悪鬼の泣く朝焼けに(前編) ◆WAWBD2hzCI
死を告げる放送が島に響く。
誰であろうと例外なく、現実を突きつけた。愛しい人の死も、親友の死も無慈悲に。
腰を下ろしていた真人とトーニャは、朝日を見上げながら固まっていた。
死者の数と禁止エリアをメモしておいたほうがいい、という知略担当のトーニャの言葉に従ったからだ。
誰であろうと例外なく、現実を突きつけた。愛しい人の死も、親友の死も無慈悲に。
腰を下ろしていた真人とトーニャは、朝日を見上げながら固まっていた。
死者の数と禁止エリアをメモしておいたほうがいい、という知略担当のトーニャの言葉に従ったからだ。
そうして、井ノ原真人は凍り付いていた。
呼ばれたのはリトルバスターズの一員である謙吾の名前。良き友であり、良きライバルでもあった親友。
こんなに早く、あの謙吾が殺されるなんて。それが偽らざる感想だった。
呼ばれたのはリトルバスターズの一員である謙吾の名前。良き友であり、良きライバルでもあった親友。
こんなに早く、あの謙吾が殺されるなんて。それが偽らざる感想だった。
「嘘だろ……謙吾、てめえが死ぬなんて、信じられねえぜ……」
少なくとも竹刀を持てば敵はいない、リトルバスターズ最強の侍。
そんな彼が倒れたことを真人は噛み締め、受け入れる。
トーニャはそんな彼の様子を気にかけながら、メモを取っていく。彼女の知り合いは呼ばれなかったのも幸いした。
禁止エリアを書き込み、そして一時流れる……食事音。
そんな彼が倒れたことを真人は噛み締め、受け入れる。
トーニャはそんな彼の様子を気にかけながら、メモを取っていく。彼女の知り合いは呼ばれなかったのも幸いした。
禁止エリアを書き込み、そして一時流れる……食事音。
(食事音!? 食事音ってなんですか!? もっと厳格な雰囲気で語りなさい、場の雰囲気ってものがあるでしょうが!)
心の奥底から零れそうになった本音をぐっと飲み込んだ。
落ち着け、と自身に語りかける。アレは敢えて自分たちの敵愾心を煽っているに過ぎない。
さすが天性の素養ですね、何気ない音ですが……勘に障ります、と心中で呟いた。
落ち着け、と自身に語りかける。アレは敢えて自分たちの敵愾心を煽っているに過ぎない。
さすが天性の素養ですね、何気ない音ですが……勘に障ります、と心中で呟いた。
(…………舐めすぎですよ、管理者さん。今にして思えば、あんな奴らの思い通りにならなかったのは幸いというべきでしょうか)
放送中でのふざけた対応。
食事の様子は自分が安全な場所から高みの見物をしている、ということを告げている。
あまりにもふざけている。
あんな奴らの狙いのために殺し合いに乗るなど、愚考としか言いようがないと今なら思えた。
食事の様子は自分が安全な場所から高みの見物をしている、ということを告げている。
あまりにもふざけている。
あんな奴らの狙いのために殺し合いに乗るなど、愚考としか言いようがないと今なら思えた。
(気になるのは、権利のことでしょうか)
思い返すのは言峰綺礼という神父が告げた権利の話。
どんな意味があって、あんなことを言ったのか。まるで意味がないあやふやな言葉の裏に、ひとつの可能性が提示される。
死者蘇生、黄泉帰りの類の話だ。
彼らは人知を超えた存在、神にも等しい力を持っていると自称していた。
どんな意味があって、あんなことを言ったのか。まるで意味がないあやふやな言葉の裏に、ひとつの可能性が提示される。
死者蘇生、黄泉帰りの類の話だ。
彼らは人知を超えた存在、神にも等しい力を持っていると自称していた。
何の意味があるのか、とトーニャは考える。
可能性としては優勝を目指すものを増やすため、が挙げられるだろう。
死者蘇生も可能、ともなれば財も権力も思いのままだろう。
ウェストは生贄に捧げるが目的、と考えた。蟲毒のような呪いの儀式に、あの言葉はまるで甘い蜜のようかも知れない。
可能性としては優勝を目指すものを増やすため、が挙げられるだろう。
死者蘇生も可能、ともなれば財も権力も思いのままだろう。
ウェストは生贄に捧げるが目的、と考えた。蟲毒のような呪いの儀式に、あの言葉はまるで甘い蜜のようかも知れない。
(……さて、グッピーは大丈夫でしょうか)
知人の名前が呼ばれてしまった、井ノ原真人を横目で盗み見る。
珍しく難しい顔で彼は考え込んでいる。
その様子がいつになく真面目にも見えて、トーニャの瞳が細くなる。
もしや、あの放送を聴いて魔が刺すようなことはないだろうか。このグッピーに限って、とは思うが油断はしなかった。
珍しく難しい顔で彼は考え込んでいる。
その様子がいつになく真面目にも見えて、トーニャの瞳が細くなる。
もしや、あの放送を聴いて魔が刺すようなことはないだろうか。このグッピーに限って、とは思うが油断はしなかった。
やがて、真人は脱力したように肩を下ろす。
それは疲れ果てた老人のような緩慢な動きで、自嘲気味に笑った口元は寂しげだった。
それは疲れ果てた老人のような緩慢な動きで、自嘲気味に笑った口元は寂しげだった。
「……てけり・り」
発言する機会すら貰えなかったダンセイニは、至高の筋肉の中で蹲るのだった。
いや、忘れてたわけじゃないよ? ほんとだよ?
そんなフォローを入れてやりたいほどにいじけた状態のスライムは、真人のデイパックの中に筋肉ごと収まるのだった。
いや、忘れてたわけじゃないよ? ほんとだよ?
