想い出にかわる君~Memories Off~ (中編) ◆LxH6hCs9JU
「止まって、ハサンさん! 橘さんを助けに行かなきゃ!」
「……ッ、黙っておれリキ殿。舌を噛むぞ」
「ハサンさん!」
「……ッ、黙っておれリキ殿。舌を噛むぞ」
「ハサンさん!」
理樹を抱え、再起した怪人から遁走する真・アサシンことハサン・サッバーハは、焦っていた。
あの怪人、鉄乙女は異常だ。橘平蔵の話を聞く限り人間であることには違いないようだが、
そのスペックは明らかに人外の域。サーヴァントのクラスで例えるなら――バーサーカーか。
あの怪人、鉄乙女は異常だ。橘平蔵の話を聞く限り人間であることには違いないようだが、
そのスペックは明らかに人外の域。サーヴァントのクラスで例えるなら――バーサーカーか。
(狂戦士……いや、あの姿はまるで――)
アサシンの脳裏をよぎるのは、日本古来に伝わる妖の存在――鬼。
鬼の語は『おぬ(隠)』が転じたものであり、元来は姿の見えぬ、この世ならざる者であることを意味した。
だから……だとでも言うのだろうか。アサシンにも平蔵にも悟れるぬよう攻撃をしかけ、成功するなど。
存在自体なら、日本のアサシンと呼べなくもない。が、現代日本における鬼は、主に人に災厄を齎す力の象徴とされている。
鬼の語は『おぬ(隠)』が転じたものであり、元来は姿の見えぬ、この世ならざる者であることを意味した。
だから……だとでも言うのだろうか。アサシンにも平蔵にも悟れるぬよう攻撃をしかけ、成功するなど。
存在自体なら、日本のアサシンと呼べなくもない。が、現代日本における鬼は、主に人に災厄を齎す力の象徴とされている。
(正面から戦ったとして、既に『妄想心音』を失った私が勝てる見込みは……考えるべくもなし、か)
アサシンが生業とするのは、その名が示すとおり暗殺術だ。
影に潜み、影より狙い、影から襲撃を果たし、一撃の下に屠る。
正面からの殴り合いなど望むところではなく、ましてや荷を背負ったままの庇い合いなど、不向きにもほどがあった。
影に潜み、影より狙い、影から襲撃を果たし、一撃の下に屠る。
正面からの殴り合いなど望むところではなく、ましてや荷を背負ったままの庇い合いなど、不向きにもほどがあった。
(……しかし、リキ殿は聞き分けてなどくれぬだろう。タチバナヘイゾウの敗北を知っても、なお。
生存の可能性は今も徐々に低下している。リキ殿にはそれが見えていない。悟らせねば、ならぬか)
生存の可能性は今も徐々に低下している。リキ殿にはそれが見えていない。悟らせねば、ならぬか)
左腕の中でがむしゃらに暴れる理樹。彼を抱え疾駆する先は、当初目指していた駅舎だ。
理樹という荷を捨てられない以上、乙女の俊足から逃れるには、現代の乗り物を活用するほかない。
ただし、その前の大前提として、今も追ってきているであろう後ろの追跡者との距離を離す必要があった。
理樹という荷を捨てられない以上、乙女の俊足から逃れるには、現代の乗り物を活用するほかない。
ただし、その前の大前提として、今も追ってきているであろう後ろの追跡者との距離を離す必要があった。
「ハサンさん……橘さんは、橘さんが……」
「涙を堪えよ、リキ殿。我々はあまりにも非力だ。現実を受け止め――む?」
「涙を堪えよ、リキ殿。我々はあまりにも非力だ。現実を受け止め――む?」
大通りを快走していたアサシンが、不意にブレーキをかける。
立ち止まっている暇はない。が、立ち止まらざるをえない。
前方に見慣れた人影が現れたからだ。人影は息切れ気味に進路を阻み、アサシンと理樹に眼差しを向けてくる。
立ち止まっている暇はない。が、立ち止まらざるをえない。
前方に見慣れた人影が現れたからだ。人影は息切れ気味に進路を阻み、アサシンと理樹に眼差しを向けてくる。
(まさか、キャスター……いや)
第五次聖杯戦争における葛木宗一郎のサーヴァント、キャスターのものに似たローブを羽織る人影。
名簿に記載されていない以上、この場にキャスターが存在するはずはなく、だとすればあの者は何者か。
とそこまで考えて、アサシンはローブを羽織る人物の正体が、男であることに気づいた。
顔だけ見る分には好青年。瞳は熱く、殺し合いの肯定者のようには見えない。
男は異形のアサシンに向かい、腹からの大声で叫んだ。
名簿に記載されていない以上、この場にキャスターが存在するはずはなく、だとすればあの者は何者か。
とそこまで考えて、アサシンはローブを羽織る人物の正体が、男であることに気づいた。
顔だけ見る分には好青年。瞳は熱く、殺し合いの肯定者のようには見えない。
男は異形のアサシンに向かい、腹からの大声で叫んだ。
「あ、愛と正義の魔法探偵、大十字九郎! 悪の匂いを察知したなら、ゼハァ、直ちに参上、即撃退!
