MEMORY――隙間録・三上脩、加奈江編



【 三上脩 】 夜見島/蒼ノ久集落/三上家二階 1976年某日 20時09分29秒




【 三上脩 】 夜見島/蒼ノ久集落/三上家二階 1976年某日 20時09分30秒




【 三上脩 】 夜見島/蒼ノ久集落/三上家二階 1976年某日 20時09分31秒




【 三上脩 】 夜見島/蒼ノ久集落/三上家二階 1976年某日 20時09分32秒




「あのね! おねえちゃんがきょうね、おねえちゃんのおかあさんのおはなししてくれたんだよ」

父親が整えている布団の中から、三上脩の幼い声が上がった。喜びの込められた純粋な声だ。
眠りに落ちる前のほんの僅かな時間。脩がその日一番の出来事を語るのは、三上家の日常的風景だった。

「ん?」
「かみさまがしんだの。そしたらおねえちゃんのおかあさんがうまれたんだって」
「はっはっは。神様か。おねえちゃんがそう言ってたのか?」
「うん!」

満面の笑みを浮かべて頷く脩に対し、父・隆平はぎこちない笑みを返していた。
“お姉ちゃん”――――数ヶ月前に夜見島港の岩場に流れ着いていた少女、加奈江の事だ。
少女は記憶を失っていた。身元を証明する様な私物も無く、その身に何が起きたのか、一体何処の誰なのか、未だに誰にも分からない。
脩が少女に妙に懐いてしまった事や、少女が隆平の亡き妻・弥生に瓜二つだった事等々の事情から、隆平には少女を捨て置く事は出来なかった。
故に発見したその日から、隆平の家で保護する運びとなり、今に至る訳だが――――その加奈江の言動や行動には、誰の目にも奇妙に映るものが多い。
少女が脩に対し、夜見島に古くから伝わる文献――とても一般的には知られていないはずの代物だ――の一部を詩として語っていた事もあった。
少女は一体何者なのか。隆平が少女の事を思い浮かべる度に頭をもたげてくる疑念。
この時にも同様だ。隆平の笑みの裏には、その疑念が生まれていた。

「それでね、おねえちゃんのおかあさんはね」

隆平は話を続けようとする脩の頭に、緩やかに手を乗せた。
その眼差しは、加奈江の事を案じる気持ちとは裏腹に、優しく、暖かい。

「脩。もう遅いからな。お話はまた明日聞かせてくれるか?」
「わかった!」
「お休み、脩」
「おやすみなさい!」

脩が目を瞑ると、隆平は息子の頭を撫でていた手を静かに離して立ち上がった。
電気が消され、隆平が階段を降りていく足音のみが脩の寝る和室内に届く。
脩は閉じた目の中で加奈江から聞いた“お話”を反芻していた。
明日、父親に話して聞かせる事をとても楽しみに思いながら。




おねえちゃん おはなししてくれた

おおきいかみさま しんだ

おねえちゃんのおかあさん うまれた

いっぱいうまれた

おねえちゃんのおかあさん とんでいった

とおいところ しらないところ いっぱいとんでいった

おねえちゃんもいけないところ いっぱいとんでいった



みかみしゅう 4さい








【 加奈江 】 夜見島港/沖合 1976年08月03日 05時46分46秒




【 加奈江 】 夜見島港/沖合 1976年08月03日 05時46分47秒




【 加奈江 】 夜見島港/沖合 1976年08月03日 05時46分48秒




【 加奈江 】 夜見島港/沖合 1976年08月03日 05時46分49秒





空が明るさを増していく。
海面に浮かぶ加奈江に、朝日は容赦無く降り注ぎ、身体を徐々に焼いていく。
身を隠す場所は無い。全身を包む海水は黒衣の代わりにはなりはしない。もう加奈江が助かる望みは何処にも無い。

だが、それを選んだのは他ならぬ加奈江自身だ。
母の力を受け入れて母の元へと帰還する。その道も無い訳では無かった。
帰還してさえいれば、こうして光に焼かれる事も無かったのだが――――。

