罪と罰



“そいつ”の見てくれは、とりあえず人の形をしてはいたが、しかし人間ではないと断言できる代物であった。
一言で言えば、看護婦である。
ナースキャップを頭に乗せ、ボタンが外れて豊満な胸元を派手に曝け出す看護服を身に着けており、やや短めのスカートからは、モデルを思わせる長く美しい脚が伸びている。
男なら、下心をくすぐられても無理はない体型である。
しかし真冬はそういった色事には興味が無かったし、よしんば健康的な青少年であったとしても、そいつの顔を見れば、特殊な趣味嗜好を持つ男以外は、下心など軽く吹っ飛んでしまうであろうと確信する。

その信じ難いご面相に、真冬は思わず息を呑んだ。
――顔がない。
そいつの頭部は、目も鼻も口も存在を確認できないほど、腫瘍のようなもので腫れ上がっていた。
でたらめに捏ね上げた粘土細工で頭を覆っているかのようで、ナースキャップが無ければ顔の前後が区別できないほどである。
大きな瘤をいくつも膨らませた頭を小刻みに、時には苦しみ悶えるように大きく震わせながら、ぎこちない足取りでこちらに向かってくる様は、真冬の身体を石にするのに十分な破壊力であった。

雑誌には鬼と説明されているが、それを無条件に鵜呑みにできるだけの状況では、まだなかった。
電車の中を顔面を腫らした看護婦がうろつくなどという、おおよそ気違いじみた光景だけに、あまりにも突然な目の前の現状を、真冬はまだ受け止めきれずにいた。
どうするか?話しかける?否、話が通じる相手にはどうしても見えない。では攻撃か?
答えはすぐに決まった。なぜなら、その看護婦の手には、鈍く光を反射する黒い鉄の塊――拳銃が握られていたからである。

真冬は看護婦を刺激しないよう、少しずつ足を後ろへ踏み出して後退して行く。
目指すは車両を連結する扉だ。扉を隔てれば、とりあえず生身で銃弾を受け止めるよりははるかに生存率が上がる。
そして他の車両の中にいるかもしれない生存者を確認し、車掌に接触するなり何なりして事態を打開しよう。頭をフル回転させてそんな方針を固めた。
後になって考えてみれば、この異常な車両を果たしてまともな車掌が操作しているのか、非常に疑わしくはあったのだが、とにかくこの時は、目の前の危機を回避することで頭が一杯だったのだ。

前進する看護婦に合わせて、一歩、また一歩と後退していく。連結扉までの短い距離を、気が遠くなるほど長く感じるような時間をかけ、その動作を繰り返していく。
そして数メートルほど後退した頃、ようやく背中がひんやりとした板に触れる感触がした。
反射的に身を翻しかけて、その寸前で思い留まる。
不用意に行動を起こせば、看護婦を刺激して銃弾を浴びる可能性が高い。一瞬、ほんの一瞬でいい、あの拳銃を封じることができれば――

真冬は手に握り締めている湾曲した車両のパーツを見つめ、振り回すのに最適な質量を持つそれを手放すか否か、ほんの僅かに逡巡した。
その間にも、看護婦は拳銃を持つ手を水平に持ち上げる。金属が起こす冷えた摩擦音が聞こえた。
迷っている暇はない。真冬は手にしていた車両のパーツを、看護婦が構える拳銃めがけて投げつけた。

湾曲したラインを持つそれは真冬の狙いを大きく逸れ、一直線に看護婦の肩に直撃した。
それでも投げた甲斐はあった。看護婦の華奢な二の腕が大きく横にぶれ、体勢がやや斜めに傾く。パァンと乾いた破裂音が車内に鳴り響いたが、銃弾はあさっての方向に飛び出した。
チャンスだ。もはや一刻の猶予もない。弾かれたように連結用扉にかじりつく。
握り締めたドアノブに全身全霊の力をかけ、真冬は渾身の怒号と共に扉を押し開いた。

「うわあああああああっ!」

パァン。乾いた破裂音が列車内に響き渡り、熱の塊がちりっと頬を引っかく。
パァン。脇腹を熱い何かが掠めた気がするが、気にする余裕はない。身体を扉の向こうに押し込み、再び全力をもって鉄の扉を閉じた。
パァン。パァン。もう一枚、次の車両の扉を急いで開けた瞬間、2回破裂音が響いたが、一発目は扉にめり込み、二発目は分厚いガラスを貫いて床にその破片を撒き散らすに止まった。

