
[備考]
【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:有用性を示せなかった。ふがいない、です……
[備考]
【琴峯ナシロ】
[状態]:精神疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:修道服
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
1:仕事が忙しすぎる。
2:特訓についてはもう少し慎重になる必要がありそうだ。
3:とにかく仕事が忙しすぎる。
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
【アサシン(
ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
1:かっこよく活躍出来て上機嫌。本物の蝿王様になれる日も近い!
2:ばんごはんたのしみだなぁ。
[備考]
【備考】
世田谷区北西方面は、『蝗害』の被害を大きく受けているようです。
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最終更新:2024年09月10日 22:15