そんなフォローを入れてやりたいほどにいじけた状態のスライムは、真人のデイパックの中に筋肉ごと収まるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
西園寺世界は壊れていた。
その名前と同じセカイという観点において、彼女の世界は崩壊を始めていた。
通常の常識を自分の都合のよい展開を考えた。そして、彼女は自分の中でそれを信じることにした。
そうすることで、自分と自分の子供を護ろうとしたのだ。
その名前と同じセカイという観点において、彼女の世界は崩壊を始めていた。
通常の常識を自分の都合のよい展開を考えた。そして、彼女は自分の中でそれを信じることにした。
そうすることで、自分と自分の子供を護ろうとしたのだ。
「ふふ、あはは……」
それが尊いことだと彼女は思っていた。
自分のためなら何でも許されるセカイ。子供の有無も、子供の無事も、自分自身さえも妄想で塗りたくった。
彼女は信じ続けている。自分の子供は流産などしていない、と。
桂言葉のお腹の中にこそ、自分と誠の子供が眠っているのだと信じた。信じて疑わなかった。
自分のためなら何でも許されるセカイ。子供の有無も、子供の無事も、自分自身さえも妄想で塗りたくった。
彼女は信じ続けている。自分の子供は流産などしていない、と。
桂言葉のお腹の中にこそ、自分と誠の子供が眠っているのだと信じた。信じて疑わなかった。
「そうだよ、私の子供が死ぬわけない。桂さんだけずるい、でも感謝しなきゃ。私の子を護ってくれてるんだもんね、はは」
歩く、歩く、歩き続ける。
自分が何処に向かっているのか、なんて考えない。
きっとこの足は最愛の赤ちゃんを目指して歩いている、そうに違いない。壊れた彼女の思考が思い込む。
だって、だって、だって、だって、自分にそんな不幸が訪れるはずがないと信じているのだから。
自分が何処に向かっているのか、なんて考えない。
きっとこの足は最愛の赤ちゃんを目指して歩いている、そうに違いない。壊れた彼女の思考が思い込む。
だって、だって、だって、だって、自分にそんな不幸が訪れるはずがないと信じているのだから。
「ああ、早く会いたい。私の赤ちゃん、赤ちゃん……可愛いんだろうなぁ、中を確かめたら、笑ってくれるのかな?」
モスクを離れ、南へ進む。
身体の痛さなんて関係ない。鼻血も拭いたし、身なりもそれなりに整えた。
少女は世界ごと一緒に笑う。自分を祝福してくれる世界だけを肯定する。それこそ、己の名前のとおりに。
彼女の感情は歓喜、憧憬、そして憎悪。
身体の痛さなんて関係ない。鼻血も拭いたし、身なりもそれなりに整えた。
少女は世界ごと一緒に笑う。自分を祝福してくれる世界だけを肯定する。それこそ、己の名前のとおりに。
彼女の感情は歓喜、憧憬、そして憎悪。
「……にしても、痛いな、痛い。あいつ、許さない、後悔させてやる、殺してやる。桂さんの赤ちゃんの仇だ」
平坦な言葉、それだけで聴く者が聴けば背筋が凍るかも知れない。
そこには自己愛しかなかった。言葉の子供の仇を取るというのなら、言葉の腹を裂くなどという言動は有り得ない。
ただ、自分のしたいように。ただ、自分が憎しみを抱いているから殺すのだ。
そこに自分が作った大義名分を創造し、それで正義の味方になった気分に浸ってみる。西園寺世界のセカイは崩壊しているのだ。
そこには自己愛しかなかった。言葉の子供の仇を取るというのなら、言葉の腹を裂くなどという言動は有り得ない。
ただ、自分のしたいように。ただ、自分が憎しみを抱いているから殺すのだ。
そこに自分が作った大義名分を創造し、それで正義の味方になった気分に浸ってみる。西園寺世界のセカイは崩壊しているのだ。
「ふふ、ふふふふふふ」
彼女は気づかない、恐らく機会がなければ永遠に。
もう自分が信じる幻想は殺されているというのに。
そんな彼女が通り過ぎた背後、森林の影に隠れて二人の男女が狂った少女の後姿を見送っていた。
もう自分が信じる幻想は殺されているというのに。
そんな彼女が通り過ぎた背後、森林の影に隠れて二人の男女が狂った少女の後姿を見送っていた。
「………………」
「……………………筋肉、筋肉!」
「………………(ぽいっ)」
「…………筋肉、きん(ごつん)……ぐふあ!? なにしやが……!」
「ええい、空気読め、この単細胞! なんで至高の筋肉(ダンセイニ入り)を取り出して勧誘体勢に入ってますか!」
「んだとてめえ、筋肉を馬鹿にする気か? お前の筋肉は暑苦しくて見てられません、ヒマラヤで雪男にでもなっててください、とでも言いたげだな!?」
「むしろイエティになってくれたほうがせいせいするわっ! そうじゃなくてですね……!」
「……………………筋肉、筋肉!」
「………………(ぽいっ)」
「…………筋肉、きん(ごつん)……ぐふあ!? なにしやが……!」
「ええい、空気読め、この単細胞! なんで至高の筋肉(ダンセイニ入り)を取り出して勧誘体勢に入ってますか!」
「んだとてめえ、筋肉を馬鹿にする気か? お前の筋肉は暑苦しくて見てられません、ヒマラヤで雪男にでもなっててください、とでも言いたげだな!?」
「むしろイエティになってくれたほうがせいせいするわっ! そうじゃなくてですね……!」
言うまでもなく、真人とトーニャの二人組である。
世界の姿を見つけたはいいが、その異様さから声をかけるのをトーニャは躊躇っていた。
加えてこの近辺には少女がもう一人、いることも確認している。
トーニャとしては両方と接触するつもりだが、果たして危険はないだろうかと思案をしていた。
世界の姿を見つけたはいいが、その異様さから声をかけるのをトーニャは躊躇っていた。
加えてこの近辺には少女がもう一人、いることも確認している。
トーニャとしては両方と接触するつもりだが、果たして危険はないだろうかと思案をしていた。