お、ハァハァ、俺が来たからには、も、もはやお前の好き勝手にはさせないぞ!」
お、ハァハァ、俺が来たからには、も、もはやお前の好き勝手にはさせないぞ!」
息も絶え絶えに、取ってつけたようなセリフを述べつつアサシンに指を差すその男。
アサシンは呆気に取られ、しばらく経っても状況が飲み込めずにいた。
アサシンは呆気に取られ、しばらく経っても状況が飲み込めずにいた。
「……えーと、九郎さん? どうしてここに?」
「知り合いか、リキ殿?」
「うん。あのね――」
「うおおおっ! 理樹から手を離しやがれこの怪人野郎おぉぉ!」
「知り合いか、リキ殿?」
「うん。あのね――」
「うおおおっ! 理樹から手を離しやがれこの怪人野郎おぉぉ!」
血気盛んに、無手の状態で特攻をしかけてくる九郎。敵意は、アサシンに飛ばされている。
「む――待て小僧! 貴様、なにか致命的に深刻な勘違いをしているぞ!?」
「うるせぇ! こっちは蚤の心臓奮い立たせてここまで来たんだ! 今さら謝っても容赦しねぇぞ!」
「うるせぇ! こっちは蚤の心臓奮い立たせてここまで来たんだ! 今さら謝っても容赦しねぇぞ!」
多少は戦闘の心得もあるのだろう。九郎は隙のない身体動作で、アサシンにパンチとキックの応酬をかける。
腕が塞がっているアサシンは回避行動しか取れず、説得の言葉をかけながら身を引き続けた。
腕が塞がっているアサシンは回避行動しか取れず、説得の言葉をかけながら身を引き続けた。
「待ってよ九郎さん! アサシンさんは僕の仲間で、アサシンさんを襲ってた人とは別人だよ!」
「待ってな理樹! 今すぐこのガリガリ野郎をぶっ飛ばして俺が――って、はい?」
「待ってな理樹! 今すぐこのガリガリ野郎をぶっ飛ばして俺が――って、はい?」
理樹の言葉を受けて、ようやく九郎の攻撃がやむ。顔は、難解な問題集を前にした子供のように硬直していた。
「え……だってよ、おまえ、仲間を助けに行ったんだよな?」
「その仲間というのが、私だ」
「……めっちゃ悪人面ですが」
「大きなお世話だ」
「九郎さん……」
「…………あう」
「…………」
「…………」
「……うおおおっ! 俺が悪いのかああああぁぁぁ!?」
「その仲間というのが、私だ」
「……めっちゃ悪人面ですが」
「大きなお世話だ」
「九郎さん……」
「…………あう」
「…………」
「…………」
「……うおおおっ! 俺が悪いのかああああぁぁぁ!?」
己の過ちに気づいた九郎が、太陽に向かって懺悔の雄叫びを上げる。
直後、アサシンの背中に二振りの剣――いや、双剣が投げつけられた。
直後、アサシンの背中に二振りの剣――いや、双剣が投げつけられた。
「グッ――オォ!?」
あまりの衝撃に足が地面を離れ、一時的に腕力を削がれたせいか、理樹の身も離してしまう。
抱えられていた理樹共々、アサシンは路面に転んだ。
抱えられていた理樹共々、アサシンは路面に転んだ。
「く、っつ……は、ハサンさん!?」
「ぐぅ、あ……ふ、不覚」
「ぐぅ、あ……ふ、不覚」
アサシンの背中に、墓標のように突き立てられた双剣――干将・莫耶を目にして、理樹は声を荒げる。
同時に、追跡者に追いつかれたのだと悟ると、恐怖を感じながらも振り向いた。
同時に、追跡者に追いつかれたのだと悟ると、恐怖を感じながらも振り向いた。
鉄乙女はすぐ後ろにいた。斬妖刀は腰に、両腕は投擲の姿勢のままこちらに向き、口元からは涎が垂れている。
平蔵の一撃によるダメージは残っていないのか、戦慄とともに考えるが、今はそれよりも。
平蔵の一撃によるダメージは残っていないのか、戦慄とともに考えるが、今はそれよりも。
「逃げよ……リキ殿!」
「ッ!? い、嫌だ!」
「ッ!? い、嫌だ!」
アサシンが理樹に逃走を促すが、理樹は即座にそれを拒否。
当たり前の返答だ。素直に聞き入れるようならば、初襲撃のときにアサシンを助けに舞い戻ったりなどしない。
当たり前の返答だ。素直に聞き入れるようならば、初襲撃のときにアサシンを助けに舞い戻ったりなどしない。
「って、なんじゃありゃあ!? 女の子か、女の子なのか!? あんなおっかない娘さんがいるのか!?
ひょっとしてアイツが敵か!? そして大丈夫か変な仮面のおっさんんんんん!?」
「九郎さん! ちょっと静かにしててよ!」
「はい! すいませんでしたーッ!」
ひょっとしてアイツが敵か!? そして大丈夫か変な仮面のおっさんんんんん!?」
「九郎さん! ちょっと静かにしててよ!」
「はい! すいませんでしたーッ!」
乙女の姿を見た九郎は、その禍々しい雰囲気にのまれ、混乱の渦中に捉われる。
アサシンは背中を走る激痛に悶えながら、なんとか這い上がろうと体を動かす。
状況を既にのみ込み、体も万全の理樹は、自分がやるしかないと、悟った。
アサシンは背中を走る激痛に悶えながら、なんとか這い上がろうと体を動かす。
状況を既にのみ込み、体も万全の理樹は、自分がやるしかないと、悟った。
「……来い、怪物!」
理樹は親友のバットを強く握り、アサシンと九郎を守るように正面に立った。
乙女は標的の数を三と定めるや、腰元の鞘から斬妖刀を引き抜き、
一跳び、
二跳び、
三跳び、
まるで地面スレスレを飛翔するように、壮絶な勢いで駆ける。
一跳び、
二跳び、
三跳び、
まるで地面スレスレを飛翔するように、壮絶な勢いで駆ける。
「ッ!?」
一瞬で、理樹との距離は詰まった。
加速の勢いに乗せて、細身厚刃の大太刀一閃。
理樹が構えていたバットが両断され、彼は武器を失った。
さらに、頭上へと振り上げた大太刀の柄先に左手を継ぎ、静止の間を置かず切り下げる。
加速の勢いに乗せて、細身厚刃の大太刀一閃。
理樹が構えていたバットが両断され、彼は武器を失った。
さらに、頭上へと振り上げた大太刀の柄先に左手を継ぎ、静止の間を置かず切り下げる。
「バ、カ、ヤ、ロ、オ――!」
理樹の顔面を剣風が撫でた。
頭上から振り下ろされる縦一閃が、理樹の命を刈り取らんとして、失敗する。
寸前で、後ろの九郎が理樹の身を引っ張ったおかげだった。
僅か、剣圧が理樹の鼻先を掠め、傷が生まれる。
痛みを感じる頃には、乙女が第三撃を繰り出さんと体勢を整えていた。
頭上から振り下ろされる縦一閃が、理樹の命を刈り取らんとして、失敗する。
寸前で、後ろの九郎が理樹の身を引っ張ったおかげだった。
僅か、剣圧が理樹の鼻先を掠め、傷が生まれる。
痛みを感じる頃には、乙女が第三撃を繰り出さんと体勢を整えていた。
(リキ殿は――死なせん!)
