フルシア公国(Principality of Fruscie)


概要

フルシア公国は、アカトルイス連邦の南に位置する、立憲君主制国家である。

実質的なフルシア家による独裁であるが、国民の熱い支持も有り容認されている。この経緯には周辺諸国が900年頃のアカトルイス連邦の植民地拡大政策により植民地化された中、騎士団一家であったフルシア家はそれに抵抗し、国境を認めさせた事、そしてその国体を現在まで維持している事が大きい。

首都はトラヴィス(Travis)であり、アカトルイスとファーニケスに挟まれた小山上に存在する多段型要塞である。首都付近以外は2つの急峻な山脈に挟まれており、ツェマクまで縦貫する「胡椒街道」が唯一南北を貫く。

首都トラヴィスが商都として栄えた過去から金融業が盛んであり、世界最大の預金残高を誇るエイフェックス銀行はフルシアの中央銀行として機能している。

配下の近衛連隊は忠臣一家であるジャン家によって司られており、現在はこのジャン家により多国籍軍事コングロマリット「Complexe d’armement et de logistique Frusciante(CALF:フルシア兵装・兵站複合体)」が運営されている。

歴史

古代

フルシアは紀元前4世紀頃のテリア系と呼ばれる人々による現在のトラヴィス近郊に起きた集落を起源とする。

北西洋とエポニック地方、そして中東方面の中心に位置しており、交易の為に通る人々も多くあった。そこで100年頃、テリア系の人々はそれらの人間に対して市場を提供し始めた。彼らはその市場の防衛及び管理を行う対価として、貿易商たちから物資を得ていた。

この対価を用いて作られたのが総計16層にも及ぶ城壁を持つ大トラヴィス要塞であり、この時防衛を担った騎士団一家がフルシア家である。

アカトルイスの台頭と国家の成立

トラヴィスをエポナ王国へとケルヌンノス国軍の兵士が通過した832年以降、騎士団一家のフルシア家やジャン家、金庫番一家のエイフェックス家の御三家は隣国となる国々がまとまりつつある現状に不安感を感じ出した。この不安感は834年、円卓会議によりアカトルイス連邦が成立した事で現実となった。

この時騎士団長の長兄に代わりフルシア家代表として出ていた長姉のクラリス・フルシアは「武装中立」を取ることを提議した。即ち、自らの領土を明確に定義し、その領内に侵入する軍隊に対しては平等に迎撃する。また、市民・商人は自由に通過する事を認めるというものであった。

当時のフルシア家は南部に拡大した宿場町に分家を置いていく形で拡大しており、ジャン家は首都を中心として国境防衛に務めていたため、軍事力としては十分なものであったと言えよう。また国土の多くを山岳地帯が占めており、守りに適した地形であるであることもこの提議を後押ししたと考えられる。

これらの要素からジャン家、エイフェックス家もこの提案に同意し、結果的に836年6月18日、提議者のフルシア家の長姉を国家元首に据えた「フルシア公国」が成立した。このような成立過程を辿ったが故にフルシアは女帝制である。

902年、領土拡大政策を取っていたアカトルイスはフルシアに対して侵攻を試みたが、兵装の多くを商都であったトラヴィスに依存しており、騎士団の規模も考慮に入れた結果侵攻を断念した。

これによりアカトルイスはフルシアの中立を認めざる得なくなった。また、中立であることを認める事で、商人の通行の自由が認められ、それにより安定的に兵装の調達が可能になると判断したとの説もある。

技術の発達

実質的にアカトルイスによって領土を認められた形となったフルシアは、これを確固たるもののするために戦略的な観点から工業を振興していった。芹華に派遣した特使によって得た「火薬」の技術を発展させ、長距離砲の製造等により抑止力を強化した。また、同時に「活版印刷」の技術も導入し、ツィマクから運ばれてくる宗教書を広めた。

1451年は記録的冷夏であったが、もともと山がちで寒冷だった事もあり、大きなダメージを受けずに済むこととなった。この冷夏により1453年に独立したファーニケス連邦は、分離独立元のアカトルイスの立場を受け継いだため、南方の植民地となったタウィール王国を含め、周辺を中立を承認する国によって囲まれる形となった。

血の金塊事件

1685年頃、各国が戦争を繰り返す度に北部の商都トラヴィスでは莫大な富が生まれていたが、南部の農民、騎士は相変わらず貧しい生活を余儀なくされていた。その理由は大商人と税務官の癒着により、南部へと富が還流されなかったためである。その不満は12代女帝であったルネ・フルシアの耳に入ることとなった。

1687年8月9日、ルネは自らの手で首都の税務官の首をすべて跳ねた。後に言われる「血の金塊事件」である。彼女は新しい税務官を一箇所に集め、自らの目の元で仕事をさせる事とした。この姿に商人たちは恐怖し「命が惜しけりゃ、儲けは橋に変えろ*1」と言う掟が商人衆によって作られる事となる。

事件後、南部の市民はこの事件を歓迎したが、北部の商人の中からは恐怖政治だと言う非難の声が上がるようになった。

この声を聞いた15代エイフェックス家当主、ジョゼ・エイフェックスは、ルネに対して議会を開き、二権分立*2形の立憲君主制を導入する様に進言した。しかしルネは従来からの王権の縮小を嫌い、なかなかそれに応じようとしなかった。

ジョゼの1年の交渉の末、1688年12月19日にフルシア公国は立憲君主制へ移行した。初代大統領は功労者であるジョゼがなる形となった。ただ現在に至るまで、騎士団(軍)の最高統率権は女帝にあり、また実質的に議会は女帝の配下にあるに等しい為、実質的な独裁体制であると評価されている。

