この一ヶ月間、
プロスペラ・マーキュリーは冥界で暗躍していた。
シン・セー開発公社のCEOという立場(ロール)を活かし、死が蹂躙跋扈する世界を蝕む厄災に関していくつも把握した。
既に片手では数えきれないほどの都市が崩れ落ち、生気を貪り尽くそうと亡霊たちは蠢く。
地獄絵図となった都市にてプロスペラは傷一つ負わないまま今も健在。一滴の血も溢さず、差し手として次の盤面に意識を向けていた。
オルフェ・ラム・タオとの交渉が決裂した後も、引っ越しと平行した情報収集は欠かさない。
「これはーーーー」
唐突に、彼女が視認する映像の一つが”純白”に呑み込まれた。
ただならぬ気配に天の原を見れば、死を予兆させる絶望の輝きが飛来している。その数は両手で収まらない。
宇宙開発事業の産物たるモビルスーツすら、この光に呑み込まれては容易くスペースデブリと化す。
偵察機として用意したドローンは今の砲撃で破壊された。
「おかあさん!」
夕焼けの色に染め上げられる空の下で、愛娘の叫びが響く。
無邪気な
ジャック・ザ・リッパーと言えど、今が非常事態であると察している。
「大変だよ! お空からまぶしい光がいっぱい振ってくる!」
「ええ、知っているわ。だから、宝具をお願いね」
「ーーうん!」
だが、プロスペラは何一つ動揺せず、ジャックも満点の笑みで応えた。
マスター/おかあさんのため、少女は目を輝かせながら古ぼけたランタンを取り出す。仄かな灯りから吹き出した濃厚な霧が都市に充満する。
結界宝具『暗黒霧都(ザ・ミスト)』が発動した直後、ジャックはプロスペラを抱えて疾走する。
爆音が響き、霧に飲み込まれた街は消滅するも親子は健在。
東京各所を破滅させる極光の存在にプロスペラは対抗プランを練っていた。
一騎当千の英霊すらも藁の家屋同然に吹き飛ばされる。
対魔力を筆頭とする如何なる防御スキルも容赦なく貫く。
アレを抑えるのに求められるのは同等の力だけ。恐らく、金髪の王が従える黒竜ほどのサーヴァントがいてようやく届く領域だ。
「偉いわ、アサシン! もうしばらく、頑張ってね」
「おかあさんのために頑張るよ!」
ならば、選択するのは回避や隠伏であり、その分野で勝負したからこそプロスペラ主従は生き延びている。
件の砲手による無差別爆撃をプロスペラは予想した。その標的は全葬者とサーヴァントで、誰一人として逃れられない。
だが、当たらなければいいだけ。
破滅に限らず、ドラゴンやNPCを屠る怪物たちが相手でも同様。いずれも規格外の火力または射程距離を誇るが、直撃さえ避ければ問題ない。
ジャック・ザ・リッパーが黒のアサシンとして召喚されるより遙か昔、産業革命後のロンドンを襲ったスモッグの疑似再現が『暗黒霧都(ザ・ミスト)』という宝具だ。
硫酸の霧は人体を蝕み、魔術師だろうと死に至る。
この宝具の特性はもう一つあり、使用者の意志で効果の対象を選択できる。
プロスペラに毒が及ばないよう濃霧を展開することは容易い。
どんな砲撃だろうと、対象の正確な位置を補足できなければ無駄撃ちに終わる。
ましてやこの冥界に生き残った葬者の数は恐らく20を越えた。この段階まで生存している以上、誰もがただ案山子のように棒立ちでいるわけがない。
破滅への対処は他の誰かに任せればいい。
それまでは、霧の中に隠れてやり過ごすだけ。
「疑似令呪をもって命じるわ。『暗黒霧都(ザ・ミスト)』をもうしばらくだけ維持してね」
無論、宝具の使用には膨大な魔力を必要とする。
複数の都市を同時に吹き飛ばす爆撃から逃れるため、プロスペラは予め用意した疑似令呪を使用した。
飛来する厄災で高層ビルが蒸発し、霧は払われようとも、偽りの母と子を引き摺り出すことは叶わない。
放射された光は百を越えたが、一つとして彼女たちには掠りもしなかった。
「もう大丈夫だよ、おかあさん!」
時間にして10分以上が経過した頃か。
轟音と入れ替わるように広がるのは人々による騒音。猛毒の霧で咳き込み、苦しむ声が徐々に増える。
どうやら、事は終わったようだ。
