古代
古代からグレートレリア島発見までの歴史は、参考となる文献などが全くもって残っていないのではっきりとわかっていない。
グレートレリア島には昔から先住民族がおり、先住民族のみで独自の人間社会を構成していたと言われている。
なお、グレートレリア島が発見された当時は三つの部族に分かれて部族間戦争をしており、三つ巴の状態であった。
グレートレリア島の発見
1423年7月15日、 アカトルイスの商船「レッド・ホーカー号」が航海中に嵐に遭遇し、本来の航路から外れてしまう。
大荒れの海の中でまともに操船することもできず、そのまま南に流されてしまったのと同時に、マストが損傷し船のバランスが保ちにくくなるという事態に陥ってしまった。
雨が上がり視界も晴れてくると、乗組員が南方に巨大な島を発見、これがグレートレリア島である。
レッド・ホーカー号乗組員が上陸した当初、先住民達は警戒していたが、言葉が通じないながらも乗組員が身振り手振りで攻撃する意思が無いことを伝え、結果的に乗組員と先住民で争うことは無かった。
このとき接触した先住民達は、当時グレートレリア島を支配していた三つの部族のうちの一つである「トレイシー族」だったとされている。
レッド・ホーカー号はここで停泊、船舶の修理や食料の確保などをし、一ヶ月後にグレートレリア島を発った。
さらに四ヶ月間かけて アカトルイス本国に戻り、グレートレリア島の存在が多くの人間に知られることとなる。
島への侵攻
少しでも多く土地を確保すべく、島の占拠を目的としてグレートレリア島へ侵攻することが決定した。
しかし、当初は島の規模をまったく把握しておらず、実際の面積の6分の1程で想定していた。
いざ銃で武装させた海軍兵士を送ってみると、島の規模が全く違った上に先住民の反撃も猛烈で、わずか一週間ほどで鎮圧されてしまった。
単なる島かと思いきや、かなりの面積をもつ島だったことが判明し、これに対して海軍上層部は、より植民地とする価値が上がったとして、さらに兵士を送っていった。
二年後の1425年にようやく、多大な犠牲を払ってグレートレリア島を占拠、アカトルイスによる統治が始まった。
移民
統治が始まってからまもなく、 アカトルイスからの移民が始まった。
移民の数は瞬くうちに膨張していき、1460年までにはおよそ110万人もの住民がグレートレリア島へ移住した。
現在の国民の約7割は、このとき移住してきた人々の子孫である。
1436年には アカトルイス連邦を構成する一国、ケルヌンノス国のブラッドリー・アーチボルド公が、グレートレリア全島を統治する権利を与えられ、以降アーチボルド家がそこに定住することになる。
このアーチボルド家こそが、後のグレートレリアの王家となる。
独立
この侵攻の影響で アカトルイスでは、戦費を賄うためにさらなる増税を余儀なくされ、冷夏で影響を受けた上での増税に各国の首脳、国民は激怒。
1453年、ケルヌンノス国、トータティス国、エスス共和国、ルゴス国の4カ国が独立し、ファーニケス公国が成立した。
この頃グレートレリア島はファーニケス公国に統治されていたが、ファーニケス本国からグレートレリア島までは相当な距離があり、当初はファーニケス本国から大陸の食料や物資などを船で輸送していたが、次第に回数は少なくなってきた。
そのうちに輸送は完全にストップしてしまい、自給自足能力がそれほど高くないグレートレリア島では食糧難が発生し、ファーニケスからの独立を願う声が大きくなっていった。
そういった経緯もあり、1460年、レイラ・アーチボルド女公が独立宣言、自らを女王と名乗り、アーチボルド家を王室としたグレートレリア王国が成立した。
当初はレイラが突然女王と名乗ったことで批判が募ったが、王としての公務を真面目にこなし、国民の声にしっかり耳を傾け、臣下に対しても丁寧に応対し、何より諸外国と積極的に貿易をして食糧難を解決したことで国民の支持度は上昇、次第に認められるようになっていった。
王室はグレートレリアの広大な土地を諸侯に平等に分け与え、グレートレリアにおける封建制がここから始まった。人種差別が激しかった当時にしては珍しく、諸侯の中にグレートレリア先住民部族出身者の姿もあった。
海軍の編成
諸外国との関係を強化する一方、各国が領地を広げようとしていたこの時代には、国防力も強化しなければならなかった。
王室は、海軍力こそ王国を守る要と考え、王立グレートレリア海軍を創立した。強大な戦艦に加え、多数の連絡艦を配置、連絡艦は常に島の周りを回転するように動き、戦艦から戦艦、さらに次の戦艦へ移動し、情報を伝達していくことで、常に新しい情報が入るネットワークのような仕組みを作った。
1671年に 芹華帝国が北方から艦船で攻めてきた際、このネットワークが多大な貢献を果たし、見事に芹華海軍を撃退している。その為このネットワークは"情報戦"の先駆けともいわれている。
しかし1700年あたりから、レリア海を通過する諸外国の商船の数が増えた為、レリア海における海賊の活動が活発になってきた。
それに対抗し、足の速い偵察艦を既存のネットワークを囲む形で配備した。偵察艦自体が海賊に拿捕されることも少なくは無かったが、海軍が海賊を討伐することがさらに容易になった。
それによりレリア海の海賊は姿を消していった。
8年戦争
1940年3月3日にファーニケス公国と リュドスカヤ王国がアストラル帝国に宣戦布告、8年戦争が勃発した。エポニック地方を中心として、世界が同盟側と三国連合側とで分かれていく中、グレートレリア王国は同盟側についた。
序盤は幾度も内陸にあるアストラル帝国へ支援物資を送ろうとするも、三国連合側に阻止され、アストラル帝国にたどり着いたのはわずかな物資しかなかった。
その後は海軍力を生かし、ファーニケス公国を攻撃、アストラル帝国、ロルクスタン公国を反対側から支援する形となる。
しかしファーニケスと リュドスカヤの共同作戦により、グレートレリア本島北部まで攻め入られ、巻き返せずに結果として1946年4月に降伏した。
1990年まで、本島の北部はファーニケスにより統治されていたが、返還されている。
現代
本島北部の返還後、各諸侯は戦災失業者や戦争孤児の対応に追われ、国内の混乱は収束できないでいた。
時の国王アルグレー2世は、徐々に国内に広がっていた議院内閣制の導入を主張する世論に対応し、名家であるダジリルド家から、ダジリルド・サッチャー首相が誕生した。なお、現在の議会は王国内の各諸侯が構成する貴族院、王国内に設置された選挙区から選挙によって選出された者の集まりである庶民院の二院制である。
彼女の新自由主義政策のもと、経済は一応の落ち着きを取り戻したものの、最下層に暮らす人々への対応が現在の社会問題となっている。
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