近代的軍隊の組織とその発展

フルシアは武装中立を掲げていたため、周囲の国からの侵攻を十分に阻止できる軍隊が必要であった。1890年代にもなると、騎士団を底とした軍事体制は旧態化の一途を辿っており、この近代化が急務となっていた。このためジャン家当主バルタザール・ジャンは軍の近代化を15代女帝オリヴィア・フルシアに進言した。この時提示されたのが「近代的軍隊の統率」と題された論文である。

この論文には以下の様に示された、
  • 村々を守る騎士はすべてフルシア公国軍に所属すること。
  • 首都トラヴィスは専業騎士によって構成された精鋭部隊が守る事。
  • 緊急時において、判断を下す事が出来るのは最高司令官たる女王陛下のみである。
  • すべての兵隊に明確な階級を割り当て、女王陛下の命令を円滑に遂行すること。
  • 鍛冶屋寄合は常に技術開発を続け、兵装の近代化に務めること。

この提言をオリヴィアは受け入れ、議会に諮った。結果として村々の兵士は剣の代わりに小銃を、そして首都トラヴィスには榴弾砲が配備され軍事の近代化が推し進められた。
20世紀に入ってもこの命令は生き続け、国産戦闘機ラファール、国産戦車ルクレールへとつながっていく。

中立の固持と8年戦争

1940年3月3日、ファーニケス連邦とリュドスカヤ王国により8年戦争の幕が切って落とされた。世界の大半の国がどちらかの陣営に付く中、フルシアはその中立を固持した。当時のフルシアに介入するだけの余力が無かったのも大きいが、国民が中立を支持した事も大きかった。

1940年5月31日、16代女帝クロエ・フルシアはジュゼッペにおいて、各国代表に対して「フルシアは如何なる軍用車両・軍用機の領内の通過を認めない代償として、捕虜交換及び戦争犯罪者の処罰を引き受ける」とする「ジュゼッペ宣言」を提議し、これを認めさせた。

またこの会議において、騎士道時代にはあまり見られなかった捕虜への虐待や一般市民への攻撃、侵攻地域での略奪等の問題が上がり、これらを禁止する「ジュゼッペ条約」が締結された。しかし戦後、連合国による侵攻地域での略奪が多発した事が明るみとなった為、この条約の実効性に疑念が呈される事となった。

軍備の拡張と積極的防衛への転換

8年戦争終結後、先の宣言により戦後処理の多くを引き受ける事となった。しかし多くの連合国側の戦犯の引き渡しは行われず、自国の影響力の低さを思い知る事となった。

この苦い経験から、1970年に17代女帝であるレナ・フルシアは軍事的プレゼンスの改善を目的とした「国土要塞化計画」を提言し、議会により承認された。最新鋭ジェット戦闘機「ミラージュ 2000」の開発や、戦術核の開発が推し進められた。

しかし影響力を強化する事によって、国際社会においての責任が大きくなった事で、フルシアは大きな判断を迫られることとなった。

1990年頃に発生したアル=シオン騒乱以降、隣国のタウィール王国北部の治安情勢が悪化した。具体的には反体制勢力による実行支配を受け、制空権を剥奪される事態となった。フルシアは中立を宣言していたが、軍事力が周辺諸国のそれに匹敵するものがあったため、周辺諸国から介入への協力を求められた。

レナは苦渋の決断として、正規軍へのアグレッサー部隊の派遣の代償として、テロリストの存在する地域を「訓練場」として間借りするという形を取った。ただ実際のところ、これは苦渋の決断とは言えないとされている。何故なら国土の狭いフルシアでは十分な対地訓練を行うことが出来ず、またアグレッサー部隊の練度向上にも繋がるためである。

これ以降、アグレッサー部隊の派遣や兵器の輸出の代償として訓練名目で対テロ作戦を行うということは慣例化した。また2003年のペトロスク地下鉄爆破テロ以降、市街地におけるテロに対する脅威が高まったことも有り、近衛連隊に市街地戦部隊が設立されることになった。

現在、地上脅威向け作戦の為にCALFによりnEUROnと呼ばれる無人機の計画が提示されている。

軍事

小国ながら、中立を保つため周辺の大国に勝る軍事力を有する。標語に「Aux armes, hommes!(男共よ、武器を取れ!)」とある様に、国民皆兵制である。また女帝制であることが物語る様に、男性が国防を、女性が社会を担っており、世界で最も女性の社会進出が進んでいる国とも評される。

郷土防衛軍 (Force Armée de défense)

郷土防衛軍は元々村々を守ってきた地元の騎士が軍隊に組み込まれたものである。定員は32万人であり、予備役を含めると168万人を擁する地上軍である。正面機甲部隊には「ルクレール」主力戦車などが配備されている。

防空軍 (Armée de défense aérienne)

1916年に武装複葉偵察機により組織された郷土防衛軍偵察隊を起源とする空軍であり、定数は4万人。入隊検査で視力が優秀なもの、反射神経が優秀なものから選抜されており、主に「ミラージュ 2000」「ラファール」と言った防空戦闘機を配備する。

近衛師団 (Garde Royale Frusciante)

軍の中で最も歴史の古い部隊であり、立憲君主制となった現在もフルシア公が最高指揮権を持つ、事実上の私兵である。そのために議会の制約を受けない特性を持つため、首都の防衛、対外デモンストレーションといった主任務以外に、国外における対テロ作戦等、正規軍が担当できない国外任務も受け持つ。
航空部隊、地上部隊、王宮殿儀仗隊、特殊作戦コマンド「Cramoisie」を有する。完全志願兵制であり、定数は存在しないが、現状2万人を擁する。


建国者 : mofumofu
Founding of a country by mofumofu

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最終更新:2021年06月20日 16:21

*1 中世、公共施設はお金持ちが作り維持していた

*2 官僚と議会が相互に監視し、王がそれを仲裁する