「お疲れ様。なら、ランタンをしまいましょうか」
プロスペラの一声で霧が晴れ、露わになるのは壊滅した街並み。
呻き声と共に横たわるNPCたちは地獄の亡者さながら。
滅亡から逃れようと一目散に走り出した先に待ち構えているのは硫酸の迷宮。
逃げたら蒸発、進めば溶解。住民が苦しむ様に目もくれず、ジャックの霊体化を見届けたプロスペラはその場から去って行く。
目前の危機を乗り越えるため、別の火種を蒔いた。陽春の候、春風が吹きつける大都市が霧に包まれるなど普通ならばあり得ない。
事情通であれば、この付近に敵サーヴァントがいると嗅ぎつける。
そしてプロスペラは疑似とは言え拠り所の令呪を一画消費したばかり。ジャックもアサシンというクラスの都合上、正面からの直接戦闘に向いたサーヴァントではない。
万が一、他葬者と遭遇すれば面倒が増えるため、あえて裏道に足を踏み入れた。
(おかあさん。さっき、霧の中で隠れていた時……すごい魔力を感じたよ)
(……誰かが宝具を使って、反撃したのかしら)
ジャックの報告にプロスペラは思考を巡らせる。
目視こそはできなかったが、破滅の光に匹敵する宝具を何者かが放った。
圧倒的な破壊には同等の暴力をぶつける。シンプルで、理不尽極まりない難度の報復を成し遂げられた。
だから、空からの危機は一先ず去った。如何なる破壊活動も永遠には続かない。
だが、この世は変わり続けていくのが常。昨日までは平穏無事に過ごしても、次の瞬間には予期せぬ災害で日常が壊される可能性はゼロではない。
そしてーー天文学的確率であるが、空の彼方から誰かが振ってくる突飛なケースすらあった。
「こんな所にマスターがいるとはな」
「ッ!?」
背後から気さくに話しかけられ、プロスペラは驚愕する。
振り向けば、黒い衣服をだらしなく着用した男が立っていた。物憂げに、さりとて瞳に宿った刃物の如く切れ味を見逃さない。
言うなれば殺意。お前の首をいつでも刈り取れるぞ、と無言で告げていた。
「おっと、下手に誤魔化すなよ。さっき、俺はこの目で見た……霧の中から出てきたあんたと、あんたの隣で消えたサーヴァントの姿を。あの霧、宝具だろ?」
「……えぇ、その通り。あの光からの緊急避難として、サーヴァントに使わせた」
「やけに素直じゃねえか」
「ここで事を構えたくないもの」
余計な装飾を施さずに、プロスペラは意図を明かす。
「あれ~? アサシン、どうしたの?」
「マスターを見つけた」
話し声が聞かれたのか、あるいは念話で知らされたのか。
気がつけば、二人の少女が物陰から現れた。
奇抜な格好をした褐色肌の少女と、この町には珍しいヘイローが見られる学生服を纏った少女。
少女は二人ともマスターで、アサシンと呼ばれた男はどちらかと契約している。
「サーヴァントは黙らせた方がいいぜ。あんたが何を企もうと、俺たちの方が早い」
「ええ。アサシンには、私から言っておく」
男の脅迫と共に二人の少女は構えた。
プロスペラが仕掛ける隙すら与えないつもりだ。
サーヴァントのみならず、マスターたちは現世でも荒事に慣れている。
だが、弱り目に祟り目など言わない。聖杯戦争で生きる以上、このような状況も想定していた。
(おかあさん……)
(ジャック、お母さんに任せて……あなたは出てきてはダメ)
娘の不安げな声に、母は力強く応えた。
龍賀沙代との接触で邪魔が入った時のように、プロスペラすらも想定していない鉢合わせだ。
周囲への警戒を解いたのではない。本当に、巡り合わせが悪すぎただけ。
遠くから出鱈目に撃った弓矢と、この三人の位置が入れ替わるなど、如何にプロスペラだろうと看破できない。
ましてや、弓矢が着弾した箇所と、霧の迷宮の出口がそう離れていなかったなど、誰が予想できるのか。
この場にいないアーチャーの宝具で飛ばされた後、アサシンは気配遮断スキルで存在を隠蔽しながら、大きく広がる謎の霧を目撃した。
どう見ても自然現象ではない。降り注ぐ破滅の影で、何者かが仕掛けてくるのではないか?