「……グッピー、ここは二手に分かれましょうか。やることは情報を集めることだけ、いいですね?」
「おう、俺に任せとけ」
「…………ええ、ほんとに頼みますよ」
「おう、俺に任せとけ」
「…………ええ、ほんとに頼みますよ」
すっごく不安であることはトーニャも認めざるを得ないが、まあいい。
ただの情報交換ぐらいやってもらわなければ、先が思いやられる。
さて、問題は……どちらがどちらに接触するべきか、ということだが……正直、トーニャとしては世界は勘弁してほしいと思う。
もしも急でなければ、思いっきり無視してしまいたい。そんな狂気を彼女は醸し出している。
ただの情報交換ぐらいやってもらわなければ、先が思いやられる。
さて、問題は……どちらがどちらに接触するべきか、ということだが……正直、トーニャとしては世界は勘弁してほしいと思う。
もしも急でなければ、思いっきり無視してしまいたい。そんな狂気を彼女は醸し出している。
「よっしゃ、じゃあジャンケンで決めるか、ランキングバトルをするか選べ、古狸」
「たかがその程度で誰がバトルしますか。あと古狸はやめなさい、たまご風味のグッピー。美味しくいただかれたいのですか?」
「たかがその程度で誰がバトルしますか。あと古狸はやめなさい、たまご風味のグッピー。美味しくいただかれたいのですか?」
にっこりと青筋を立てて威嚇。キキーモラが真人を狙っていた。
少しばかり真人は口元を引きつらせる。その様子を見て満足げにトーニャは頷くと、右手を差し出した。
少しばかり真人は口元を引きつらせる。その様子を見て満足げにトーニャは頷くと、右手を差し出した。
「では、ジャンケンです。あ、私はパーを出しますんで」
「お? それじゃあ俺の勝ちじゃねえか、楽勝だぜ」
「お? それじゃあ俺の勝ちじゃねえか、楽勝だぜ」
素晴らしい単細胞だ、とトーニャは笑いをこらえるしかなかった。
両者が右手を差し出し、勝負。勝敗を決めるのは紙と石と鋏による古来からの決着方法。
両者が右手を差し出し、勝負。勝敗を決めるのは紙と石と鋏による古来からの決着方法。
たった一度で決着はついた。
一人は勝利の、一人は敗北の雄たけびを森の中へと響き渡らせる。
それは誰にも拾われない絶叫ではあったが、やがてトーニャが迂闊だと自ら反省するのはまた別の話だ。
一人は勝利の、一人は敗北の雄たけびを森の中へと響き渡らせる。
それは誰にも拾われない絶叫ではあったが、やがてトーニャが迂闊だと自ら反省するのはまた別の話だ。
「…………てけり・り」
一方、ダンセイニは改めて取り出された至高の筋肉ごと、真人の胸の中に改めて収まった。
存在感がない、などとは言ってはならない。
決して言ってはならないのである。彼は繊細な生き物だ。
存在感がない、などとは言ってはならない。
決して言ってはならないのである。彼は繊細な生き物だ。
◇ ◇ ◇ ◇
「もう、やだよぉ……」
柚原このみは嘆きながら歩き続けていた。
脳裏に蘇るのは倒れた清浦刹那の姿……正確には西園寺世界の姿だが、彼女はその事実を知らない。
彼女が生きているか、死んでいるかも分からない。もしも死んでいたら……誰が殺したことになるのだろう。
殺したのは、殺したのは、その場にいて馬乗りになっていたのは――――そう考えると震えが止まらない。
脳裏に蘇るのは倒れた清浦刹那の姿……正確には西園寺世界の姿だが、彼女はその事実を知らない。
彼女が生きているか、死んでいるかも分からない。もしも死んでいたら……誰が殺したことになるのだろう。
殺したのは、殺したのは、その場にいて馬乗りになっていたのは――――そう考えると震えが止まらない。
人を殺してしまった、という重みに心が耐えられない。
もう頼れる人は誰もいない。知り合いは全員、殺されてしまった。
そして彼女自身が記憶している感情は恐怖と憎悪。それ以外は、あの出来事は何一つとして覚えていなかった。
正確には記憶しないことによって、心の自我を保ち続けていたのだ。
それでも何度も、何度もその映像が断線しながらも浮かび上がる。自分の下で蹲ってしまった、少女の酷い姿だけは。
そして彼女自身が記憶している感情は恐怖と憎悪。それ以外は、あの出来事は何一つとして覚えていなかった。
正確には記憶しないことによって、心の自我を保ち続けていたのだ。
それでも何度も、何度もその映像が断線しながらも浮かび上がる。自分の下で蹲ってしまった、少女の酷い姿だけは。
「助けて……誰か、助けてよ……」
声は拾われない。朝日に照らされた彼女が放つ、救いを求める声は虚しく響く。
そうしてこのみは闇に囚われていく。人間なら誰でも持っている感情がそこにある。
ぐつぐつと煮えたぎっていて、それを理性と恐怖が誤魔化し続けていた。
そうしてこのみは闇に囚われていく。人間なら誰でも持っている感情がそこにある。
ぐつぐつと煮えたぎっていて、それを理性と恐怖が誤魔化し続けていた。
助けて。
助けて。
助けて。
助けて。
助けて。
一人で生きていくのは嫌だ。
一人ぼっちで地獄に置いていかれるのは嫌だ。
死ぬのは嫌だ。何で、どうして自分がこんな目に合わなければならないんだろう。
誰か、誰でもいい。助けてほしい。怖いのも、痛いのも、もう嫌だ。
一人ぼっちで地獄に置いていかれるのは嫌だ。
死ぬのは嫌だ。何で、どうして自分がこんな目に合わなければならないんだろう。
誰か、誰でもいい。助けてほしい。怖いのも、痛いのも、もう嫌だ。
「えぐっ……うええっ……ひっく……」
とうとう、彼女は座り込んで泣き出してしまう。
とっくに枯れ果ててしまったと思っていた涙が、また際限なく溢れてきた。
体中の水分を全て搾り取ってしまうかのように、零れた涙は止まらない。
そんな彼女の前に現れたのは人間一人分の影だ。泣くことしかできないこのみはその人物に気付けない。
