せめて一度くらい、幸せな夢を見させて
【1】
人形=荒井昭二が目を覚ました頃には、もう福沢も槍を持った怪人の姿も見えなくなっていた。
彼が目覚めてから最初に考えたのは、わずかな時間ではあったものの、自分と行動を共にした「福沢玲子」の事である。
――彼女は無事に逃げ切れただろうか?
――また別の怪物に襲われてはいないだろうか?
後を追いたいところだが、今の傷の状態からしてそれは不可能だろう。
何しろ、自分はあの怪人の持った槍によって、全身を貫かれてしまったのだ。
いくら自分が人間と違う体の構造をしているからといっても、これ程のダメージを負ってしまえば、行動にかなり支障が出てしまう。
かといって、休んでいれば傷が「治/直」るのか言われると、そうではないのだ。
前に述べた通り、自分は人間ではない。精密に造られた『人形』である。
『木材』と『虫』。それだけが自分を構成する物質。
木材が細胞分裂するわけがないし、かといって、蟲が傷を塞いでくれる訳でもない。
故に、どれだけ時間が経っても、決して傷は「治/直」らないのだ。
傷口から出てくるのは、人間の証である真っ赤な血ではなく、薄汚い色をした小虫達。
荒井の中に押し込められていた生命は、自由を求め外の世界へと旅立っていく。
そして、旅立つ生命が増えるのに反比例して、荒井の生命は弱っていった。
不快感の塊の様な集団でも、彼にとっては生命を持続させるのに必要不可欠な存在なのだ。
しかし、彼はそれを見ている事しかできない。
自分につけられたこの穴は、「治/直」しようがないのだから。
体内に残る虫達が残り半分を切った頃には、荒井の意識は朦朧になっていた。
目は虚ろになり、頭は俯いたまま微動だにしていない。
意識もはっきりとしなくなってきた。何故だか、とても眠いのだ。
今眠ったら、きっと、いや間違いなく、瞼を開ける事は出来ないだろう。
自分に『死』が近づきつつある事は、嫌でも理解できた。
目前に迫っている『死』に対して、荒井は恐怖を感じない。
むしろ、眠るように一生を終えるというのも、悪くはないと思っていた。
少なくとも、人間二人と一緒に焼死するよりかは、遥かにマシだろう。
そして何よりも、自分は『人間』として死ねるのだ。それ以上に嬉しい事はなかった。
【2】
それから数分ほど経った頃だろうか。
荒井の耳が、カツン、カツンという杖を突くような音を捉えた。
どうやら、何者かがこちらに向かって来ているらしい。
残された僅かな体力で、物音の方向にゆっくりと目を向ける。
「また、あなたですか…………」
そこに居たのは――もう此処には居ないと思っていた存在。
三角形の鉄の箱を被り、槍をぎらつかせる、あの男。
自分の身体を穴だらけにした、あの三角頭の怪人であった。
どうしてわざわざ戻ってきたのかを理解するのは――朦朧としていても――容易である。
この怪人は、再び自分を襲うつもりなのだ。
今度は絶命するまで、自分の体に槍を突き立て続けるだろう。
だが、それを回避する術は既に全て失ってしまった。
(罰、なんでしょうかね)
荒井の目からは、槍を構える三角頭が、まるで神の使いのように見えていた。
人間の真似をしようとした愚かな人形を罰する為に、神が差し向けた処刑人。
――やはり自分には、安らかに死ぬ資格などなかったようだ。
視界に入るのは、三角頭の血に塗れた肉体と、数秒後に自分の額を貫くであろう巨大な槍。
最期の景色がこれというのは、少々もの悲しいものだ。
脳裏に浮かぶのは、自分を人間として見てくれた福沢の後ろ姿。
最後に会ったのが彼女で、本当に良かったと、改めて思う。
――生きてほしい。
生きて、生きて、生き続けて。
そして、この呪われた土地から脱出してほしい。
それだけが、自分の望みだった。それ以外には、何も望まなかった。
【3】
『断罪』を終えたにも関わらず、三角頭はアパートから立ち去ろうとはしなかった。
額に大きな穴を開けた人形に背を向けて、何も無いはずの通路をじっと見つめている。
――誰も居ない筈の通路で、何故か『視線』を感じたからだ。
近くに誰かがいなければ、視線などある訳がない。当然の話だ。
にも関わらず、三角頭は『誰かに見られている』という感覚を覚えてしまったのだ。
視線の正体を探ろうと、三角頭は通路を隈なく観察する。
だが、どれだけ眺めていても、それの持ち主は現れない。
諦めた三角頭は、元来た道を折り返していった。
三角頭は気付かなかった。
視線の主は、確かにそこには存在している事に。
気付けなかったのは、それが三角頭には認識できなかったから。
三角頭を、穴だらけの人形を、そこから出て行く虫達を。
『オヤシロさま』は、ずっと見ていたのだ。
【C-5/西側アパート非常階段/夜中】
※人形の残骸があります
【4】
福沢さんは、僕を『人形』ではなく『人間』と呼んでくれました。
それで、その言葉一つで、僕がどれほど幸福になれたことか。
……彼女には、こんな魔境で命を落としてほしくありません。
ですが、もう私には彼女を助ける事はできないでしょう。
心残りがあるとすれば、やはりそこでしょうね。
今の僕には、もう願う事しかできません。
『彼女が笑っていますように』と、暗闇の中で独りで願うことしか――――。
【荒井昭二@学校であった怖い話 死亡】