調査のため、黒衣のアサシンが出向いた矢先にプロスペラ主従を発見し、今に至る。
だが、遭遇した理由など些事に過ぎない。
「折角だし、お話をしない? お互い、厄災を生き延びたばかりで、あなたたちも疲れているでしょう……ここで会ったのも何かの縁だから」
この場を切り抜けるため、そして次の一手を進めるため、どのように彼らと交渉をするのか?
動揺もしないまま、プロスペラの思考は静かに切り替わっていた。
◆
一触即発。
互いの眉間に銃口を向け合っている状況だ。
誰か一人でも非礼に及べば大量の血が流れる。
小鳥遊ホシノも、
クロエ・フォン・アインツベルンも、プロスペラ・マーキュリーもーー地雷を踏まないよう、慎重に次の手を選んでいた。
「うへ~! 生き返るぅ~! さっきからずっと動いてたから、ノドがカラカラだったんだよね~」
「よかったら、もう一杯だけどう? 私の奢りでね」
「大丈夫。知らない人から何かを貰っちゃダメって、先生に怒られちゃうよ」
日が暮れる夕方に差し掛かる文京区の某所。
葬者三人、サーヴァント二体は人気のない路地裏に集まっている。
東京の各所に破滅が襲来し、更には『暗黒霧都(ザ・ミスト)』が展開されたにも関わらず、奇跡的に傷一つない。
自動販売機で購入した飲み物を片手にして、ホシノたちはプロスペラを囲んでいた。
「クロエ。あなたのサーヴァントは迎えなくて大丈夫?」
「……お構いなく、だって。また、誰かが襲いかかってくるかもしれないから、近くを見張ってるみたい」
ただ一人、クロエと契約したアーチャーだけが不在。
彼だけはプロスペラに姿を晒さないまま、離れた場所で待機している。
曰く、少し前にサーヴァントと交戦したらしい。勝利こそはしたものの、撃破までは至らなかった。
先の破滅に限らず、敵対サーヴァントの襲撃に備えて別所で待機しているとのことだ。
それに嘘はない。誰か一人が不審人物の接近に気を配る必要がある。
同時に、遠距離から魔女に照準を定めていた。
プロスペラ主従が少しでも不穏な動きをすれば矢は放たれる。
「悪いが、俺は今回は黙ってる。どこかの色男みたいに、交渉人(ネゴシエーター)はガラじゃねえからな」
アーチャーだけではない。偽りの親子に対して、ホシノのアサシン……
ゼファー・コールレインは獰猛な気配を露わにしていた。
銀狼は刃を隠さない。
かつて人狼(リュカオン)は天の星々を滅ぼし続けた。
冥王(ハデス)からすれば魔女など磨り潰される塵芥に過ぎない。
冥狼(ケルベロス)が牙を剥ければ、たかが諜報戦に強い程度の親子など瞬く間に肉塊となる。
近くにアサシン、遠くにアーチャー。逃げ場がない状況下だが、プロスペラの詰みではない。
仮に今、こちら四人が実力行使に出ようと、プロスペラのサーヴァントがその気になればマスター一人を道連れにできる。殺せなくとも、重傷は避けられない。
確かに、アサシンとアーチャーは強く、彼らと契約するホシノとクロエも人間の領域を越えている。
まともに戦ってもプロスペラ主従が勝てる見込みは薄い。しかし、マスターが巻き添えを喰らうように立ち回る程度は容易だ。
この場での最適解は一つ。話し合いを進めて、両陣営が無傷のまま終わらせる。
「それで、プロスペラのおばさん。おじさんたちと何を話したいの?」
「手短に言うわ。私は、あなたたちに『投資』をしたいの」
懇切な態度に、ホシノは思わず顔を顰める。
この人はとてもよく似ていた。
あのカイザーコーポレーションの理事や黒服と同じ悪い大人。自分の利益のため、子どもを利用することを厭わない狡猾さを持つ。
