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0011●加藤の乱

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0011●加藤の乱
 総選挙後の第2次森内閣は、官房長官-中川秀直、大蔵-宮沢(留任)、外務-河野洋平、建設-扇千景(保守)、総務-続(公明、留任)という陣容で00年7月4日に発足した。野中が引き続き党幹事長に就いた。
 同月、九州・沖縄サミット(小渕の強い思いで開催地が決まっていた)をこなした。またいまだ収まらない金融不安に対処するため金融庁を発足させた。
 10月、中川官房長官が女性問題で辞任するという出来事は、森内閣の不人気に拍車をかけた。後任には福田康夫が就いた。
 11月、野党が森内閣不信任決議案を提出する動きを見せると、加藤紘一(宏池会会長)とその同志の国会議員が、賛成もしくは欠席すると宣言した。加藤の盟友である山崎拓が山崎派として同調する構えを見せた。衆議院の加藤派45人と山崎派19人が造反をすれば内閣不信任案が可決される可能性があった。
 加藤と山崎は、小泉を加えて「YKKトリオ」と呼ばれ、自民党ニューリーダー候補と目されていた。二人はともに、99年9月の自民党総裁選に現職・小渕の対抗馬として立って以来非主流派であり、現自民党執行部を批判していた。
 加藤はマスメディアやウェブサイトなどを通じて世論に訴えたので、自民党分裂につながりかねない「加藤の乱」は大いに世間の注目を集めた。しかし、野中幹事長らによる切り崩しが進み、結局最後の土壇場で腰砕けになり、両派は不信任案採決に欠席するにとどまった。これにより宏池会は分裂した。が、自民党を飛び出ると思われた加藤たちはそのまま自民党に残ったので、政界再編も起こらず、大山は鳴動しただけであった。
★2000年
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