愛と罪が集う街(前編)




「なるほどな…武蔵野か…」

サイレントヒルへ向かう道すがら(正確には、サイレントヒルと思われる付近を往復しているのだが)、
長谷川ユカリがこれまで岸井ミカや逸島チサトと体験した心霊体験を、好奇心に目を煌かせながら聞いていた霧崎水明は、煙草を燻らせながら呟いた。

「武蔵野のフォークロアは昔から興味があったが、特にヒメガミサクラや防空壕での体験談は興味深い。文明の進歩によって廃れた風習や旧日本軍に関する都市伝説は数多いが、
それらに関わった人間達の残留思念が現代社会まで色濃く残り、現代人の前に実体を持って姿を現すケースは非常に稀だ…一度、その岸井ミカの持っている写真やテープをじっくり検証したいな」
「あんまり期待しない方が良いと思うけど」

ユカリとしては、岸井ミカと言う少女がオカルトに熱を上げるのは、この霧崎という男のような知的好奇心からというのもあるだろうが、大部分はスリルで、残りは金銭目的の色が強いように思う。
実際、ミカは何かしら心霊現象をフィルムやテープに収めると、それらを大喜びでオカルト雑誌やアラマタのような物好きに投稿しては、次の活動資金を得ている。
裕福な家庭に育ったくせに金銭にはシビアなミカが、彼に対して求める報酬額は、はたして如何ほどなのやら。

「ていうかおじさん、あたしの話、信じてくれるんだね。学者ってもっとカタブツかと思ってた」
「学者をあまり舐めない方が良いぞ。学問の基本は好奇心、疑問を徹底的に突き詰めることだ。あんたの体験談は一見して荒唐無稽だが、目立ちたがりが喋るホラ話とは決定的に違う部分がある。偽証にありがちな曖昧な箇所・疑わしい箇所がほとんどない。実際あんたは、
 俺の突っ込んだ質問に対して矛盾のない答えを返してきた。
 偽証ならこうはいかない。
 徹底的に突っつけば嘘に嘘を重ね、いずれ綻びが見えてくるもんさ」
「でもさ、嘘を吐いてないとしても、見間違いだとか、幻覚を見たんだとか考えないわけ?」

霧崎は煙草を咥えた唇を、にやりと口角をつり上げた。


「俺にとって重要なのは、あんたの話す都市伝説の中に“何が隠されているか”さ。都市伝説とは、
 それが生まれた時代の裏側を映し出す鏡のようなものでね。分かりやすい例では、明治時代に“電線に処女の生き血を塗っている”や、“電線からコレラが感染る”等の都市伝説が生まれたが、
 それらは最先端技術に対する無理解から来ているといわれている。
 数千数万のフォークロアの中から、時代を象徴する何かが見えた瞬間――それが民俗学の真骨頂だ」
「ふうん…」

霧崎の話の長さに、ユカリは思わず欠伸を噛み殺した。
この男、興味がない話はほぼ5文字以内で足りることしか言わないのだが、いったん興味を持って喋りだしたら止まらない。
特にユカリが体験した怪談に対する反応たるや凄まじく、ユカリの話が終わった後は自身の考察を洪水のように際限なく語りだす。
彼はこの1時間ほぼ喋り通しで、その内容は一体レポート用紙何枚分になるのか分からない。
サイレントヒルに到着するまでに、ちょっとした本が一冊書けてしまうのではないかと思えるほどであった。
聞くところによると、どこかの大学で教鞭をとっているらしいが、まあなんというか、天職であろう。
1時間近く好きなだけ喋り倒せるのだから。

霧崎が「で、他には?」と次の都市伝説をせがむ。
ユカリが昔の記憶を思い起こそうとして何となく空を見た、その時だった。


「あれ?あれってさっきの…」
「…バリケードを張ってた警官だな」

霧の向こうから、先程道路でバリケードを築いていた、ブロンドの警官がバイクに乗って現れたのだ。
おかしい。確かにユカリと霧崎は、彼女の制止を振り切って道路を真っ直ぐ突っ走っていたはずだ。
地図によれば、この道路はほぼ一直線であり、先回りできるような脇道は存在しない。
にもかかわらず、真正面からあの警官と遭遇した。これはどういうことか。