とっくに枯れ果ててしまったと思っていた涙が、また際限なく溢れてきた。
体中の水分を全て搾り取ってしまうかのように、零れた涙は止まらない。
そんな彼女の前に現れたのは人間一人分の影だ。泣くことしかできないこのみはその人物に気付けない。
「………………」
むん、と気合をひとつ入れた。
大柄な体格の青年、赤いヘアバンド。それは紛うことなく、井ノ原真人という名の男だった。
彼はこのみの姿を見る。誰かに殴られた跡や、ドロだらけの衣服。そして泣き出してしまう少女を見て、真人は思う。
慰めなければならない。そうでなければ、俺の筋肉が廃ると言わんばかりに。
大柄な体格の青年、赤いヘアバンド。それは紛うことなく、井ノ原真人という名の男だった。
彼はこのみの姿を見る。誰かに殴られた跡や、ドロだらけの衣服。そして泣き出してしまう少女を見て、真人は思う。
慰めなければならない。そうでなければ、俺の筋肉が廃ると言わんばかりに。
「おい、そこの……」
「っ……!? ひいっ……!」
「っ……!? ひいっ……!」
ファーストコンタクト。
まるで猫のようにびっくりされ、明らかに脅えた様子で応対されました。
だが、空気を読めないことにも定評のある真人は気にしない。
むしろ今のこのみの対応も、リトルバスターズの仲間である鈴と同じ人見知りのようなものだろう、ぐらいにしか彼は考えない。
まるで猫のようにびっくりされ、明らかに脅えた様子で応対されました。
だが、空気を読めないことにも定評のある真人は気にしない。
むしろ今のこのみの対応も、リトルバスターズの仲間である鈴と同じ人見知りのようなものだろう、ぐらいにしか彼は考えない。
「何だか知らねえが、泣くんじゃねえよ……ほら、筋肉少し分けてやるから」
「…………はえっ……?」
「てけり・り!」
「…………はえっ……?」
「てけり・り!」
このみの目の前にいるのは巨漢の青年だ。何故か液体入りの防弾チョッキを抱えている。
真人の身長は高くて、座り込んだこのみの視点からダンセイニの姿は見れない。
突拍子もないことを言われたこのみは、呆気にとられたまま……意図せずして、泣くことをやめていた。
真人の身長は高くて、座り込んだこのみの視点からダンセイニの姿は見れない。
突拍子もないことを言われたこのみは、呆気にとられたまま……意図せずして、泣くことをやめていた。
「見ろ、これを。至高の筋肉だ! この筋肉の価値は高いぜ! これを見て元気を出しやがれ」
「…………?」
「てけり・り!」
「…………?」
「てけり・り!」
真人はダンセイニ入りの至高の筋肉を差し出そうとして、考える。
待て、今の流れに何かおかしなところはなかったか?
考えろ、井ノ原真人。ここは失敗してはいけないと、溢れんばかりの究極の筋肉が告げている。
そうしてたっぷり十秒間、ようやくひとつの事実に気付いた真人は、この世の終わりとばかりに頭を抱える仕草をした。
待て、今の流れに何かおかしなところはなかったか?
考えろ、井ノ原真人。ここは失敗してはいけないと、溢れんばかりの究極の筋肉が告げている。
そうしてたっぷり十秒間、ようやくひとつの事実に気付いた真人は、この世の終わりとばかりに頭を抱える仕草をした。
「いや、違うっ……こいつはダンセイニの筋肉だ! 分けるなら俺の筋肉じゃねえといけねえんだ!」
「てけり・り!」
「すまねえ、ダンセイニ! ああ、分かってる、この償いはするぜ! さあ、そこの! 俺から筋肉を持っていけ!」
「てけり・り?」
「……え? どうやって筋肉を渡すのかって……? そりゃあお前…………」
「てけり・り!」
「すまねえ、ダンセイニ! ああ、分かってる、この償いはするぜ! さあ、そこの! 俺から筋肉を持っていけ!」
「てけり・り?」
「……え? どうやって筋肉を渡すのかって……? そりゃあお前…………」
停止、そのまま凍りつく。
ちなみにこのみはあまりの展開に付いていけず、唖然としながら座り込むだけだった。
やがて、再び響くのは絶望の叫び。
ダンセイニを抱えた状態で頭を抱えるという所業と共に響いた絶叫が、柚原このみを強引に現実へと帰還させた。
ちなみにこのみはあまりの展開に付いていけず、唖然としながら座り込むだけだった。
やがて、再び響くのは絶望の叫び。
ダンセイニを抱えた状態で頭を抱えるという所業と共に響いた絶叫が、柚原このみを強引に現実へと帰還させた。
「しまったぁぁぁあぁぁあああああああっ!!!」
◇ ◇ ◇ ◇
(…………不覚です。たかがジャンケンですが、一生の不覚な気がします)
トーニャは背後から世界へと距離を詰めながら、そんなことを思う。
パーを出す、と言えば簡単に信じてチョキを出すだろうという感じだった。そんな雰囲気だったのだが、甘く見すぎた。
実際、真人は頭が悪いわけではない。進学校にも合格しているし、こうした競い事なら何度も繰り返してきた。
もっとも、一番重要なのはまったく同じ手段を別の人間がしていた、という事実なのだが。
パーを出す、と言えば簡単に信じてチョキを出すだろうという感じだった。そんな雰囲気だったのだが、甘く見すぎた。
実際、真人は頭が悪いわけではない。進学校にも合格しているし、こうした競い事なら何度も繰り返してきた。
もっとも、一番重要なのはまったく同じ手段を別の人間がしていた、という事実なのだが。
ともあれ、負けてしまったのならしょうがない。
諦めて大人しく西園寺世界から情報を収集するため、声をかけた。
諦めて大人しく西園寺世界から情報を収集するため、声をかけた。
「……すいません、少しよろしいですか? ああ、こちらは殺し合いには乗っていません。ほら、無手でしょう?」
両手を挙げて無力をアピール。
最も向こうの対応しだいではキキーモラを使役するつもりである。
世界は後ろから聞こえるトーニャの声を聞きつけ、振り返る。