最後の扉は閉まったが、不安はまだ治まらない。あの看護婦がドアを開閉する知性が無いという保障はどこにもないからだ。
座席の陰に転がり込み、縋るように周囲を見渡す。
最悪なことに、この無人の車両には、看護婦を撃退できるだけの素材は全く見当たらなかった。
やはりあれを投げるべきではなかったか?じりじりと後悔の念がせり上がってくる。

しかし、ふと、先ほどから銃声が聞こえてこないことに気が付いた。
頭をなるべく出さないように気をつけながらドアの向こうを見てみると、思考回路を持たないロボットのように、ドアの前で立ち往生している看護婦の姿が見えた。
真冬が身体を強張らせていると、看護婦はスイッチが切り替わったように突然踵を返し、よろよろと車両の奥へ戻ってしまった。
どうやら、あの異形の看護婦にはさして高い知能が備わっていないらしい。
真冬はようやく危機が去ったことを実感し、浅く呼吸を繰り返して安堵と不安を吐き出しながら、床の上にすっかり脱力した腰を落とした。


少し落ち着いてから、真冬は改めて周囲を見渡した。
車両は閑散としており、窓から見える空も真っ暗で、まるで終電のようである。だが、真冬の見慣れた日本の電車とは明らかに様子が違った。
吊り下げられた邪魔な広告が見当たらないし、立っている乗客を支えるのは、日本ではポピュラーな吊り革ではなく、先ほど真冬が手にしていた湾曲したパーツ――壁に取り付けられた持ち手である。
一体何がどうしてどうなって、こんなどこかの外国のような車両で目が覚めたのだろうか。
真冬は眠る前の記憶を思い起こしてみるが、思い浮かぶのはたった一人の肉親である妹、深紅のあどけない顔と、慣れ親しんだ自宅、そしてごくごく当たり前な車両の風景のみで、やはり答えは見つかりそうになかった。

とりあえず立ち上がろうと腰を浮かすと、脇腹がずきりと痛み、咄嗟に座席に手を突いてよろめく体を何とか支える。
気が付けば真冬の白い上着には真っ赤な染みが広がっており、その下に着込んでいる黒いシャツを捲り上げて脇腹を確認すると、横一直線に皮膚がざっくりと抉れていた。
4センチほどの裂け目からは、目も眩むような赤い鮮血が溢れ出している。
真冬は現実から逃げるようにぱっとシャツを戻した。
ほんの少し掠れただけなのに、熊に引っかかれたかのような威力。もし命中していたらと思うとぞっとする。
銃という文明の利器の破壊力を身をもって体感し、背中に嫌な汗が流れた。

車両の座席を一つ一つ確認しながら進んでいくと、まるで負傷した真冬のためにあつらえたかのように、座席の上に救急箱が置かれていた。
無人の電車に、ぽつんと放置されている救急箱――あまりに不自然だ。使っても大丈夫なのだろうか?
恐る恐る中身を確認する。
包帯、ガーゼ、消毒液、鋏、ピンセット、シート状の綿…至って普通の医療品が入っている。まだ真新しく、使っても問題なさそうだ。
小ビンに入ったアスピリンもあるが、流石に飲む勇気はなかった。
一体誰が?何故こんなものを?
得体の知れない存在によってばら撒かれたチーズに、何も知らずホイホイ吸い寄せられるネズミのような気分だ。
この餌の向こうに待っているのは、果たしてネズミ捕りか、それとも――

とりあえず傷の手当てをした後、真冬は車掌に会うべく先頭車両を目指した。
誰かいないかという期待は、扉を潜るたびにことごとく空振りする。車内は人っ子一人おらず、異界の住人にすら遭遇しない。
こんな夢、早く冷めてしまいたい。
閑散とした電車の中を、真冬は孤独感と戦いながら進み続けた。

次の車両の扉に手をかける。そしてノブを捻ろうとして、真冬の体が硬直した。
次の車両に――いる。異形の気配をはっきり感じる。
窓から次の車両の中を確認してみると、先ほど遭遇した異形の看護婦と全く同じ、頭を腫れ上がらせた看護婦が、車両のど真ん中で棒立ちになっている後ろ姿が確認できた。
しかし、この看護婦の場合、得物は拳銃ではなく、バールのようなものであった。