「…ループしてるな」
「え?」

聞き返すユカリに、霧崎は煙草を燻らせたまま何も答えず、車のスピードを緩めていく。
警官はこちらを確認すると、行く手を遮るようにバイクを横にして停め、霧崎に停車するようジェスチャーで促す。
やはり、制止を聞かずに発進してしまった件を罪に問われるのだろうか。しかし、ここで諦めればチサトやミカたちはどうなってしまうのか。
ユカリの心を懸念と焦りが侵食していくが、霧崎は仕方なくと言った風に溜め息と共に白煙を吐き出し、警官のバイクに接触する数メートル手前で停車した。

警官がバイクから降りてこちらへ走り寄り、運転席の窓をコンコン叩く。
霧崎は素直に窓を開け、警官は身を屈めて窓際に腕を置き、こちらと目線を合わせた。

「なぜ戻って来たの?」

警官はサングラスを外し、透き通るような青い瞳でじっと霧崎とユカリを見つめた。
間近で見ると、端正な顔立ちの美人だ――ユカリは少し感心しつつも、緊張の面持ちで霧崎と警官のやり取りを見守る。

「"戻って来た”ということは、サイレントヒルは実在するんだな?」
「この道路はサイレントヒルに繋がっていると、さっき言ったはずだけど」

警官の疑惑が入り混じった返答に、霧崎は何か確信を得たかのようなしたり顔になった。

「やはりな…えーっと、あんたは――」
「シビル。シビル=ベネット巡査。シビルで良いわ」
「分かった、シビル。俺は霧崎水明、日本の民俗学者だ。さっきは手荒な真似をしてすまなかったな。だが、こっちは急を要するんだ。
 どうしてもサイレントヒルに行きたい。身内の命がかかってるんでね」

フォークロア話以外では、終始気だるげな口調でユカリと話していた霧崎が、酷く真面目な目つきでシビルに語りかける。
シビルというその警官は、何かを見定めるように霧崎の鋭い眼光をじっと見据えたが、ついに根負けしたのか、大きな碧眼をすっと伏せて溜め息を吐いたかと思うと、 
再び目を開いてこちらを見つめ返した。


「あそこはとても危険なところよ。だから、私も同行する」
「えっ?」

何かを覚悟したかのように、シビルは有無を言わさぬ強い口調で言った。
ユカリは、今まで頑なに通行を阻んでいた彼女の突然の軟化に驚きを隠せなかったが、これで誰にも咎められずにサイレントヒルに行くことができるならと思い直し、それ以上は何も言わなかった。
だが、その前に何か引っかかる言葉がなかったか。“あそこはとても危険”と、そう言ってはいなかっただろうか。
何が危険なのだろう。チサトがあそこで待っていることと、何か関係があるのだろうか――ユカリの胸に、例えようのない胸騒ぎがじわじわと広がっていく。

同行を申し出たシビルに霧崎も異論はないらしく、このままユカリを乗せてサイレントヒルのある場所を往復し、後ろからシビルがバイクで追うという形で話が纏まった。
シビルがバイクに乗ったのを確認すると、霧崎はハンドルを切って再びサイレントヒルへ向かう。

「ねえ、おじさんってサイレントヒルのこと、何か知ってる?」

すぐ真後ろを付いてくるシビルのバイクをバックミラーで確認した後、ユカリは胸騒ぎに耐えられず、霧崎に話しかけた。
胸騒ぎを忘れさせてくれる、論文が一本書けそうな長話が始まることを期待して。

「俺が聞いたサイレントヒルの噂は、曰く『常に霧が立ちこめており、そこに迷い込むと、奇怪な怪物に襲われる』とか、『迷い込んだ者は魔女の生け贄にされる』とか、そんな話だ。しかし、その奇妙な怪物に襲われたという人間も、
 魔女の生贄にされたという人間も見つからない。
 噂の出所を追及すれば、結局は“F.O.A.F”――Friend of a Friend、友達の友達――という結果に行き着く」


ユカリの期待に反して、霧崎の答えは、それまでフォークロアについて喜々として喋り倒していた姿からは想像もつかないほど中身が薄かった。ほとんど、噂の触りだけである。

「…それだけ?今まで言ってた、時代のウラがナンタラってのは?」
「それを、これから調査するのさ。この街はなかなか面白い。大抵の都市伝説にあるような時代背景や、
 バックボーンといったものが何もない。普通は噂が発生した時期を調べれば、出所が大体把握できるはずなんだが、サイレントヒルの発生時期は特に決まったものはなく、まずサイレントヒルという街ありきで噂が自然発生し、肉付けされている。つまり、
 サイレントヒルという街自体が噂の発信源である、と俺は見ている」

