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★1959年

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5901●岸・大野の密約

 59年の年明け早々、岸・大野・河野・佐藤の主流派の重鎮4人が帝国ホテルの一室に会合し、ひとつの申し合わせ文書に署名した。その文書は、安保改定に四者は協力し、岸の後継総裁には大野副総裁を推す、という意味のことが書かれていた。立会人には、北炭社長萩原吉太郎、大映社長永田雅一、それに右翼の児玉誉士夫がいた。(「大野伴睦回想録」)これで主流派内の対立は収まり、1月24日の党大会では、主流派が一致して岸を推し、反主流派の候補松村を一蹴した。

5906●岸内閣改造

 59年6月の参議院選挙で、自民党は勝利した。岸は党役員と内閣の刷新を行った。
 密約によって次の総裁を約束されていた河野に岸は入閣を持ちかけたが、河野は幹事長ポストを要求して入閣を断った。だが、岸はこれを奇貨として、河野にかわって反主流派として激しく対立していた池田を入閣させ、結果的に河野を無役に追い落としたのである。岸の意を受けて、逡巡する池田を説得したのは田中角栄であった。「次の政権はあなたのものです」と田中は言ったという。(大平「春風秋雨」)

5910●安保闘争

 59年3月、労組や市民団体で「安保改定阻止国民会議」が結成された。年末まで10次の統一行動を行ったが、前年の警職法闘争の疲れが出ていたのだろうか、動員は盛り上がらなかった。
 そうした中で、共産党の指導から抜け出た共産主義学生と労働者によって形成された新左翼政治組織による闘争が突出していった。12月には、全学連と労組員が国会に侵入した逮捕された。
 前年の警職法問題の国会混乱で中断されていた安保改定交渉は、岸の総裁再選のあと再開し、自民党内での調整を経て、新条約案・新行政協定案としてまとめられ、10月、党議員総会で承認された。
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