これは不幸中の幸いだ。拳銃を相手にするよりは、いくらか勝てる見込みがある。
向こうはこちらに気が付いていない。この隙を突けば勝機が掴めるが、どうする?失敗は許されない。自分にできるか?
自問自答を繰り返し、真冬は静かに決断を下した。
――やるしか…ない。

なるべく音を立てないよう、静かにドアノブを捻り、慎重にゆっくりと扉をスライドさせ、身体を車両の連結部に滑り込ませる。
次の車両にいる看護婦に、どこもおかしな動きはない。気づかれていないようだ。
そして、次の車両のドアノブに手をかけ、今まで以上に慎重にノブを捻る。
まず指一本分開く。気づかれない。
さらに開き、手が通るくらい開く。まだ大丈夫だ。
もう一息。ついに肩までが通るくらいまで開いた。
…いける!

次の一押しで、真冬は勢いよく車両の中に飛び込んだ。そのまま反応しかけている看護婦の背中めがけ、渾身の当て身を食らわせる。
吹っ飛ばされた看護婦はもんどりうって床に倒れこんだ。
体勢が崩れたのを狙って、真冬は看護婦の上半身に跨り、そいつが持っていた得物――バールと思っていたが、実際は鉄パイプだった――を奪い取った。

服に掴みかかろうとする看護婦の手に構わず、真冬は目をぎゅっと閉じて鉄パイプを振り下ろした。
鉄パイプから伝わる、柔らかい肉と、その下の硬い骨を叩く感触のあまりの生々しさに、頭の中が真っ暗になりかける。
頼む、早く動かなくなってくれ…!
ひたすら強く願いながら、真冬は無我夢中で鉄パイプを振るい、看護婦が完全に動かなくなるまで、力の限り打ちのめし続けた。

ようやく看護婦を叩きのめすと、真冬はもはやただの肉塊と成り果てたそれの横に腰を落とし、肩で息をしながら、闇に引き篭もろうとする意識と必死に格闘した。
元より真冬は誰かを攻撃することは苦手だ。まして異形とはいえ、血肉を持つ生身の生き物が相手なら尚更である。
こうして血の通った生き物に力を振るうなど、今までなら考えられない行為だった。
たとえ相手に、こちらを殺そうとする意思があったとしてもだ。

とにかく、このままじっとしているわけもいかない。
真冬は血まみれの鉄パイプを支えに、震える足腰を無理矢理動かしてゆっくりと立ち上がった。
黒い窓に映り込む自分の顔は、まるで亡者の仲間入りをしてしまったかのように、すっかり血の気が引いて憔悴しきっていた。返り血も少し付いている。
こんな格好、深紅にはとても見せられない。あまりの気まずさに、黒いシャツの裾で顔の返り血を拭う。

さて、ようやく先頭まで辿り着いた。早く車掌に会って、この電車が見舞われている異常事態を話さねばなるまい。
そこまで考えながら操縦席の扉のノブを握り、ふと、真冬はある違和感に気が付いた。
これだけ大騒ぎしたのに、一向に車掌が出てくる気配がない。
それどころか、車掌がいるはずの扉の向こうに――人の気配が、ない。
まさか、いや、そんなはずは。
勇気を振り絞り、真冬は扉のノブを捻った。鉄の重い摩擦音を響かせながら、操縦席の扉がゆっくり口を開く。
突然、凄まじい突風が顔面を直撃した。何が起こったのか解らず、真冬は反射的に手で顔を覆う。

「…一体…どうなってるんだ…!?」

目の前に広がる光景に、真冬は瞬きすら忘れて呆然と呟いた。
扉の向こうには何もなかった。
ただ一本のレールのみが、真冬の未来を突きつけるかのように、暗闇の彼方に向かって真っ直ぐ伸びているだけであった。


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鬼特集その8~闇人~
零式・甲式・乙式の三種類いる、冥府からのお客さんだよ。
とっても賢い人たちなので、騙されないように気をつけてね!
彼らにとって光は大敵。その敏感な肌を守るため、常に厚着をしている苦労人だ。
可哀相なので、良い子のみんなはライトの光を当てないように。カメラのフラッシュも厳禁だ。ロビー君との約束だよ!