「ここまで生き延びたなら、知っているでしょう。無差別に聖杯戦争の盤面を荒らし回る怪物が蔓延っていることを」
「うん。私たちも、何とかしなきゃって思ったんだ。さっきの光だけじゃなく、ドラゴンや双亡亭とか危ない噂が広がっているから……途中で、ベリネットグループもきな臭いって聞いたけどね」
「フフ、こちらも色々と手を回しているの。その過程で降りかかる火の粉は払うことになったから、それじゃないかしら?」
まるで悪びれもしない態度にホシノは顔を顰める。
強大な地盤を誇り、情報戦でも優位に立ち回っている魔女がプロスペラだ。
東京の各地で大きな影響力を持つベネリットグループと、そのCEOのプロスペラについてはホシノも事前に認知している。その顔をメディアで見たことは何度かあった。
下手に接触をしては取り込まれる。これまでも感知を避けて動いたが、今は不運な偶然の結果だ。
宝具を使ったクロエのアーチャーに一切の非はない。
「けれど、私も進んで誰かを殺したいわけじゃない。きちんと話し合って、願わくば協力関係にありたい。そのつもりで、私は話をしているの」
「それって、おじさんたちと力を合わせて頑張りたいってこと?」
「そう思ってくれて大丈夫」
ホシノの声色には棘があった。
協力自体は吝かではない。
途方もない悪意と暴力に東京が蹂躙された以上、他主従との連携は余儀なくされる。
避けようとすれば最終的に自らの首を絞める。
「それに、私たちにとっての厄災はもう一つだけある。さっきまで、全主従を目がけて放たれた光は突然止んだ……これがどういうことかわかる?」
「……誰かが宝具を使って、腕尽くで止めさせた。つまり、同じくらい強いサーヴァントがどこかにいる」
「そう。あれだけの破壊力を持つ以上、相応の魔力を消費しているでしょうから、今は隠れ潜んでいる。でも、回復したらすぐに動くでしょうね」
悪夢のような希望をホシノたちも見ている。
アーチャーの尽力で破滅を回避した直後、大空を目がけて放射された漆黒が目に飛び込んだ。その威圧感は遠く離れた先からでも肌に突き刺さった。
あの一撃は遙か彼方で炸裂し、それきり砲撃は放たれていない。
だが、危機が去った訳ではない。仮に漆黒の宝具で砲撃主が撃破されても、それを凌駕する驚異といつかは相対する時が来る。
「例の破滅にしても、これで終わるはずがない。
近いうちに、何かしらの手段で再起する……それこそ、さっきのがまともに思える攻撃だって、使ってくるかもしれない。
それまでに、一人でも多くの味方は必要だと、私は考えているの」
プロスペラは笑みを浮かべていない。
あの連続砲撃などほんの序の口でしかなく、更なる災いすらも引き起こせる。
破滅の居所は掴めない。弩級の火力による反撃を受けては、怪物と言えど休息を選ぶだろう。
その間、従来通りの聖杯戦争を続けては、無意味に消耗するだけ。
破滅が傷を癒やして再び現れた時ーー今度こそ、混沌と破壊で冥界全土は呑み込まれる。
「いいよ。怖いサーヴァントはいっぱいいるからね」
「じゃあーー」
「でも、おじさんたちに何かをしてあげよう、なんて考えなくてもいいよ。おばさんだって大変そうだから」
ホシノは肯く。
ただ、利害の一致で手を組むだけ。
最低限は求めても必要以上に与えない。
プロスペラがどんな餌をばらまこうと例外なく突き返す。
少しでも気を許せば駒に成り下がることをホシノは知っていた。
「話を持ちかけてくれたことは嬉しいんだ。おじさんたちの方も、人手が欲しかったから。でもね、立場は対等でいよう? やりすぎちゃうと、いざって時にどっちかが困るからさ」
悪い大人たちの陰謀でアドビス高校は膨大な借金を背負わされた。