理樹を掴む九郎を、諸共に斬り崩さんとする一刀。
その軌跡を阻むべく、アサシンは左手を打ち上げた。
握る得物は、バルザイの偃月刀――魔道書『ネクロノミコン』の文中において、
旧支配者ヨグ=ソトースの召喚などに用いられたとされる、儀式用の刃だ。
斬妖刀とバルザイの偃月刀が衝突を向かえ、金属音の後に均衡する。
その軌跡を阻むべく、アサシンは左手を打ち上げた。
握る得物は、バルザイの偃月刀――魔道書『ネクロノミコン』の文中において、
旧支配者ヨグ=ソトースの召喚などに用いられたとされる、儀式用の刃だ。
斬妖刀とバルザイの偃月刀が衝突を向かえ、金属音の後に均衡する。
「ぐ、ぐ……」
上方から振り下ろされた刃を、下からの立ち位置で受け止める姿勢となってしまった。
当然アサシンにかかる負荷は大きく、この状況が長く続くのは好ましくない。
当然アサシンにかかる負荷は大きく、この状況が長く続くのは好ましくない。
「よいかリキ殿……私の言葉を、しかと心に刻み付けるのだ」
「に、逃げないよ! たとえ足手まといだとしても、僕はここから逃げるわけにはいかないんだ!」
「それは……リキ殿の意思か? リトルバスターズのリーダーとしての、確固たる意志か?」
「そうだ……僕は仲間を見捨てて逃げたりなんかしない! どんな敵にも、徹底的に抗ってやる!」
「に、逃げないよ! たとえ足手まといだとしても、僕はここから逃げるわけにはいかないんだ!」
「それは……リキ殿の意思か? リトルバスターズのリーダーとしての、確固たる意志か?」
「そうだ……僕は仲間を見捨てて逃げたりなんかしない! どんな敵にも、徹底的に抗ってやる!」
アサシンの背に守られながらも、理樹は己の信念のを枉げたりはしなかった。
窮地を見据え、しかし屈服を受け入れず、傍から見れば無謀とも取れる過程に縋っている。
手のかかる子供のような、それでいて頼もしくもある、希望の担い手とするには十分な――
窮地を見据え、しかし屈服を受け入れず、傍から見れば無謀とも取れる過程に縋っている。
手のかかる子供のような、それでいて頼もしくもある、希望の担い手とするには十分な――
(ふっ……)
思わず、アサシンは苦笑した。
「承知した。ではリキ殿、そしてクロウとやら。逃げろとは言わん……全力でこの場から離れろ!」
「――!?」
「――!?」
アサシンから飛ぶ怒号。気迫のようなものが伝わってくる言葉を受けて、理樹と九郎は踵を返した。
脇目も振らず、アサシンと乙女が鬩ぎ合う戦線から離脱。それを確認し、アサシンもまた動く。
刃と刃が均衡する隙間を縫い、しなやかな腰つきで乙女の腹部に蹴りを叩き込む。
均衡が解かれ、乙女が僅か後ろに撥ね飛ばされるのを見やり、跳躍。
跳んだ先、道路脇に置かれた電柱を蹴り、ビルの壁面を蹴り、空を駆ける。
乙女の視線は上空へと向き、追撃をかけんと跳躍を試みるが、彼女はアサシンほど身軽ではない。
脇目も振らず、アサシンと乙女が鬩ぎ合う戦線から離脱。それを確認し、アサシンもまた動く。
刃と刃が均衡する隙間を縫い、しなやかな腰つきで乙女の腹部に蹴りを叩き込む。
均衡が解かれ、乙女が僅か後ろに撥ね飛ばされるのを見やり、跳躍。
跳んだ先、道路脇に置かれた電柱を蹴り、ビルの壁面を蹴り、空を駆ける。
乙女の視線は上空へと向き、追撃をかけんと跳躍を試みるが、彼女はアサシンほど身軽ではない。
(――ここだ!)
乙女が立ち往生しているのを視界の端に、アサシンは地上へと降り立つ。
刃の届く距離に舞い戻ったアサシンを捉え、乙女が攻撃を再開する。
大地を蹴り、刃を構え、アサシンの着地地点へと足を伸ばす――のこのこと。
刃の届く距離に舞い戻ったアサシンを捉え、乙女が攻撃を再開する。
大地を蹴り、刃を構え、アサシンの着地地点へと足を伸ばす――のこのこと。
「バルザイの偃月刀よ。その真価、見せてもらおう!」
――アサシンの下へ到達するまでの射線上、一台の乗用車が停まっていることには気づいていない。
――仮に気づいていたとしても、乙女は歯牙にもかけない。
――アサシンが罠を仕掛けているなど、考慮もせず。
――仮に気づいていたとしても、乙女は歯牙にもかけない。
――アサシンが罠を仕掛けているなど、考慮もせず。
「ハァァ――」
バルザイの偃月刀に、己の魔力を通わせる。
暗殺者たるアサシンの潜在魔力はそれほど大きくはないが、罠を発動させるための魔力は小規模で十分。
駆け巡った魔力が刃を浸透し、そこに熱を発生させ、可燃性物質に引火するほどの灼熱に至れば。
暗殺者たるアサシンの潜在魔力はそれほど大きくはないが、罠を発動させるための魔力は小規模で十分。
駆け巡った魔力が刃を浸透し、そこに熱を発生させ、可燃性物質に引火するほどの灼熱に至れば。
「――吹き飛べ、人をやめし怪人よッ!」
灼熱の刃と化した偃月刀を振り被り、投擲。
標的は乙女ではなく、路中の乗用車。厳密にはその内容物。
乙女が乗用車のすぐ近くまで接近してきた、その瞬間に穿たれる刃。
ガソリンが焼ける。熱が膨張し拡散する。周囲には、爆発が生まれた。
乙女はそれに巻き込まれ、アサシン、理樹、九郎はそれを遠方から見届けた。
否、最後まで見届ける余裕などない。
すぐに動かなければならない――危難はそう安々と退けられるものではないのだから。
標的は乙女ではなく、路中の乗用車。厳密にはその内容物。
