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断片集 ダンセイニ

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断片集 ダンセイニ



人は見かけによらない、と言う。
それは、恐らく正しい。人を、いや人に限らず、何事も見かけだけで判断するというのは、非常に迂闊な行動というべきだろう。
ただ、第一印象という物の重要性も、また否定できないのは確かである。
だからこそ、人は見かけによらないという言葉が成り立つのだろうが。

さて、ここに居る彼は、その外見に反して、かなり賢い。
ただ、沢山の知識を持っているかというと、必ずしもそういう訳でもなく、
また優れた発想力や、論理的な思考回路の持ち主であるかというと、そういう訳でもない。
彼はただ、賢明なのだ。
人よりも少しばかり長い生によって培われた人間性と、その生の中で育まれた、他人に仕えるという目的性を併せ持ち、
己の成すべきことを正しく理解できる、という賢さを持っていた。
それ故に、彼は『彼ら』に奉仕するという行動に出た。

最初に考えたの、主がどこに居るのかという事だった。
次に考えたのは、主の相方にして、想い人の無事であった。
主は、彼よりも長い時を生きている彼の知る限りは最も賢明なる存在である。
己自身の心の律し方以外は、という但し書きは付くが、それでも主は彼自身よりも遥かに賢く、そして強かった。
そんな主の最も弱い部分、その心に重きを占める相手である相方は、強いとは言えない存在ではある。
ただ、彼の見る限りでは、相方にはその立ち居地に相応しい強さが、備わっている。
主のそれとは異なり、だからこそ相方たりうる強さ。
膝を折り、絶望の淵に苛まれようと、必ず立ち上がり、主の隣に、あるいは、まだ見ぬ主の先に、立つ事の出来る強さが。 

だからこそ、彼は主たちを探しに旅立つ事はなかった。
主たちを守りたいという感情は確かにあったけれども、それは彼が己のするべきことを放棄して良いということにはならない。
そう、彼には仮の仲間たちがいた。
縁もゆかりも無い、この地にて初めて出会っただけの間柄。
ある者は揺るがぬ己を持つがゆえに強く、だが己を用いる賢さを持たず。
ある者は目的の為に自身を律することが出来るゆえに強く、しかしそれ故に己自身を強く思えず。
ある者はこの状況に戸惑うことしか出来ない弱さと、それでも歩める強さを持ち。
ある者は強大すぎる知性と勇気を持ち、故に己を律する能を持たず。
皆が悩み、惑い、憤り、嘆き、迷いながらも、それでもそこで懸命に生きていた。

そんな彼らの存在を無視することなど、どうして出来ようか。
そのような自分に、主たちに仕える資格など、あろう筈が無い。
何よりも、そのような事は彼自身の矜持が許さない。
そうして、奉仕種族たるショゴスの一、ダンセイニは主を探しに出向く事はなかった。

ダンセイニは、賢明だ。
賢明という事は、己のするべき事を考え、実行に移せるという事だ。
『ポカリ、三分な』と言われてから走り出すのでは無く、あらかじめクーラーボックスにポカリを用意しておくような、
そういう思考こそが、仕える身分には必要である。
無論、実際に行なうのは困難であるが、大切なのはそういう思考である。
仕える為に、己が何をするべきなのか、考える。
盲目的に仕える機械ではなく、主の事を考えて時には逆らうことこそが、真の奉仕と言えるだろう。
だからこそ、ダンセイニは決心した。

自分が、彼らをリーダーとして導くという事を。

上に立つという事は、奉仕するという事である。
下の者達の能力を考え、理解し、守り、叱り、諭す。
己の能力を、下の者達に使うという行為は、紛れも無く奉仕に値する。
より正確に言うならば、上下関係というものが生まれた時に、そこに奉仕という概念が生まれるのだ。
上に立つということは、これまでの友情による横並びの関係ではない。
無論それが友情より生まれた関係である以上は、そこに友情は残り続けるが、それでもそれより先の行動には、明白な差異が生まれる。
お互いの立場が異なるがゆえに、理解が生まれない事がある。理解があっても、納得が生まれないこともある。
時には薄情と思われる命令を下さなければならない時もあるだろう。己の感情を見せてはならない時もあるだろう。
だからこそ、それはダンセイニのするべき役割なのだ。奉仕種族として、己を律する事が出来るが故に。

そうして、彼は命令を下した。
いや、命令の1つ手前、己が上に立つという宣告を。


「てけり・り」



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