ホシノ自身も囚われの身になり全てを奪われかけた。
そんなことを、この世界でも繰り返さない。
ホシノの隣にはゼファーがいる。クロエとアーチャーだっていた。
寳月夜宵と金のバーサーカー、そして
結城理と竪琴弾き(オルフェウス)もどこかで頑張っている。
他のみんなに負債を背負わせない。破滅で各種インフラに壊滅的な打撃を受けても、プロスペラがその気になれば補足できる。
だから、魔女に頭を垂れない。
横に立つことはあっても、上下関係ができるなどあり得ないと、言葉にせず釘を刺した。
「私も同じ。本音を言うなら反対だけど、今は妥協する……でも、信用はしない。あなたのことが胡散臭いから」
プロスペラに対するクロエの眼差しは鋭いまま。
嫌な相手を思い出していそうな顔だ。
冥界の早朝。神を名乗った怪しげな神父にクロエとアーチャーは押しかけられたらしい。
件の厄災を討ち取るために協力を持ちかけられた。終始一貫、傲慢な態度で鬱陶しかったとのことだ。
黒龍を凌ぎ、破滅が襲来するまでの平穏な時間、クロエは心底からうんざりした顔で愚痴を溢していた。
ホシノはクロエに同情した。同時に、いつか会う時が来ることにため息を吐く。
顔も知らぬ神父と目の前の魔女は、同種の怪物と見ていい。気を引き締めて挑むべき相手だ。
「そう、あなたたちの考えはわかった」
「もしも、何かあったら連絡を取り合うくらいなら大丈夫だよ。会えるかはわからないけど、情報は増やせるに越したことはないからね」
「……私なら、ホシノと同じヘイローを持つ女学生を探せるけど、本当にいいの?」
「言ったはずだよ。おばさんの方も大変そうだから、こっちのことは大丈夫。他のみんなだって、今はそれどころじゃないし」
小鳥遊ホシノと同じヘイローを持つ少女がいることをゼファーから聞かされた。
葬者として聖杯戦争に巻き込まれた彼女たちとの合流は避けている。
ヘイローの存在はこの東京では珍しく、歩くだけでどうしても人目を集めた。事実、黒王と交戦するきっかけの一つはヘイローにある。
キヴォトスからの同郷と一緒にいてはどうしても目立つ。心苦しくはあるが、互いの生存率を上げるために今はあえて離れた。
そして、最も大きな理由は……魔女の毒牙にかけさせないこと。
何らかの手段で無差別爆撃を逃れても、心身ともに疲弊しているはず。
そこをプロスペラに介入させたりなどしない。きっと、シャーレの先生だってそうするはず。
「気遣ってくれて、ありがとう。確かに、無理な同行をしても連携はできない……私だって、娘を助けられなくなる」
「……どういう意味?」
「私には、娘が二人いるの。一人は元気に育ったけれど、もう一人は……自由に動けない。現代の医学でも治せない病気って思えばいいわ」
「じゃあ、プロスペラが戦ってるのは……その子を助けるため?」
「ええ。嘘はないわ。彼女を幸せにするには、もう聖杯しかないの」
唐突な吐露は愁いに満ちていた。
切実な表情に、ホシノのみならずクロエも言葉を失う。
彼女が聖杯にかける願い。それは、元の世界に置いてきてしまった娘の幸福だ。
あらゆる手を尽くしても助けられず、聖杯に縋るしかなくなった。
その過程には多くの悪意があり、時として殺人に手を染めた。
けれど、根底にあるのは愛。
罪を背負ってでも助けたい命があった。
もし、この世界でプロスペラが倒れれば、彼女の娘たちは母を失うことになる。
「いいじゃないか」
ホシノが迷いかけた中、プロスペラを肯定する男が一人。
それまでの沈黙をゼファーは破った。
「それは、全然いいと思うぜ」
「あら、あなたが認めてくれるなんて意外ね」
「ああ。愛する家族を助けたいってことだろ?