乙女が乗用車のすぐ近くまで接近してきた、その瞬間に穿たれる刃。
ガソリンが焼ける。熱が膨張し拡散する。周囲には、爆発が生まれた。
乙女はそれに巻き込まれ、アサシン、理樹、九郎はそれを遠方から見届けた。
否、最後まで見届ける余裕などない。
すぐに動かなければならない――危難はそう安々と退けられるものではないのだから。
◇ ◇ ◇
加藤虎太郎は思索する。
目の前に立つ可憐な――『お花ちゃん』とでも称したくなるような少女は、いったい何者なのか。
波がかった髪、溌剌ではあるものの今は緊張の色を纏う顔、そして佐倉霧と同じ空色の鮮やかな制服。
服装だけの判断ではあったが、可能性は十分にある。
はたして、彼女は佐倉霧の知り合いなのか否か。
目の前に立つ可憐な――『お花ちゃん』とでも称したくなるような少女は、いったい何者なのか。
波がかった髪、溌剌ではあるものの今は緊張の色を纏う顔、そして佐倉霧と同じ空色の鮮やかな制服。
服装だけの判断ではあったが、可能性は十分にある。
はたして、彼女は佐倉霧の知り合いなのか否か。
「佐倉霧って子を知らないか? 君と同じ、空色の制服を着た女の子なんだが――」
公衆便所で霧に逃げられ、彼女が駅に向かったと推測し、虎太郎が流れ着いたのはB-7の駅。
霧が虎太郎の隙を縫い駅まで逃げたと仮定して、電車でさらに遠方へ足を伸ばしたとするなら、終点はここしかありえなかったからだ。
もちろん、駅に向かったという仮定自体が間違っているとも限らない。
仮定が正解だとしてもそのまま駅に留まっているはずはなく、既に離れている可能性が大だが、それは考えても仕方がない。
B-7駅到着後、すぐに発見した霧と同じ制服を着る少女。霧は上着を着ていなかったが、タイプからして同じ学校のものだろう。
今はこの少女の素性を知ることが最優先だと、虎太郎は考え至った。
霧が虎太郎の隙を縫い駅まで逃げたと仮定して、電車でさらに遠方へ足を伸ばしたとするなら、終点はここしかありえなかったからだ。
もちろん、駅に向かったという仮定自体が間違っているとも限らない。
仮定が正解だとしてもそのまま駅に留まっているはずはなく、既に離れている可能性が大だが、それは考えても仕方がない。
B-7駅到着後、すぐに発見した霧と同じ制服を着る少女。霧は上着を着ていなかったが、タイプからして同じ学校のものだろう。
今はこの少女の素性を知ることが最優先だと、虎太郎は考え至った。
しかし、少女の容姿は見れば見るほどに可憐だ。
幼くもあり、どこか大人びた雰囲気も醸し出している。女学生としては理想的な美しさと言っても過言ではない。
いや、そもそも容姿の可憐さと性格や思想が必ずしも釣り合うわけではなく、見た目での判断など愚かにもほどがあるのだが。
とにかく、聞き及んだ支倉曜子の外見的特徴には合致しないのは明白だった。
幼くもあり、どこか大人びた雰囲気も醸し出している。女学生としては理想的な美しさと言っても過言ではない。
いや、そもそも容姿の可憐さと性格や思想が必ずしも釣り合うわけではなく、見た目での判断など愚かにもほどがあるのだが。
とにかく、聞き及んだ支倉曜子の外見的特徴には合致しないのは明白だった。
考えられるケースは四つ。
一。眼前の少女が霧の話にあった支倉曜子であり、危険人物であるパターン。
二。眼前の少女が霧の話にあった支倉曜子であり、危険人物であることを隠しているパターン。
三。眼前の少女は霧の知り合いでもなんでもなく、ただ同じ服を着ているだけの他人であるパターン。
四。眼前の少女は霧の知り合いではあるが、霧がそれを隠していたというパターン。
一。眼前の少女が霧の話にあった支倉曜子であり、危険人物であるパターン。
二。眼前の少女が霧の話にあった支倉曜子であり、危険人物であることを隠しているパターン。
三。眼前の少女は霧の知り合いでもなんでもなく、ただ同じ服を着ているだけの他人であるパターン。
四。眼前の少女は霧の知り合いではあるが、霧がそれを隠していたというパターン。
(結局、逃げられたってことは、俺が信用されなかったってことだからな。
知っていることの全部を話してくれたとは考えにくい。
この子が、俺の知らない佐倉の知り合いであるパターンは、十分にありうるか)
知っていることの全部を話してくれたとは考えにくい。
この子が、俺の知らない佐倉の知り合いであるパターンは、十分にありうるか)
内面の緊張は解かず、表向きはいつものだらけた印象を見せ、少女の反応を待つ。
やがて少女は、怯えたような警戒心を纏いつつ、訥々と口を開いた。
やがて少女は、怯えたような警戒心を纏いつつ、訥々と口を開いた。
「霧は……私の親友です。あなたこそ、霧のなんなんですか?」
「俺は加藤虎太郎。教師だ。佐倉とはさっきまで一緒だったんだが……あいつ、酷く怯えていてな。
俺の態度にも問題はあったんだろうが、目を離した隙に逃げられちまった。たぶんこっちに来たと思うんだが」
「逃げられたって……霧を、どうするつもりだったんです?」
「取って食いやしないさ。俺は殺し合う気なんてないし、ここには俺の教え子もいる。
基本、子供は保護だ。あー、あいにく教員免許は携帯していないんだが、胡散臭いか?」
「俺は加藤虎太郎。教師だ。佐倉とはさっきまで一緒だったんだが……あいつ、酷く怯えていてな。
俺の態度にも問題はあったんだろうが、目を離した隙に逃げられちまった。たぶんこっちに来たと思うんだが」