最も向こうの対応しだいではキキーモラを使役するつもりである。
世界は後ろから聞こえるトーニャの声を聞きつけ、振り返る。
「……誰? 桂さんじゃないし、誠でも刹那でもない。あいつでもない。……知らない人」
「ええ、初めまして。アントニーノ・アントーノヴナ・ニキーチナです。あなたの名前は?」
「アント……? まあいいや。私は刹那。ねえ、桂さん知らない? 私の友達で、私の子供が入ってる人なんだけど」
「ええ、初めまして。アントニーノ・アントーノヴナ・ニキーチナです。あなたの名前は?」
「アント……? まあいいや。私は刹那。ねえ、桂さん知らない? 私の友達で、私の子供が入ってる人なんだけど」
妙な違和感。
何だか気持ちが悪くなるほどのなにか。
第一、偽名なのは明らかだ。彼女はついさっき、言ったばかりだ。トーニャを見て『刹那じゃない』と。
敏感にトーニャはそれを感じ取った。世界の言葉は止まらなかった。
何だか気持ちが悪くなるほどのなにか。
第一、偽名なのは明らかだ。彼女はついさっき、言ったばかりだ。トーニャを見て『刹那じゃない』と。
敏感にトーニャはそれを感じ取った。世界の言葉は止まらなかった。
「ねえ、ねえ、ねえ、ねえねえねえ? 知らない? 知らない? 知らない?」
「落ち着いてください。桂……さんという方は知りません」
「なら誠は? 誠はどこ? 教えてよ、ねえ。早く教えなさいよっ……早くっ!!!」
「誠、という人物についても知りません」
「落ち着いてください。桂……さんという方は知りません」
「なら誠は? 誠はどこ? 教えてよ、ねえ。早く教えなさいよっ……早くっ!!!」
「誠、という人物についても知りません」
情緒不安定の可能性。
確かに殺し合いの舞台に突然一般人が立たされたのだ、不安定になるのも頷ける。
だが、それとは違う何か。そう、人として何かが違う。
確かに殺し合いの舞台に突然一般人が立たされたのだ、不安定になるのも頷ける。
だが、それとは違う何か。そう、人として何かが違う。
「どこ 何処にいるの、私の赤ちゃん……? 誠もいないし、桂さんもいない。あはっ、何でいないの? こんなのおかしいよ」
「…………お聞きしますが、その傷は誰かに襲われたんですよね? 誰に教われましたか?」
「傷? 傷……? ああ、あの売女、あいつよ。柚原このみ、あの人殺し、酷い、こんなの酷い……許さない、あはは」
「柚原、このみ……」
「そう、人殺し。桂さんの子供を殺した人殺し。ほら、会場で大泣きしてたあれ。酷いよ、あいつも一緒に殺しちゃえばよかったのに」
「…………お聞きしますが、その傷は誰かに襲われたんですよね? 誰に教われましたか?」
「傷? 傷……? ああ、あの売女、あいつよ。柚原このみ、あの人殺し、酷い、こんなの酷い……許さない、あはは」
「柚原、このみ……」
「そう、人殺し。桂さんの子供を殺した人殺し。ほら、会場で大泣きしてたあれ。酷いよ、あいつも一緒に殺しちゃえばよかったのに」
紡がれるのは呪いの言葉。
呪詛のように続くそれは聞くに堪えないもので、西園寺世界の語彙の全てを使った罵倒だった。
トーニャは段々分かり始めた、この少女にはもう理性が残っていないことを。
呪詛のように続くそれは聞くに堪えないもので、西園寺世界の語彙の全てを使った罵倒だった。
トーニャは段々分かり始めた、この少女にはもう理性が残っていないことを。
(柚原このみ……あの知り合いを殺されて泣いていた子ですか。見た感じ、殺し合いに乗るとは思えませんでしたが……)
知人を殺され、自暴自棄になってしまったのか。
それとも放送での権利、死者蘇生に一縷の望みを掛けて殺しまわっているのか。
どれも有り得る、と思ったところでトーニャは気付いてしまった。
待て、確か自分たちが接触しようと考えていた少女は二人……一人はこの刹那と名乗った西園寺世界。
それとも放送での権利、死者蘇生に一縷の望みを掛けて殺しまわっているのか。
どれも有り得る、と思ったところでトーニャは気付いてしまった。
待て、確か自分たちが接触しようと考えていた少女は二人……一人はこの刹那と名乗った西園寺世界。
そしてもう一人。
おさげの片方を切り裂かれた少女……最初見たときは外見が変わってしまっていて、気付けなかった。
だが、あれは確かに今思えば……柚原このみではなかっただろうか。
おさげの片方を切り裂かれた少女……最初見たときは外見が変わってしまっていて、気付けなかった。
だが、あれは確かに今思えば……柚原このみではなかっただろうか。
「……確認します、刹那さん。柚原このみは殺し合いに乗っているんですね?」
「そうよ、あいつは殺す、誰であろうと殺す! こんなに私は殴られた、こんなに私は酷い目にあったし、人も殺してる」
「…………」
「殺した、殺された、私の赤ちゃ……ううん、違う。殺されたのは桂さんの子供。ねえ、あなたもそう思うでしょ? ねえ?」
「そうよ、あいつは殺す、誰であろうと殺す! こんなに私は殴られた、こんなに私は酷い目にあったし、人も殺してる」
「…………」
「殺した、殺された、私の赤ちゃ……ううん、違う。殺されたのは桂さんの子供。ねえ、あなたもそう思うでしょ? ねえ?」
言語の異常を見てトーニャは確信する。
もう、彼女はきっと戻れない。どんな酷い目にあったかは知らないが、彼女はもうその事実に執着するしかない。
桂や誠という人物への執着。そして柚原このみへの復讐心だけが彼女を突き動かしている。
トーニャは即座に決めた。彼女はいらない、合流しても何の意味もない、と。
もう、彼女はきっと戻れない。どんな酷い目にあったかは知らないが、彼女はもうその事実に執着するしかない。
桂や誠という人物への執着。そして柚原このみへの復讐心だけが彼女を突き動かしている。
トーニャは即座に決めた。彼女はいらない、合流しても何の意味もない、と。
