今はそれどころではない
額から流れ落ちるのは冷や汗か、それとも単に全速で走った故の生理現象か。
どちらにしても、スポーツでかく「良い汗」というやつとは程遠いものだ。
心地悪さすら覚える液体をYシャツの袖で拭い、荒い呼吸を整えながら、新堂は圭一の背中を睨みつけていた。
「……どうだ、圭一?」
圭一は今、内開の扉に耳を当てて廊下側の様子を窺っている。時間にして、数十秒というところか。
それは、廊下からは何も聞こえてこない事を証明している事と同義ではあるが、確認を取らずにはいられなかった。
「……大丈夫……だと思う」
扉を細く開けて様子を覗い始める圭一。
一瞬だけ不安が脳裏を過ぎるが、扉の隙間からは巨人の足音も、先程の赤い光が立てていた奇妙な甲高い音も、どちらも一向に聞こえてはこない。とりあえずはだが、脅威は二つとも過ぎ去った様子。
圭一が扉を閉めて振り返る。それを合図にするかの様に三人は顔を見合わせ、大きく息を吐き出した。
「でもこれからどうする? 新堂さん」
「どうするって、決まってんだろ?」
新堂は一旦言葉を切ると、部屋の中を見渡した。
ベッドの上に放り投げたジェニファーは、まだ目覚める気配はなさそうだ。
「こんなわけの分からねえホテルからはとっとと出るぞ。
立て籠もるにしたってこの部屋はねえ。窓も物もこっちのドアも動かねえし。
出入り口が一つしかねえんじゃ、いざって時に逃げられもしねえんだからな」
付け加えれば、新堂はこの部屋自体も違和感を感じていた。
室内は、夕日のせいか、どこかノスタルジックで居心地はそう悪くない。
しかし、これほど立派なホテルにしては、シングルルームだと仮定してもこの一室は狭すぎるのだ。
現在四人の人間が部屋には入り込んでいるが、全員が動き回るには多少の窮屈さを覚える程度には狭い。
どちらかと言えば、感じ取れる生活感や間取りからしても、アパートやマンションの一室と考えた方がしっくりくる部屋だった。
何故そんな部屋が当たり前の様に存在するのか。そんな事は知らないが、何かがあっても不思議はない。
それが、もしも罠の類だったら。
巨人も赤い光も、この部屋に誘い込む為のギミックだったとしたら。
――――――――今度こそ、全滅しかねない。
「それに、下手に立て籠もってる時間なんざねえよ。なあ、雛咲?」
ネコ科の猛獣の様な鋭い視線を、新堂は深紅に投げつけた。
その深紅は、口篭り、顔面に怯えと蒼白を張り付かせてしまっている。
「お、おい、新堂さん! 雛咲さんだって悪気があって隠してたんじゃないんだ!
俺達に心配をかけまいとして――――」
「うるせえな、別に文句言ってんじゃねえよ。ただ事実を確認しただけ――――」
口を挟む圭一を疎ましげに遮るが、ふと新堂は深紅に視線を戻した。
一つ、聞きそびれた話がある事を思い出したのだ。
「……そうだ、雛咲。ウィルスの事でまだ確認しておく事があった。早い内にな」
「な、何ですか……?」
「『ヨーコさん』は、いるんだな?」
「……はい。ここに……」
「ふん。さっきの光に巻き込まれて消えちゃいなかったか」
深紅への視線を、新堂は深紅が見た方向へと向けた。
そこには、朧気にすら何も見えないが、確かに『ヨーコさん』がいるのだろう。
これでは本当に消滅していても新堂には分からない。そもそも赤い光が幽霊に通用するのかは疑問だが。
「このウィルスってのは感染したらどのくらいで発病する?