「逃げられたって……霧を、どうするつもりだったんです?」
「取って食いやしないさ。俺は殺し合う気なんてないし、ここには俺の教え子もいる。
基本、子供は保護だ。あー、あいにく教員免許は携帯していないんだが、胡散臭いか?」
親友などという単語は、霧の口からは一切出ていなかった。
嘘をついているのは、はたして霧か少女か。確かめる術はあるが、無闇に生徒を疑いたくなどない。
少女の正体が、ただ警戒心の強い利口な娘であることを願いつつ、虎太郎は尋ねた。
嘘をついているのは、はたして霧か少女か。確かめる術はあるが、無闇に生徒を疑いたくなどない。
少女の正体が、ただ警戒心の強い利口な娘であることを願いつつ、虎太郎は尋ねた。
「佐倉の知り合いと言ったが、あいにく佐倉からは黒須太一と支倉曜子という名しか聞かされてないんだ。
彼女はその二人を、殺し合いに乗ってもおかしくはないほどの危険人物だと言っていた。
できることならこんな前置きはしたくないんだが……教えてくれ。君の名前は?」
彼女はその二人を、殺し合いに乗ってもおかしくはないほどの危険人物だと言っていた。
できることならこんな前置きはしたくないんだが……教えてくれ。君の名前は?」
虎太郎の問いに対し、少女は顔を顰める。どうやら不快感を与えてしまったようだ。
彼女の正体は狐か狸か、そのどちらでもない見た目どおりの花か。
願わくば前者であってほしいと胸に抱きながら、虎太郎は返答を待った。
彼女の正体は狐か狸か、そのどちらでもない見た目どおりの花か。
願わくば前者であってほしいと胸に抱きながら、虎太郎は返答を待った。
「私の名前は……山辺美希、です」
初めて聞く名前だった。この名が偽名かどうか、霧が話さなかっただけかどうかは、まだ判然としない。
さらなる探りを入れるべく、虎太郎が口を開こうとしたところで、
さらなる探りを入れるべく、虎太郎が口を開こうとしたところで、
「美希、ですけど……って、今それどころじゃないんですってば!」
山辺美希と名乗った少女が、唐突に声を荒げた。
「突然ですが、加藤先生は強いですか!?」
「は? いや、まぁ強いかどうかと聞かれれば、多少の心得はあるが……」
「なら、手を貸してください! 今、なにげにすっごいピンチなんですよ!」
「は? いや、まぁ強いかどうかと聞かれれば、多少の心得はあるが……」
「なら、手を貸してください! 今、なにげにすっごいピンチなんですよ!」
先ほどの慎重さはどこへやら、美希は初対面の虎太郎に対し胸ぐらを掴まん勢いで肉迫する。
演技か、それとも冷静さを欠くほどの事態がどこぞで起こっているのか、駅に到着したばかりの虎太郎にはわからない。
演技か、それとも冷静さを欠くほどの事態がどこぞで起こっているのか、駅に到着したばかりの虎太郎にはわからない。
「待て。とりあえず落ち着け。聞きたいことは山ほどあるが……まず、そのピンチってのがなんなのか教えてくれ」
面食らう虎太郎は、一時思索を中断する。
駅のホームに置かれていたベンチへと身を移し、美希の語るピンチとやらに耳を貸すことにした。
駅のホームに置かれていたベンチへと身を移し、美希の語るピンチとやらに耳を貸すことにした。
◇ ◇ ◇
人間が生まれながらにして持ち合わせる方向感覚は、緊急の場においてどれほどの機能を果たすものなのか。
未開の土地。歩き慣れぬ街。後ろには危難。そんな場所で、正確に目的地を目指すことのなんと困難なものか。
理樹も、九郎も気づいてはいなかった。ただひたすらに足を動かし、駅を目指す。できたのはそれだけ。
故に、アサシンが不意に足を止めたのには疑問だった。
あと少しで逃げ切れる。電車に乗ってしまえばそれでミッション・コンプリート。
やれる。棗恭介でなくとも、直枝理樹として、このミッションを完遂することができるのだ。
なのに、どうして止まるのか。仲間が一人止まれば、自分も止まらざるをえないではないか。
理樹、そして九郎も足を止め、路上で棒立ちになるアサシンを見やった。
アサシンは口を閉ざす。なにか後ろめたいことでおるのか、視線を向けられていると知りながら押し黙っている。
なにをやっているのだろう。こうしている間にも、怪人は近づいてきているというのに。
あの爆発に巻き込まれて倒れたなどとは思わない。そんな楽観的には考えない。
ああ、きっとそうだ。そうに違いない。だからこそ、逃げなくては。
臆病者だと笑われても構わない。それで仲間が救えるのであれば、リーダーとして決断する。
リトルバスターズは軍隊や悪の組織などではない。なによりも仲間を重んじる集団なのだ。
未開の土地。歩き慣れぬ街。後ろには危難。そんな場所で、正確に目的地を目指すことのなんと困難なものか。
理樹も、九郎も気づいてはいなかった。ただひたすらに足を動かし、駅を目指す。できたのはそれだけ。
故に、アサシンが不意に足を止めたのには疑問だった。
あと少しで逃げ切れる。電車に乗ってしまえばそれでミッション・コンプリート。
やれる。棗恭介でなくとも、直枝理樹として、このミッションを完遂することができるのだ。
なのに、どうして止まるのか。仲間が一人止まれば、自分も止まらざるをえないではないか。
理樹、そして九郎も足を止め、路上で棒立ちになるアサシンを見やった。
アサシンは口を閉ざす。なにか後ろめたいことでおるのか、視線を向けられていると知りながら押し黙っている。