今回取り上げた鬼は、まだまだほんの一握り!
これからもドンドン追加しちゃうから、参加者のみんなは楽しみに待っててね!
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あれから時間を持て余し、しかたなく車内で拾った薄気味の悪い雑誌に目を通し終えた直後のこと。
車輪がレールと擦れあう金きり音が鳴り響き、真冬はぱっと顔を上げて外を見た。
窓の外には相変わらず厚い闇のカーテンしか見えないが、体が後ろから圧される感覚からして、どうやらこの電車はようやく停止するらしい。
圧迫感がなくなったのに合わせ、車両の出入り口が一斉に口を開く。
それと同時に、外からむわっと車内に雪崩れ込んできたむせ返るような瘴気に、真冬はたまらず顔を顰めた。
酷い空気だ。この車両内のなんとも言えない圧迫感も不快だったが、外の空気はそれ以上だ。吐き気すら感じる。

駅に到着しさえすればなんとかなるかと思っていたが、とんだ思い違いだった。
ここはもはや、真冬の知っている日本ではない。この駅を出たとしても、電車に戻ったとしても、氷室邸に辿り着くことも、家に戻ることも決してできないだろうと確信できた。
あの異形の看護婦がたむろする電車で目覚めた時点で、既に真冬は、虫かごに放り込まれた哀れな虫けらに過ぎなかったのだ。

とりあえず出入り口の前に立ち、ショルダーバッグの中から懐中電灯を取り出して足元を照らす。
想像していたコンクリートの足場はなかった。代わりに、赤茶けた鉄で構成された金網の床が広がっていた。
ライトの光をあちこちに移してみても、真冬が期待していたまっとうな駅の風景はどこにもない。
あるのは錆びついた金網の仕切りと、ところどころで蠢く異形の影、そして――

それが目に入った瞬間、真冬は心臓を握り潰されるような感覚を味わった。
博物館に展示された本物の人体標本のように、それは骨や内臓の断面図を曝け出している。
恐らく白人だろうか。金髪の“彼”は、頭の天辺から下半身にかけてをスイカのごとく左右真っ二つにかち割られ、飛び散った血と肉片の上に横たわっていた。
なんてことだ…!
一体どうすればこんな人間離れした真似ができるのだろう。人間を、それも大の大人を、頭から真っ二つにするなど!

喉から酸っぱい臭いがこみ上げる。思わず口元を手で覆い、今まさに逆流せんとする消化液を必死で押さえ込む。
こんな所からは一刻も早く離れたい。いや、なんとしても離れなければならない。
手足が震えて言うことを聞かないが、それでも動かねばならない。
左右別々に分かたれた虚ろな目から顔を逸らしつつ、とにかくなんでもいいから出口を探そうとした、その時だった。

『かわいそうに…』

誰かを哀れむ男性の小さな囁きが、真冬の背中に降ってきた。…真っ二つになった、白人男性の方からだ。
そのあまりに悲哀に満ちた響きは、頭の中を支配していた吐き気をもよおすほどの恐怖を僅かに薄れさせた。
普段なら、滅多なことでは自分から異界の者にコンタクトは取ることないのだが、この状況に陥って始めて遭遇した“心ある存在”を、どうしても無視できなかった。

意を決して振り返る。予想通り、あの真っ二つにされた亡骸の主がぼんやりとした輪郭で佇んでいた。
顔を鮮血に染めてはいるものの、さすがに真っ二つのままではなく、それが真冬にとって救いであった。

「…僕の言葉、解りますか?」

真冬の問いかけに、彼は「ああ」と小さく頷いた。
日本語で話しかけておいてなんだが、外国人と普通に意思疎通できるのが不思議だった。

「貴方は、どうしてここに?」
『…メアリー…妻に会いに来たんだ…』

彼――ジェイムズ=サンダーランドは、おぼろな声で、ぽつりぽつりと自らの半生を語り始めた。
不明瞭な声から紡がれる記憶の一つ一つをなんとか繋ぎ合わせてみるに、どうやら彼は、死んだ妻から手紙を受け取ったと思い込み、彼女との思い出が詰まったこの街へ再びやって来たらしい。
そして妻と過した懐かしいあの場所で、この手で殺したはずの彼女――もしかすると、それすらも彼の妄想の産物かもしれないが――と再会したことで、それまで忘れていた、否、逃げていた現実を思い出し、全ての贖罪のために湖へ己の身を沈めた。