感染経路はどうだ? まさか空気感染はねえだろうな?」
しばし、深紅が何もない空間に向かって何やら相槌を打っていたが、
やがて新堂に顔を向け、チラチラと横を見ながら口を開いた。
「えと……発病には個人差があるので……具体的な事は分からないそうです。
ただ、感染者が……怪我や病気で弱れば弱るほど……発病が早まるそうです。
感染経路は…………今の場合だと……接触感染だけを注意してって言ってます。
ゾンビの攻撃……もですが、唾液や血液にも気を付けないと……」
それを聞き、新堂は忌々しげに舌を打った。
眼光に険しさを乗せ、空間を睨みつける。
「って事は……ここにいる全員感染してる可能性があるって事かよ!」
「ど、どういう事だよ!? 俺達怪我なんかしてないじゃないか!?」
圭一の言う通り、新堂達は確かにゾンビ共からは直接怪我を負っていない。
しかし、新堂が思い出したのはゾンビ化した犬達と対峙したの事。
あの時は新堂も圭一も、犬共からの攻撃をどうにか避け続けた。
しかし、奴らの唾液は別だ。襲い掛かられた際。バットで防いた際。確実に唾液まで避けたとは言い切れるだろうか。
また、奴らを殴り飛ばした際も同様だ。返り血を一滴足りとも浴びてないと言い切れるだろうか。
単純に身体にかかるだけならばまだ良いが、顔面のないナースから受けた掠り傷にかかったり、口の中に入ったりはしていないと言い切れるだろうか。
答えは――――全てに於いて、否だ。
その事を説明すると、圭一の顔色も深紅と同じものに変わった。
「……治す方法は? ウィルスだってんなら治療の方法くらいねえのか!?」
「………………発病してからでは…………手遅れだそうです……。
ワクチンを…………デイライトを打たない限り…………」
深紅の申し訳なさそうな表情が妙に苛立たしく映ったが、
ここで八つ当たりをしていても始まらない。そんな時間も無駄でしかない。
「……とにかく、だ。こうなっちまったらしょうがねえ。
『ヨーコさん』。あんた偵察とか出来んのか?」
「……壁をすり抜けたりは……出来るはずです。…………出来ました」
「今廊下や廊下の向こうには何かいるか?」
「………………………………いないって言ってます」
「すまないが、ちょっとそのまま見張り頼むぜ」
あの警官の幽霊に襲撃された新堂にとっては、はっきり言ってヨーコも大差ない、得体のしれない存在だ。
そんなものに頼らなければならないこの状況は、坂上に殺意を抱いたあの時よりも余程気分が悪い。
しかし、これなら比較的安全に移動出来るはず、との思いもある。少なくとも、出会い頭に攻撃される危険性が減るのは確かだ。
特に、赤い光やホテルの門を破壊した化け物に不意をつかれてしまえば、死ぬしかないのだ。
それだけは可能な限り避けたい。利用出来るものは、利用しなくては。
「よし……雛咲。他に隠してる事はねえな?」
圭一が何かを言いかける気配を感じるが、新堂はそれを無視した。
とりあえず今回だけは、圭一も甘い戯言を吐き出す気持ちを押し殺した様だ。
それ程に深紅の持っていた情報は重要で、あまりにも危険だ。
「隠してるわけじゃないんですが……この部屋、何か感じます……」
「あ!? 罠か!? それとも化けもんか!?」
「あ、あの……悪い気配じゃ、ないんです!