人々やら平和のためとか言いながら、関係ない人間を平気で殺す連中に比べれば、俺は納得できる。全然真っ当だと思うぜ。けどよーー」
狼の険しい目つきは、ホシノにも向けられていた。
「マスターの命はくれてやらねぇ」
話を聞くのはいい。
相手の事情を知って同情するのは結構。
だが、絆されるな。
プロスペラの戦う理由とホシノの最終目的はまるで関係ない。
それはそれでこれはこれだ。
安易に流される程度の信念ならばお前にもう用はない。
二度までは許す。これは最後の警告だと、言外に含んでいた。
「娘さん、大事なんだね」
ゼファーからの叱咤を受け、ホシノは改めて毅然と向き合う。
プロスペラの願いは尊重するが、わたしたちも譲ったりしない。
帰りを待っている人がいるのは同じ。
「大事よ」
「おじさんたち、聖杯に頼らないで日常に帰る方法を探してるんだ。もし、見つけられたら……一緒にどう? こっちの世界なら、娘さんを助ける方法があるかもしれないから」
「考えておく。仮に後がなくなったら……よろしくお願いするわ」
これは最大限の譲歩だ。
ホシノとクロエの願いは生きて元の日常に帰還すること。
プロスペラの願いは愛娘を救うこと。
その真ん中を探し、互いにとってのベターを見つけられるかもしれない。
キヴォトスには優れた才能を誇る女学生が数え切れない程いる。ゲヘナの救急医学部や、トリニティの救護騎士団ならば治療の手立てを探すだろう。
あるいは、ミレニアムサイエンススクールのエンジニアであれば、ヒントを見つけるかもしれない。
少なくとも、アドビスのみんなはプロスペラの願いに寄り添ってくれる。
ふと、振り向けば……ゼファーは得意げな顔でこの場を見守っている。
きっと、彼は最愛の妹に想いを馳せているはずだ。
ミリィ。ミリアルテ・ブランシェ。
血の繋がりはないが、ゼファーにとってたった一人の大切な家族だ。
あのアスクレピオスの大虐殺、軍を裏切ったゼファーはミリィと共に勝利から逃げ出した。
かつてゼファーは荒んでいたが、ミリィがいたから人間として踏み留まれている。
彼女を救うために部下を殺したゼファーだからこそ、プロスペラの願いを理解した。
認めた上で否定している。だからホシノも惑わされなかった。
ありがとね、ミリィちゃん。
大きな技術を創造し、後生に継承した偉大な技術者に感謝の言葉を向けた。
◆
時間にしてそれほど長くない。
客観的には短く、しかし命を左右したであろう交渉は終わる。
結論から言えば成功だ。傷一つなく、新たなる同盟相手を得た。
お互いに距離は置くことになったものの、プロスペラ・マーキュリーとしては問題ない。既に連絡先も交換し合った。
元より漁夫の利を狙う戦いこそ得意分野だ。小鳥遊ホシノとクロエ・フォン・アインツベルンに削りを任せ、最後の一撃はジャックに決めさせる。
これまでと何も変わらない。
「おかあさん、おつかれさま」
「ジャック。ずっと待っててくれて、ありがとう」
既に彼女らとは別れたので、ジャックは実体化をした。
終始隠れるように伝えたのは話を円滑に進めるため。同時に、万が一に備えて先制攻撃を仕掛けられる準備も整えている。
尤も、戦いは起こらずに済んだ。
今の最優先事項は何処かに潜んでいる厄災の対処。
小競り合いを続けては、数を潰せる暴力に屈する結末だけ。
今の標的を誘導させることで危機を乗り越えた。
「願いを話してよかったの?」
「もちろん。彼女たちは荒事には慣れていそうだけど、とても優しい子たちよ。私の事情を話せば理解してくれると思ったの」
娘が二人いて、その内の一人を助けるために戦っている。
データストームなど諸々の単語を出さなかったが、嘘は何一つとして言っていない。最低限にまとめたのは、交渉に時間をかけないためだ。
哀れな母親の仮面を被り、同情させる狙いもある。アサシンには真意を見抜かれたが、正直に話した甲斐だけはあった。
ほんの一瞬でも、ホシノとクロエの警戒心が和らいだのは確かだ。
ーー手を出さなかったから、お礼に一つ教えてあげる。
ーー私のアーチャーが戦ったのは吸血鬼(ヴァンパイア)のサーヴァント。クラス名はわからないけど、真名は明かしてたみたい。
ーー
ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ。とても凶暴だから気をつけてって、アーチャーは警告してる。
別れ際に、一つだけ大きな情報をクロエは話した。
それはまだ見ぬ敵サーヴァントの真名と特性。
一切の言葉や説得が届かない正真正銘の魔人。
ヴィルヘルムとやらは東京が壊滅する最中でもアーチャーとの戦闘を優先させた。