――ところが、どうも彼は死にきれなかったらしく、気が付くと湖の岸辺に横たわっていたという。

『これは私の妄想の続きなのか…それとも、これこそが私の煉獄なのか…』
「…それで、なぜこんな姿に?」

真冬の問いかけに対し、ジェイムズは己の無残な体を見下ろしながら、何かを悟ったかのような、諦めたような、絶望したような、そんな酷く穏やかな声音で呟いた。

『私は罰を受けたんだ』
「…罰?」
『そう…妻をこの手にかけ、その上彼女の意思を…裏切ってしまった罰だ。…君は、どんな罪を犯したんだ?』
「僕は…」

――何もしていない。そう声に出す寸前で、真冬は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「…分かりません。ここに来てから解らないことだらけです。もしかしたら、本当は知らないうちに誰かを傷つけたり、犠牲にしたりしているかもしれない…」
『そうか…』

気のせいかもしれないが、彼のぼやけた表情が、少し哀しげに揺らいだように見えた。

真冬が会話を続けようと口を開きかけた直後、駅の構内に設置されているスピーカーが、突如として耳障りなノイズを発し始めた。
ここには自分しかいないと思い込んでいたが、どうやら他にも誰かがいるらしい。
ノイズは次第に鮮明になっていき、この血と錆で彩られた世界観にはおよそ不釣合いな、賑やかな歓声が聞こえてくる。
酷くシュールな歓声が収まると、ラジオのDJよろしく陽気な男性の声が、ご機嫌な挨拶口上を述べてから、クイズに参加する幸福で不幸な挑戦者と称して、3名の名前を読み上げた。
その中には、今こうして会話を交わしているジェイムズの名も含まれていた。…つまり、死亡者リストというわけだ。
クイズ形式を取ってはいるが、その問題と選択肢はまるで、たった今ここに辿り着いたばかりの真冬に向け、この街におけるルールを解説しているかのようであった。

たった一人になるまで、殺し合いをする――そんな日常からかけ離れた、たった一つのおぞましいルールが、この街――サイレントヒルを支配している。
信じ難い。が、今まで次々と経験した怪異の数々が、そしてジェイムズの目を覆うような骸が、そのルールを否応にも信じざるを得なくするのだった。

挑戦者として名を呼ばれたジェイムズは、果たしてどうするのか?真冬は彼の反応を待った。

『いいか…君は絶対に、この世界の馬鹿げた掟に…囚われてはいけない…』

彼にとっては、もはや褒賞などどうでもいいことなのだろう。ジェイムズは放送を全て無視し、真冬に向かって諭すように語りかけた。
――私のようには、決してなるな。
最後の言葉には、そんな願いが込められているような気がした。

ご機嫌なDJの爽やかな挨拶と共に放送が終わると、ジェイムズは輪郭の虚ろな瞳で真冬を見つめながら、暗闇の中へ溶け込むように消えていった。
真冬は、今度こそ独りになった。

「…ありがとう、ございました」

ここで心を折るわけにはいかない。目を背けるわけにはいかない。
なぜこんな異常な事態に巻き込まれているのかは解らないが、きっと何か重要な意味があるに違いない。
それを確かめるまでは、決して逃げてはいけない。
そして何より、今ここで挫けてしまっては、たった一人で自分を待っている深紅のもとに、二度と帰れなくなる――そんな気がするのだ。

暗闇にたった一人残された真冬は、ジェイムズの亡骸にそっと別れを告げる。
彼の言葉を胸の奥に秘め、闇を切り裂くたった一つの懐中電灯と、血に濡れた鉄パイプを強く握り締めながら、吐き気をもよおす瘴気の漂う血と錆の世界に、力強く一歩を踏み出した。
頭の片隅で、この先に待ち受けている、ジェイムズがあの壮絶な最期を迎えるまでに味わったであろう救いのない悪夢を予感しながら。



【D-5駅構内/1日目夜】
【雛咲真冬@零~ZERO~】
[状態]脇腹に軽度の銃創(処置済み)、未知の世界への恐れと脱出への強い決意
[装備]鉄パイプ@サイレントヒルシリーズ
[道具]メモ帳、射影機@零~ZERO~、クリーチャー詳細付き雑誌@オリジナル、ショルダーバッグ(中身不明)
[思考・状況]
基本行動方針:サイレントヒルから脱出する
0:ジェイムズさん…
1:この世界は一体?
2:とにかく駅から出る
3:街で生きている人を探す


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暗中模索/臨戦態勢/カンニング 雛咲真冬 猫歩肪当(猫も歩けば棒に当る)

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最終更新:2012年06月21日 21:14