「……では、せめて柚原このみに償いを。それでは」
「え? いるの? あいつが、まだ、ここに、いるの?」
「え? いるの? あいつが、まだ、ここに、いるの?」
世界の感情のこもらない質問は背中で受ける。
もう西園寺世界は切り捨てた。ろくに情報交換もままならず、自分の世界にのみ閉じこもる彼女に用はない。
それに真人はこのみのほうへと向かったのだ。
大事になってなければいい、とトーニャは思う。それこそトーニャは疾風のように、朝日の差し込まない森林を駆け抜けた。
もう西園寺世界は切り捨てた。ろくに情報交換もままならず、自分の世界にのみ閉じこもる彼女に用はない。
それに真人はこのみのほうへと向かったのだ。
大事になってなければいい、とトーニャは思う。それこそトーニャは疾風のように、朝日の差し込まない森林を駆け抜けた。
◇ ◇ ◇ ◇
「俺は究極の筋肉の持ち主、井ノ原真人! こっちの至高の筋肉の持ち主はダンセイニだぜ!」
「てけり・り!」
「……えと、柚原このみです。よろしく、なのですよ……?」
「てけり・り!」
「……えと、柚原このみです。よろしく、なのですよ……?」
ようやく自己紹介にこぎつけた真人たち一行。
変なテンションの男は確かに異様だったが、少なくともこのみには悪意が感じられなかった。
そこには純粋な心だけがある、とさえ思った。ちなみにダンセイニはやっぱり、体格の大きい真人が抱えているため、見られない。
不思議な泣き声をする動物、ぐらいにしかこのみは考えないことにした。
変なテンションの男は確かに異様だったが、少なくともこのみには悪意が感じられなかった。
そこには純粋な心だけがある、とさえ思った。ちなみにダンセイニはやっぱり、体格の大きい真人が抱えているため、見られない。
不思議な泣き声をする動物、ぐらいにしかこのみは考えないことにした。
「あの、真人さんは……私を、殺そうとしたりとか、しないんですか……?」
「ああ? しねえよ、んなこと。それよりこのみ、遊ぼうぜ。筋肉、筋肉~っ!」
「てけり・り!」
「え、えーっと……?」
「ああ? しねえよ、んなこと。それよりこのみ、遊ぼうぜ。筋肉、筋肉~っ!」
「てけり・り!」
「え、えーっと……?」
こちらはこちらで、まったく会話にならなかったりする。
筋肉絶対主義者の第一人者(自称)である真人なりの勧誘だったりするのだが、それは置いておくことにしよう。
素晴らしい筋肉を持つ者に悪いやつはいない、とでも言いそうな青年だ。
ちなみにこのみは運動神経こそ良いものの、鍛えているわけではないので筋肉などはさほどない。
筋肉絶対主義者の第一人者(自称)である真人なりの勧誘だったりするのだが、それは置いておくことにしよう。
素晴らしい筋肉を持つ者に悪いやつはいない、とでも言いそうな青年だ。
ちなみにこのみは運動神経こそ良いものの、鍛えているわけではないので筋肉などはさほどない。
「で、でも、あの……私、真人さんほど筋肉ないよ?」
「良い手があるぜ。今から筋肉を鍛えれば万事解決だ! たとえ初対面でシャイな奴でも問題ねえ」
「良い手があるぜ。今から筋肉を鍛えれば万事解決だ! たとえ初対面でシャイな奴でも問題ねえ」
―――素敵な上腕二頭筋ですね(むきっ)
―――あなたこそっ(むきっ)
―――あなたこそっ(むきっ)
愛と平和、ラブアンドピースに加えて筋肉が追加されました。
たとえ人見知りなあなたでも、人が怖くて近寄れない人でも、筋肉を鍛えればマッスルフレンドができるでしょう。
やがて世界は愛と平和と筋肉を歌い上げ、そうして世界は争いのない平穏へと生まれ変わる。
たとえ人見知りなあなたでも、人が怖くて近寄れない人でも、筋肉を鍛えればマッスルフレンドができるでしょう。
やがて世界は愛と平和と筋肉を歌い上げ、そうして世界は争いのない平穏へと生まれ変わる。
「つまり――――筋肉は世界を救うッ!!!」
さあ、と真人は手を差し出した。
この手をつかめば新たな道が開く、と告げて。あまりにも馬鹿らしいが、それでもその意思は本物だ。
この手をつかめば新たな道が開く、と告げて。あまりにも馬鹿らしいが、それでもその意思は本物だ。
「筋肉イェイイェイ! おら、ダンセイニも!」
「てけり・り! てけり・り!」
「筋肉イェイイェイ! 筋肉イェイイェイ! ほら、このみもやるぜ……今日は、筋肉祭りだぁああああっ!!!」
「てけり・り! てけり・り!」
「筋肉イェイイェイ! 筋肉イェイイェイ! ほら、このみもやるぜ……今日は、筋肉祭りだぁああああっ!!!」
あまりの暑苦しさに一瞬だけ引いたのは内緒にしておこう、とこのみは思う。
だけど……だけど、楽しそうだった。
真人は心の底からその遊びを楽しんでいる。何が楽しいのかは分からないけど、それでも満面の笑顔で語りかけてくれた。
まだ、地獄が始まってから7時間も経過していないのに、しばらく笑っていない気がした。
だけど……だけど、楽しそうだった。
真人は心の底からその遊びを楽しんでいる。何が楽しいのかは分からないけど、それでも満面の笑顔で語りかけてくれた。
まだ、地獄が始まってから7時間も経過していないのに、しばらく笑っていない気がした。
でも、一緒に行けば笑えるだろうか。
またこんな楽しい日常を手に入れることができるのだろうか。ひょっとしたら人を殺したかも知れない自分が。
またこんな楽しい日常を手に入れることができるのだろうか。ひょっとしたら人を殺したかも知れない自分が。
「あっ……」
差し出そうとした手を引っ込ませようとして、でも伸ばしていた。
良心の何処かがそれでいいのか、と訊ねていた。
でも、このみは仲間が欲しかった。彼は……井ノ原真人は、手を伸ばしてくれた。
良心の何処かがそれでいいのか、と訊ねていた。
でも、このみは仲間が欲しかった。彼は……井ノ原真人は、手を伸ばしてくれた。
