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アジア通貨危機

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9707●アジア通貨危機
 日本、台湾、フィリピンを除くアジアのほとんどの国は、米ドルと自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していた。85年のプラザ合意以来ドルが低落傾向にあったことから、これらのアジア各国の通貨もドルに伴って下がっていた。このことがこれらの国の輸出競争力を伸ばし経済成長をもたらしていた。高い成長率は外資、特に短期のドル資金を海外から引き寄せたため、過剰流動性と資産価格のバブルを発生させた。
 ところが、1995年以降、米国の長期景気回復による経常収支赤字下の経済政策として「強いドル政策」が採用され、これに連動する形で、アジア各国の通貨も上昇し、その結果アジア諸国の輸出は伸び悩む展開となった。これらの国々に資本を投じていた投資家らは、経済成長の持続を危ぶみ資本を引き上げ始めた。
 最初の餌食になったのはタイであった。97年5月、欧米のヘッジファンドがバーツを売り浴びせる動きに出た。空売りを仕掛け、安くなったところで買い戻す戦略であった。タイ銀行は通貨引き下げを阻止するため外貨準備を切り崩して買い支え、一時はヘッジファンドの攻撃に対する勝利宣言をしたものの、再びヘッジファンドによる空売り攻勢が始まり、7月2日、バーツとドルのペッグ制を停止し変動相場制(実質的な通貨切り下げ)に移行した。信用を失ったバーツの下落は止まらず、為替レートは危機前1ドル24.5バーツだったものが半年後には50バーツを下回った。それまで外資によってファイナンスされていた資産バブルは当然崩壊し、IMFが救済融資の条件として課した政府支出の削減と金利引き上げが、不景気に追い打ちをかけた。高成長を謳歌していたタイ経済は瞬く間に崩壊し、企業の倒産・リストラ、失業者の群れが続いた。タイの通貨の変動を受けて、バーツ経済圏にあるミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアも少なからず打撃を受けた。
 マレーシア、インドネシア、フィリピンも、自国通貨を守るために相次いで変動相場制への移行に追い込まれ、それがさらなる通貨の下落を呼んで、実体経済も壊滅的な影響を受けた。
 韓国も高度成長を続けていたが、財閥をはじめとして金融的には外資に依存する体質であった。97年1月韓宝鉄鋼破綻をきっかけに財閥の三美グループが倒産するなど金融不安の状況となっていた。格付け機関のムーディーズが、7月に韓国債の格付けをA1からA3まで落とした。同年10月22日に起亜自動車が法定管理を申請すると、ムーディーズ以外の格付け機関も韓国の格付けを下方修正した。財閥の破綻と株価暴落などから外資の引き上げが続き、中央銀行の外貨準備が急激に減少し、対外債務のデフォルトの危機が迫った。11月21日、韓国政府は国際通貨基金(IMF)へ救済を要請した。IMFによる総額580億ドルの支援プログラムが12月4日に決定されたが、ウォンの安定には至らなかった。追加支援としてG7各国とIMF協調の金融支援パッケージが組まれたことでようやく韓国の危機は回避された。
★1997年
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