よくは解らないが、サイレントヒルという街は、思っていた以上に異質な街らしい。


ユカリはショルダーバッグから一冊のオカルト雑誌を取り出す。
失踪したチサトから手紙が届き、サイレントヒルの存在を知った際、ミカが失踪する直前に口にしていたのも、サイレントヒルというゴーストタウンだったことを思い出し、わざわざミカが持っていたのと同じ雑誌を出版社から取り寄せたのだ。

あの時――二人と喧嘩別れした時、恋人との不仲による精神的疲労に加え、試験の追い込みという修羅場の真っ只中にあり、半ばテンパっていた。
そこへ空気を読まずに外国のゴーストタウンについて喜々として語るミカに我慢できなくなり、思わずきついことを言ってしまった。
そしてミカが帰った後、些細なことでチサトとも口論になり、結局、喧嘩別れしたまま二人は失踪してしまった。

――あんなこと、言うんじゃなかった。
強い後悔の念を噛み締めながら、ユカリはオカルト雑誌をめくり、目的地であるサイレントヒルについて書かれたページ(アラマタが執筆したものだ)をぼんやりと眺める。
そこには、先ほど霧崎が語ったサイレントヒルにまつわる都市伝説と、その考察が書かれている。

重い気持ちで文面を流し読みしていると、車を運転している霧崎が、合間にちらちら横目で見てくることに気づいた。
その妙に熱を帯びた視線は、サイレントヒルの記事に注がれている。

「…何、その目」
「面白そうだな。読んでくれ」
「は?…今?ここで?」
「嫌ならいい。自分で読もう」
「ちょっ、待って!分かったから!」

霧崎の片手がハンドルから離れて雑誌に伸びて来たため、焦って承諾してしまった。
手をハンドルに戻した霧崎の口角がにっと上がる。それはまさに、イタズラを成功させた悪ガキのそれであった。
――こ、このオヤジ…
からかわれたことに気づいたユカリは全力で霧崎を睨みつけ、心の中で悪態を吐いてから、完全な棒読みではあるが、サイレントヒルの記事を朗読し始めた。
しかし不本意ながらも、この霧崎のちょっとした悪戯心のお陰で、それまで胸を締め付けていた不安や胸騒ぎが、ほんの僅かに和らいだのは確かである。
得体の知れない変人ではあるものの、霧崎水明という男は、そう悪い人間ではない。ユカリは何となくそう感じていた。


霧崎はアラマタの記事が気に入ったらしく、朗読が終わるや否やその内容についてしこたま喋り倒した。
その長々としたBGMが終了した頃には、彼の煙草の吸殻は蓋が閉められなくなるほど灰皿から溢れ返り、車内にはすっかり煙草の臭いが染み付いていた。
気が付けば辺りは薄暗くなり、車のライトが照らすのは、乳白色の霧のカーテンのみ。
方向感覚がすっかり曖昧になり、ちゃんと道路の上を走っているのか、いや、前に進んでいるのかすら怪しく感じてくる。
バックミラー越しに、シビルの乗るバイクのライトが霧の中からぼんやり浮かんでいるのが見えるが、果たしてそれは、本当にシビルのバイクのライトなのだろうか?

隣で煙草をふかしながらハンドルを握る霧崎に、不安を訴えようとした矢先――
霧のカーテンから突然、黒髪の小さな少女が現れた。
こちらに気づいた少女は黒目がちの目を一際大きく見開き、咄嗟に両手を顔の前に掲げる。

「危ないっ!!」

ユカリが叫ぶのと、霧崎が舌打ちをしながらハンドルを切るのはほぼ同時だった。
ジェットコースターに乗せられたように大きく視界がぶれ、タイヤがコンクリートを擦る音と共に激しく頭を揺さぶられる。
手元からショルダーバッグが飛び出し、満杯状態の灰皿から煙草の吸殻が勢いよく車内に舞い散った。
ほんの数秒のことだったかもしれないが、ユカリの目には全てがコマ送りとなって鮮明に頭に焼きついていた。
そして次の瞬間、雷が落ちるような轟音が鳴り響き、脳天に一際大きな衝撃が襲い掛かった。
視界を稲妻が迸り、自分の身に起こったことを何一つ認識することもなく、ユカリの意識はブレーカーが落ちるかのごとく一瞬のうちに、深く暗闇の中に落ちていった。


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最終更新:2012年06月21日 21:13