dunpoo @Wiki

9807●小渕恵三内閣

最終更新:

dunpoo

- view
管理者のみ編集可
9807●小渕恵三政権
 98年7月、橋本首相の退陣を受けて自民党総裁選が行われた。橋本派からは小渕恵三が後継として立候補し、橋本派から離れた梶山静六、森派代表の小泉純一郎が挑戦した。田中真紀子が3人を評して「凡人(小渕)、軍人(梶山)、変人(小泉)」と呼んだことが話題となった。世論調査では小泉・梶山の評価が高かったが、結局小渕が最大派閥の数の力を背景に圧勝した。
 7月30日、小渕は衆議院で首相に指名された。参議院では野党が菅直人民主党代表に投票し、菅が指名されたが、憲法の規定によって小渕が首相に就任した。小渕が苦しむことになる衆参の「ねじれ」を象徴する首班指名劇であった。
 第一次小渕政権は、大蔵大臣に元首相の宮澤喜一を配し、また民間から文部-有馬朗人(元東大総長)、経済企画庁長官-堺屋太一(作家・経済評論家)を登用するなど異色の内閣となった。外務-高村正彦、内閣官房長官ー野中広務である。
 小渕は、官房長官時に新元号「平成」を紹介したことで国民に顔を知られていたものの、前任者の橋本よりはるかに地味な性格で、閣僚や党役員としての経験も多くはなかった。前首相の最大派閥を引き継ぎ、政策的にも新味のない小渕をアメリカの雑誌は「冷めたピザ」と揶揄したが、日本国民にもこれが受けた。就任当初の世論調査の内閣支持率は異例の低さであった。
2024/10/14記
★1998年
記事メニュー
ウィキ募集バナー