尽きることのない闘争心を誇り、仮にプロスペラが何を話そうと、その全てを暴力で叩き潰す。
そして、窮地に陥っても自力で復活した際、令呪と思われる紋様が胸に浮かんでいたらしい。
荒唐無稽な技を実現するため、事前に他の葬者から令呪を奪って体内に取り込んだ。
即ちヴィルヘルムこそが巷を騒がせる令呪狩りの片割れである可能性が高い。
全ての要素から考えればジャックにとっても相性最悪だ。
尚更、それほどの強敵を退けた彼女たちとの敵対は避けたかった。
「さてーー私の方も、次に向けて動かないと。被害状況の確認や、拠点の準備……課題は山積みね」
「大変だね。わたしに何か手伝えることはある?」
「ありがとう、ジャック。それじゃあ……」
不吉な光で予定が狂い、引っ越しすらも台無しにされた。
優位を取っていた情報戦では一気に遅れを取るだろう。道路と鉄道を容赦なく破壊されては、移動の面でも制限がかかる。
しかし、プロスペラとジャックは生きていた。命を繋いでいる限り、チャンスはいくらでも訪れる。
逃げたら一つ、進めば二つ。娘に贈った魔法の言葉を胸に、プロスペラは次の一手のために動き出した。
【文京区のどこか/一日目・夕方】
【プロスペラ・マーキュリー@機動戦士ガンダム 水星の魔女】
[運命力]通常
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]いつもの義肢(右腕)、拳銃及び弾薬
[道具]義肢令呪(残り?画)、他不明
[所持金]とても潤沢
[思考・状況]
基本行動方針:優勝狙い。エリクト・サマヤが自由に生きられる世界を作る。
0.次のことを考えないと。
1.自身の社会的地位や、アサシンの《情報抹消》スキルを活用して他マスターの情報を収集する。
2.1.によって得た情報で、他マスターを利用できそうなら利用する。出来なさそうで、かつ可能なら殺害。
現在の候補はオルフェ・ラム・タオ。ただし同時に警戒対象。
小鳥遊ホシノとアサシン(ゼファー・コールレイン)、クロエ・フォン・アインツベルンとアーチャー(
石田雨竜)は適度な距離で接する。
3.他マスターを殺害した場合、可能であれば令呪も奪い、義肢令呪に加工する。
4.学生服の少年(
岸浪ハクノ)とそのサーヴァント(ドラコー)のような、初見でアサシンを殺し得る存在を警戒。
5.アサシンの対戦相手に隙を作れるような一手を用意する。
6.クロエのアーチャー(石田雨竜)が戦ったヴィルヘルムには手を出さない。
[備考]
※3月31日深夜に都内上空で行われた戦闘を目撃しています。
※龍賀沙代の冥界におけるプロフィールを把握しています。
※ベネリット社製品のハロ@機動戦士ガンダム 水星の魔女をドローンとして所持しています。
※小鳥遊ホシノと連絡先を交換しました。
【ジャック・ザ・リッパー@Fate/Apocrypha】
[状態]回復済み、右手義肢化
[装備]『解体聖母』、スカルペス
[道具]なし
[所持金]おかあさんにあずけてる
[思考・状況]
基本行動方針:おかあさんの指示にしたがう
0.おかあさんのためにがんばる!
1.おかあさんといっしょの右手!
2.次はぜったいころす
[備考]
※龍賀沙代から、自分と似たような匂いを感じ取りました。
◆
「お待たせ、アーチャー」
「……君の命令通りに静観していたが、本当に大丈夫だったのか?」
アーチャー・石田雨竜の懸念は尤もだ。
クロエ・フォン・アインツベルンの本音としては魔女を見逃したくない。
アレは決して放置していい類の人間ではなかった。
「大丈夫なわけない。でも、あのおばさんのサーヴァントもアサシンなら、下手に出られなかったの」
アサシンのサーヴァントは敏捷に優れ、敵の不意を突く分野に特化している。
仮にプロスペラが形振り構わずアサシンを暴れさせれば、ホシノとクロエのどちらかは首を取られる。
あなたたちが先に仕掛けたのだから、こちらの正当防衛だ。その理屈で攻められては取り返しが付かない。
だから、最低限の交流に留めるしかなかった。
「ごめんね、クロエちゃん。それと、ありがと。私の意図を汲み取ってくれて」
「じゃあ、そのお礼にーー」
「マスター」
雨竜に諫められてクロエは口を慎む。
冗談よ、と返答する一方、相変わらずホシノとアサシンは首を傾げていた。
「……もう一つ聞く。まさか、彼女が誰かの母親だから躊躇したのか?」
間髪を入れずに投げかけられる雨竜の疑問。
既に念話を通じてプロスペラのことを話した。
その時も、ホシノがアサシンに叱責されたように、クロエもまた雨竜から念を押されている。