そんな状況になってまで、温かい手を拒めることなんて……このみには出来なかったのだ。
だって彼女はずっと温もりを求めていたのだから。
だって彼女はずっと温もりを求めていたのだから。
「筋肉ワッショイ、筋肉ワッショイ!」
「き、きんにく……わっしょい……」
「てけり・り! てけり・り♪」
「き、きんにく……わっしょい……」
「てけり・り! てけり・り♪」
受け入れられた。
ずっと手に入れられなかった平穏。
ずっとずっと探していた平和。それがやっと、やっとこのみの手の中に納まった。
ずっと手に入れられなかった平穏。
ずっとずっと探していた平和。それがやっと、やっとこのみの手の中に納まった。
「よっしゃあああっ! 今、俺のテンションが……有頂天に達したぁぁああああっ!!!!」
「それを言うなら頂点、じゃないかな?」
「頂点に達したぁぁああああああああああああっ!!!」
「言い直したんだ!?」
「それを言うなら頂点、じゃないかな?」
「頂点に達したぁぁああああああああああああっ!!!」
「言い直したんだ!?」
感じられた日常は楽しかった。
涙が出るほどに嬉しかった。ここからなら、一緒に頑張っていけるとすら思えた。
それほどに心地よい夢幻だった。
涙が出るほどに嬉しかった。ここからなら、一緒に頑張っていけるとすら思えた。
それほどに心地よい夢幻だった。
楽しかった。
楽しかった。
楽しかった。
楽しかった。
楽しかった。
本当に―――――その幻想は『楽しかった』
「すぐにその子から離れなさいっ、井ノ原さんっ!!」
だから、その幻想が打ち砕かれたとき。
彼女の心には大きな闇が圧し掛かることになるだろう。
楽しかった―――――そう、それは後でこのみが思い返す、過去にあった出来事に過ぎないのだから。
彼女の心には大きな闇が圧し掛かることになるだろう。
楽しかった―――――そう、それは後でこのみが思い返す、過去にあった出来事に過ぎないのだから。
◇ ◇ ◇ ◇
「……トーニャ?」
当初、真人にはその意味が分からなかった。
グッピーではなく、自分の名前で呼ぶ以上、何か重大なことがあるだろうことは彼でも分かった。
だが、解せないことがある。
何故、現れて最初の一言が『このみから離れろ』という言葉なのだろう。
グッピーではなく、自分の名前で呼ぶ以上、何か重大なことがあるだろうことは彼でも分かった。
だが、解せないことがある。
何故、現れて最初の一言が『このみから離れろ』という言葉なのだろう。
「おいおい、なんだよ古狸。せっかく仲間を勧誘してるってのに、それはねえぜ」
「少し黙ってなさい、グッピー。そちらの方にお聞きしたいことがあります」
「少し黙ってなさい、グッピー。そちらの方にお聞きしたいことがあります」
突如として現れた銀色の髪の少女。
自然とこのみの足が後ろに下がった。何だろう、嫌な予感がする。
せっかく手に入れた平穏をぶち壊されそうになっている。そんな確信にも似た恐怖を漠然と感じていた。
何故ならトーニャの瞳は、この島に来て何度も向けられてきた……敵意だったのだから。
自然とこのみの足が後ろに下がった。何だろう、嫌な予感がする。
せっかく手に入れた平穏をぶち壊されそうになっている。そんな確信にも似た恐怖を漠然と感じていた。
何故ならトーニャの瞳は、この島に来て何度も向けられてきた……敵意だったのだから。
「そちらは柚原このみさん、ですね?」
「は、はい……」
「は、はい……」
気圧されて更に一歩下がる。
自分の名前が知られている、ということに一瞬の驚きがあった。
確かに冷静に考えれば、あの会場で泣き叫んだ。そして知人を殺された悲劇の少女……主催者も名を呼んでいた。
知らないはずはないのだが、冷静になれないこのみはトーニャを警戒してしまった。
自分の名前が知られている、ということに一瞬の驚きがあった。
確かに冷静に考えれば、あの会場で泣き叫んだ。そして知人を殺された悲劇の少女……主催者も名を呼んでいた。
知らないはずはないのだが、冷静になれないこのみはトーニャを警戒してしまった。
「では、質問です。貴女が人を殺した、という目撃情報がありました。何か覚えがありますか?」
「えっ……?」
「えっ……?」
そんなはずがない。
そんな覚えなんてない、と言いたかった。必死で釈明すれば、きっと問題はないはずだった。
何しろトーニャ自身、狂人の話を鵜呑みにはしない。だから半分、かまを掛けているに過ぎなかった。
そんなことはしてない、と。トーニャ自身もそんな答えを期待していた。
そんな覚えなんてない、と言いたかった。必死で釈明すれば、きっと問題はないはずだった。
何しろトーニャ自身、狂人の話を鵜呑みにはしない。だから半分、かまを掛けているに過ぎなかった。
そんなことはしてない、と。トーニャ自身もそんな答えを期待していた。
だが、現実は物語よりも非情なときがある。
覚えがない、などとは言えなかった。何しろ記憶からスッポリ抜け落ちたとき、自分が何をしたか覚えていない。
そして倒れ伏した少女の生死だって確認していない。
覚えがない、などとは言えなかった。何しろ記憶からスッポリ抜け落ちたとき、自分が何をしたか覚えていない。
そして倒れ伏した少女の生死だって確認していない。
「あっ……の、私……は……」
だから釈明できなかった。
自分の無実を証明できなかった。
即答も出来ないこのみの態度で、トーニャはますます語気を強めていく。
自分の無実を証明できなかった。
即答も出来ないこのみの態度で、トーニャはますます語気を強めていく。
「どうして即答できないんですか? どうして自分は殺していない、とすら言えないんですか?」
「あっ……あの、えっと……」
「それとも、覚えがあるんですか? 人を殺してしまったことがあるんですか?」
「あっ……あの、えっと……」