なにをやっているのだろう。こうしている間にも、怪人は近づいてきているというのに。
あの爆発に巻き込まれて倒れたなどとは思わない。そんな楽観的には考えない。
ああ、きっとそうだ。そうに違いない。だからこそ、逃げなくては。
臆病者だと笑われても構わない。それで仲間が救えるのであれば、リーダーとして決断する。
リトルバスターズは軍隊や悪の組織などではない。なによりも仲間を重んじる集団なのだ。
だから、だから、だから――理樹には、アサシンの発言がのみ込めなかった。
「改めて進言する。クロウ殿と共に逃げよ、リキ殿」
――今度は逆に、理樹と九郎が押し黙る。
アサシンの意図が掴めず、ただし言葉の意味だけは理解して、なおのこと押し黙るほかない。
逃げる。それはわかる。現在進行形で逃げている最中だった。それをわざわざ中断に追い込んだのは、アサシン自身だ。
アサシンの意図が掴めず、ただし言葉の意味だけは理解して、なおのこと押し黙るほかない。
逃げる。それはわかる。現在進行形で逃げている最中だった。それをわざわざ中断に追い込んだのは、アサシン自身だ。
二人だけで逃げろ、と。
アサシンがやっとの思いで搾り出した達意の言は、確かに胸に刻まれた。
刻まれて、唯々諾々と従うことはできない――直枝理樹という少年の、魂は。
アサシンがやっとの思いで搾り出した達意の言は、確かに胸に刻まれた。
刻まれて、唯々諾々と従うことはできない――直枝理樹という少年の、魂は。
「嫌だ……できない。できっこない」
「聞き分けてくれ、リキ殿。鉄乙女はすぐに追ってくる。駅までは逃れられまい」
「聞き分けてくれ、リキ殿。鉄乙女はすぐに追ってくる。駅までは逃れられまい」
立ち尽くすアサシン――いや、ハサンに向かって、理樹は正面から食ってかかる。
己が信念で、ハサンの古くさい考えを染めてしまおうと、血走った瞳で鉄面皮を見据える。
己が信念で、ハサンの古くさい考えを染めてしまおうと、血走った瞳で鉄面皮を見据える。
「それでも、できない! 仲間を見殺しにすることなんて、僕は……!」
「どちらにせよ、私は死に体だ。この背中から滴り落ちる鮮血が見えぬわけではあるまい?」
「どちらにせよ、私は死に体だ。この背中から滴り落ちる鮮血が見えぬわけではあるまい?」
ハサンの背には、依然として干将・莫耶が突き刺さったままだ。
だからなんだというのか。受肉しているとはいえ、ハサンほどの体力があれば早々失血死することなどありえまい。
だからなんだというのか。受肉しているとはいえ、ハサンほどの体力があれば早々失血死することなどありえまい。
「生きていれば……生きている内は、希望がある! それを自分から手放すなんて、馬鹿だ!」
「死が繋ぐ生もある。常在戦場のこの世……仲間を持つというならば、覚悟も持つ必要があるのだ」
「死が繋ぐ生もある。常在戦場のこの世……仲間を持つというならば、覚悟も持つ必要があるのだ」
まず生を拾う。誰一人欠けることなく。一度は共感してもらえたはずの意地が、真っ向から否定される。
覚悟なんてものはいらない。持っちゃいけないのだ。仲間を見捨てるようなリーダーにはなりたくない。
覚悟なんてものはいらない。持っちゃいけないのだ。仲間を見捨てるようなリーダーにはなりたくない。
「僕は仲間を失う覚悟なんて持たないし、持ちたくない。僕は、僕を枉げたくない!」
「それが誇りだとでも言うのか? 違うな、それは単なる悪趣味な道楽だ。迷惑極まりない」
「それが誇りだとでも言うのか? 違うな、それは単なる悪趣味な道楽だ。迷惑極まりない」
それでは誰もついては来ない、とハサンは言う。あまい考えだと、そう思われているのだろう。
ハサンの辛辣な言葉を受け止めていると、目頭に熱いものが込み上げてくる。が、懸命に堪えた。
ハサンの辛辣な言葉を受け止めていると、目頭に熱いものが込み上げてくる。が、懸命に堪えた。
「私がこの場に留まり、時間を稼ぐ。その間に、リキ殿は新たな仲間と共に発たれよ」
「ハサンさんを見捨てて……かい? なら、やっぱり聞くことはできない。それが僕の意志だ」
「ハサンさんを見捨てて……かい? なら、やっぱり聞くことはできない。それが僕の意志だ」
強く――恭介みたいに強く――恭介よりも強く。直枝理樹として、ハサンを納得させたい。
願いが情念を生み、決して折れることのない信念をさらに強固なものとし、活力を与える。
願いが情念を生み、決して折れることのない信念をさらに強固なものとし、活力を与える。
「ハサンさん……リトルバスターズのリーダーとして命ずる! 僕と――」
リトルバスターズを背負って立つ。
揺らぎのない芯を据えた直枝理樹としての発言は――しかし。
揺らぎのない芯を据えた直枝理樹としての発言は――しかし。
「黙れぇええええええ!!」
わかってもらおうとした仲間。
ハサンからの、思わぬ怒号によって掻き消された。
ハサンからの、思わぬ怒号によって掻き消された。
「もう『リトルバスターズごっこ』はおしまいなんだよ!」
理樹の胸ぐらを掴み、至近距離から喚き散らすハサン。
出会いから数刻、まったく見たことのない、予想すらしていなかった姿に面食らう。
出会いから数刻、まったく見たことのない、予想すらしていなかった姿に面食らう。
「ここで希望が途絶えれば、リキ殿が守りたかったものは全て潰えるのだ!