脩。
脩を、守りたい。
脩を、母の住む世界――――虚無の世界へと送り、殻として扱いたくはない。
加奈江はその一心で、母を裏切り、帰還を拒んだのだ。

島民達に追い詰められ、海へと落下した場所が灯台付近だったとはいえ、その灯台にあった小舟が流される二人の側に漂ってきたのは本当に幸運だった。
脩を助ける為の唯一の希望。身体に残された力を振り絞り、どうにか小舟まで泳ぎ切り、脩をそれに乗せる事には成功した。
あいにくそこで力尽き、自らが乗り移る事は叶わなかったが、構わない。舟の上だろうと下だろうと、どうあれ加奈江が陽光から身を守る手段は無いのだから。
残る不安は――――救助隊に発見されるまでの間、脩の体力が持つかどうか。
それは運次第となってしまうだろうが、出来るだけの事はした。助かって欲しい。助かってくれるはずだ。そう祈るしかない。

加奈江は安らかに両目を閉じた。
これでもう、鳩としての使命も終わりだ。
陽光に曝された身体は、数分もしない内に全てが焼き尽くされるだろう。
呆気無いと言えば、実に呆気無い最後だ。自分が帰還しなかった事に、母は落胆しているだろうか。
それでも加奈江には後悔は無い。
このまま消滅しても。母を裏切る結果となってしまっても。
脩を、守りきれた。それだけで、充分だ。
脩の安否以外には、後悔も、未練も、加奈江の中には無い。

――――ただ。
加奈江の脳裏には、とある疑問が生じていた。
それはあの赤い津波の中での事。
あの津波は、母が自分を呼び戻す為に引き起こした現象だ。
津波そのものは幻に過ぎないが、現世に干渉する母の力が形として現れたものだ。それは、間違いない。
しかし、あの時。
加奈江が赤い津波に呑み込まれ、写し世へと流れる濁流の中で脩を守ろうと必死に抗っていた時。
濁流の中に、“母のものとは異なる力と意志”が紛れ込んでいた事に、加奈江は気が付いたのだ。
母の力が、巻き込まれた島民達を写し世へと引きずり込んでいく最中に、その異なる力が確かに“写し世ではない何処か”へと通じる入り口を開いていた。

加奈江には心当たりの無い、謎の力と意志。
母のものとも、出来損ないの屍霊達のものとも違う力だったが、それでもあの力からは、何処か母と近しいものを感じ取れた。
そして、あの意志からは、何処か加奈江のものと似た想いが感じ取れた。


加奈江と、似た想い――――。
加奈江の、脩に対する想いと似た――――。


あれは――――そう。
誰かに対する、思慕、だったのではないか――――。




しかし、一体あれは、何者の力と、意志だったのか――――。

















閉じていた瞼が光に焼かれ、溶け落ちて。視界が無理矢理に開かれた。
脩が小舟から、加奈江を見つめていた。
何が起きているのかまでは理解し切れていないだろうが、溶けゆく加奈江の身体を、脩が見つめていた。

「脩、見ちゃダメ」

後悔も未練も無かったはずが、たった今生まれた悔いがあった。
このままでは脩に、自身が人間ではないと悟られてしまう。
脩に、泥々に溶解する自身の身体を見せつけてしまう。
それだけは、どうしても嫌だった。

「見ないで」

脩には、醜く消える姿を見られたくなかった。
怯えさせたくなかった。
嫌われたくなかった。
だが、今の加奈江に残された力は無い。
願いを口に出す事すら、加奈江にはもう、出来なくなりつつあった。

「脩、見ないで」

それが最後の言葉となった。
海水と同化する様に、自らの身体が溶けていく。
意識もまた、同様に。


暗く落ちる意識の中。加奈江は、見ないで、とそれだけを願っていた。


脩が見つめ続ける中。加奈江は、ただそれだけを願っていた。






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最終更新:2012年08月29日 22:45