「それとも、覚えがあるんですか? 人を殺してしまったことがあるんですか?」
容赦のない糾弾。
それは確実にこのみの心を磨り減らしていく。
トーニャはスパイとしての尋問能力として、このみの所業を糾弾していった。
それは失策であることは間違いない。だが、トーニャ自身も自分の命すらかかっているという焦りがあった。
それは確実にこのみの心を磨り減らしていく。
トーニャはスパイとしての尋問能力として、このみの所業を糾弾していった。
それは失策であることは間違いない。だが、トーニャ自身も自分の命すらかかっているという焦りがあった。
「あっ……私、わたし……人、殺しちゃった……?」
その事実が――たとえ虚偽としても、確認できない以上は事実となり、このみを苦しめた。
人殺し……生涯、一生を生きるうえで絶対にしないだろうと思っていた大罪。
突然背負わされた苦しみに、このみの心は更に磨耗していく。
人殺し……生涯、一生を生きるうえで絶対にしないだろうと思っていた大罪。
突然背負わされた苦しみに、このみの心は更に磨耗していく。
「あっ、あ……あぁぁあああああああっ!!!」
結果として。
トーニャの容赦ない責めに我慢できなくなったこのみは、真人たちから背を向けて逃げ出した。
もちろん、それを見逃すトーニャではなかった。
質問の途中での敵前逃亡。そして殺人について否定しなかったという事実が……柚原このみを黒と断じさせた。
トーニャの容赦ない責めに我慢できなくなったこのみは、真人たちから背を向けて逃げ出した。
もちろん、それを見逃すトーニャではなかった。
質問の途中での敵前逃亡。そして殺人について否定しなかったという事実が……柚原このみを黒と断じさせた。
「逃がしません……っ……!」
キキーモラを操りながら大地を蹴ろうとして、目の前に大きな影が割り込んできた。
影の主である真人は両手を広げている。水平に上げた両腕は、ここから通さないと告げていた。
影の主である真人は両手を広げている。水平に上げた両腕は、ここから通さないと告げていた。
「待てよ、おい……このみが人殺しだと? 何かの間違いだろうじゃねえのか!」
「どきなさい、グッピー! 彼女は人殺しをしたことを否定できませんでした。あなたも命を狙われていたんですよ!?」
「違う、そうじゃねえ! あいつはそんなんじゃねえ!」
「そのご自慢の筋肉がそう言ってるんですか? はっ、馬鹿馬鹿しいっ……!」
「どきなさい、グッピー! 彼女は人殺しをしたことを否定できませんでした。あなたも命を狙われていたんですよ!?」
「違う、そうじゃねえ! あいつはそんなんじゃねえ!」
「そのご自慢の筋肉がそう言ってるんですか? はっ、馬鹿馬鹿しいっ……!」
対立する、お互いの意見を衝突させて。
そうしている間にもどんどん、このみはトーニャの視界から消えていった。
トーニャは歯噛みする。確かに無理に殺し合いに乗った相手とは戦わないが、倒せる相手は倒したほうがいいと思っている。
だからこそ、目の前の仲間が邪魔だった。
そうしている間にもどんどん、このみはトーニャの視界から消えていった。
トーニャは歯噛みする。確かに無理に殺し合いに乗った相手とは戦わないが、倒せる相手は倒したほうがいいと思っている。
だからこそ、目の前の仲間が邪魔だった。
「待て、待てよ! それは正しいのか? 本当にそうだって確信してんのか!?」
「確信はたった今です! ええい、いいからどきなさい! たちえ乗っていようが乗ってなかろうが、今の彼女を放っておけません!」
「確信はたった今です! ええい、いいからどきなさい! たちえ乗っていようが乗ってなかろうが、今の彼女を放っておけません!」
疑わしきは罰せよ、などと言うつもりはない。
だが、味方を安心させて背中を刃で貫く者がいる。トーニャ自身、スパイだったのだから危険性は承知。
だから容易に他人は信じられないし、ましてや逃げ出したこのみには不信感しか沸かない。
だが、味方を安心させて背中を刃で貫く者がいる。トーニャ自身、スパイだったのだから危険性は承知。
だから容易に他人は信じられないし、ましてや逃げ出したこのみには不信感しか沸かない。
「もしも貴方が彼女を弁護すると言うなら、彼女を捕らえるのを協力しなさい!」
何もすぐに命を奪う必要はないのだから、と言って真人を退かせた。
真人は納得していない。トーニャの言い分にも、納得はできないと憮然の表情でダンセイニを抱えて走り出した。
筋肉が分かる人間に悪い奴はいない、などと言うつもりはなかった。
ただ彼の直感が告げている。このみは助けを求めていた、それは演技ではないこと、それだけは信じていた。
真人は納得していない。トーニャの言い分にも、納得はできないと憮然の表情でダンセイニを抱えて走り出した。
筋肉が分かる人間に悪い奴はいない、などと言うつもりはなかった。
ただ彼の直感が告げている。このみは助けを求めていた、それは演技ではないこと、それだけは信じていた。
「ちっ……分かったよ、手伝ったらいいんだろ!?」
「ええ、そうしてください! ……っ、辺り一面森ばっかりですね。捜すのに苦労しますよ、これは……!」
「ええ、そうしてください! ……っ、辺り一面森ばっかりですね。捜すのに苦労しますよ、これは……!」
苛立たしげにトーニャも走る。
かくして森林の中、柚原このみの捜索が開始された。
かくして森林の中、柚原このみの捜索が開始された。
089:影二つ-罪と罰と贖いの少年少女- | 投下順 | 悪鬼の泣く朝焼けに(後編) |
088:業火、そして幻影(後編) | 時系列順 | |
080:血も涙もないセカイ | 西園寺世界 | |
080:血も涙もないセカイ | 柚原このみ | |
063:破天荒筋肉!(後編) | アントニーナ・アントーノヴナ・ニキーチナ | |
063:破天荒筋肉!(後編) | 井ノ原真人 |