繋がねばならん、たとえこの身を捧げることになろうとも、私は繋ぐ道を選ぶ!!」
繋がねばならん、たとえこの身を捧げることになろうとも、私は繋ぐ道を選ぶ!!」
髑髏面に覆われた顔からは、表情が窺えない。だが、怒っているだろうことは明白だ。
ただしこの怒りは、悲しみにも似ている。
理樹の双眸から堪えたはずの涙が溢れ出たのは、ハサンの悲しみに共感してしまったためだ。
ただしこの怒りは、悲しみにも似ている。
理樹の双眸から堪えたはずの涙が溢れ出たのは、ハサンの悲しみに共感してしまったためだ。
「切り捨てる覚悟を持て! そして未来へ往け! 己が信念を枉げぬというのであれば、進めリキ殿ォ!!」
止まらない。涙が止まらない。瞳が、心が、全身が、悲しみに震えて打ちのめされそうだった。
この人はどうして、こんなにも自分に苦渋を強いるのだろう。わかっている。わかってはいるんだ。
でもそれを飲み込めないでいるのは、やはり弱さ。恭介なら、決断することができただろうか。
それもわからない。なにもかもがしっちゃかめっちゃかだ。理樹の心は洪水に見舞われている。
この人はどうして、こんなにも自分に苦渋を強いるのだろう。わかっている。わかってはいるんだ。
でもそれを飲み込めないでいるのは、やはり弱さ。恭介なら、決断することができただろうか。
それもわからない。なにもかもがしっちゃかめっちゃかだ。理樹の心は洪水に見舞われている。
「……僕たちの、してきたことが……ごっこ遊びだって、言うんなら!」
泣きながら、理樹は厳しく接してくるハサンに抵抗を試みた。
「ハサンさん一人で、逃げればいい。僕を生かす理由なんて、ない。ハサンさん一人なら、気配を消してどこにでも」
見当違いなことを言っているのは承知している。だが、他に言葉が見つからないのだ。
「……逃げ、られる。だから、せめて逃げてよ……僕は、仲間を失いたくなんて、ないんだ……」
「……リキ、殿」
「……リキ、殿」
思わず零れた本音が、理樹の弱さを物語っていた。
そうだ。仲間を失いたくない。理樹の中に根づく信念の元は、全てこの想いだ。
唯湖、真人、恭介、鈴……ハサンとて、もう立派なリトルバスターズの一員なのだ。
そうだ。仲間を失いたくない。理樹の中に根づく信念の元は、全てこの想いだ。
唯湖、真人、恭介、鈴……ハサンとて、もう立派なリトルバスターズの一員なのだ。
欠けてはならない。失ってはならない。
欠かしたくない。失いたくない。死なせたくない。
欠かしたくない。失いたくない。死なせたくない。
子供らしい身勝手な、それでいてロリポップのように甘い、未熟な思想だ。
成長するべきなのだとは思う。しかし、その成長は仲間の死を迎えずしてはありえない。
それなら理樹は、今の弱っちいままの理樹は、成長しなくてもいい。むしろ成長などしない。絶対に。
成長するべきなのだとは思う。しかし、その成長は仲間の死を迎えずしてはありえない。
それなら理樹は、今の弱っちいままの理樹は、成長しなくてもいい。むしろ成長などしない。絶対に。
「命令じゃなく、お願いだ。逃げて…………お願いだから、僕なんて見捨てて逃げてよハサンさん!」
叫ぶ。そして直後に――胃が悲鳴を上げた。
(えっ――?)
ハサンの右膝が、理樹の腹部に減り込んでいる。閉じていく視界の隅で確認した。
ハサンの顔を見上げる。その表情は、髑髏面に阻まれやはり窺い知れない。
ハサンが呟く。理樹は失せていく意識の端で、確かにその声を耳にした。
ハサンの顔を見上げる。その表情は、髑髏面に阻まれやはり窺い知れない。
ハサンが呟く。理樹は失せていく意識の端で、確かにその声を耳にした。
「すまぬ。そして――さらばだ、リキ殿」
別れの、言葉。
◇ ◇ ◇
揉み合いの末、ハサンは理樹を気絶させるという力技で、自らの主張を通した。
意識を途絶した理樹は、もう異論をぶつけることもできない。
卑怯だ、と。大十字九郎は思った。
意識を途絶した理樹は、もう異論をぶつけることもできない。
卑怯だ、と。大十字九郎は思った。
口を挟まず、最後まで見届けた二人の結果が、これなのか。
別れとするには、あまりにも……緩みそうになった涙腺に、固く鍵をかける。
別れとするには、あまりにも……緩みそうになった涙腺に、固く鍵をかける。
「……礼を言う。そして再び頼む。リキ殿を連れ、逃げ延びてくれクロウ殿」
告げるハサンの口調は、どこか重々しい。
あのときの理樹とまるで同じだ。これから死にに行きますとでも言わんばかりの声。
ハサンの決意がどれだけ確固たるものか、理樹とのやり取りを見ていた九郎は知っている。
あのときの理樹とまるで同じだ。これから死にに行きますとでも言わんばかりの声。
ハサンの決意がどれだけ確固たるものか、理樹とのやり取りを見ていた九郎は知っている。
「断る」
知っているからこそ、それをきっぱり切り捨てた。
「いけしゃあしゃあと自分勝手なことばっかり言いやがって……どこの映画俳優様だコンチクショー!
そんなに理樹が大事ならなぁ、生きて、死にそうになっても生きて、そんで自分で守って見せやがれ!
あんたも男なんだろう!? だったらなぁ、自分が惚れ込んだ男くらい、自分の手で最後まで面倒見ろよ!」
そんなに理樹が大事ならなぁ、生きて、死にそうになっても生きて、そんで自分で守って見せやがれ!
あんたも男なんだろう!? だったらなぁ、自分が惚れ込んだ男くらい、自分の手で最後まで面倒見ろよ!」
九郎とて、心の芯に根づく考えは理樹と同種のものだ。
救える命には慈悲を。救えぬ命だったとしても、やれることは全部やってから諦める。
今はまだ、諦めのフェイズではない。だから徹底的に抗う。大十字九郎とはそういう男だ。
救える命には慈悲を。救えぬ命だったとしても、やれることは全部やってから諦める。
今はまだ、諦めのフェイズではない。だから徹底的に抗う。大十字九郎とはそういう男だ。
「立派に主張を掲げるのはいいが、そうこうしている間にも、生存の道は遠のいているのだぞ?」
「俺は最初っから、あんたを置いて逃げる気なんてねぇ! 迷惑かけちまったしな!」
「ならばなおのこと、私の願いを聞き入れてはくれまいか?」
「だが断る!」
「どうしてもか?」
「絶対にノゥ!」
「貴殿を囮にし、私とリキ殿の二人で逃げるという方法もあるが……」
「やれるもんならやってみやがれ!」
「私は奥の手を隠している。人を意のままに操ることができる宝具の一種で……」
「ならあのおっかないねーちゃんに使いやがれ!」
「……頑として退く気がないと見える。リキ殿以上に強情なようだ」
