Born From A Wish――隙間録・ジェイムス・サンダーランド編
窓の外には、真っ白い霧が充満していた。
目を凝らしても、映るものは流れゆく霧の動きと、流れの隙間に時折見える木々の陰ばかり。
相変わらずの、ホワイトアウト。“レイクビュー”とは名前負けも良いところだ。
本来は静かで美しい湖畔の景観も、これでは誰かの心を安らげる事は出来そうにない。
やはり、それも――――私のせいなのだろうか。
ホテルの図書室で、木製の小さな椅子に腰を落ち着かせたまま、私はこれまでの経緯を振り返る。
町の異常や、町を跋扈する怪物は、自分と何かしらの関係がある。薄々は勘付いていた事だ。
それと同じく、町に到着してから一度として晴れる事の無かったこの不自然すぎる濃霧も、やはり自分と関係していたのだろうか。
目を背けていたかった現実を覆い隠そうとしていたのか。
それとも無くしてしまった記憶を追いかける焦燥感が形となって現れていたのか。
いや、どちらにしても既に私は現実を理解している。
妻との――――メアリーとの思い出が残るあの部屋で。つい先程確認したビデオテープの映像で、全ての記憶は取り戻されている。
それでも、未だに霧は晴れていない。町も私も、怪異から開放されていない。記憶を取り戻しただけでは、終わらないのだろうか。
――――当然か。結局私は、肝心な事は何も成していないのだから。
耳につけているヘッドフォンの音が途絶えてから、どれくらい経ったのだろう。
聞かされていたのは、絶望と苦痛の始まりの声だった。
妻の担当医から、彼女の余命を告げられた、三年前のあの日の思い出。
もう記憶は取り戻しているというのに。この場で改めて現実を突き付けられて。
呆けた様に眺める霧の中には、この三年間の苦しみが映像となり、走馬灯の様に移り変わって。
最後に浮かんだものは、もう誰の温もりも感じられない、空っぽになってしまった冷たいベッドだった――――。
やはり、向き合わねばならない。
自分の心に対して。そして、死なせてしまった――――いや、殺してしまった妻に対して。
けじめをつけない限りは、この怪異は恐らく永遠に終わりを迎える事は無いのだ。
それが例え、どの様な結論であり、どの様な結末に至ろうとも。決着は、私自身でつけなくてはならない。
私はゆっくりとヘッドフォンを耳から外し、デスクの上に戻した。
そしてナップザックをデスクの上に置き、中から道具を一つ一つ取り出して並べていく。
ブルー・クリーク・アパートの一室で見つけた、『
白の香油』。
ガソリンスタンドに置き忘れられていた、『
書「失われた記憶」』。
歴史資料館の割れたガラスケースに展示されていた、『
黒曜石の酒杯』。
そして、この図書室でつい今しがた手に入れた、『
赤の祭祀』。
町をさ迷い歩く中で、何故だか手にしてしまった道具の数々だ。
その理由も、今ならば分かる。
私は惹かれていたのだ。この町の、とある伝承に。
ここには古から伝わる神達と、それを崇める人々がいた。
彼らは、力を持っていた。非現実的な――――死をも否定する力。
死者を、甦らせる事の出来る力。
もしもその伝承が真実であるならば――――。
トルーカ湖の中央辺りに浮かぶという離れ小島で、これらの道具を用いて死者蘇生の儀式を行えば、メアリーは、還ってくる。
私は、それを求めてしまった。
現実から逃げ出して、都合の良い記憶を作り出し、己の醜さからは目を背けていたくせに。
心のずっと奥底では、妻が甦り幸福だったあの頃を取り戻すという希望を求めていたのだ。
――――そんな事が、許される筈もないのに。
妻の顔に枕を押し付けた時。
枕の下で必死に抵抗していた彼女の力強さは、今の私の手には鮮明に蘇る。
あの痩せ細っていた身体のどこにそんな力を残していたのか。
それは、気を抜いてしまえば私の方が押し負けてしまう程に強い力だった。
三年間の闘病生活で体力などすっかり失われていた筈なのに。
死にたくない。
生きていたい。
その想いを剥き出しにして、メアリーは最後の時まで力強く抵抗した。
そんな、本心では決して死など望んでいなかったメアリーを。
薬の副作用と死の恐怖に苦しみ、外見も性格も醜く変わり果ててしまったメアリーを見ている“私”が辛いから。
治る見込みなど無いメアリーを、いつまでも介護していなくてはならない地獄の様な日々から“私”が解放されたいから。
そんな、己の醜いエゴで殺しておきながら――――あまつさえ、そうする事がメアリーの為なのだと、その責任すら転嫁しておきながら。
彼女と共に幸福に生きる未来を求める事など、許される筈がないではないか――――。
デスクに並べた道具を一瞥し、私はもう一度窓の外に目を向けた。
記憶は全て取り戻した。
この町に来た本来の目的も。
妻が今どこに居るのかも。
その目的の為には、儀式の道具は必要ない。私には、その資格もない。
このまま、ここに置いていこう。
そして、そろそろ向かわなくてはならない。
この先で“私の中のメアリー”が待っている筈なのだ。
これ以上逃げている訳にはいかない。答えを出しに行かなくては。
一面が乳白色で覆われているこの殺風景な霧の世界も、それで晴れてくれると良いのだが。
妻との思い出の景色をこのままにしておくのは、とても忍びないのだから。
私は立ち上がり、図書室の扉を開いて――――。
それが、十時間程前の出来事だ。
私が図書室を出て、異形と化した妻の幻影と対峙し、そして当初の目的――――トルーカ湖での入水自殺を果たしてから、岸辺で目を覚ますまで。
時間にしてみれば半日も経過していない筈だった。