彼女の言葉に惑わされるな、と。
それでも雨竜の目には翳りがあった。
滅却師(クインシー)として数多くの逸話を遺したからこそ英霊の座に登り着いた。
そして石田雨竜という男は医者でもあり、戦いを終えてからはたくさんの親子に寄り添った。
彼は数え切れない子どもを笑顔にした。
そんな雨竜は人間としても素晴らしいとクロエは知っていた。
「大丈夫。あんなおばさんに踊らされたりはしないわ! そりゃあ、気持ちはわかるけど……私が殺される理由になんてならないから!」
勿論、クロエにも思うところはある。
ほんの一瞬。認めたくないが、プロスペラが母親と知った時はあの人の顔が浮かんだ。
ママ。アイリスフィール・フォン・アインツベルン。
世界にたった一人しかいない大好きなママ。
けれど、ママとプロスペラは違う。
少なくとも、ママは娘を助けるために悪さをする人じゃない。
ホシノのアサシンが言ったように、この命をプロスペラに渡すなんてイヤだ。
ヴィルヘルムの情報を教えたのはせめてもの餞別だ。娘のために精々頑張ってね、というメッセージも込めた。
だが、それはそれでこれはこれ。
親が子を大切に想うように、子にとっても親は大事だ。
もう一度、生きることができたら……またママに会いたい。
譲れない願いを胸に抱きながら、クロエたちはこれからのことを話し合った。
【文京区のどこか/一日目・夕方】
【クロエ・フォン・アインツベルン@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 3rei!!】
[運命力]通常
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]不明
[所持金]雨竜に預けているので、あんまり持ってない
[思考・状況]
基本行動方針:生きたい、もう一度。
1.ホシノたちに同行し、狙撃手の正体を確かめる。
2.〈消滅〉のことは頭が痛い。まあ、放ってはおけないわよね……。
3.〈ヒーロー〉は今どこにいるのかしら。
4.プロスペラ・マーキュリーとは協力関係になるけど、信用はできない。
[備考]
※天堂が持つ〈ヒーロー〉の情報を聞きました。詳細は後の話に準拠します。
※狙撃手を、自分の知る人物なのでは? と考えています。
【アーチャー(石田雨竜)@BLEACH】
[状態]ダメージ(小)、魔力消費(中)、いずれも回復中、怖気
[装備]弧雀
[道具]なし
[所持金]数万円程度
[思考・状況]
基本行動方針:クロエを現世に送り届ける。
0.マスターの指示を待つ。ヴィルヘルムについては……今はあまり考えたくない。
1.〈消滅〉を討つという点で天堂と合意。ただし、完全に信用はしていない。プロスペラについても同様。
2.〈ヒーロー〉ともコンタクトを取りたい。
[備考]
※天堂が持つ〈ヒーロー〉の情報を聞きました。詳細は後の話に準拠します。
※ヴィルヘルムの真名を知りました。
【小鳥遊ホシノ@ブルーアーカイブ】
[運命力]減少(小)
[状態]全身に裂傷、片足に裂挫創(いずれも応急手当済み)
[令呪]残り3画
[装備]「Eye of Horus」(バッグに偽装)、盾(バッグに偽装)
[道具]
[所持金]学生相応
[思考・状況]
基本行動方針:生還優先。物騒なのはほどほどに。
1.ある程度回復したら、セイバーのマスター(オルフェ)を追跡する。
2.ユメ先輩……。
3.同盟は……もう少し待ってほしい。
4.殺し合わず生還する方法を探す。
5.プロスペラについて思うところはあるけど、必要以上に絆されない。
[備考]
※夜宵、プロスペラと連絡先を交換しました。
【アサシン(ゼファー・コールレイン)@シルヴァリオヴェンデッタ】
[状態]通常
[装備]ナイフ
[道具]投擲用ナイフ×?
[所持金]諜報活動に支障ない程度(放蕩で散財気味)
[思考・状況]
基本行動方針:ホシノの方針に従う。
1.セイバーのマスター(オルフェ)は必ず殺す。
2.こいつら(クロエとアーチャー)大丈夫か?
3.なにあのロリっ子怖い。あの英雄ほどイカれてないようなのは安心。
4.プロスペラの願いは理解したが、マスターの命は渡したりなどしない。
[備考]
※情報屋の葬者(脱落済み)と情報のやり取りをしていました。夜宵が交流してたのと同じ相手です。
※ヴェンデッタの半実体化にはマスターの魔力を必要とし、その能力の使用にはさらなる魔力の消費が必要です。
またゼファーの本来の宝具の使用にはヴェンデッタとの完全同調が必要であり、より膨大な魔力を消費します。
最終更新:2025年09月18日 06:07