愛と罪が集う街(後編)
何が起こったのか、ゆっくり整理してみよう。
あの時あたしは、キリサキとユカリが乗った車を、後ろからバイクで追っていた。
霧は深かったが、車のライトは濃霧の中でもはっきりと視認できたため、後ろをついて行くことはさほど難しいことではなかった。
しかし、先行していたキリサキの車が突如急ハンドルを切り、道路を大きく回転しながら横滑りして行ったのだ。
あまりに突然の出来事に、驚いてこちらまで手元が狂いかけたものの、何とか転倒は免れた。
そしてほんの一瞬遅れて、霧の中を眩い光と共に雷鳴が轟き――そして、辺りはそれまでの白い霧の世界から、見覚えのあるおぞましい景色に変わっていたのである。
漆黒の闇の中を、シビルのライトの明かりが照らし出す。
ライトに照らされて円形に浮かび上がる景色は、まさに直視に耐えない代物であった。
以前ならコンクリートやレンガで作られていた塀は、血の色にも似た赤錆に侵食された金網と化し、建築物のそこかしこが、赤い血肉で構成された気色の悪いオブジェで彩られている。
この街、今でもはっきりと覚えている。血と錆に支配されたこの禍々しい景色、間違いなくここは――あのサイレントヒルだ。
前回は霧に包まれた、ここに比べれば格段に穏やかな景色の中でスタートしたが、今度のスタートは最低最悪の形となってしまった。
シビルは全身を襲う絶望感をなんとか押さえつけ、今はキリサキとユカリの安全を確保すべしと、警官である自分を奮い立たせた。
この街に跋扈する怪物は光と音に敏感だが、ここは止むを得ない。
「キリサキー!ユカリー!無事なのー!?」
シビルはひとまずバイクを適当な壁の傍に停め、危険を承知でライトをあちこちに向けながら、闇に向けて何度も声を張り上げた。
すると、しばらくして小さく「こっちだ」とキリサキの声が聞こえ、シビルは自分でも驚くくらい安堵した。
キリサキの声を頼りに、シビルは震える足を叱咤しながら闇の中を慎重に慎重に歩いて行った。
シビルがバイクを停めた数十メートル先に、キリサキの車があった。
車は真正面から太い鉄の柱に受け止められ、酷い有様となっている。
その太い鉄の柱には、外部の者を歓迎するための看板が取り付けられており、すっかり赤く錆び付いたそれには、『サイレントヒルへようこそ』という死刑宣告が綴られていた。
垂れ下がる赤錆が血のようにも見え――いや、本当に血なのかもしれない――、ただの看板なのにグロテスクであった。
ああ、また来てしまった。もう二度と、ここには来たくなかったのに――シビルは深く溜め息をついた。
不幸中の幸いか、運転席と助手席ははかろうじて人ひとりぶんのスペースを保っていた。
その潰れかけた運転席の中から、頭部から出血したキリサキがよろよろと抜け出してきた。
「大丈夫?」
「まあ、なんとかな…」
キリサキは車体の感触を手で確かめながら後部座席のドアを開け、シビルのライトの明かりを頼りに、荷物の中から自前の懐中電灯と救急キットを取り出す。
シビルは車の反対側に回り、助手席でぐったりしているユカリの様子を確認した。
ユカリは頭部から出血しており、鮮血がアジア人特有の真っ直ぐな長い黒髪を濡らし、青褪めた肌を赤く染めている。
首筋に指を当ててみると、若干弱弱しいが確かに脈が感じられた。
鼻腔からも出血が認められるが、その他は特に怪我はなさそうだ。
シビルはユカリの応急処置を引き受け、キリサキが持っていた応急セットで手早く傷の手当てを施していく。
幸い彼女の傷は見た目ほど酷くはなく、頭皮が数箇所裂けている程度であった。
ユカリの頭に包帯を巻き、顔にこびり付いた汚れを丁寧に拭ってやる。
掠り傷など他の箇所の手当てもあらかた終えた頃には、キリサキは自身の手当てを済ませており、この状況下においても紫煙をくゆらせているのか、暗闇から煙草の香りが漂ってきた。
キリサキは頭部に包帯を巻いており、多少の出血が窺えるが、意識ははっきりしているようである。
そしてこの悪夢のような景色にもかかわらず、今までの飄々とした態度を崩さずにいた。
「長谷川は?」
「命に別状はないみたい。じきに目が覚めるわ」
「そうか」
「…ちょっとは動揺したら?」
「そりゃあ多少はな。だがむしろ今は興奮してるよ。俺がわざわざアメリカまで来たのは、まさにここに来るためなんだからな。…それにしても、予想していたより随分とゴアな眺めだな」