その間に、一体何が起きたというのだ。
現在の時刻は、午前二時半を回ったところだった。
私は今、再びレイクビューホテルの図書室に戻って来ていた。
いや、“戻って来た”という表現が正しいのかどうかは良く分からない。
レイクビューホテルは、本来とは全く別の場所に存在していたのだから。
そうだ。今は何故か、このサイレントヒルの町並みが変化しているのだ。
濃霧に包まれた岸辺で意識を取り戻し、訳の分からぬままに町の中に戻り、さ迷い歩いて、私はその事に気が付いた。
このホテルもさっきまでは湖の北岸にあった筈だが、今はどういう訳だか湖の東側に存在している。こうして辿り着いたのは、はっきり言えば全くの偶然だ。
その時点では、本当にここが私がさっきまでいたレイクビューホテルなのかどうかも断定は出来なかった。
私がこの図書室まで戻って来たのは、それを確かめる為でもあったのだ。――――いや、他に向かう宛が無かったのも事実なのだが。
そして結論を言えば、位置は変化していても、ここは間違い無くあのレイクビューホテルの様だ。
図書室内の書物も、デスクの上に置きっぱなしのヘッドフォンも、動かした椅子の位置も、私が最後に触ったままの形で残されていた。
建物の間取りも、覚えている限りの範囲では違和感は無い。ここが別のホテルだという可能性はまず無いだろう。
ただ一つだけ、この図書室内にはさっきとは異なる部分があった。
確かにデスクの上に置いた筈の二つの道具と、二冊の本。
死者蘇生の儀式で使用する道具と本が、全て消えて無くなっていたのだ。
どうやら誰かが持ち去ったらしいが、あれらの道具の意味を知っての事だろうか。
誰かが誰かを甦らせようとしているのだろうか。
だとしたら――――。
――――いや。
それは私にとっては大した事ではない。
あれらの道具が何処に消えようと。誰が使おうと。私にはもう関係は無い。
重要なのは――――こちらだ。
私は顔を上げ、窓の外の濃霧に目を向けた。
そう。
重要なのは、こちらだ。
怪異は、今もなお続いている。
終わっていないどころか、その度合いを増している様に思える。
どういう事だ。
私はまだ、罪を償えていないという事なのだろうか。
まだ、思い出せていない記憶があるのだろうか。
それとも、今度こそ私は狂ってしまったというのか。
或いは――――これは私とは無関係の事なのか。
分からない。
私には、何も分からないが。
とにかく、私は戻るしかないのだろう。
もう一度。
この町の中へ。
この、真っ白い霧の中へ。
私の罪が許されたのかどうかを知る為に――――。
【D-3/レイクビューホテル/OPより約14時間前】
【
ジェイムス・サンダーランド@サイレントヒル2】
[状態]:困惑
[装備]:無し
[道具]:黒革の手帳
[思考・状況]
基本行動方針:怪異の原因を突き止める
1:私はまだ許されていないのか……?
【アーカイブ解説】
【白の香油@サイレントヒル2】
ガラス瓶に入った白く濁った香油。
Rebirthエンドを見る為の必須アイテム。
【黒曜石の酒杯@サイレントヒル2】
黒曜石で作られた古めかしい杯。
Rebirthエンドを見る為の必須アイテム。
【赤の祭祀@サイレントヒル2】
ある古き神について書かれている。
Rebirthエンドを見る為の必須アイテム。
語れ。
我は真紅のものである。
嘘と霧は、彼らではなく、また我である。
汝らは我が一人であることを知っている。
そう、一人は我である。
おお、信じる者よ。
四百の僕、七千の獣と共に
言葉を聞き、そして語れ。
太陽の下にあっても、
それは忘れてはならない。
無限の盲目と降り注がれる矢、
それは我の復讐である。
枯れ行く花の輝きと否定される死者、
それは我の祝福である。
汝らは我と我の司る全てを
沈黙のうちに称えよ。
赤き心臓の四方へ放つ誇り高き香りよ。
白き酒を満たす杯、全てはそれに始まる。
【書「失われた記憶」@サイレントヒルシリーズ】
この町やその近辺の伝承や歴史について書かれている。
サイレントヒル2ではRebirthエンドを見る為の必須アイテム。
サイレントヒル2・マリア編やサイレントヒル3にも同アイテムが登場する。
一、
その名前は、この土地を奪われ、そして追われた彼らの伝承に由来する。
『静かなる精霊眠る場所』、ここでいう精霊とは自然世界における構成要素であり、同時に死者であり、崇めるべき存在だという。
そしてこの伝承は、そう呼ばれるこの土地が、神聖な祭祀のための場であったと語る。
しかし最初に彼らからこの土地を奪い、移住したのは、今この町に住んでいる人々の祖先ではない。それより前にも、移住者たちはいた。
その時は、この町は別の名前であった。だが、それが何という名前なのかは、記録はなく、知る者もいない。
わかっているのは、その名前があったということ、そしてこの町が何らかの原因により、一度は放棄されたということだけである。
二、
根強く期待――それは信仰と言い換えても良い――されているのは、『死者の復活』という奇跡である。
光落ちた丘の上で獣は歌う
その言葉は血に、
その滴は霧に、
その器は夜に
かくして墓は、ただの野に変わり
すべての民は再会の怖れと喜びにふける
スチェルパバの救いの下に
私は迷わず
古い伝承の中にもそれは語られる。
元々、この宗教では必ずしも死は終わりではなく、死者は過去の存在ではない。
死は人を精霊あるいは自然へと帰す通過点でしかない。それも可逆な変化である。
最終更新:2013年02月28日 00:23