でも……何か大切なものが隠されてる……そんな気がします」
悪い気配ではない。深紅がそう言うのならば、危険性がない事は信用はしても良いのかもしれない。
調査すれば何かが見つかるかもしれないが――――それでも、今はそれどころではない。
まさかデイライトが都合よく落ちているわけもないだろう。
気にはなるが、自分達には調査に割いている時間は無いのだ。
「だったら、薬作った後でまた来ればいいだろ。……あんまり戻って来たくはねえがな」
新堂はジェニファーを担ぎ上げようと、身体を引き起こした。
と、ジェニファーの身体の下から、何かが滑り落ちた。
「……あ?」
それは、一冊の本だった。
ジェニファーの持ち物ではない。彼女の鞄はベッドの枕元に置かれているのだから。
つまりその本は、最初からこの部屋にあり、そして現状、部屋の中で唯一動かせた物質。
気になり、手にとって中身を確認してみるが、それはパッと見ではただの日記だ。
始まりの年は、10年以上も前の1982年。
シェリルやらアリッサやらと名前が出てくるが特に変わったところは無い様に新堂には思えた。
「ま、待って下さい……。その本、何か……」
「……何かあるのか?」
自分では分からなくても深紅ならば。
そう思い日記を手渡すと、深紅が数瞬、不自然に硬直した。
「……どうした?」
「大丈夫か!?」
「……大丈夫です。……初老の……男性の方が見えました」
残留思念というやつだろうか。
誰だか分かるのかと問えば、深紅は首を横に振った。分かるのは、この日記の主という事くらいらしい。
名前は、ハリー・メイソン。
ふと、新堂は名簿を思い出した。ハリーという名は、名簿に書かれていた記憶があったのだ。
それを確認したいが――――思わず視線が圭一に向いた。
まだ、それは出来ない。ヨーコの見張りがあろうとも、このホテル内では何が襲ってくるか分からない。
やはり、それは研究所についてから。出来ればデイライトを入手した後が良い。
それまでは、イレギュラーの可能性は極力低く保たねば。
日記を読み込むのも、その時で良い。
新堂は今度こそジェニファーを担ぎ上げ、深紅に目をやった。
巨人も赤い光も今はない。それを確認し、圭一、深紅、自分の順に真っ暗な廊下に出る。
まずは、このホテルを安全に脱出する。研究所まで安全に辿り着く。
全てはそれからだ。
前を行く深紅の、左腕を掻いている姿が、何となく目に止まった。
【D-3/リバーサイドホテル・廊下/一日目夜中】
【新堂誠@学校であった恐い話】
[状態]:銃撃による軽症、肉体的疲労(大)、精神的疲労(大)、感染に対する危惧
[装備]:ボロボロの木製バット、ジェニファー・シンプソン@クロックタワー2
[道具]:学生証、ギャンブル・トランプ(男)、地図(ルールと名簿付き)、その他
[思考・状況]
基本行動方針:殺人クラブメンバーとして化物を殺す
1:研究所へ向かう
2:安全を確保するまでは名簿の死亡者については話さない
3:安全な場所でジェニファーから情報を得る
4:デイライトを入手したらホテルを調査に戻る
【前原圭一@ひぐらしのなく頃に】
[状態]:銃撃による軽症、赤い炎のような強い意思、疲労(中)、感染に対する危惧、L1
[装備]:悟史の金属バット
[道具]:特に無し
[思考・状況]
基本行動方針:部活メンバーを探しだし安全を確保する
1:研究所へ向かう
2:安全な場所でジェニファーから情報を得る
3:部活メンバーがいれば連携して事態を解決する
4:デイライトを入手したらホテルを調査に戻る
【雛咲深紅@零~zero~】
[状態]:T-ウィルス感染、右腕に軽い裂傷、疲労(小)、腕に痒み(?)
[装備]:アリッサのスタンガン@バイオハザードアウトブレイク(使用可能回数7/8)
[道具]:携帯ライト、ハリー・メイソンの日記@サイレントヒル3
ヨーコのリュックサック(P-ベース、V-ポイズン、ハンドガンの弾×20発、試薬生成メモ)@バイオハザードアウトブレイク
[思考・状況]
基本行動方針:ヨーコの意思を引き継ぐ
1:研究所へ向かう
2:安全な場所でジェニファーから情報を得る&日記を確認する
3:デイライトを入手したらホテルを調査に戻る
4:幽霊……触れるなんて……
※時間経過でゾンビ化します。
※初老のハリー・メイソン(サイレントヒル3での時間軸)の顔を読み取りました。
※怨霊が完全に姿を消している時でも、気配を感じることは出来るようです。
【ジェニファー・シンプソン@クロックタワー2】
[状態]:健康、気絶中
[装備]:私服
[道具]:丈夫な手提げ鞄(分厚い参考書と辞書、筆記用具入り)
[思考・状況]
基本行動方針:ここが何処なのか知りたい
1:…………
2:安全な場所で三人から情報を得る
3:ここは普通の街ではないみたい……
4:ヘレン、心配してるかしら
※ホテルロビーにメトラトンの印章が描かれています。
※ホテルの一室がサイレントヒル3に登場した「異世界の中のハリーの部屋」に変化しています。
この場所に日記の他に何が存在するかは不明。後続の方に一任します。