そういえば、この男はシビルの元へ戻ってきた際(この現象もサイレントヒルのせいかもしれないが)、この街に身内の命がかかっていると言っていた。
ユカリもバリケードで初めて出会った時、この街で友達が待っていると懇願していた。
――魔女や邪神が消えてもなお、相変わらずこの街は誰かを引き込み続けているらしい。
「とにかく外は危ないわ。…中も安全とは言えないけど、ひとまず安全な場所まで行きましょう」
「案内よろしく頼むぜ、センパイ」
失神したままのユカリをキリサキが背負い、暗闇を跋扈する“何か”を避けながら、二人は一番近くの骨董屋に避難した。
幸い中に危険なモノはおらず、ユカリをアンティークのソファに横たえてから、シビルは瀟洒なアンティークチェアに、キリサキは年代物のチェストに腰掛けて、事故を起こす直前に起こった出来事を語った。
彼曰く、突然霧の中から小さな少女が現れ、慌てて急ハンドルを切ったのだという。
その少女の特徴を聞いた時、シビルは心臓が縮むような感覚を味わった。
――黒髪を後ろに束ね、紺色の制服を身に付けた、白人の少女。
ただでさえ事故の衝撃で頭がくらくらするのに、その少女の姿が頭に蘇った途端、失神寸前まで視界が揺らめいた。
なぜだ?あのハリー=メイソンの娘が、ダリア=ギレスピーという狂った母親によって人生を狂わされた不幸な娘が、なぜ今になって!?
彼女はハリーの奮闘によって赤ん坊に生まれ変わり、彼の娘として新たな人生をスタートしたはずだ。
それなのに――サイレントヒルに一体、何が起こっているというのだ!?
恐るべき事態に打ちのめされ、シビルは言葉を発することができなくなっていた。
「大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
キリサキが気遣う言葉をかけてくれるが、それに返す言葉が見つからなかった。
「…何か知ってるな?詳しく話してくれ」
ただごとではない空気を感じ取ったキリサキが、鋭い目つきで詳細を求める。
シビルはいったんユカリの様子を確かめてから、あの少女の身に起こった悲劇、そして彼女の身に降りかかった不幸の源である、サイレントヒルを支配する“神”についてを語った。
学者に対し、この荒唐無稽な話を信じてもらえるかという懸念は頭の隅にあったが、それでも、話さずにはいられなかった。
誰かに話さなければ、頭の中がどうにかなりそうだった。
過去の忌まわしい記憶が完全に甦ったシビルにとって、一言も口を挟まず、黙って悪夢の話を聞いてくれるキリサキの存在が、この上なく頼もしく、ありがたかった。
「なるほど、やはり実際に起こった事件があったというわけか…」
全てを聞き終えたキリサキは、深く息を吸って煙草の煙を杯に溜め込むと、一息にそれを吐き出した。
ライトの明かりに浮かび上がる煙草の紫がかった煙が、黒い景色の中に消えていく。それを眺めながら、シビルは彼の次の言葉を待った。
「土着信仰がキリスト教の影響を受けながらも、異界の存在を召喚するほどの力を持つというのはなかなか面白い展開だ。そういえば、この付近の土地はかつて先住民の聖域だったという話もあったな…」
「こっちにしてみれば、面白いどころの話じゃないんだけど」
「ハハハ、悪い悪い。…さて、こうして俺達が再びサイレントヒルに迷い込んだということは、そのアレッサ=ギレスピーがいなくなっても、街が持つ異質な力はまだ失われていないということになる。これは調べ甲斐がありそうだな」
キリサキの三白眼が、子供のようにキラキラと好奇心で輝いている。
シビルからしてみれば、この男の脳内も異世界のように感じられた。
そもそも第一印象からして胡散臭いとは思っていたが、こうして話してみると胡散臭いどころのレベルではない。
邪神を召喚しようとする魔女の話を淡々と受け入れ、こうして怪異に巻き込まれても動揺するどころか、むしろ喜々として首を突っ込もうとするとは、相当な変人である。
『胡散臭い民俗学者』から、『シビルの物差しでは到底計りきれない、凄まじく変わり者の民俗学者』へ――シビルの脳内では、彼のデータはそんな風に更新された。
「それにしても、なぜ今になってアレッサが…?あの時全て解決したはずなのに」
「今のところは何とも言えないな。ま、少なくともここでじっとしてても解らんのは確かだ」
話が終わると、キリサキはほぼ半分の長さになった煙草の灰を指で叩き落とし、短くなったそれを再び口元へ戻した。
「出血してるんだから、煙草は止めなさい」
「悪いな。コレがないと落ち着かないんでね」