「ああ、よく言われるよッ!!」
「俺は最初っから、あんたを置いて逃げる気なんてねぇ! 迷惑かけちまったしな!」
「ならばなおのこと、私の願いを聞き入れてはくれまいか?」
「だが断る!」
「どうしてもか?」
「絶対にノゥ!」
「貴殿を囮にし、私とリキ殿の二人で逃げるという方法もあるが……」
「やれるもんならやってみやがれ!」
「私は奥の手を隠している。人を意のままに操ることができる宝具の一種で……」
「ならあのおっかないねーちゃんに使いやがれ!」
「……頑として退く気がないと見える。リキ殿以上に強情なようだ」
「ああ、よく言われるよッ!!」
やれやれ、とハサンは首を振る。
九郎の意志は揺るがない……が、このままハサンと口論を繰り返しているばかりでは、いずれ乙女に追いつかれる。
どこかでどちらかが妥協しなくてはならない。あるいは追いつかれても撃破すればいいのだろうが、それは非常に困難だ。
重傷を押している身であり、自ら死に体であると発言するハサン。
つい先ほど気絶し、元々低かった戦闘力がゼロとなってしまった理樹。
アルとの契約が解除され、マギウススタイルに変身すること適わなくなってしまった九郎。
立ち向かったとして、勝つ見込みなど皆無に等しい。
厳しく辛い現実を見据えると、九郎の火照った体を臆病風が浸透していった。
九郎の意志は揺るがない……が、このままハサンと口論を繰り返しているばかりでは、いずれ乙女に追いつかれる。
どこかでどちらかが妥協しなくてはならない。あるいは追いつかれても撃破すればいいのだろうが、それは非常に困難だ。
重傷を押している身であり、自ら死に体であると発言するハサン。
つい先ほど気絶し、元々低かった戦闘力がゼロとなってしまった理樹。
アルとの契約が解除され、マギウススタイルに変身すること適わなくなってしまった九郎。
立ち向かったとして、勝つ見込みなど皆無に等しい。
厳しく辛い現実を見据えると、九郎の火照った体を臆病風が浸透していった。
(だからって、ここで退いたら男が廃るってもんだ! このわからず屋は絶対に――)
冷めた体に、再び薪をくべようとした直後である。
頑なに逃走を進言していたハサンが、唐突に膝を折った。
地に膝を着け、頭は深く下げ、土下座の姿勢を取る。
頑なに逃走を進言していたハサンが、唐突に膝を折った。
地に膝を着け、頭は深く下げ、土下座の姿勢を取る。
(は!? え、あ、ちょ!?)
ハサンの思わぬポーズに動揺する九郎。一瞬、彼の真意を見失う。
だがすぐにわかった。古めかしくはあるが、これも彼なりの意地の通し方なのだと。
だがすぐにわかった。古めかしくはあるが、これも彼なりの意地の通し方なのだと。
「頼む――この通りだ」
男としての自尊心をかなぐり捨て、ハサンは言葉でわかってくれぬ頑固者に懇願する。
ポーズだけではない。誠意が伝わってくる土下座だ。ハサンにとって、理樹の命はそれほど重いということなのだろう。
ポーズだけではない。誠意が伝わってくる土下座だ。ハサンにとって、理樹の命はそれほど重いということなのだろう。
「この地で見つけた、掛け替えのない主君……私が心から仕えたいと願った、マスターなのだ」
――聖杯戦争において、ハサン・サッバーハの忠誠心は他のサーヴァントに比べ群を抜いて高いとされる。
主の命に従い、時には主の間違いを正し、時には主の身を守る盾ともなる。
クラス・アサシン――ハサン・サッバーハとはそういう男だった。
主の命に従い、時には主の間違いを正し、時には主の身を守る盾ともなる。
クラス・アサシン――ハサン・サッバーハとはそういう男だった。
「繋いでくれ。リキ殿はきっと、皆の道しるべとなる。どうか、このハサン・サッバーハの願いを聞き入れてくれ!!」
聖杯戦争やサーヴァントの事情、ハサンという英霊として真名も知らぬ九郎にも、彼の想いは伝わった。
おそらくハサンと理樹の関係は、九郎とアル・アジフのような『パートナー』などではない。
もっと厚く、もっと深い、真の『主従関係』にあるのだろうと――認めるしかなかった。
不器用で、それでいて重い。あまり褒められた生き方ではない。だが、無碍に扱えもしない。
ハサンが理樹を生かしたいという願いに込めた情念は、正しく本物だ。
それを否定する権利など、九郎にはなかった。
おそらくハサンと理樹の関係は、九郎とアル・アジフのような『パートナー』などではない。
もっと厚く、もっと深い、真の『主従関係』にあるのだろうと――認めるしかなかった。
不器用で、それでいて重い。あまり褒められた生き方ではない。だが、無碍に扱えもしない。
ハサンが理樹を生かしたいという願いに込めた情念は、正しく本物だ。
それを否定する権利など、九郎にはなかった。
「……必ず、帰って来い」
言いたくはなかったが、言ってしまった。
これはつまり、ハサンの熱意に大十字九郎が負けた、ということなのだろう。
敗北としては清々しい、が、この先に起きる危難を思えば、苦々しい。
せめて、負け犬の遠吠えだけでも残そうと、九郎は震える拳を押さえて叫ぶ。
これはつまり、ハサンの熱意に大十字九郎が負けた、ということなのだろう。
敗北としては清々しい、が、この先に起きる危難を思えば、苦々しい。
せめて、負け犬の遠吠えだけでも残そうと、九郎は震える拳を押さえて叫ぶ。
「帰って来い! そんでもって、一発ぶん殴らせろ! いいか、絶対だかんなー!!」
せめて、泣き顔は見せないように。
頭を下げたままのハサンには一瞥もくれず、倒れた理樹を背負って駅までの道をひた走る。
振り返りはしない。なにやら物音が聞こえて、乙女がすぐに後ろまで追いついたと悟っても、振り返らない。
理樹を生かす。託された者として、ハサンの願いに共感した者として、この仕事をやり遂げる。
九郎は誓い――心中でこの憤りを吐き捨てた。
頭を下げたままのハサンには一瞥もくれず、倒れた理樹を背負って駅までの道をひた走る。
振り返りはしない。なにやら物音が聞こえて、乙女がすぐに後ろまで追いついたと悟っても、振り返らない。
理樹を生かす。託された者として、ハサンの願いに共感した者として、この仕事をやり遂げる。
九郎は誓い――心中でこの憤りを吐き捨てた。
(ちくしょう……!)
◇ ◇ ◇
129:想い出にかわる君~Memories Off~ (前編) | 投下順 | 129:想い出にかわる君~Memories Off~ (後編) |
時系列順 | ||
直枝理樹 | ||
真アサシン | ||
鉄乙女 | ||
大十字九郎 | ||
山辺美希 | ||
加藤虎太郎 |