キリサキはにやりと悪びれない笑みを見せた。
シビルは呆れる反面、彼のその何事にも動じない飄々とした態度によって、わずかな安心感にも似た余裕が心に生まれたのを感じていた。
しかし、その余裕はすぐに消えることとなる。
にわかに空気が和らいだその時、壁に奇妙なチラシが張られているのにキリサキが気が付いたのだ。
キリサキはチラシを破り取ると、それを懐中電灯で照らしながら興味深そうに裏表を確認したのち、実に意外なことを尋ねてきた。
「…シビル、あんたパラレルワールドって言葉を知ってるかい?」
「え?…聞いたことはあるけど、それが何か?」
「パラレルワールドを題材にした創作は数多く存在する。日本では、数年前に近未来の日本を舞台にした小説が映画化されて大ヒットしてな、そのショッキングな内容が社会現象になったもんだ」
「へえ、どんな話?」
「中学生が政府によって修学旅行と称して孤島に集められ、殺し合いをさせられるんだ。生き残ったたった一名の生徒は、政府から手厚い保護を受け、将来が約束される」
「モメそうな内容ね」
「ああ、大モメだったぞ。丁度その頃、青少年の凶悪犯罪が世間の注目を集めてたから、公開にあたっては年齢制限がかけられてな。肝心なターゲット層の中学生が見られなかったというオチが付いた」
「そう…で、それがサイレントヒルと何の関係が?」
本題になかなか入らないキリサキに苛立ち、詰問に近い口調となる。
そんなシビルの前に、キリサキは先程まで読んでいたチラシをかざして見せた。
差し出されたチラシを受け取り、裏表両方に目を通したシビルは、その内容に思わず目を見開いた。
そこには、先程キリサキが話した映画のように、この街での殺し合いを推奨し、最後に生き残った一人に望み通りの褒美を出す旨が書かれていた。
これだけなら、誰かが戯れに作った悪趣味なジョークチラシで済むが、問題はその裏面に載せられた名簿だった。
シビルを驚かせた原因は、その名簿に記された50の名前の中にあった。
それは、かつて共に修羅場を乗り越えたハリー=メイソンの名と、地獄に落ちたはずのマイケル=カウフマンの名、そして――たった今サイレントヒルに辿り着いたばかりの、シビル達の名であった。
名簿には東洋人の名も数多く連ねられており、恐らくこの中にキリサキが探している人物の名もあったのだろう。
キリサキの三白眼は刃物のように鋭く光り、白煙を吐き出した唇が、低く挑戦的な声音で言葉を紡いだ。
「このご大層なイベントの主催者に、是非とも会ってみたいものだな」
【E-1骨董屋店内/1日目夜】
【長谷川ユカリ@トワイライトシンドローム】
[状態]頭部と両腕を負傷、全身に軽い打撲(いずれも処置済み)。現在失神中(あと数分で覚醒)
[装備]なし
[道具]ショルダーバッグ(パスポート、チサトからの手紙?、オカルト雑誌@トワイライトシンドローム、食料等、他不明)
[思考・状況]
基本行動方針:チサトとミカを連れて雛城へ帰る
1:起きたらチサトとミカを探す
【霧崎水明@流行り神】
[状態]精神疲労(中)、睡眠不足。頭部を負傷、全身に軽い打撲(いずれも処置済み)。現在軽い興奮状態
[装備]無し
[道具]謎の土偶、紙に書かれたメトラトンの印章、自動車修理の工具、食料等、他不明
[思考・状況]
基本行動方針:純也と人見を探し出し、サイレントヒルの謎を解明する
1:サイレントヒルは実在したようだ
2:長谷川とシビルは異世界の人間だが、今は黙っておく
2:人見と純也を見つけたら、共に『都市伝説:サイレントヒル』を解明する
3:とりあえず長谷川が目覚めるまで待つ
4:そろそろ煙草を補充したい
※ユカリの話により、チサトとミカにも興味を持ったようです
※シビルと情報交換し、サイレントヒルの詳しい知識を得ました
【シビル=ベネット@サイレントヒル】
[状態]健康
[装備]10連装変則式マグナム@サイレントヒル210/10
[道具]旅行者用バック(武器、食料など他不明)、警察手帳、サイレントヒルの観光パンフレット(地図付き)
[思考・状況]
基本行動方針:サイレントヒルにいる要救助者及び行方不明者の捜索
1:事件は解決したはずではなかったの…?
2:とりあえずユカリが目覚めるまで待つ
3:前回の原因である病院に行ってみる
4:怪物に襲われた場合、二人の安全を最優先とする
※バイクはE-1の路上に停めました。鍵は付いていないので、道具とスキルがないと動かせません